ハッピー昭和クラブ

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

追悼・ジョアン・ジルベルトさん ボサ・ノヴァの伝説を追ったドキュメンタリー

今年の7月6日にギタリストのジョアン・ジルベルトさんが亡くなりました。88歳です。僕はボサ・ノヴァについてよく知りませんが、それでもさすがに1963年に録音された名盤「ゲッツ/ジルベルト」は持っていて、時々聴きます。

この「ゲッツ/ジルベルト」は第7回グラミー賞(1964)にて、最優秀アルバム賞を受賞、シングルカットされた「イパネマの娘」は最優秀レコード賞を獲得しました。このときノミネートされたシングル盤は「ハロー・ドリー」(ルイ・アームストロングさん)、「抱きしめたい」(ビートルズ)、「恋のダウンタウン」(ペトゥラ・クラークさん)、「ピープル」(バーブラ・ストライサンドさん)という錚々たる顔ぶれです。この中で見事に「最優秀」になったのですから、いかに「ボサ・ノヴァ」が評価されていたかが分かります。ヒット・チャートでも、「ビルボード誌」の7月に「イパネマの娘」は5位まで上昇、このとき前後にいたのは「フォー・シーズンズ」「ビートルズ」「ビーチ・ボーイズ」「デイヴ・クラーク・ファイヴ」「ジャン&ディーン」など。ブリティッシュ・インヴェイジョンとサーフ・ミュージックが席巻しているときに「ボサ・ノヴァ」が割って入ってくるのだから、この頃の音楽シーンは面白いですね。ちなみにシングル盤「イパネマの娘」はスタン・ゲッツ&アストラット・ジルベルト名義。ヴォーカルのアストラットさんは当時のジョアン・ジルベルトさんの奥さんです。

僕は「ボサ・ノヴァ」の創始者であるジョアンさんについても、よく知らなかったのですが、ちょうど『ジョアン・ジルベルトを探して』(2018 ジョルジュ・ガショ監督)というドキュメンタリー映画が公開されたので観に行きました。今、「ドキュメンタリー」と書きましたが、「紀行」であり「ミステリー」的でもあるちょっと変わった作品です。ジョアン・ジルベルトさんという方は極度の人間嫌いで、完璧主義者。こもって曲を作り、10年以上も公の場所に姿を現さず、家族ですら容易に連絡をとれないのだそうです。以前、ジョアンさんについての本を書こうとしたドイツ人のマーク・フィッシャーさんというライターがジョアンさんに会いにブラジルに行ったけれど、結局会うことはかないませんでした。さらに、その本を出す一週間前にマークさんは自殺したということがあったのです。

この映画のガショ監督はマークさんの本を読み、その遺志を継ぐようにマークさんが辿った道を映画で追っていくのです。行く先々、ジョアンさんの元妻、馴染みのレストランのコック、果てはジョアンさんの通っていた床屋さんに行って自分も髪を切ってもらったりして話を聞きます。皆、ジョアンさんのことを語りますが、断片的で核心に至りません。そうしているうちに監督は「自分はジョアンを追っているのか、マークを追っているのか……」と自問しはじめます。この辺、マークさんの跡を辿るうちにと次第にマークさんが憑依していくようで面白かったです。結局ジョアンさんには会えずに映画は終わります。

僕は「ボサ・ノヴァ」というと、サンバの洗練した形というぐらいに思っていたので、軽やかに作り演奏していたのかと思っていましたが、1日12時間以上ギターの練習し、厳しく自分を追い詰めて曲を作っていたと知りました。そんなジョアンさんの作り出した曲がすべてと思えば、このドキュメンタリーがジョアンさんに会えず神秘を残したのは結果的に良かったのかもしれませんね。

「ボサ・ノヴァ」の創始者として、数々の名曲で世界中の人々を楽しませてくれたジョアン・ジルベルトさんのご冥福を心よりお祈りいたします。(ジャッピー!編集長)


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百貨店屋上に遊園地があった頃

9月1日(日)に川越にある「丸広百貨店」の屋上にある「遊園地」が閉園になったというニュースを、先日テレビで観ました。「丸広百貨店」には行ったことはありませんが、映像で観るかぎり、典型的な地方デパートという感じの佇まいでした。だいたい「百貨店」というのがいいですよね。また、その屋上遊園地も「わんぱくランド」という名前で、これも昭和感があります。

