ハッピー昭和クラブ

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

「第3回ラテンアメリカ探訪アート公募展」に行ってきました

「ジャッピー!」に寄稿されたこともあるHさんも作品を出しているというのを聞き、一昨日の5月14日(火)に「第3回ラテンアメリカ探訪アート公募展・Nosotros」を観に行きました。ラテンアメリカに魅せられた日本の方々が、絵画、イラスト、オブジェ、様々な形でラテン愛を表現されていて興味深かったです。中に、アステカ文明から続く人形(紙粘土で出来ていてとても軽い)があって、ヴィヴィッドな色彩とちょっとユーモラスな造形で目をひきました。多くは「動物」なんですが、アステカ文明では1年が360日で、ひと月20日ごとに区切られていて、それぞれ「虎」の月とか「ワニ」の月となっていて、それぞれの月生まれに特徴があると思われているそうです。日本でいえば、「干支」のような感覚ですかね。そういった「動物」をモチーフにした小さな人形が可愛かったです。
Hさんの作品は、ちょっとアヴァンギャルドな感じで、ちょうど「時間」について考えていたので印象に残りました。この展覧会は19日(日)まで。場所は「NHKふれあいホール3階ギャラリー」です。お時間ある方は、渋谷の雑踏から離れてラテン・テイストのアートに浸ってみてはいかがでしょうか。
(ジャッピー!編集長)
にほんブログ村 その他趣味ブログ 昭和レトロへ にほんブログ村
おもしろいと思ったら、クリックしてください!

『子連れ狼』小池一夫先生と「勝プロ」の幸福な出会い

ひとつ前の当ブログで書いたように、『子連れ狼』を読んで、すぐに原作の小池一夫先生宅を訪問、映画権をもらいに行った若山富三郎さん、本当に惚れ込んでいたのでしょう。映画の中でも様々な工夫をこらし、観客を楽しませました。第2作『子連れ狼 三途の川の乳母車』(1972 三隅研次監督)では、最後、悪玉の大木実さんに対して刀をナイフのように投げつけます。胸に刀が刺さり絶命する大木さんも驚きの表情を浮かべますが、武士が刀を投げるなど卑怯なやり口ですが、拝一刀は、妻を殺した柳生一党という権力に反逆しているわけですから、「武士道」なんてくそくらえなわけです。
そういった美学を捨てたアウトローだから、破格の殺陣を見せるのですが、それが娯楽性と合わさって「荒唐無稽」な面白さを加速するのです。大五郎が乗る乳母車に装填される武器も、シリーズとともにグレードアップ。もうほとんど『007』シリーズに出てくる「ボンドカー」です! 柳生の刺客に追われながら、いったいいつ作ったのか……『巨人の星』の星一徹がいつの間に「大リーグボール養成ギプス」を作ったのかとともに謎ですね。
スプラッター描写も『子連れ狼 三途の川の乳母車』では、頭を真っ二つに割り、脳みそがぐにゃりと出てくるし、さらに第3作『子連れ狼 死に風向かう乳母車』(1972 三隅研次監督)では、拝一刀に加藤剛さんが首を斬られ、その切断された首がごろごろ転がると、カメラがその生首の視点になる有名なシーンがありました。これを観たときに思い出したのが勝新太郎さんが自ら監督した『顔役』(1971 勝新太郎監督)です。ご覧になった方はお分かりだと思いますが、映画の文法を無視した「視点」からの映像がてんこ盛りです。このあたりの手法が採り入れられている気がしました。
何しろ、『子連れ狼』シリーズ全6本はすべて「勝プロ」製作。そして、封切時の併映作をあげると、
第1作『子連れ狼 子を貸し腕貸しつかまつる』(1972 三隅研次監督)と『座頭市 御用旅』(1972 森一生監督)という二本立て、『子連れ狼 三途の川の乳母車』は『新・兵隊やくざ』(1972 増村保造監督)、『子連れ狼 死に風向かう乳母車』は『新座頭市物語 折れた杖』(1972 勝新太郎監督)が併映でした。特に勝さんの監督第2作『新座頭市物語 折れた杖』は盲目の人の頭の中に見えるものを映像化したり、勝新ワールド全開です。お正月映画となった第4作『子連れ狼 親の心子の心』(1972 斎藤武市監督)は、同じく小池一夫先生原作の『御用牙』(1972 三隅研次監督)で、このときは三隅監督は勝新映画の方にまわりました。三隅監督が復帰した第5作『子連れ狼 冥府魔道』(1973 三隅研次監督)の併映は『御用牙 かみそり半蔵地獄責め』(1973 増村保造監督)、最終作となった『子連れ狼 地獄へ行くぞ!大五郎』(1974 黒田義之監督)の併映は『悪名 縄張り荒らし』(1974 増村保造監督)です。つまり、全6番組、若山&勝兄弟の2本立て。『座頭市』2本、『兵隊やくざ』、『悪名』と勝さんの三大シリーズ総登場、さらに小池先生の『御用牙』も2本と、併映作を変えながらも『子連れ狼』をメインに続いたのです。まさに「勝プロ」と小池一夫先生の原作が相性ばっちり、「荒唐無稽」と「娯楽性」たっぷりの映画群が連打されたのです。
(ジャッピー!編集長)


