ハッピー昭和クラブ

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

新宿武蔵野館は不滅です

11月5日にリニューアル・オープンした新宿武蔵野館。なかなか行けなかったのですが、一昨日、水曜サービスデイにようやく行って来ました。耐震工事をしていたということで、新宿武蔵野ビルの3階にミニ・シネコンみたいな感じで3館というのは変らないのですが、内装はすっかりポップでオシャレな感じになっていました。
その前は、このビルの7階に300席以上の大きな映画館があり、そこが武蔵野館で、3階はシネマ・カリテ1、2、3という名前でした。(シネマ・カリテは現在は駅に近いノア・ビルの地下にあります。ややこしいですね)
ともあれ、「武蔵野館」という伝統ある館名が残ったのは良かったです。何しろ、新宿武蔵野館というのは、1920年(大正9年)にオープン。場所はちょっと違っていて、三越のところ(あ、今や三越もなくてビックカメラになってるのかな)にありました。その後、1928年に今の場所に移転、3階建て、1500席(!)という堂々とした洋画専門館として、その威容はまさに新宿という街のランドマークだったのです。
そこから40年経って、新宿が若者のサブカルチャーの中心地となった1968年、武蔵野ビルが完成。先述したように、武蔵野館は7階にオープンしたのです。そんな、新宿の街の変容を見続け、ともにあったのが「武蔵野館」という映画館なのであります。イレモノは変れど、伝統ある映画館が受け継がれたことは嬉しいことです。
「喜劇 新宿広場」(1969 山本邦彦監督)の中で、老舗の喫茶店の初老のマスター(多々良純さんが演じています)が、「ムーランルージュや武蔵野館があった頃が本当の新宿だな……」と呟くシーンがありました。きっと、マスターの若い頃の文化の中心で、思い出がたくさんあったのでしょう。これは、元々、武蔵野館は新宿商店街の店主たちが株主となって建てたこと、この映画の前年に武蔵野ビルに建て替えられたことを知っていると、しみる台詞です。
映画は、反戦フォーク集会を禁止するために、権力によって西口「地下広場」を「地下通路」と変えられたことに若者たちが「もう一回、自由に集まれる広場をつくろう」と奔走するという内容ですが、そこはそこ、東宝という大会社の映画ですから反体制的な若者ではなく、地元の商店の息子世代が「フーテンを見に来る人たちが新宿に落とす金は1億円以上だぞ!」なんて商魂たくましい狙いもあったりします。紀伊國屋書店の田辺茂一さんに(本人出演)口をきいてもらい、デパートの地下駐車場を借りようとしたりしますが、結局、「広さじゃなく中身よ!」という柏木由紀子さんの意見で多々良さんの喫茶店が解放区となり映画は終わります。
何でも、この年に24作で終了した森繁、伴淳、フランキーさんの「喜劇 駅前」シリーズに変わって、若手俳優で「喜劇 広場」シリーズを始めようとしたのですが、不発、この1作で終わってしまったようです。
(ジャッピー!編集長)
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起て植えたる者よ

 復興ポスター
 3・11震災の後に描きました。架空の映画ポスターですが勿論、復興の願いを込めました。
 ちょいと色っぽくしました。
 かなり古い映画ですが戦後間もないころのイタリア映画「苦い米」をちょいと模倣しました。
名作ですが主演女優のシルバーナ・マンガーノの短パンからあふれる太ももも話題になりました。
 さて、3・11の少し前に新宿のとあるキャバクラにいきました。自主行動ではありません。
キャバクラ愛好家の同級生の友人MとHに強引にひかれて善光寺般若湯です。
 ホステスさんに宮城の出身の女性がいました。会話するところ、自分は農家の長女で田畑を
継がなければならないと。いかにすべきと。
 私、「田畑は子々孫々まで実りをうむ凄い財産です。早く新宿をでて大いに耕したら。売っちゃたら
それっきりで一時の金は入るがそれっきりあとは何も残らない。」なんて返したりしていました。
 3・11がしばらくしておこりました。
 ちょっと、そのホステスさんが宮城のそれも海にすこし近いところだと話していたので、ちょい
気になっておりました。
 で、Hに聞きました。答えるに
  「あーあの娘(こ)ね。実家も大丈夫だったみたい。なによりも今やお店のNO1だぜ!」
 とまた行くかみたいなHのしたり顔がそこにありました。
 さらに、例の田畑の会話の話をするとHは
 「おまえさん、まったくべたな説教を女の子にたれやがって。ははは無粋の極みだよ」と。
 はい、そのとおり無粋です。キャバクラはのぞきませんよ。お金もないし。
 まあ、かくなることで、そのイメージを絵にするだけなのです。
                                  (ハピイ氏橋)
                               
