ハッピー昭和クラブ

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

40年ぶりに観た「ディア・ハンター」

昨年の後半はどういうわけか、何十年ぶりに再見した映画というのが多かったです。ポール・マッカートニーさんのガールフレンドとして知られるジェーン・アッシャーさんが美しかった「早春」(1970 イエジー・スコリモフスキー監督)を10月に「早稲田松竹」で観ましたが、劇場で観るのは40年ぶりぐらい。11月にK'sシネマで観た「まぼろしの市街戦」(1967 フィリップ・ド・ブロカ監督)は旧「文芸坐」の「陽のあたらない名画祭」でかかったのを観て以来で36年ぶり。12月に早稲田松竹でかかっていた「フェリーニのアマルコルド」(1973 フェデリコ・フェリーニ監督)はたしか今はなき「後楽園シネマ」で観て以来で42年ぶり。そして、12月に「シネマート新宿」で観た「恐怖の報酬」(1977  ウィリアム・フリードキン監督)は封切時に30分カットされたヴァージョンを観て以来でした。これらを観て、けっこう細かいところまで鮮明に覚えていることに自分でもビックリしてしまいました。最近は観て1、2年経つと忘れてしまうことが多いのに……。やはり、若い時の感性はスポンジのようにグングンと吸収したんでしょうね。食い入るように観た作品の記憶が相当深く心に刻まれ、観ているうちにどんどん蘇ってくるのでした。
そして、年末に「角川シネマ有楽町」で観たのが「ディア・ハンター(4Kデジタル修復版)」(1978 マイケル・チミノ監督)です。これも封切以来40年ぶりでしたが、ほとんど覚えていました。しかし、今の時点で観ることでまた違う感銘を受けました。ご存じのように、徴兵でヴェトナムに送られた3人のうち、クリストファー・ウォーケンさんがロシアン・ルーレットをやるシーンがあります。(ここの演技、完全に目が「いって」しまっている。凄い!) 周りに金持ち連中が群がり、札束を賭け煽ります。戦場で狂気に陥ったウォーケンさんがその中で「死のゲーム」をやらされます。もう、これは「戦争」の構図そのものではないでしょうか。「戦争」という最大のビジネスで潤う金持ちたちは安全地帯で騒ぎ煽り立て、犠牲になるのは貧しい名もない若者たちなのです。田舎町の製鋼所で働いてささやかな暮らしを営んでいたウォーケンさんを狂わせたのは誰なのか。公開当時は「ヴェトナム戦争」の記憶も生々しく、その文脈で捉えられましたが、今、見るとこの映画から匂ってくる腐臭は「格差」と「分断」が広がった現在のアメリカにも漂うものですね。出演していたロバート・デ・ニーロさん、メリル・ストリープさんとも、痛烈にトランプ批判をしていることが象徴的に思えるのでした。
まぼろしの市街戦1

2まぼろしの市街戦

(ジャッピー!編集長)
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浅草にて平成最後の初詣風景

1月2日に浅草寺に初詣に行ってきました。ここには毎年来ていて、昔はまだ六区に名画座があったので、初詣のあと映画を観るというのが僕の年始恒例行事でした。昨年ももちろん初詣に訪れて、「お父さん犬」の像が鎮座するという異様な光景に驚いたわけですが、(←当ブログ2018年1月14日ご参照ください)今年は見当たらなかったので安心しました。
目立ったのは、外国からいらした人の多さです。ニュース等で日本にやって来る外国人観光客の数が増大、特にここ3~4年の上昇ぶりがすごいというのは知っていましたが、あらためて実感しました。並んでいると、周りがぐるりと外国の方だったりするし、中国語や韓国語、英語、その他外国語が飛び交っていました。少し離れた所に小さい子どもを肩車した男性がいて、警備の人がハンドマイクで何度も「あぶないですから肩車はしないでくださ~い!」と呼びかけていましたが、全然子どもを降ろそうとしません。「聞こえないはずないのになあ」と思ってよく見ると、その人は日本人ではないようでした。周りの人がその父親に注意して子どもを降ろしましたが、こういったちょっとした混乱はそこここに見られました。
初詣を終え、おみくじを引き(「小吉」でした)、次のお楽しみは敷地内に出ている露店を見てまわることです。ここも外国からいらした方で賑わっていて、目の前で大判焼やベビーカステラが作られるところをさかんに動画に撮ったりされている方が多かったです。しかし、露店で「売っている」方にもけっこう外国人の方がいて(こちらは観光客でなく日本に住むバイトの人たち)、もうそこら中、外国人だらけで、昭和からタイムスリップした人がいたら、ここが日本とは思わないかもしれません。ともかく、こうして日本の食べ物や文化を楽しんでもらえるのは嬉しいことです。
「仲見世通り」でも「日本的」なお土産を求める外国人観光客相手で賑わっていて、お店の人も大変そうでした。「アルプスの若大将」(1966 古澤憲吾監督)で、老舗すき焼き屋の久太郎(有島一郎さん)が外国人客に失礼なことをしまくるドジ場面を思い出しました。(←当ブログ2017年11月13日「『アルプスの若大将』50年前の異文化交流」ご参照ください) いや、おばあちゃん(飯田蝶子さん)のようなハイカラ(死語)な方がうまく対応しているでしょうか。 (ジャッピー!編集長)
浅草幻想風景


