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昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

ショーケンと岩下志麻さんのすれ違い

当ブログ6月20日「ショーケンと三國連太郎さん」で書いたように、『約束』(1972 斎藤耕一監督)のラスト近く、刑事役の三國連太郎さんに本気でボコられた萩原健一さんですが、当初はショーケン、この作品に助監督として参加していました。
なかなか女優が決まらず、スケジュールが押してしまい、主演に予定されていた中山仁さんが舞台に出ることになっていたため降りてしまったのです。(当ブログ4月4日「助監督ショーケンから俳優へ」参照) はじめの予定では、女優さんは岩下志麻さんでしたが、他の作品の撮影と重なりダメになり、岡田茉莉子さん、倍賞千恵子さん、中尾ミエさん、園まりさん……と名前があがりますが、出演交渉してギャラ面で折り合わなかったり、監督のイメージに合わなかったりで決まりません
萩原健一さんが思いついてパリにいる岸惠子さんにダメ元で台本を送りましょうと提案。すると思いのほか、いい感触で「相手役の男性の写真を送ってください」と言ってきたのです。中山仁さんも降りたあとなので、男優を探す時間もなく、斎藤耕一監督が「お前の写真を送れ。それこそダメ元だ」と、なかばヤケッパチでショーケンの写真を送って決まったのでした。
この『約束』はほとんどが列車の中でドラマが進行する低予算の小品でしたが、流麗な撮影とフランス映画のような音楽も効果的で評判は良く、ショーケンは公開後、劇場に観に行くと観客はメインの映画より受けていたと実感したそうです。そのメイン作品が岩下志麻さん主演の『辻が花』(1972 中村登監督)でした。
タイミングが合えば、『約束』はショーケンと岩下志麻さん共演となっていた可能性もあったわけですが、その前にもこのお二人はすれ違っています。『その人は女教師』(1970 出目昌伸監督)です。新宿騒乱の夜に偶然助けてもらった女性が教師として目の前に現れ、恋に落ちる高校生の役に当初ショーケンがキャスティングされました。しかし、まだグループサウンズ時代のため「長髪を切れない」ということでダメになったのです。その代わりに抜擢されたのが三船敏郎さんのご子息・三船史郎さんで、まったく演技経験のない大学生だった史郎さん、デビュー作でいきなり岩下さんと濃厚なベッドシーンを演じることとなったのです。この『その人は女教師』には水谷豊さんも出ていましたから、もしショーケンが出演していたら、『傷だらけの天使』より先に共演となっていたわけです。
こうして2回すれ違ったショーケンと岩下志麻さん、ようやく共演となったのが『化石の森』(1973 篠田正浩監督)です。ご亭主の篠田作品ですが、このとき岩下さんは妊娠中でほとんど特別出演的なものにとどまり、本格的共演という感じではありません。さらにずっと時間が経ち、ショーケンは『極道の妻たち 三代目姐』(1989 降旗康男監督)に出演しますが、この作品は、シリーズの顔であり最多主演の岩下志麻さんではなく三田佳子さん主演でした。ここでもショーケンと岩下志麻さんはすれ違ったのでした。
明日、池袋「新文芸坐」の「追悼・萩原健一」では『化石の森』が上映されます。『瀬降り物語』(1985 中島貞夫監督)と二本立てです。また、『極道の妻たち 三代目姐』も27日(木)に上映されますよ。こちらは『渋滞』(1991 黒土三男監督)と二本立てです。(『渋滞』については当ブログ5月3日「ショーケン主演のロードムービーの傑作『渋滞』」をお読みください)
(ジャッピー!編集長)

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中島貞夫監督が20年あたためた『瀬降り物語』を是非「新文芸坐」で!