 
 
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健さんが文太さんで、文太さんが健さんで

奇しくも同年同月にこの世を去った2大スター、健さんと文太さん。今年は三回忌です。
池袋・新文芸坐の開館記念日は12月12日(小津安二郎監督の誕生日&命日と同じ)なんですが、2年前のその日の上映作品は、「新幹線大爆破」(1975 佐藤純彌監督)と「太陽を盗んだ男」(1979 長谷川和彦監督)の2本立て。開館記念日特別企画「友の会会員が選んだサスペンス・ミステリー映画」というプログラムでしたが、何とこれは、健さん、文太さんが亡くなる前に決定していたのです! たしか10月の終わりか11月はじめには発表されていて、そのあと健さんの訃報、文太さんの訃報が相次いだのです。何という偶然か、その開館記念日のプログラムは図らずもお二人の追悼上映となってしまったのです! その日、仕事の帰りに新文芸坐に行ってみると、平日にもかかわらず、お客さんが階段(新文芸坐は3階にある)にずーっと並んで外にまで列がはみ出る大混雑。場内もお客さんの熱気がすごくて、そもそもファンの投票によるプログラムですし、来場された方は大きなスクリーンに映るお二人の姿を堪能されたと思います。
さて、そんな2本の映画ですが、実は健さんと文太さんが入れ替わっていた可能性があるのです! 「新幹線大爆破」の健さんの役は当初、文太さんがキャスティングされていたのですが、文太さんは「これじゃ新幹線が主役の映画だな」と難色を示し、断ったのだそうです。一方、「太陽を盗んだ男」のジュリーを追い詰める刑事の役は、はじめ健さんにオファーしたと長谷川監督が述懐しています。何でも、共同脚本のレナード・シュレイダーが、健さん出演の「ザ・ヤクザ」(1974 シドニー・ポラック監督)の原作者(脚本は弟のポール・シュレイダー)だったこともあり、健さんを推薦、長谷川監督は健さんに4時間もかけて出演交渉をしたのですが、健さんは「原爆を作る方をやらせてくれないか」と、刑事ではなく、ジュリーの演じた役の方を希望したのだそうです。長谷川監督の「健さんがやると理由とか大義がある役になってしまう。これはもっとちゃらんぽらんなヤツの理由なき犯罪なのだ」という意図もあり、実現しなかったのです。
もしも……お二人が最初のオファー通りに役を引き受けていたら、どんな映画になっていたか……。羽田空港で飛行機を無念そうに見上げる文太さん、ジュリーを抱えビルから飛び降りる健さん……映画ファンにとっては、そんなシーンを想像するのも面白いですね。     (ジャッピー!編集長)
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健さんと文太さんが「流し」のコンビ

健さん、文太さんとも今年は三回忌。一昨年、同じ11月に前後して亡くなったとき、本当にショックでした。僕はちょうど、職場を辞めようかどうしようかグズグズ考えていた頃でした。相次いで亡くなったお二人が初共演されたのは、文太さんが東映移籍後、初出演となった「網走番外地 吹雪の斗争」(1967 石井輝男監督)です。この作品には、安藤昇さんも出ているのでその“引き”もあったかもしれませんね。また、新東宝時代に文太さんを起用したこともある、かつて知ったる石井監督ということもあって東映移籍第1作となったのでしょう。
続いて、翌年、再び健さんと共演したのが「ごろつき」(1968 マキノ雅弘監督)です。まだ脇役に甘んじて決定打のない文太さんでしたが、この作品では健さんの弟分という目立つ役どころまで来ました。
冒頭、九州の寂れた炭鉱で働く健さんと文太さん、テレビでキックボクシングの試合(当時、大人気でゴールデンタイムで放映していたのだ!)を観て、「俺たちにもやれそうだな」と即断、先の見込みのない炭鉱を飛び出し、上京します。着いたのが新宿、1968年といえば、ヒッピーたちがシンナーを吸ってラリっているような風景で、そこに田舎者丸出しの二人が右も左もわからずウロウロするのが笑えます。二人は何とか、見つけ出したボクシングジムに入門します。ジムの会長は大木実さん、トレーナーが曽根晴美さんと任侠映画っぽいキャストですが、いたって真面目なジムです、念のため。健さんがロードワークに励む珍しいシーンもあります。
ジムが決まって、次は住む所です。二人は大金持ちの婦人が住む家に、犬の散歩係をする条件で住み込みます。豪華な食事を見て二人が大喜びすると、実はそれは犬の食事だったりしてガックリ。犬より粗末な部屋に住まわされた二人は、犬の食事を盗み食いして解雇されてしまいますが、このあたりの文太さんのコミカルな演技は後年の「トラック野郎」シリーズ(1975~1979 鈴木則文監督)の文太さんの遠い予兆を感じます。
その後、愚連隊にからまれている「流し」を助けた縁で、二人は「流し」のバイトを始めます。酒場で客のリクエストに応えて、文太さんがギターを伴奏して健さんが「網走番外地」「唐獅子牡丹」を唄う(!)なんて楽しい楽屋落ちシーンがあります。健さんはめきめき上達してチャンピオンに挑戦、というレベルまできます。このままでいくと、ちょっとコメディ・タッチながら、当時流行りのスポ根ストーリーなんですが、先に言った「流し」の縄張り争いみたいなことから悪玉ヤクザの横暴が始まり、巻き込まれた健さんはガマンの末、とうとう殴り込む……と、いつもの任侠ものみたいな展開になります。
何だか、前半と後半がガラッと違う感じですが、スポ根と任侠のミックス、1粒で2度おいしい映画とも言えます。スポーツに励む健さんやちょっと弱気な弟分の文太さん、お二人の「流し」姿の歌も聴けて、当時のキックボクシングのチャンピオン・沢村忠の雄姿まで見れるのですから、サービス満点の映画です!
(ジャッピー!編集長)
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「仁義なき戦い」は人生の金言集

