ハッピー昭和クラブ

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

吉本体質は今も受け継がれてます

ひとつ前の当ブログに書いたように、昭和初期、吉本興業が芸人の「引き抜き」や「闇営業」にからんでライバル会社を恫喝したり、暴力団抗争にまで発展したことは『花のれん』(1959 豊田四郎監督)にも、葵わかなさんがヒロインを演じた朝ドラ『わろてんか』にも出てきませんでした。まあ、当時の映画や興行の世界ではよくあることではありましたが。有名なのは、松竹から東宝に引き抜かれた林長二郎(長谷川一夫)さんが暴力団員によって左頬を斬られるという事件ですね。

「山口組」が後ろ盾にいた一方、吉本興業は警察とも密接な関係を持っていて、警察OBを積極的に従業員として雇っていたと言われています。東京に進出したときには、全国に30軒近くの寄席や劇場を持つほどになっていた吉本ですが、その急成長の陰には各方面に相当なお金を使っていたことでしょう。また、「吉本せい」さんは大阪府議会の議長と愛人関係にあり、選挙資金を融通する代わりに、興行税などいろいろ優遇してもらっていたようです。映画『花のれん』では、佐分利信さん演じる市会議員と純粋に恋におちたようなドラマになっていましたが、実際は欲得がらみだったのかもしれません。しかし、この愛人の府議会議長が脱税疑惑で召喚され、「せい」さんも贈賄、脱税容疑で収監されます。吉本興業にも捜査の手が入ります。順調にきていた吉本興業に訪れた大ピンチでしたが、府議会議長は獄中で首を吊って自殺し、大阪地検の捜査は打ち切り、「せい」さんへの容疑はうやむやになるのです。映画でも佐分利信さんは獄中自殺しますが、他人の罪をかぶってみたいな理由にトーンダウンしていたように記憶しています。女性の一代記を描くにあたって、当然ながら「せい」さんも、彼女が愛した男も悪く描いていないのです。『わろてんか』に至っては全く別の話でした。劇場の外で「冷やし飴」を売るのと、「安来節」のくだりが共通するぐらいでしたね。

愛人の自殺で切り抜けた「せい」さん、何ともツイている人ですが、うまく権力に近づくなど世渡りの才覚があったからこそなんでしょうね。政府から100億円もの事業資金を得たり、「吉本新喜劇」の舞台にアベ晋ゾウを上げたり、そういう点でも吉本遺伝子は今もしっかりと受け継がれているわけですねえ。(ジャッピー!編集長)


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『花のれん』にも『わろてんか』にも描かれなかった吉本エピソード

ひとつ前の当ブログに書いたように、吉本興業の社長が「ウチはファミリー」と称して、契約書も交わしていないのは今の世の中では考えられません。いまだに創業当時のままというのは、「伝統」というより、経営側に都合がいいから放置していただけでしょう。6000人もタレントを抱えて年商1千億円といわれる大会社のやることではありません。

「吉本興業」の創業者・吉本泰三さんは元々、荒物問屋の何代目かの主人でしたが、遊び人で芸人相手にパトロン気取りで散財して店を潰してしまいます。それで、天満天神近くの寄席を買い取り経営を始めるのですが、これが1912年(明治45年)のことです。奥さんの「せい」さんがしっかり者で、以後ほとんど「せい」さんの商才で拡大していきます。山崎豊子さんがこの「吉本せい」さんをモデルにして小説「花のれん」を書き、直木賞を受賞しました。僕は映画化された『花のれん』(1959 豊田四郎監督)を観ました。主演の淡島千景さんがこの気丈な女経営者にまさにピッタリの好演でした!