当ブログ6月19日に書いたように、萩原健一さんは『もどり川』(1983 神代辰巳監督)の公開直後、大麻取締法違反で逮捕されます。そのため、翌1984年は映画出演は1本もなく、テレビのサスペンス枠で放映された『宣告』だけの出演に終わります。
そして、1985年、映画に復帰、3本に出ました。そのうちの1本が『瀬降り物語』(1985 中島貞夫監督)です。これは、一般社会と隔絶し独自の習俗を持って漂泊しながら生活する「山窩」と呼ばれる民を描いたものです。監督の中島貞夫さんは、1958年(昭和33年)に東映に入社、1964年に『くノ一忍法』(1964 中島貞夫監督)で監督に昇進します。この当時から、すでにこの「山窩」ものの映画を考えてあたためていたそうです。監督2作目の『くノ一化粧』(1964 中島貞夫監督)も評判が良く、そのご褒美で岡田茂所長から「なにかやりたいものないか」と言われ、企画として出したのです。東京大学で一緒に演劇をやっていた盟友・倉本聰さんは『くノ一忍法』、『くノ一化粧』とも脚本に加わっていますから、今度も「山窩ものをやりたい」と言ったら「やろうやろう」とのってくれたそうです。
岡田さんからOKが出て(岡田さんは『瀬降りの魔女』とタイトルまでつけてくれたそうです)「山窩」小説の第一人者、三角寛さんの了解も得て、中島監督は倉本さんの車でロケハン、主演のヤゾウに西村晃さんとキャストまで決めていたそうですが、突如大川博社長から呼び出され中止を告げられたのです。倉本さんとも映像詩のような作品にしようと相談していて、シナリオにも「少年」「少女」「ヤゾウ」とか、「川、流れる」とか書いていたので、社長からしたら訳の分からないものを作られて客を呼べないで損すると思ったのかもしれません。急に中止命令が出て、中島監督もしばらくフテくされていたといいます。
それから約20年後、『瀬降り物語』の製作が実現したのです。それも、もう社長になっている岡田茂さんから「あれ、もう一遍考えてみろよ」と言われたのです。中島さんの推測によると、カンヌ映画祭で『楢山節考』(1983 今村昌平監督)がグランプリを受賞したから、同じような土俗的な題材の映画が当たると岡田さんが思ったんじゃないかとのことです。なるほど、商売になると思ったのでしょうが、それでも20年も前に出された企画を覚えていたというのがスゴイです! 一度聞いた企画が頭の中にちゃんとストックされているのですね。このエピソードで岡田茂さんの凄さをあらためて思ったのです。
製作が決まり、脚本を書き直すことになり、倉本さんに手伝ってもらおうと知らせると「もうお前、ひとりでやった方がいいよ。お前には情熱あるかも知れんけど、俺は正直言ってないよ」と断られたといいます。まあ、無理ないでしょう。倉本さんもこの20年の間、テレビドラマで独自の世界を築いていたわけですから。しかし、もしかしたら、倉本さんは萩原健一さんを推薦したかもしれません。かつて、倉本さんが脚本を担当した大河ドラマ『勝海舟』で、主演の渡哲也さんが病気降板になったとき、代役に松方弘樹さんを中島さんが推薦したように。(←この話は当ブログ2017年1月27日「松方さんと渡哲也さんの不思議な因縁」に書きました)
ともあれ、20年の執念が実って映画となった力作『瀬降り物語』は明日、25日(火)に新文芸坐「追悼・萩原健一 銀幕の反逆児に別れのララバイを」にて上映されます。ちなみに「山窩」小説の第一人者の三角寛さんが開いたのが旧「文芸坐」の前身であります。そして、三角さんの娘婿の三浦大四郎さんが1997年の閉館まで経営されていました。そんな縁もありますから是非「新文芸坐」でご覧ください! (ジャッピー!編集長)