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「仁義なき戦い」(1973 深作欣二監督)の脚本を書いた笠原和夫さんが、当初、深作さんの監督起用に難色を示した原因は、その8年前に遡ります。笠原さんが脚本を書いた「顔役」(1965 石井輝男監督)という作品をはじめは深作さんが監督することになっていたのですが、深作さんがイチャモンをつけたので、笠原さんが「前半、後半に分けて二人で書き直そう」と提案、旅館にこもったのですが、当時中原早苗さんと恋愛中(のちに結婚)だった深作さんは夜になると旅館を抜け出し、脚本書きをサボっていたそうです。笠原さんは激怒、監督は石井輝男さんに交代ということがあったのです。
笠原和夫さんはシナリオを書くために徹底取材することで知られていて、「仁義なき戦い」も企画段階から日下部五朗プロデューサーとともに、原作の元になった手記を書いた美能幸三さん(文太さんが扮した広能昌三のモデル)に会いに行ったり、綿密な取材を行っています。その取材ぶりは「仁義なき戦い 調査・取材録集成」(太田出版)という本でうかがえます。その微細にわたる取材記録の緻密さには頭がクラクラするほどであります! そんな苦労をして執筆した「仁義なき戦い」シリーズ(笠原さんは第4作まで)ですから、深作さんが笠原さんに「1字1句も脚本を変えない」と約束し、監督に決定したのも当然です。
笠原さん入魂のシナリオだけあって、名セリフがてんこ盛りです。人生の色々な局面で指針になるようなものが多いです。私事ですが、僕は昨年3月でそれまで31年間も勤めていた職場を辞めたのです。辞めたい、辞めたいと思っていましたが、31年も勤めていたのでさすがにずいぶんと思い悩みました。まさに、第1作の坂井(松方弘樹さん)の「夜中に飲んでるとつくづく極道がいやになって足を洗うちゃるかと思うんだが……朝になるとコローっと忘れちょる」みたいな感じでグズグズとふんぎりがつかなかったのです。
ノートの真ん中に線を引いて、片側にメリット、反対側にデメリットを書き出したりして考えました。そして退職願を出すリミットの時期が来て、僕の心の中で三上真一郎さんが「ここらでやらんと二度と舞台は回ってこんど」と囁いたのです。まさに「仁義なき戦い」が僕の背中を押しました。
後日談。僕が新文芸坐のチラシ解説を時折一緒に書いているCさんに、こんな感じで職場を辞めたことを知らせたら、「“一度、後手喰うたら死ぬまで先手は取れんのじゃけん”という台詞もありましたね」と、さすがは相棒、打てば響く返信が来たのでした。「仁義なき戦い」は珠玉のアフォリズムの宝庫です!
今日は菅原文太さんの命日。「仁義なき戦い」の数々の名セリフを反芻して三回忌を追悼しましょう。
(ジャッピー!編集長)
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きたさん
1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
ジャッピー!編集長
映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
映画や昭和歌謡に底知れぬ造詣を示す昭和博士
ハピイ氏橋
昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
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