そう、かつてはデパートの屋上にはちょっとした遊園地があって子どもにとっては大きな楽しみでした。僕が育った池袋の「西武デパート」の屋上にも遊園地があって、メリーゴーランドとかあったのを覚えています。いつ頃無くなってしまったのか……その後、しばらくポッカリ空間が空いていてちょっと淋しい屋上になりました。今は「屋上庭園」と銘うって植物園みたいになっています。うどんとかの店が並んだフードコートは健在ですが、しばらく行っていません。

あと、東京で有名なのは浅草の「松屋デパート」の屋上遊園地ですね。土星の輪のような円形で回転する「スカイクルーザー」が有名で、映画にもたびたび出てきますね。僕がいちばん印象に残っている映画は『下町(ダウンタウン)』(1957 千葉泰樹監督)です。林芙美子さん原作で、子どもを抱えながら戦地から帰ってこない夫を待っている女性を山田五十鈴さんが演じます。芸者とか婀娜っぽい「玄人」女性を演じることも多い山田さんですが、ここでは貧しくひっそりと暮らす市井の女を見事に演じます。大女優に対して当たり前ですが、本当にすごい!と感心しました。この女性は「お茶」の行商をして糊口をしのいでいますが、あまり売れません。ふと寄ってみた鉄くず集積所でお茶を買ってくれた運転手(三船敏郎さん)と親しくなります。ある日、二人が子どもを連れて遊びに行くのが「松屋デパートの屋上遊園地」です。乗り物に乗って嬉しそうに手を振る男の子を優しく眺める山田さんと三船さん。庶民が子どもを喜ばそうとする精いっぱいの気持ちで連れてきたのが「屋上遊園地」で、そこにはささやかな幸福感に満ちていたのです。

屋上というのは、子どもにとっては何となく心躍る場所でしたが、今や大資本の遊園地やテーマパークがあるし、少子化、レジャーの多様化などで「屋上遊園地」はその役目を終えたのかもしれません。山広百貨店の「わんぱくランド」閉園は「建物の老朽化のため工事をするので資材置き場になる」ことが理由となっていました。ニュース映像では、訪れた人たちが口々に「今まで当たり前にあった場所がなくなり淋しい」「小さいときから来ていたので無くなってほしくない」と惜しんでいました。閉園後、遊具に「ありがとう」と書き込みをする人も多くいました。地元で近い所に気軽に遊びに来ていた人たちにとっては思い出がいっぱい詰まっていたと思います。またひとつ、昭和の風景が消えていきます。 (ジャッピー!編集長)


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別所毅彦投手の「完全試合」を阻んだ男

現在、パ・リーグはソフトバンク・ホークスと西武ライオンズが白熱の首位争いをしています。一時は8ゲーム差もあったのですが、8月から西武の打線が爆発、1ゲームでピッタリくっついています。

そんな中、9月6日(金)の対ロッテ戦でホークスの千賀滉大投手がノーヒット・ノーランを達成しました。令和になって初の達成者となった千賀投手は育成から這い上がり、「お化けフォーク」で今や、日本を代表するピッチャーになりました。

新聞を見ると、ホークスの「ノーヒット・ノーラン」は何と、戦前、1リーグ時代の南海の別所昭投手が1943年(昭和18年)5月26日、対「大和」戦で達成以来、76年ぶり!だというのでビックリしました。戦後の南海ホークスには、大エースの杉浦忠さん(通算187勝。1959年には38勝4敗!)、100勝をあげたスタンカ投手、最後の30勝投手の皆川睦男さん、1973年の優勝に貢献した山内新一さん(前年、巨人で0勝だったのが、南海に移籍したとたん20勝という野村再生工場の最高傑作)など、錚々たるピッチャーがいたのに、「ノーヒット・ノーラン」達成者はいなかったんですねえ。意外です。そのあとの「ダイエー」時代にも達成者なし。現監督の工藤公康さんも200勝以上していますが「ノーヒット・ノーラン」には無縁だったのです。(工藤さんは名電高時代、甲子園で達成しています。ちなみに金属バット導入後、初の達成投手でした)

