ハッピー昭和クラブ

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

「第92回キネマ旬報ベストテン表彰式」に行ってきました

昨日の当ブログでは、朝ドラ「まんぷく」から「月光仮面」の話題になりましたが、昨日、僕はナマの安藤サクラさんを拝見しました!
何のことかというと、昨日2月10日(日)、文京シビックホールにて開催された「第92回キネマ旬報ベストテン表彰式」を観に行ってきたのです。今年創刊100年を迎える「キネマ旬報」の主催するこの映画賞は何と、アメリカのアカデミー賞より古く、映画界では伝統ある賞です。今回(2018年度)の日本映画第1位は「万引き家族」(2018 是枝裕和監督)で、主演の安藤サクラさんは主演女優賞を獲得されたのです。安藤さんはまだ32歳という若さですが、2012年、2014年に続いて、早くもキネ旬主演女優賞は3回目の受賞。助演女優賞も2010年、2012年と2度受賞しています。(しかも2012年は主演・助演ダブル受賞! これはキネ旬史上唯一)主演・助演合わせると今回で5度目の受賞。これは原田芳雄さんに並んで最多タイなのです。(原田さんは1992年、2000年、2011年と主演男優賞3回、1975年、1989年助演男優賞)主演女優賞に限っても、3回受賞は若尾文子さん(1961年、1965年、1968年受賞)、岩下志麻さん(1967年、1969年、1977年受賞)、桃井かおりさん(1979年、1998年、1997年受賞)、原田美枝子さん(1976年、1996年、1998年受賞)、宮沢りえさん(2002年、2004年、2016年受賞)と並んで六人目の最多タイになりました。
授賞式に登壇された安藤サクラさんは目のさめるようなブルーのドレスを着ており、大きな拍手を受けました。トロフィーを受け取り、スピーチをうながされた安藤さん、「緊張して何を言いたいか分からなくなっちゃった……。自分の中で『万引き家族』の信代という役がまだ分からなくてフワフワしていて……」と独特の表現をされていました。ラスト近くの警察でのシーンでは池脇千鶴さん演じる取調官から何を訊かれるか事前に言われていなくて「本当にどうしよう?」と思ったそうですから、「信代」役に入り込んだ境界線を「フワフワ」と表現したのかもしれません。
そんな安藤さんが涙を流したのは、今回の主演男優賞を受賞した柄本佑さんの横に立ったときです。安藤さん、ご自分の受賞より嬉しかったのか感極まって泣きじゃくり始めたのです。そして、司会者が柄本さんに「ご夫婦で受賞されたことについてはどんなお気持ちですか?」と訊いて柄本さんが照れて
少し困っていると
、安藤さん、「男はどっしり構えてればいいの! そんなこと答えなくていいから!」とおっしゃって止めたのです。この「男をたてる」というか、安藤さんの肝っ玉母さん的姿勢、何だか、「まんぷく」の福子さんを思わせるものがありました。多分、安藤さんの中に「福子」的なものがあるんだろうと思いました。と、同時に本当に柄本さんのことを愛しているんだなあと感じました。
柄本さんは昨年亡くした母親の角替和枝さんにふれて「和枝さんの口癖は『何でもない日にバンザイ!』だったけれど、今日ばかりは『何でもなくない日でバンザイ!』と言ってると思います」とスピーチされました。また、安藤さんへのサプライズで、奥田瑛二さんからの手紙が読まれるなど、この「映画一家」のハッピーな絆をうかがえました。
次いで登場した助演女優賞の木野花さんもまず「柄本・安藤さんのご夫婦にもらい泣きしました」とおっしゃいました。「愛しのアイリーン」(2018 吉田恵輔監督)には「谷に飛びこむつもりで挑んで、よく生還できたなあと思っています」というスピーチも実感がこもっていました。たしかに凄い映画(たぶんテレビで放映したら台詞は「ピー」だらけになるでしょう)でした! 助演男優賞の松坂桃李さんは2011年に「キネマ旬報新人男優賞」を受賞しており、トロフィーを持って「そこから7年分の重みを感じます」と語っていました。
その「新人男優賞」、今回の受賞者は寛一郎さん。柄本佑さんは二世俳優ですが、寛一郎さんは三國連太郎さん、佐藤浩市さんのDNAを受け継いだ三世です。「菊とギロチン」(2018 瀬々敬久監督)で監督からしぼられた話をふられて「殺されると思いました」と答えて場内は笑いに包まれました。「菊とギロチン」の主演の木竜麻生さんも「新人女優賞」を受賞。僕は「菊とギロチン」はもちろん「鈴木家の嘘」(2018 野尻克己監督)の木竜さんの演技(ラスト近く、思いが溢れ決壊したような一人芝居は新人離れした演技力です!)に大変心を揺さぶられたのですが、マイクの前に立ち「最初から泣きそうです」と誠実なスピーチをされてますます好感を持ちました。サプライズで花束を持って登場した野尻監督も、木竜さんのポテンシャルを絶賛していました。
そして、特別賞の樹木希林さんに代わって登壇した内田也哉子さんが「映画って毎日食べるゴハンと同じくらい大事なものなんだと思えるようになりました」という言葉がとても印象的でした。残念ながら是枝監督、瀬々監督は欠席でしたが、受賞の言葉が代読されました。映画はまだまだ力があるぞと思える表彰式でした。 (ジャッピー!編集長)
にほんブログ村 その他趣味ブログ 昭和レトロへ にほんブログ村
おもしろいと思ったら、クリックしてください!