吉本泰三さんは経営をほとんど「せい」さんに任せきり、相変わらず遊びが止まず、愛人の家で急死してしまいます。34歳にして夫を亡くした「せい」さんは、以後、自分の実弟・林正之助さんを片腕に吉本興業を広げていきます。また、東京進出を果たし、もう一人の実弟・林弘高さんを東京支社長に就かせますから、まさに「ファミリー」です。こうして、浅草に「浅草花月」をオープンし、「文芸」「映画」「宣伝」の3部門が創設されます。こうして勢力を伸ばしていくには競合する興行会社との間に色々な争いも当然ありました。昭和になってすぐ、漫才(当時は「万歳」)の人気が高まり、松竹の白井松次郎さんが吉本所属の芸人を引き抜こうとすると、林正之助さんは松竹本社に乗り込んで「今後、うちの芸人を触れるものなら触れてもらいまひょ。その代わりそうなされることは、白井さんの命と引き換えになりますが、それでもよろしければどうぞ」とヤクザ顔負けの恫喝を行ったと言われています。あ、これ、岡本昭彦社長が田村亮さんに言ったとされる発言「謝罪会見やりたければやればいい。その代わり連帯責任で全員クビやぞ」によく似ていますね。そういう意味では、岡本社長は吉本の遺伝子をしっかり受け継いでいる人と言えるかも。

また、1940年(昭和15年)には、吉本興業がマネジメントしていた人気浪曲師・広沢虎造さんに会社を通さず映画出演を依頼した日活に対し、「山口組」が広沢さんの身柄を拘束、撮影に行かせないという事件も起こります。神戸の「山口組」は当時、吉本の後ろ盾になっていたのです。これって、つまり「闇営業」がこじれたわけですよね。本当に歴史は繰り返すものだと思います。ちなみに、このとき日活の依頼を仲介した「籠寅組」は面子をつぶされたと、「山口組」に殴り込みをかけ、組長の山口登さんはこのときの傷が原因で亡くなります。もちろん、これらの話は映画『花のれん』にも朝ドラ『わろてんか』にも出てきませんでした。

こんな暴力団抗争まで引き起こしたのを見ると、まさに「ファミリー」というのが『ゴッドファーザー』(1972 フランシス・フォード・コッポラ監督)のように思えてしまいます。そういえば、マーロン・ブランドさんは『ゴッドファーザー』出演にあたり、「容赦なく巨大な組織にふくれあがっていくプロセスがアメリカの巨大企業そっくり」と述べています。  (ジャッピー!編集長)


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吉本「ファミリー」と『ゴッドファーザー』

詐欺グループの会合に「闇営業」していて謹慎となっていた吉本興業所属の芸人たち(宮迫博之さんと田村亮さん除く)が、謹慎解除となって仕事を再開するそうです。発覚から、宮迫さんらのウソ、その後の会見から他の芸人たちも巻き込んだ内ゲバに発展したわけですが、初心に戻って楽しい「お笑い」を届けてほしいものです。今回復帰する芸人さんたちの中には生活の苦しかった人もいたでしょうし、まずは復帰できて良かったと思います。初心に戻って楽しい「お笑い」を届けてほしいものです。

今は企業コンプライアンスが重視されていますから、普通の会社だったら社長が辞任してもおかしくないでしょうが、岡本昭彦社長は減俸のみで辞任はしないそうです。この岡本社長、宮迫さん&亮さんの会見を受けて行った会見が5時間半にも及び、あまりのグダグダぶりが失笑を買っていました。僕もちょっとニュースの映像で観ましたが、急に涙をぬぐったりして、下手なコントを観ているようでした。結局、「心」が入っていないということなんでしょう。

さかんに吉本という会社は「ファミリー」なんだというような言い方をしていましたが、この「ファミリー」というのもどうかと思います。僕なんかが「ファミリー」という言葉で思い出す組織といえば、「マフィア」です。『ゴッドファーザー』(1972 フランシス・フォード・コッポラ監督)なんて映画を観ているからかもしれません。映画が末娘のコニー(タリア・シャイアさん)の結婚式で始まるのが象徴的ですが、マーロン・ブランドさん演じるドン・コルレオーネと息子たち、その血の絆が結束を固め、アメリカの裏社会に君臨していきます。劇中、「ファミリー」が目をかけている同じイタリア系の歌手を干したプロデューサーのベッドに馬の首を入れて脅すシーンが衝撃的でした。この歌手のモデルはフランク・シナトラさんと言われていますが、自分のファミリーの利益を守るためには手段を選ばないのです。「ファミリー」というと聞こえがいいですが、そこに入っていない他者、あるいは世間はどうでもいいということでもあります。