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マーク・レスター君もトレーシー・ハイドちゃんも還暦

先日、「角川シネマ有楽町」に行き、『小さな恋のメロディ』(1971 ワリス・フセイン監督)を観ました。この映画館では昨年も『ディア・ハンター』(1978 マイケル・チミノ監督)を上映していて、僕は40年ぶりに観たのですが(当ブログ1月9日参照)、今度の『小さな恋のメロディ』はもっと久しぶり、当時、封切じゃなく二番館で観たのですが、おそらく45年ぶりぐらいじゃないかと思います。もっとも、その後、テレビの「日曜洋画劇場」で放映したときにも観ましたが。(たしか、トレーシー・ハイドさんの声は子役時代の杉田かおるさんだったんじゃないかなあ)
テレビ放映で観たこともあるせいか、ほとんどの場面を覚えていましたが、あらためて観て、これほど子供たちが活き活きと躍動している映画はちょっとないと感じました。
パンフレットは作られていないようですが、代わりに「スクリーン・アーカイブ/マーク・レスター&トレーシー・ハイド特集号」というのが復刻発売されていました。「スクリーン」誌に載ったマーク・レスターさん、トレーシー・ハイドさん、そしてタイトルからは省かれていますがジャック・ワイルドさんの記事がまとめられたムック本です。値段が張るので、ロビーでパラパラ立ち読みすると、記事を書いたりインタビューを行っているのが、荻昌弘さん、小森和子さん、水野晴郎さんといった方々です。皆、故人になってしまわれましたが、当時はテレビで映画解説なさっていた方々ですから懐かしいことこのうえないです。
公開の翌年、トレーシーさんが来日し、水野さんがインタビューをしているのですが、いろいろ撮影のエピソードを訊いて、最後の方で「それにしても大きくなったね。サイズは?」なんて質問もしていました。トレーシーさんも「上から36インチ、26インチ、36インチ」なんて素直に答えています。36インチというと91センチ。当時13歳にしては確かに大きい……。『小さい恋のメロディ』のときは少女ぽい体型だったから1年でかなり成長したのですね、水野さんも訊かずにいられなかったのでしょう。トレーシーさんは現在60歳、白人女性にありがちにすっかり太ってしまったかもしれません。へたに出て来て今の姿なんか見たくないですねえ。ファンの人にとっては、あの少女の輝きは永遠に封じ込めておきたいでしょう。
トレーシーさんと同学年のマーク・レスターさんは、1978年に来日したときにインタビューした記事が載っていました。そのときマーク君は17歳、180センチを超える身長ですっかり大人。好きな俳優にクリント・イーストウッドさんをあげていました。子役は大成しないというジンクスもありますが、マーク君はその後、俳優生活はパッとせず20代後半で引退となります。一方、マーク君が目標としたイーストウッドさんはいまだに現役の監督、俳優なんですから驚きです! 
そういえば、劇中、メロディ(トレーシー・ハイドさん)や女の子たちが墓場に集まってミック・ジャガーさんの写真にキスする場面がありますが、そのミックさんも75歳にして心臓手術を経て、元気にステージにあがったというニュースが最近あったばかりです。
昨年の『ディア・ハンター』のとき同様、今回のリバイバル上映も観客は(僕も含めて)かなり年齢層高めでした。マーク君もトレーシーちゃんももう還暦ですからね、こっちも歳をとるわけです。(嘆息……) 帰宅してビー・ジーズのCDを聴いたことは言うまでもありません。
(ジャッピー!編集長)
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麻酔なしで上の歯を全部抜いた三國連太郎さん

昨日の当ブログ「三連太郎さんの本気伝説『夜の鼓』」に書いたように、三國さんの手加減なしのマジ演技、本気で殴られたり、真剣で襲いかかられては相手役はたまったものではありませんが、映画にその熱量は反映されて迫真の場面になりますね。
三國さんの本気度があらわれたエピソードには「役のために歯を抜いた」というのもありますね。『異母兄弟』(1957 家城巳代治監督)でのことです。この作品は、レッド・パージで松竹を追われた家城巳代治監督が独立プロで撮った戦前の軍国日本を告発するものです。三國さんが扮したのは職業軍人で、妻がいながら女中を手籠めにして子どもを産ませ、妻の死後、女中は妻にするもののほとんだ下女扱い、生まれた子どもは前妻の子どもと徹底的に差別するという「男尊女卑」「軍国主義」の権化のような人物です。このいびつな家族の戦争を挟んだクロニクルで、三國さんも老境に至るまでを演じます。このとき、三國さんは34歳、壮年といっていい年齢です。今だったら若手といってもいいでしょう。その三國さん、老け役を演じるため、上の歯を全部抜いてしまったのです。しかも!麻酔をかけると治りが遅くなり撮影に支障が出るというので、麻酔をかけずに抜いたといいますからハンパありません! 歯医者さんも「本当にいいの?」と聞き直したといいます。この映画を観ると、終盤、年取った場面の三國さん、たしかに前歯がなく頬がげっそりこけているのです。そしてラスト、敗戦となって威厳もなく老醜をさらし酒をくらっている三國さんの姿、前半の貫禄たっぷりの軍人とはまるで別人です。
健康な歯を抜いてまで役に殉じた三國さん、「なぜ、そこまで?」と問われ、「歯は歳をとれば、どうせ抜けてしまいますからね。僕はモノに対する執着があまりないんですよ」と答えています。僕なんか今度、口腔外科で手術するのですが、怖くてたまりません。麻酔なしなんて考えられません……。
そして、この『異母兄弟』で長年虐げられる女中~妻を演じたのが田中絹代さん。当時48歳の田中さんは16歳の女中時代も見事に演じていましたが、夫役の三國さんが歯を抜いたのを見て「あらあ」とおっしゃったそうです。その影響かどうか、翌年の『楢山節考』(1958 木下恵介監督)では、息子に背負われ姥捨てされる老女を演じるにあたり、自分の歯を抜いています。まったく、役者魂というのはスゴイものであります。  (ジャッピー!編集長)
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ショーケンの名曲「ララバイ」と『竜二』