にほんブログ村 その他趣味ブログ 昭和レトロへ にほんブログ村
おもしろいと思ったら、クリックしてください!

追悼・小池一夫先生 「子連れ狼」大ヒット!

今年の4月17日に、劇画原作者の小池一夫さんが亡くなりました。82歳です。小池一夫劇画塾を主宰し、多くの後進を育てていましたから、まだまだ活躍してほしかったので残念です。
劇画原作の道に入る切っ掛けは、さいとうたかを先生の「さいとうプロ」の公募に応じ、合格したことです。当時、少年マガジンで『無用ノ介』(←大好きでした!)や、ビッグ・コミックで『ゴルゴ13』を連載するなど、大忙しの「さいとうプロ」は早くから、原作、脚本、構図、作画など分業スタイルを採用していました。(それを明記していたのが、映画の「エンド・ロール」みたいでしたね)
小池さんの出世作となったのが『子連れ狼』です。当ブログ5月12日「追悼・モンキー・パンチ先生」で取り上げた『ルパン三世』同様、「漫画アクション」に連載されました。小島剛夕先生の豪快なタッチの作画と相まって人気を呼びます。「拝一刀」という強烈なキャラクターで引っ張っていく作りは、「さいとうプロ」時代に『ゴルゴ13』などで学んだのではないかと思います。以後の『御用牙』『修羅雪姫』なども、強大な敵に単身挑む強烈なキャラクターという点で共通しています。
『子連れ狼』は、何度も映像化されていますが、一番最初に目をつけたのが若山富三郎さんです。原作漫画を読んで惚れ込んだ若山さんは、即、小池先生の自宅を訪れ、庭でいきなりトンボをきったそうです。(体型のわりに身が軽く運動神経がすぐれている若山さんはトンボをきるのが得意)そして、見事に映画化権を獲得。弟の勝新太郎さんの「勝プロ」製作で第1作『子連れ狼 子を貸し腕貸しつかまつる』(1972 三隅研次監督)が公開されます。若山さんの体技を活かした殺陣が全篇に繰り広げられ、今までの時代劇にないスピードとテンポでした。血が豪快に噴き出るスプラッター描写も話題となり、大ヒット。この1972年のうちに4本!も公開されたのです。4本目の『子連れ狼 親の心子の心』(1972 斎藤武市監督)は12月30日公開のお正月映画です! お正月から、首が飛び、血が噴出する時代劇を公開するんだから、いかに人気があったかが分かります。映画化を思いついた若山さんのカンも大したものであります。シリーズは1973、74年にも続き、全6本が公開されました。
この映画シリーズが当たったこともあり、翌年1973年には萬屋錦之介さん主演の『子連れ狼』が日本テレビから放映されます。こちらは、テレビということもあり、スプラッター的な描写はなく、錦之介さんらしく正統派時代劇という感じで、映画版とは全く違うテイストでしたがこれはこれで楽しめました。♪しとしと、ぴっちゃん、しとぴっちゃん~という橋幸夫さんの主題歌も有名ですね。
ずっと後、田村正和さん主演の『子連れ狼 その小さき手に』(1993 井上昭監督)という作品もありましたが、こちらは「田村正和」さんの個性が立ちすぎて、まるで眠狂四郎のような感じでちょっと違和感ありましたが……。やっぱり、若山富三郎さんの『子連れ狼』シリーズが一番、小池一夫先生の世界に合っていたなあ。小池先生も、若山さんも読者、観客に対するサービス精神という点で相通じるものがあると思います。
数々の原作が映画、テレビになって楽しませてくれた小池一夫先生のご冥福を心よりお祈りいたします。 (ジャッピー!編集長)
にほんブログ村 その他趣味ブログ 昭和レトロへ にほんブログ村
おもしろいと思ったら、クリックしてください!