日本のヤクザも「○○一家」と名付けられるように、一種の疑似「家族」なわけです。家を追い出されたり、自分から追ん出た若者が、また「家」に入って「親」分の「子」分になるわけです。そこでは、親分の言うことは絶対で命も差し出さなくてはなりません。僕が延々観て来た任侠映画の「悪い」一家はもちろん、主人公がいる側の一家も例外ではありません。組織を保存するためには理不尽なことにも従わなくてはならず、多くの映画ではヒーローもその葛藤に苦悩し、ドラマが生まれるのです。

しかし、現実に「ファミリー」の名のもとで縛られる人はたまりません。特に、今回のように社長が「ウチはファミリーだから」と言うっていうのは、都合よく使えるという意味にとれてしまいますね。最初はアット・ホーム的な良さがあったのかもしれませんが、会社が拡大していくとともに「ファミリー」は違う意味を帯びていくように思います。

宮迫さん、亮さんたちが岡本社長に呼ばれたとき、「俺にはお前ら全員クビにする力があるんだからな」と言われたといいます。どうしたって「恫喝」に聞こえますが、これについて、岡本社長は「いや、あれは冗談ですよ」と釈明していましたが、これを聞いたとき、僕は「あ、この人はどうしようもない人だな」と感じました。人が真剣に話しているのに取り合わなかったり、「冗談だった」とか「戯言だった」という人って周りにもいますよね。僕にはもうこれだけで信じるに足る人とは思えません。  (ジャッピー!編集長)


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ミュージカル俳優・宝田明さんと高島忠夫さん共演『嵐を呼ぶ楽団』

8月16の当ブログで石原裕次郎さん主演『陽のあたる坂道』(1958 田坂具隆監督)を取り上げたとき、『嵐を呼ぶ男』(1957 井上梅次監督)にもちょっと触れました。1957年末に公開されたこのお正月映画で裕次郎さん人気が一気に盛り上がりました。ドラマー役の裕次郎さんが、敵に手を痛めつけられ、ドラム合戦の途中から♪おいらはドラマー、やくざなドラマー~と歌うシーンが決定的でした。井上梅次監督はこうした音楽を上手く取り入れた娯楽映画の名手で、『嵐を呼ぶ男』の大ヒットのあと、小林旭さんがジャズ・トランぺッターに扮した『嵐を呼ぶ友情』(1959 井上梅次監督)も撮ってます。

そして、井上梅次監督は東宝で『嵐を呼ぶ楽団』(1960 井上梅次監督)を撮ります。「嵐を呼ぶ」3部作?の集大成ともいえる本格音楽映画です。主演は宝田明さん。当ブログ8月7日「追悼・高島忠夫さん」で書いたように、新東宝に入社したものの会社が傾き、東宝に移籍した高島忠夫さんが共演しています。のちにミュージカルの舞台で活躍されたお二人です。さらに雪村いづみさんや、宝塚出身の朝丘雪路さんなど歌えるキャスティングにも恵まれ、ふんだんに歌や音楽が楽しめる作品です。

宝田明さんの役はジャズ界の草分けのミュージシャンの遺児(この辺は『嵐を呼ぶ友情』と似た設定です)で、才能はありますが鼻っ柱が強いピアニストです。人気のショーダンサー(雪村いづみさん)の伴奏中、勝手に即興を始めて面罵されたりします。父のバンド「ブルースター」の名前をつけた自分の楽団を持ちたいという宝田さんの才能に魅かれ、トランペットの高島忠夫さんが協力します。高島さんの方は宝田さんと正反対で心優しい穏やかな青年で、まさにこれも高島さんらしい役です。

宝田さんの楽団ははじめは売れませんでしたが、出演していたキャバレーの面接で知り合った朝丘雪路さんが加わってから波に乗り、人気バンドになっていきます。人気投票のトップにも立つ成功をおさめますが、朝丘さんをめぐり宝田さん、高島さんの感情がもつれ解散となってしまいます。

面白かったのが、楽団当初、お客が集まらず散々の入りで、マネージャー(山茶花究さん)が夜逃げしてしまい、宿の代金を払えなくなってしまいます。メンバーは旅館の布団部屋に押し込められますが、この旅館の息子(神戸一郎さん)がと番頭(柳沢真一さん)がジャズ狂で、その助けで旅館を脱出します。神戸さんの親父がジャズ嫌いで、この役を演じるのが柳家金語楼さん! 実生活では息子がロカビリー三人男の山下敬二郎さんですから、思わず笑ってしまう配役であります。