昨日の当ブログ「ショーケンと三國連太郎さん」で触れたように、明日6月22日(土)より池袋にある新文芸坐において萩原健一さん追悼上映特集が開催されます。
この特集の「銀幕の反逆児に別れのララバイを」というタイトルを僕がつけました。タイトルを考えてくれと頼まれ、『傷だらけの天使』にちなんで「〇〇に△△を」というフレーズにしようというのはすぐに思いつきましたが、そこにどんな言葉を入れるかはいろいろ考えました。前半の「銀幕の反逆児」のところも「永遠のアウトロー」とか「苛烈なる演技者」といくつも考え、後半の「△△」も合わせると、相当な数の案をひねり出しました。
最終的に「銀幕の反逆児に別れのララバイを」としたのは、萩原健一さんがドンジャン・ロックンロール・バンドをバックにしていた時代に「ララバイ」という名曲があるからです。作詞・作曲は、井上堯之バンドにもいたことのあるギタリストの速水清司さんですが、この詞は明らかにショーケンの心情を写し取ったように感じられます。♪その無邪気な澄んだ瞳 夢見ている 幼い子 元気でいるかい 友達いるかい せめて お前に MyBaby Lullaby という歌詞で、親が別れて暮らす幼い子どもを想うという内容です。ショーケンは1975年、ちょうど日本テレビの『傷だらけの天使』が終わった直後にモデルの小泉一十三さんと結婚し子どもも生まれますが、3年で別れてしまいます。娘さんは小泉さんが引き取り、ショーケンは離れて暮らすこととなります。そんな背景もあるから、どうしてもショーケンがまだ幼い頃に別れた娘の面影を浮かべて唄っているように聴こえてしまうのです。♪離れてみりゃ不思議なもの 逢いたくて 気がめいる オモチャあるかい 泣いたりするかい せめて唄うよ MyBaby Lullaby という歌詞が胸にしみます。
そして、映画好きな方なら思い出すでしょう。名作『竜二』(1983 川島透監督)のラストにこの曲が流れるのを。脚本も手掛けた夭折の俳優・金子正次さん(公開直後、33歳の若さで亡くなります)が、ヤクザの足を洗って妻と幼い子とともにカタギの生活を送ろうとするも、また無頼の生き方を選んでいくストーリーです。たしか、ポスターに書いてあった惹句は「フッと、ヤクザの足を洗ってみたが…親子三人、2DKの愛情は、俺の棲み家となるだろか。」という印象的なものでした。(作・関根忠郎さん) 「ララバイ」はその詞の内容も曲調もこの作品に本当にピッタリでした! ショーケンはこの映画のホンを読み気に入って、この曲を使用したいという申し出に無料で許可したといいます。
ある意味、身勝手で我儘で、それでもショーケンらしく生きることしか出来なかったショーケン。甘えん坊でどこかほっとけない、永遠の少年っぽさを持ったショーケン。既成の枠を超えた演技の一方、いろいろとトラブルや衝突もあったショーケン。精一杯生きた彼が安らかに眠れるようにせめて子守唄を……という気持ち
もこめて「銀幕の反逆児に別れのララバイを」としたのです。明日からの追悼上映、新文芸坐に是非お越しください! (ジャッピー!編集長)
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きたさん
1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
ジャッピー!編集長
映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
映画や昭和歌謡に底知れぬ造詣を示す昭和博士
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昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
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