「天秤打法」の近藤和彦選手を覚えていますか

当ブログで5月11日「追悼・近藤昭仁さん」、5月12日には「千葉ロッテの18連敗」のことなど書いているうちに、「大洋ホエールズ」のもうひとりの「近藤」選手のことを思い出しました。「近藤和彦」さんです。当時、スタメンに名前を連ねていて「近藤昭」「近藤和」と表記されていました。個人的なことになりますが、中学1年で亡くなった僕の兄の名前が「昭彦」だったので、「昭」仁と和「彦」を合わせたような感じなのでお二人は何となく印象が強いのです。ちなみに愛称は昭仁選手が「アキ」、和彦選手が「ドンコ」です。コンドウを逆読み?して「ドンコ」ですから何だかミュージシャンの隠語みたいですね。この愛称、子どものときに「選手名鑑」で知って妙に印象に残っています。
近藤昭仁さんは小技の得意な選手でしたから1番か2番の打順が多く、和彦さんは中軸で3番を打つことが多かったので、スタメンの上位に名前を連ねていて「近藤昭」「近藤和」と表記されていました。今、中軸と書きましたが、和彦選手はホームラン・バッターではなく、二塁打の多い中距離タイプで3割を何度も打った「巧打者」です。明治大学の主軸として活躍された近藤和彦選手、同期に立教大学の長嶋茂雄選手というスーパースターがいたこともあり、目立ちませんでした。明治大の先輩の秋山登投手、土井淳捕手などがいる「大洋ホエールズ」に入団、一年目からレギュラーとなり、2割7分、13本というルーキーとしてはまずまずの成績を残しますが、セ・リーグの新人王はもちろん長嶋茂雄選手が獲得します。以後も、同期の長嶋茂雄選手は近藤和彦選手の前に立ちはだかることになります。
近藤和彦選手といえば、何と言っても「天秤打法」であります。左バッターの和彦さん、極端にバットを担いで、しかもグリップエンド近くを握った右手はほとんど頭の高さ、左手はバットの中央近くを軽く支えているだけ。うーん、文字だとうまく説明できないなあ。(実際に「写真」等で見ていただきたいのですが)まさに「天秤」を担いでいるようなフォームで、たぶん日本プロ野球の歴史上、もっとも変わった打法であることは間違いないでしょう。剣道の構えからヒントを得たと言われていますが、打つときには一瞬、バットが手から離れ宙に浮くのですから、ほとんど、「ドカベン」の殿馬選手の「秘打」の世界です。これに比べたら、イチロー選手の「振り子打法」や梨田選手の「こんにゃく打法」など普通です。
たしか、入団1年目のキャンプ時に、肘か何かを痛めていて負担にならないフォームを試しているうちに作り上げたと聞いたことがあります。新人がこんなキテレツなフォームで練習していたのですから
驚きです。今だったら、間違いなくコーチ陣に寄ってたかって矯正されているでしょうね。(当ブログ3月26日「プロ野球今昔 コーチが多すぎる!」ご参照ください)
和彦選手はこの「天秤打法」でヒットを量産します。「大洋ホエールズ」が三原脩監督のもと初優勝を果たした1960年(昭和35年)も打率.316、リーグ2位の打率で貢献しますが、首位打者はジャイアンツ長嶋選手がとります。そして、何とこの1960年、61年、62年と3年連続「打率2位」という結果に終わります
。61年も長嶋選手が首位打者ですから、2年続けて和彦選手の首位打者を同期のライバルが
阻んだのです。62年はカープの森永勝也選手が首位打者(この年は投高打低で3割バッターひとりだけ!) 63年は打率4位(首位打者はまたも長嶋選手)、故障で不調だった64年を挟んで、65年は打率3位(首位打者はドラゴンズの江藤慎一選手)、66年は打率7位(首位打者はまたまた長嶋選手)、そして67年に打率2位(首位打者はドラゴンズの中暁生選手)と、惜しくも首位打者には届きませんでしたが1960年代に打率2位が4回、3位が1回、4位が1回……と結果を残しました。
引退後はコーチや、「プロ野球ニュース」に出ていました。優しい人柄がうかがえ、分かりやすい解説をされていました。惜しくも、2002年に66歳という若さで亡くなられてしまいましたが、独特のフォームで素晴らしい成績を残した名選手でした。当時の野球少年だったら、必ずあの「天秤打法」を真似したことと思います。  (ジャッピー!編集長)
にほんブログ村 その他趣味ブログ 昭和レトロへ にほんブログ村
おもしろいと思ったら、クリックしてください!