みんな真似した「月光仮面」(大瀬康一さん)

月光仮面イラスト
朝ドラ「まんぷく」、いよいよ「即席ラーメン」の完成が近づいてきました。昨日の回では、夢中になって研究を続ける萬平(長谷川博己さん)が子どもと遊んであげれないので、福子(安藤サクラさん)が「お母さんと遊ぼう!」と言って、子どもたちと一緒に「月光仮面」ごっこをするシーンがありました。そうです、当時はよく「月光仮面」ごっこをしたものです。風呂敷があれば必ず「マント」代わりにしたものです。前に書いたように、僕の兄が「隠密剣士」ファンだったので、僕はよく相手(斬られ役)をさせられました。(←当ブログ2017年10月10日「宣弘社が生んだ『月光仮面』『隠密剣士』」をご参照ください。「月光仮面」と阿久悠さんの関係?についても書きました) 
とにかく、当時はテレビのヒーローはすぐに子どもが真似して「ごっこ」したものです。月光仮面の真似をして高い所から飛び降りてケガする子どもが多かったなんてニュースもけっこうあったと記憶しています。たしか、「月光仮面=祝十郎」を演じた大瀬康一さん自体、タイトルバックのためにバーン!と飛び降りるカットを撮影しているとき張り切って何度もやって、足を骨折したというエピソードを聞いたことがあります。複雑骨折で入院したのですが、番組の撮影に入ったばかりということで、ベッドの上で「月光仮面」の上半身だけ撮ったりしていたそうです。
大瀬康一さんは元々は東映の大部屋にいた人で、映画が量産されている時代もあって、主役の吹き替えやスタントなど何でもやらされていたそうです。船のマストから飛び下りたり、橋から落ちたりなんてことをやって「危険手当」をもらっていた大瀬さんですから、アクションはお手のものでしょうが、いきなりタイトルバック撮影でケガしちゃうのですから、いかに「月光仮面」に入れこんでいたのか分かります。大瀬さんは「月光仮面」のオーディションで合格して主役の座をつかんだのですが、それを勧めてくれたくれた方が本当に何で知り合ったのか思い出せないくらいで、たまたま「行ってみたら」と言われたそうです。のちに、その大瀬さんの運命を変えた方について「本当に、どこの誰かは、知らないけれど、なんですよ」と語っていました。「月光仮面」の扮装は冬は寒く、夏は暑かったそうで苦労もあったそうですが、子どもに大人気となって、大瀬さんも大忙しとなり、今度は逆に「吹き替え」を使ってもらう立場になったのでした。さらに「隠密剣士」でも主役を演じ、大瀬康一さんは当時の子どもたちにとっての大ヒーローになったのでした。  (ジャッピー!編集長)
にほんブログ村 その他趣味ブログ 昭和レトロへ にほんブログ村
おもしろいと思ったら、クリックしてください!