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まさに生きるロック史「エリック・クラプトン ~12小節の人生~」

4日の当ブログで取り上げた「エリック・クラプトン~12小節の人生~」(2017 リリ・フィニー・ザナック監督)は、エリックさんがジョージ・ハリスンさんの妻・パティさんへの抑えられない思慕から生まれた「いとしのレイラ」のエピソードが当事者、周囲の人々の証言を交えて綴られます。(ジョージさんの肉声はありません) 後半は、ようやく平穏な暮らしになったかと思った矢先に、息子のコナー君がホテルの53階から転落、亡くなってしまう悲劇に見舞われ、そこから名曲「ティアーズ・イン・ヘヴン」が書かれたことが語られます。幼い息子の死で深い悲しみに陥りますが、今度はヘロインやアルコールに逃げず、「これからはコナーのことを思い続けながら生きていく」と前向きに曲を作り、グラミー賞に輝きます。
という風に、主に「いとしのレイラ」「ティアーズ・イン・ヘヴン」の2曲の誕生をエリックさんの私生活の側面にからめて描いたドキュメンタリー映画です。しかし、そういったスキャンダラスな部分、プライベート以外にも見どころがあります。幼い頃、絵ばかり描いていたという内気なエリックさんはアートスクールに進みます。彼が描いたスケッチが次々に映し出されますがなかなか上手くて目を見張ります。やがて、テレビの子供番組で流れていた音楽から、黒人音楽に魅せられます。ギターに夢中になり、クラブに出入りするようになりミュージシャンへの第一歩を踏み出しますが、その頃にはローリング・ストーンズの面々と知り合っていたそうです。「ヤードバーズ」に加入し、当時人気絶頂のビートルズのクリスマス・ショーに出演(このときジョージさんと知り合います)、ビートルマニアの女の子たちの歓声に「ジョージなんていい演奏してるのに聴いてない」ことに腹を立てます。そんなエリックさんですから、主にブルース系の曲を演奏していた「ヤードバーズ」が「フォー・ユア・ラヴ」でポップ路線に走り、メンバーが「ビートルズ」風に髪を伸ばし始めたことを軽蔑し脱退。このとき髪も短かったエリックさんも後にはロン毛になりますけどね……。「ブルース」を追求しようと「ジョン・メイオールとブルース・ブレイカーズ」に加わりますが、今度はメンバーにも知らせず勝手にバンドを組んでしまいます。それが「クリーム」で「ロックにブルース、ジャズを融合したい」というのが動機ですが、一世を風靡したスーパー・トリオの爆音演奏シーンはやっぱり迫力あります。しかし人間関係は最悪で「クリーム」は解散。次に結成した「ブラインド・フェイス」のハイドパーク野外コンサートでスティーヴ・ウィンウッドさんが熱唱するシーンも貴重です。当時のロンドンを歩く若者のファッションも楽しめます。
また、ジミ・ヘンドリックスさん(肉声もあり)の死を聞いて「一日中、泣き通し、何で僕を連れていってくれなかったんだ……」と語るなど、他のアーティストとの交流もいろいろ出てきます。個人的には、アレサ・フランクリンさんとのレコーディング(当ブログ2018年10月21日をご参照ください)のエピソードが印象に残りました。
「ブラインド・フェイス」解散後、ジョージさんのソロ・アルバム「オール・シングス・マスト・パス」参加メンバーから「デレク&ドミノス」が結成され「レイラ」へ……。以後、レゲエに接近した「461オーシャン・ブールヴァ―ド」以降「ジャーニーマン」あたりまでは「アル中の最中だったから聴きたくもない」と一括りにされていましたが、ブルースからサイケ、スワンプ、レゲエ……まさに「生きるロック史」だなあと思いました。登場したジョージ・ハリスンさん、ジョン・レノンさん、ジミ・ヘンドリックスさん、デュアン・オールマンん、アレサさん、ブライアン・ジョーンズさん……多くの人が亡くなった中、こうして生き残っていることだけでもスゴイことだと思います。
(ジャッピー!編集長)