ショーケンと根津甚八さん

昨日の当ブログで書いたように、1991年の大河ドラマ『太平記』で新田義貞を演じた萩原健一さんは病気で途中降板、根津甚八さんが代役をつとめます。ちなみにショーケンがこのとき患った右耳うしろの腫瘍は7年後に再発し、当時、監督をやるという話もあったのですが流れてしまいます。
代役をつとめた根津甚八さんのことを、ショーケンは非常に高く買っていて、同時代の俳優で意識した人はいるかという質問に「根津を見たときにはちょっと意識した。いい役者が出てきたなと思った」と発言しています。ショーケンはTBSで放映していた『冬の運動会』(1977)を観て、そう感じたそうです。『冬の運動会』には、根津さんの恋人役でいしだあゆみさんも出ておられましたが、ショーケンとの交際はまだ始まっていないと思います。(ショーケンがいしださんと結婚する切っ掛けとなる『祭りばやしが聞こえる』は1977年の秋スタートです)
この向田邦子さん脚本の名作ドラマ『冬の運動会』については、当ブログ2018年12月9日にも書きましたが、大滝秀治さんと赤木春恵さんが演じる夫婦の家に入り浸る青年が主人公です。本当の家庭には居場所がなく、疑似家族の方が気持ちを開いて自分らしく過ごせるという役を根津さんが好演していました。唐十郎さんの「状況劇場」の看板俳優だった根津さんが、初めてお茶の間で知られるようになった作品ですが、ショーケンもしっかりチェックしていたのはさすがです。ショーケンは、当時出ていた『前略おふくろ様2』(1976年10月~1977年4月)の脚本家・倉本聰さんに「いい俳優がいるんですよ」と教えてあげたそうですが、「君ね、人のこと感心している場合じゃないよ」と言われたそうです。放送時期が重なっている『前略おふくろ様2』の脚本で手いっぱいで、他の番組を観るどころじゃなかったのでしょう。
根津甚八さん主演の『その後の仁義なき戦い』(1979 工藤栄一監督)も元々、ショーケン主演の企画だったのを、『影武者』(1980 黒澤明監督)にかかりっきりになって出られなくなり、根津さんが代わって出演したのです。(工藤監督へのお詫びの気持ちでショーケンはほんのワンシーンだけカメオ出演してます)このとき、『影武者』にまだ決まってない役があるので、ショーケンが根津さんにオーディションをすすめたそうです。根津さんは「やらせてくれるかな」と不安そうだったのを、ショーケンが背中を押し、『影武者』に出演がかないました。
その後、萩原さんが自身で会社を立ち上げ製作にこぎつけた『竜馬を斬った男』(1987 山下耕作監督)では、根津さんを坂本竜馬役で起用しています。根津さんの俳優としての力量を認めていたのだと思います。根津さんが体調不良で俳優引退を発表したときも、ショーケンは「とても残念な話ですね」とコメントしています。今頃、おふたりは天国で演技の話などしておられるかもしれません。(当ブログ2017年1月18日「追悼・根津甚八さん」ご参照ください)  (ジャッピー!編集長)
にほんブログ村 その他趣味ブログ 昭和レトロへ にほんブログ村
おもしろいと思ったら、クリックしてください!
昭和お宝品評会

NEW!!お宝をご紹介いただけるメンバーを募集中です!
投稿へのコメントもお待ちしております!

きたさん
1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
ジャッピー!編集長
映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
映画や昭和歌謡に底知れぬ造詣を示す昭和博士
ハピイ氏橋
昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
独自の目線で昭和の面白さを掘り起こすイラストレーター
記事検索
ギャラリー
  • 小池一夫先生原作「エロス」と「ヴァイオレンス」
  • 横並び社会と「麻雀放浪記2020」のパンフレット
  • 横並び社会と「麻雀放浪記2020」のパンフレット
  • みんな真似した「月光仮面」(大瀬康一さん)
  • 追悼・兼高かおるさん 「遠く」を夢見たテレビっ子の頃
  • みんな何処に行ってしまうのだろうか
動画配信
上を向いて歩こう
関根忠郎の映画惹句術
看護婦さんの生活と信条
懐かしの昭和の物語 壱
懐かしの昭和の物語 弐
懐かしの昭和の物語 参
  • ライブドアブログ