千賀投手の前にホークスで達成した別所昭投手は、戦後にジャイアンツに引き抜かれ、別所毅彦と改名、活躍します。ちなみにこの強引な移籍で2か月の出場停止処分を受けています。昔からジャイアンツの金にあかしたやり口は今も変わらないですね。

それはともかく、巨人に入った別所投手は1952年(昭和27年)に9回2死まで「完全試合」ということがあります。1952年(昭和27年)6月15日の対松竹戦です。「ノーヒット・ノーラン」どころか「パーフェクト」ですから、あと一人で逃したのは惜しいです! しかも、その27人目のバッターというのは、代打で出てきたプロ2年目の無名のブルペン捕手の神崎安隆さん。松竹の方も、絶好調の別所投手に対しほとんど諦め状態。投手の打順のところにとりあえず誰か代打を出すという感じだったようです。大エースの別所さんと、プロでヒットを打ったことのない神崎選手は明らかに格が違います。すぐに2ストライクと追い込まれて、「あと一球でパーフェクト」と誰もが思いましたが、何とか3ボールまで粘り、フルカウント。別所投手も四球をおそれたのでしょう、ど真ん中に投げ込み、神崎選手が何とかバットに当て、力なくショート前に転がり内野安打となったのです。これで「パーフェクト」が無くなったのですが、何と、これは神崎選手が4年間の短いプロ生活で放った唯一のヒットだったのです。通算9打数1安打。その1本がよりによって別所投手の「完全試合」達成寸前の局面で出たというのですから、何という運命でしょう。「ノーヒット・ノーラン」「完全試合」は、成し遂げられなかったケースにもドラマがあるのです。 (ジャッピー!編集長)

 


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『イージー・ライダー』から50年

ひとつ前のブログに書いたように、『イージー・ライダー』(1969 デニス・ホッパー監督)は1970年1月に「有楽町スバル座」で公開され、連日、観客が列をなしました。本国アメリカでは1969年7月に公開されましたから、今年で50周年です。その節目の年にピーター・フォンダさんは亡くなってしまいました。

ジャック・ニコルソンさんが脚本を書いたLSD映画『白昼の幻想』(1967 ロジャー・コーマン監督)でピーター・フォンダさんは共演したデニス・ホッパーさんと意気投合します。ホッパーさんは『理由なき反抗』(1955 ニコラス・レイ監督)や『ジャイアンツ』(1956 ジョージ・スティーヴンス監督)でジェームス・ディーンさんと共演するなど早くからハリウッド映画に出ていましたが、薬物使用などで干されていました。昨日の当ブログ「追悼・ピーター・フォンダさん」にも書いたように、若き日のケネディ役を逃したピーターさんとホッパーさん、そんなハリウッドからはぐれた二人にテリイ・サザーンさん(エロチック小説『キャンディ』の作者で有名)を加えた三人が脚本を書いたのが『イージー・ライダー』です。初めはピーターさんが監督も兼ねる予定だったそうですが、製作にまわり、ホッパーさんに監督を託して撮影されました。

キャプテン・アメリカ(ピーター・フォンダさん)とビリー(デニス・ホッパーさん)の二人がバイクで旅するロードムービーですが、撮影スケジュールを組まず、オール・ロケで行く先々で起こるハプニングも撮影に盛りこもうというスタイルです。日本でも石橋蓮司さんが聾唖のカップル(加納典明さん&桃井かおりさん)と共に旅をする『あらかじめ失われた恋人たちよ』(1971 田原総一朗・清水邦夫監督)がこういった撮影手法をとっていますから、明らかに影響を受けていますね。