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「いとしのレイラ」誕生に至る生々しいエピソード

一昨日、昨日と「ボヘミアン・ラプソディ」(2018 ブライアン・シンガー監督)の話題を書きましたが、やはりひとつの歌が出来る過程というのは興味深いものです。僕は元日の映画サービスデイに「エリック・クラプトン ~12小節の人生~」(2017 リリ・フィニー・ザナック監督)を観てきまして、こちらでは名曲「いとしのレイラ」が生まれる際のエピソードが描かれていました。
よく知られるように、エリック・クラプトンさんは親友であるジョージ・ハリスンさんの妻・パティさんを恋してしまって、その募る思いを歌った曲です。「クリーム」で稼いだお金を初めて使って購入した郊外の家(それまで「家」を持たず友人の所を転々としていたというのも驚き)がジョージさんの家と近くて日常的に交流するようになったのですが、当時のエリックさんの恋人の証言で「ジョージ夫妻と4人で会っていても、エリックはパティを見つめていた」とか、エリックが「まだご主人のことを愛している?」と綴ったラヴレターの現物も映し出されるなど、「ボヘミアン・ラプソディ」と違ってこちらはドキュメンタリーですから生々しいです。中でも、パティさんの肉声による証言で、あるパーティでエリックさんと二人きりで庭に出た時、パーティに来ていないはずのジョージさんが現れて鉢合わせしたという話など、その状況を想像すると緊迫の愛憎ドラマみたいです! ジョージさんは「彼と行くか、それとも一緒に家に帰るか」と静かに言い(パティさんは「ジョージは冷たい感じの人……」と語っています)、結局そのときパティさんはジョージさんと帰ってしまいます。そしてエリックさんの熱い恋情は行き場を失い、狂ったように曲作りに向かいます。それが「いとしのレイラ」であり、「デレク&ドミノス」として発表したアルバム「レイラ」です。「このアルバムはすべて『傷心』を歌った曲。エリックの心の叫びが詰まっている」というドミノスのメンバーの証言も紹介されます。アルバムを完成させたエリックさん、すぐイギリスに帰り、パティさんに真っ先に聞かせたといいますから、完全にパティさんに向けた「音楽のラブレター」なのでした。ちなみに「レイラ」というのは、「レイラとマジュヌーン」というレイラという女性に恋い焦がれる内容のペルシャの昔話?からエリックさんがとったということも紹介されました。
のちにジョージさんと離婚したパティさんと晴れて一緒になれたのに、エリックさんは今度はヘロインやアルコール依存症になってパティさんに辛くあたるようになり別れてしまいますから、うまくいかないものです。映画から帰宅した僕が「レイラ」を聴いたのは言うまでもありません。(ジャッピー!編集長)
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「ボヘミアン・ラプソディ」は一日にしてならず

映画「ボヘミアン・ラプソディ」(2018 ブライアン・シンガー監督)で圧巻だったのはもちろんラストの「ライヴ・エイド」を再現したシーンです。「ボヘミアン・ラプソディ」に始まり4曲をメドレーで歌唱する21分に及ぶシーンは、当ブログ昨年11月22日にきたかたさんが書いておられますように、いったいどうやって撮ったんだ!と思わせる「再現」ぶりであります。いやあ、すごいものです。
昨年、この映画を観たとき、始めのうち、フレディ・マーキュリーさんが似てないなあと思っていたのです。他のメンバーの方が似ていたような……(ロジャー・テイラーさんは似ているのに微妙に違う妙な感じがしましたが) しかし、ストーリーが進むうちに違和感は薄まり、この「ライヴ・エイド」のシーンに至ってはまるで本物のフレディが憑依しているかのように感じたのです。これは何なのだろうと考えたのですが、何より「歌の力」なんだと思います。「歌の力」というと、まるでNHKがよく言う「紅白歌合戦」のコンセプトみたいですが、ひとつの歌にこめられた思いやパフォーマンスに注ぎ込む熱量といったものが、ただの歌というものを超えた「何か」を生み出し、それまでのストーリーを補完し、さらに観る者、聴く者それぞれのストーリーを喚起するのだと思います。特にフレディさんのファンというわけでもない僕ですら感動したのですから、フレディさんや「クイーン」のファンの方々にとっては感涙もののライヴ・シーンだったと思います。
昨日の当ブログで書いたように、アイドル的な「クイーン」に興味がなく、「ミュージック・ライフ」誌の購読もやめてしまった僕でしたが、1976年に「ボヘミアン・ラプソディ」を聴いたときにはすぐに気に入りアルバム「オペラ座の夜」を購入しました。同時に、唯一僕が知っていた「キラー・クイーン」のキャッチ―なポップとは全く違うサウンドにビックリし、遡って「クイーン」の過去アルバムを聴くと既にフレディさんのカラーは濃厚に出ており、「ボヘミアン・ラプソディ」が突然変異的に生まれた曲でないことが分かりました。(ファンの方には周知のことでしょうが)特に「クイーンII」はB面(レコードの時代です)が「ブラック・サイド」と称され、ブライアン・メイさん主導のA面「ホワイト・サイド」とは全く別のバンドのようです。B面全編フレディさんの曲で「完全にプログレじゃん!」と思ったものです。中でも「マーチ・オブ・ブラッククイーン」なんか「ボヘミアン・ラプソディ」の原型みたいな所がありました。
なるほど、映画の中にあったように「ボヘミアン・ラプソディ」をシングルとして出すのは会社としては危惧しただろうなと思います。ちなみにプロデューサーが代わりにシングルとして推した、ジョン・ディーコンさん作の「マイ・ベスト・フレンド」も僕は好きな曲でした。 (ジャッピー!編集長)
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きたさん
1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
ジャッピー!編集長
映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
映画や昭和歌謡に底知れぬ造詣を示す昭和博士
ハピイ氏橋
昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
独自の目線で昭和の面白さを掘り起こすイラストレーター
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