ハッピー昭和クラブ

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

見当つけて斬ってきな

リオデジャネイロ・パラリンピックが開幕しました。オリンピックに比べると、スポンサーがついてないとか、チケットの売れ行きが悪いとか心配されたけど、開会式はブラジルらしい楽しい雰囲気で良かったです。パラリンピックならではの種目にゴールボールがあります。3人でチームを組んで、ボールを敵の防御するゴールめがけ転がすというもので、ボールには鈴が入っていて防御する側は、その音でボールの動きを知るのです。熟練した選手は、音でボールのコースばかりか、その回転までわかるそうです。とてつもない集中力と研ぎ澄まされた聴力、その境地に達するまでの練習量もすごいのでしょうね。「座頭市喧嘩旅」(1963 安田公義監督)では、
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冒頭、賭場のサイコロ博打でイカサマを座頭市が見破ります。そのときの市のセリフは「お前さん、サイコロを替えなすったね。壺の音色でわかるんだ。目明きは誤魔化せてもあっしの耳は誤魔化せませんよ」というもの。この後、得意の居合斬りでロウソクを縦(!)に真っ二つにしてみせます。この勝新の「座頭市」シリーズ、1962年から1973年まで25本が作られました。(その後1989年に1本)シリーズの回を重ねるごとに勝=座頭市の居合斬りの妙技はエスカレート、もう超人としか思えない難易度Gクラスの技を繰り出していきます。ハエや徳利、樽や畳、柱など、市の居合で斬れないものはないのです! 勝新はスタッフともども今度はどんな見せ場を作ろうか毎回あれこれ考えていたんだろうなあと思います。  (ジャッピー!編集長)
座頭市イラスト

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そして誰もが軽くなった

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ハピイさんの洲崎球場の記事に川上哲治選手デビューのことが出ていました。僕らの世代では、何と言っても川上監督というイメージです。何しろ9連覇もしているわけですから、物心ついてプロ野球を見始めて読売巨人軍の優勝しか知らないという人も多かったのでは。僕も中学生のとき、初めて巨人以外の球団(中日)が優勝したのを見ました。加えて、日本シリーズでパ球団(ロッテ)が勝ったのも初めて見ました。そんな圧倒的ジャイアンツ黄金時代ですから、その監督と言ったらすごい威光というか絶対君主のように見えました。相当な年輩に見えましたが、V10を逃して監督を辞めるときの川上監督は54歳だったのです。今の僕よりも年下なんです。信じられません。こちらが子供だったから年輩に見えたとかじゃなく、あの堂々たる威厳、貫禄、揺るがぬ自信、近寄りがたい本当の大人という感じがしました。今はどうでしょう。川上監督と同じ熊本出身の千葉ロッテの伊東監督も先日54歳になったのですが、若手選手にパイを顔面にくらって、クリームだらけになっている姿がスポーツ新聞に出ていました。何でも、伊東監督の就任以来、誕生日の恒例になっているそうです。しかし、プロ野球も興行という人気商売だから、話題作りとか盛り上げる必要があるのはわかりますが、当時の川上監督にパイを顔面にぶつけるなんて出来たでしょうか。そんなこと、畏れ多くて出来る選手なんていなかったでしょう。だから、優勝したときのビールかけとか本当に「無礼講」となったのです。今は監督と選手の距離が近くて、年中無礼講みたいな、みんな軽くなったというか。やっぱり、監督というのは、選手とは一線画したドーンと大きな存在であってほしいなあ。まあ、世の中全体が そうなってるんですな。 (ジャッピー!編集長)
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ニセ巨泉あらわる

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7月12日に亡くなった大橋巨泉さんのお別れの会が昨日開かれ、各界から多くの人が集まったと新聞に出ていました。いろいろな分野で活躍した巨泉さんですが、やはりテレビで一時代を築いた人といっていいでしょう。そんな巨泉さんのテレビでの姿も楽しめる(?)映画があります。
「喜劇 競馬必勝法 一発勝負」(1968 瀬川昌治監督)は、このブログでもお馴染みの瀬川監督が3本撮った「競馬必勝法」シリーズの3作目。地方競馬の係(つまり公務員)の谷啓は、馬券一枚買ってはいけない立場ながらこっそり馬主になって獣医(伴淳)に預けているような競馬狂です。妻を演じるのが橘ますみ、石井輝男監督作の被虐のヒロインですが、本作ではキュートなお色気を発散。ちょっと寺島しのぶに似ています。谷はますみから毎夜、「合体」を求められますが応えられず、孫の顔を早く見たいますみの祖母(飯田蝶子)からも責め立てられる日々です。ある日、ますみが、巨泉を名乗るペテン師(巨泉が演じます)に300万円を騙し取られてしまいます。実家の旅館の権利書をカタに借金した300万円だから、さあ大変。谷は何とかかき集めた20万円を元手に最終レースに一発勝負を賭けます。面白かったのが、ニセ巨泉がますみから言葉巧みに金を取ろうとしているときに、テレビに11PMが映っていて、視聴者参加の「ダービーコーナー」に応募した飯田蝶子が生放送の巨泉と電話でやりとりしているというシーン。ニセ巨泉はテレビに映る本物巨泉をチラチラ見ながら、ばれるんじゃないか気が気でないというこの場面、しっかり当時の11PMの番組を再現しているし爆笑ものです。あとは、蝶子が「男」としてだらしない谷にあきれて「あたしが若い頃は・・・」と繰り出す猥談も笑えます。
巨泉さんの奥様は浅野順子。「けんかえれじい」(1966 鈴木清順監督)のみち子さん、あの純情可憐な魅力を忘れられない人も多いでしょう(僕もそのひとりです)。巨泉さんの著書「ゲバゲバ人生」(講談社+α文庫)によると、はじめ順子さんに歌唱を教えていて、年も離れていたせいもあって「マイ・フェア・レディのヒギンズ教授みたいなものだった」と言っていますが、いずれにしても羨ましい話です。  (ジャッピー!編集長)
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いかれポンチのやくざ修行