追悼・フランク・ロビンソンさん あの頃「大リーグ」も遠かった

2月7日に、大リーグ初の黒人監督となったフランク・ロビンソンさんが亡くなりました。83歳です。メジャーリーグの場合は、必ずしも名選手が監督となるわけではありませんが、フランク・ロビンソンさんは選手としてもすごい実績の持ち主です。シンシナティ・レッズに入団して新人王、5年後には優勝に導いてナショナル・リーグMVP、ボルチモア・オリオールズに移籍して三冠王の大活躍、ワールドシリーズも制してアメリカン・リーグでもMVPと考えられる限りの栄光に輝いた選手でした。
僕の記憶のフランク・ロビンソンさんは、1971年の秋にオリオールズが日米野球で来日したときの4番バッターです。フランクさんは選手生活のピークは過ぎていたと思いますが、すでに「伝説」の選手というオーラがありました。このときのオリオールズはスター選手が揃っており、もう一人、ブルックス・ロビンソンさんというすごい三塁手もいて、この二枚の「ロビンソン」を軸に脇を固める選手も好選手ばかりでした。1番バッターの俊足巧打のドン・ビュフォード選手も印象に残ったので、この来日の2年後、太平洋クラブ・ライオンズに入団したときは驚きました! ロッテの金田正一監督と取っ組み合いをして遺恨カードになり、当時、人気が低迷していたパ・リーグでは「金田VSビュフォード」のシーンがポスターに使われたりしました。また、オリオールズの二塁手はデ―ヴ・ジョンソンさんで、やはり後に長嶋ジャイアンツに助っ人として入団、「ジョン損」とか言われましたが元々サードが本職じゃないから気の毒でした。2年目に高田繁さんをサードにコンバート、ジョンソンさんは二塁で活躍しましたね。
そんな好選手が揃ったオリオールズ、さらに投手陣は何と20勝投手が4人もいたのです! ジム・パーマーさんを筆頭にした20勝カルテットだけで80勝以上ですからこれはスゴイ。たしか、巨人はドブソン投手にノーヒット・ノーランをくらったと記憶しています。結局、日本はほとんど勝てずに終わりました。1971年というと、巨人は7連覇の年、ONを中心に円熟期でしたが、観ていてもまず勝てそうにないという感じだった印象です。「読売新聞社」が主催だったので、それこそ昨日の当ブログでふれた日本テレビの「ミユキ野球教室」でさかんに盛り上げていましたが、そこで紹介されるフランク・ロビンソンさんをはじめとする選手たちを見ただけでモノが違うと感じました。1971年というと、巨人は7連覇の年、ONを中心に円熟期でしたが、観ていてもまず勝てそうにありませんでした。それほど、オリオールズは強かった!
昨日の当ブログ「追悼・兼高かおるさん」に書いたことにも重なりますが、大リーグは
はるか上の存在で「遠い」ものだったなあ。だからこそ、星飛雄馬は「大リーグボール養成ギプス」なんてつけていたわけです。(←当ブログ2016年12月7日「野球ロボット対野球人形」参照) 今やゾロゾロとメジャーに行く選手が現れ、その「遠く」が近くなったのは、張本勲さんがおっしゃるように、球団数拡大等でメジャーのレベルも下がったといえるかもしれません。
本当に「大リーグ」が「遠い」存在だった時代、(それはまた黒人選手であることで苦難も多かった時代です)に大活躍し、後年、監督となってからもリーグ最優秀監督賞も得て「名選手で名監督」という稀有な人物だったフランク・ロビンソンさんのご冥福を心よりお祈りいたします。
(ジャッピー!編集長)
にほんブログ村 その他趣味ブログ 昭和レトロへ にほんブログ村
おもしろいと思ったら、クリックしてください!