バイクで旅する途上で当時の「アメリカ」の現実が映し出されていきます。途中で同乗するジャック・ニコルソンさん扮する酔いどれ弁護士が死ぬ間際に「この国はかつては美しい国だったのに……」と呟くのが印象的です。かつて「フロンティア」を目指して移動していったアメリカ、その「放浪」「自由」といったイメージがどん詰まりになり、幻想が行き場を失った現実。それに伴う「世代の断絶」。だから、マリファナやLSDで「幻想」を追い求め、馬の代わりにチョッパー・バイクで真っ直ぐに伸びたフリーウェイを走っていくのです。ここではないどこかにある「フロンティア」を目指して。ピーター・フォンダさん自身で監督第1作として撮った『さすらいのカウボーイ』(1971 ピーター・フォンダ監督)にも繋がっていきます。楽園を信じてカリフォルニア目指して放浪する男を描いている名作です。

『イージー・ライダー』はご存知のように、二人が南部を走っているときに、長髪を不快に思う保守的なトラックの男に撃たれて絶命して幕を閉じます。あれから50年、アメリカはどうなったでしょうか。異常な大統領が就任し、偏見と分断を押し進め、国境に壁を作り、「よそ者」を排斥しようとしています。50年経って、アメリカ社会はキャプテン・アメリカとビリーが撃ち殺された時代に巻き戻ったかのようです。    (ジャッピー!編集長)


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『イージー・ライダー』と「有楽町スバル座」

昨日の当ブログで先月亡くなったピーター・フォンダさんのことを書きました。ピーターさんを一躍有名にしたのはもちろん『イージー・ライダー』(1969 デニス・ホッパー監督)ですが、その『イージー・ライダー』を封切公開、18万人!もの観客を動員したのが有楽町のスバル座です。当ブログ8月15日の当ブログ「スバル座の閉館が残念でなりません」で書いたように、その「スバル座」も来たる10月で閉館。ピーター・フォンダさんが亡くなった同じ年に閉館というのは何か因縁を感じてしまいます。

「有楽町スバル座」の歴代最多動員記録となっている『イージー・ライダー』は1970年1月公開、何と7月までのロングラン。今でこそ、地方発の小品映画の公開が多く、ちょっとレトロな館内の佇まいと相まって、地味なイメージですが、かつてはニューシネマで観客を集めた先端の劇場だったのです。たしか『バニシング・ポイント』(1971 リチャード・C・サラフィアン監督)も「スバル座」で公開したと思いますし、僕はここで『アメリカン・グラフィティ』(1973 ジョージ・ルーカス監督)を観ました。

『イージー・ライダー』は1995年に「スバル座」でリバイバル上映され、僕も観に来ました。そのとき、1970年公開時のパンフレットの復刻版というのが発売されていて、購入しました。今の立派なパンフレットに比べると薄っぺらい作りですが、それはそれで時代感があります。中を見ると、出演者はピーター・フォンダさん、デニス・ホッパーさん、ジャック・ニコルソンさんの3人の記載があるだけ。カレン・ブラックさん、トニ・バジルさんは名前も出てません。ジャックさんの説明には「本作には俳優として登場するが、どちらかといえば脚本家としてのニコルソンのほうがよく知られている。ニコルソンの名を高めたのは『白昼の幻想』(1967 ロジャー・コーマン監督)を脚色して成功をおさめたことである」とあるのが面白いです。まさか、このとき、ジャックさんがアカデミー賞で主演男優賞2回、助演男優賞1回を獲得する名優になるとは思ってもいなかったでしょう。

このパンフの説明では、続けて「……かねてからニコルソンの演技力を買っていたフォンダとは『白昼の幻想』で知り合い、『イージー・ライダー』で初めて共演することとなった」と書いてあります。なるほど、ピーターさんはジ演技者としてのジャックさんをすでに見抜いていたのですね。ジャックさんが『恋愛小説家』(1997 ジェームス・L・ブルックス監督)で2度目のオスカーを獲ったとき、ピーター・フォンダさんも「主演男優賞」にノミネートされていたのです。ハリウッドに背を向けたニューシネマで共演した二人が時を経てアカデミー賞授賞式の舞台に揃ったのです。そして、かつてその演技を評価したジャック・ニコルソンさんにピーターさんは敗れ、オスカーを手にすることはなかったのでした。

「有楽町スバル座」では「スバル座の輝き~メモリアル上映~」という特別上映が10月5日(土)から20日(日)まで行われますが、そのトップを飾るのはもちろん『イージー・ライダー』です!(10月5日11時より上映)  (ジャッピー!編集長)


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1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
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