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洲崎球場で観客を沸かせた「あきれたぼういず」は、後楽園球場でも試合の前の余興で登場。野球というより、彼らが出るというのでお客を集め満員になったということで、すごい人気だったようです。吉本で川田義雄をリーダーに芝利英・坊屋三郎の兄弟、益田喜頓で「あきれたぼういず」が結成されました。川田以外のメンバーが引き抜かれ(この当時、映画界も激烈なスターの引き抜き合戦があった)、芝、坊屋、喜頓に山茶花究が加わり、第二次あきれたぼういずが結成されます。戦争激化で活動休止した(芝は応召され戦死)あと、戦後、活動を再開します。
「清水港は鬼より怖い」(1952 加藤泰監督)には、坊屋と山茶花が何の脈絡もなく、広沢虎造が板前している飲み屋に「僕らはあきれたぼういず~」とか陽気に唄いながら乱入するシーンがあります。ご丁寧にもそれぞれ、坊屋三郎、山茶花究と名前を入れたハッピを着て。そもそもハチャメチャな展開で、映画の冒頭「清水港にはやくざ大学がある」とテロップが出ます。大店の若旦那が次郎長の子分を志願して江戸から清水にやって来る。演じるのは大泉滉で、劇中みんなに「いかれポンチ」とか呼ばれます(死語ですな)。仁吉と石松がからかったり、面倒みたりするのだが、その度に「第一課」…「選択科目」「卒業試験」などテロップが出るのです。次郎長親分はなぜか自宅に置いてあるパチンコ台に夢中だし(「おい、お蝶、玉が出ないぞ!」)、悪玉の原健作はバット・スイングしているわ、当時の流行りものを入れ込んだ次郎長パロディの怪作であります。大泉を連れ戻しに来る許嫁が怪力で、あやうく命を落とすところを助けられた大泉は改心、堅気になると誓って江戸へ帰ります。そこに「卒業はしたけれど」とテロップが出て終わり。第二次あきれたぼういずは、公式には1951年に解散となっているので、もうこの時期にはそれぞれピンで活躍していた頃だからか、坊屋と山茶花だけで喜頓が出てないのは残念ですが、彼らの芸の一端が楽しめます。一方、彼らに去られた川田義雄は戦後、川田晴久と名を改め、美空ひばりを発掘したことで有名です。
(ジャッピー!編集長)
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東京府城東区洲崎球場

洲崎球場イラスト
 昭和10年日本職業野球連盟が結成されました。
現在のプロ野球の原点です。 巨人軍や大阪タイガースなど続々結成されました。
深川の先の埋め立て地に「洲崎球場」が急ピッチで建てられ(木造)、本拠地的球場として
試合がおこなわれました。
 当時は六大学野球が絶大なる人気を持ち、職業野球はまだ海のものとも山のものとも知れない存在でした。
しかし、この球場で現在にまで語り継がれる伝説の選手、沢村栄治(巨人)、景浦(大阪)などが活躍し球音を轟かせました。近年お亡くなりになった9連覇巨人監督の川上哲治氏もこの球場でデビュウしました。
 この当時小学生だった私の父親も足しげく洲崎球場に通ったそうです。この時から現在にいたるまで彼は
敬虔なる「タイガース」ファンです。東京でも大阪タイガースは人気があったそうです。景浦や若林など六大学出身のスターがいたからだそうです。
 試合前に客寄せのために「あきれたボーイズ」などの芸人を呼んでアトラクションもおこなったそうです。
 また、選手も試合を面白くするため子芝居をしました。景浦選手などは凡フライをわざと取らなかったりとか。
 ただ球場は東京湾がちかくまで迫ったところで、大潮の満潮時には球場に海水がじわじわはいってきました。
  初めての日本シリーズもここでとりおこなわれましたが、そんな具合で戦火の足音と同調するかのように
 この球場はわずか数年でおわりました。
   地下鉄東西線東陽町をおりてしばらくのところに記念のレリーフがあります(江東運転試験場前)。
                                          (ハピイ氏橋)
 
 
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きたさん
1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
ジャッピー!編集長
映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
映画や昭和歌謡に底知れぬ造詣を示す昭和博士
ハピイ氏橋
昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
独自の目線で昭和の面白さを掘り起こすイラストレーター
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