この神戸一郎さんもそうですが、電車内で会った車掌(江原達怡さん)もジャズ好きで仲間に加わったり、流しをやっている水原弘さんと意気投合したり、キャバレー回りをしているうちに次々にメンバーが集まっていくのが、まるで「次郎長三国志」みたいな感じで楽しいのです。ラストも、散り散りになって、皆それぞれソロで活躍していますが「再結成」を願い、雪村さんも加わり「ブルースター」が復活。恋の方も、ぶつかり合っていた宝田さんと雪村さんがくっつき、高島さんと朝丘さんが結ばれ、丸くおさまります。この多幸感、まさに娯楽映画の王道です。

高島忠夫さんは亡くなってしまいましたが、宝田明さんは現役バリバリ、ミュージカル映画『ダンス・ウィズ・ミー』(2019 矢口史靖監督)でも元気な姿を見せてくれています!  (ジャッピー!編集長)

 


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入院中に何度も呼ばれた名前と『陽のあたる坂道』

8月5日のブログに書いたように、人生初の入院生活を送りました。これまで病院に縁がなかったので知らなかったのですが、今の病院って、何かするたびに「名前」と「生年月日」を訊かれるのですね。「患者間違い」による事故が起こらないよう徹底されているのでしょう。診察室に入ると、「お名前と生年月日をおっしゃってください」と言われ、僕がそれを言って診察が開始されます。病室のベッドに看護士さんが来て点滴薬を変えてくれるときも「名前と生年月日」を言って、それを薬に貼られたシールの名前と確認します。本当に徹底していて、ほんの5分前ぐらいに会ったのに、また同じ看護士さんが病室にやってきて「お名前と生年月日を」ときかれるのです。ここまでやる!?という感じですが、命に関わる職場ですから万が一ということがあってはいけませんから当然なのですね。

と、そんな風にこの入院期間、毎日何度も「自分の名前」を口にし、今までこれほど自分の名前を声に出して言ったことはなかったなあと気が付きました。書類や原稿などで「自分の名前」を書く機会に比べると、口に出して言ったことは少なかったなあと。そして、病院のベッドに横たわりながら、「自分の名前」を付けてくれた親に思いを馳せたりしたのです。

僕の名前は母親がつけてくれたのですが、石坂洋次郎さんの小説「陽のあたる坂道」の主人公にちなんでつけたのです。坂道をあがった所にある一見恵まれた家ですが、主人公の次男坊が妾腹で、長男、妹とちょっと複雑な関係になっています。ちょっとひねくれた所もありますが、根は屈託なく真っ直ぐな主人公。漢字は違いますが、僕の名前はその主人公と同じ「読み」です。

当時、石坂洋次郎さんの小説はよく読まれ、また映画化された作品も多く、『陽のあたる坂道』(1958 田坂具隆監督)も当時人気絶頂の石原裕次郎さん主演で映画になっています。裕次郎さんがこの主人公を伸びやかに演じピッタリでした。裕次郎さんにとっても、それまでの『狂った果実』(1956 中平康監督)や『嵐を呼ぶ男』(1957 井上梅次監督)といった、太陽族やアクション映画のイメージから脱し、真に国民的スターとなったターニングポイントにあたる映画です。そんなこともあって、

僕の兄が病弱(のち、中1のとき亡くなります)だったこともあると思います。母はきっと健康で伸びやかな子どもになってほしいと僕の名前をつけたのでしょう。母は映画好きだったから、もしかしたら裕ちゃんのイメージも重ねたかもしれません。それなのに、僕はこんな人間になってしまった……という悔恨。
僕の名前の由来?ということもあって、この『陽のあたる坂道』は名画座でかかるたびに観に行く特別な作品になっています。そして、観る度に感じるそんな悔恨や名前をつけてくれた母親への思いはずっと自分の中にあったのですが、今回の入院で身動きできない体でまた考えてしまいました。全身麻酔で手術、看護士さんたちにもいろいろ面倒をおかけしながら、自分にはこうまでして生きながらえる価値があるのか、思いをこめて名前をつけてくれた親に少しでもこたえているのか、誰かのための「一滴」になっているのかと頭の中でぐるぐると繰り返したのです。 (ジャッピー!編集長)


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1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
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映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
映画や昭和歌謡に底知れぬ造詣を示す昭和博士
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昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
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