追悼・兼高かおるさん 「遠く」を夢見たテレビっ子の頃

今年の1月5日に兼高かおるさん90歳でお亡くなりになりました。兼高さんといえばもちろん「兼高かおる世界の旅」で世界中を旅していた女性です。テレビを観て子ども心にエキゾチックな感じの方だなあと思っていましたが、のちにインドと日本のハーフと知って納得しました。アメリカ留学経験もあって、どの国に行っても動ずることなくレポートする姿は、ハーフ・タレントがそこら中にいたり、英語に堪能なタレントも多い今とは違う時代、本当に国際派の先頭に立っていた方だと思います。
昭和のテレビっ子だった僕にとっては、兼高かおるさんと聞けば、自動的に「日曜日の午前中」にテレビにかじりついていた時間を思い出します。まず、9時半に日本テレビの「ミユキ野球教室」を欠かさず観ていました。♪ミユキ~ミユキ~服地はミユキ~紳士だったら知っている~服地はミユキと知っている~という歌とともに始まるこの番組で僕のプロ野球知識は広がりました。たしか、そのあと、10時から「ボウリング」の番組をやっていた時期があって、これも何となく観てました。世はボウリング・ブームで友だちの家のボウリング・ゲームで遊んだのを思い出します。(今、桑田佳祐さんがボウリングの歌を唄ってますね)
そしてチャンネルを6番(TBS)に変えて、10時半から「うちのママは世界一」、続いて11時から「兼高かおる世界の旅」という流れで観ていました。兼高さんの番組を観ているころは「外国」は本当に遠い場所で、「海外旅行」なんて庶民には本当に縁のないものでした。そういう目で観ていた「兼高かおる世界の旅」で映し出される風景や風習、文化はとても興味深かったものです。「うちのママは世界一」などアメリカ製のドラマに出てくる「豊かさ」も遠いものだったし、ある意味、テレビが真の意味でテレビの役割をしていた時代だったなあと思います。
今や、何万人も「海外」に行く人がいるし、テレビだけじゃなく色んなメディアで外国の情報が流れ込んでくる時代となりました。僕も大人になってから海外にも行きました。仕事以外で、プライベートでもアメリカに野球を観に行ったり(野茂英雄投手がメジャーにいた頃です)、韓国やタイ、ベトナムにも行きましたが、まさか自分がそういう旅行をするとは子どもの頃は夢にも思っていなかったです。現在は貧困のため「海外旅行」どころじゃないですが、もうあまり「海外」に対する好奇心というかモチベーションがなくなっているのを感じます。年令のせいもあるかもしれませんが、「遠く」がなくなったことも大きいと思います。交通機関はもちろん、
ネットや通信、様々な発達で「海外」は身近になりましたが、それが本当に幸せなことなのかなあ……。手の届かない「遠く」を夢見ていた頃の方が何だか輝いていたように思えるのは単なる郷愁なんでしょうか。
そんな時代にお茶の間に海外、異国の風景、文化を垣間見せてくれた兼高かおるさんのご冥福を心からお祈りいたします。  (ジャッピー!編集長)
兼高かおる

にほんブログ村 その他趣味ブログ 昭和レトロへ にほんブログ村
おもしろいと思ったら、クリックしてください!

「スクリーン」誌の表記が独特でした!

昨日の当ブログで「マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!」(2017 デイヴィッド・バッテイ監督)について書きました。1960年代(昭和でいうと35年から44年です)にイギリスを席巻した若者文化の貴重な映像に、当時の中心人物の証言も多数出てきます。
その中から、昨日、ザ・フーの「ロジャー・ドールトリー」さんの言葉も紹介しましたが、映画にテロップが出たとき一瞬、違和感をおぼえました。僕を含めて多くの人は「ロジャー・ダルトリー」という表記で知る名前だと思います。長年「ダルトリー」に馴染んでいたので「ドールトリー」を見てピンとこないのです。これも昨日の当ブログで書きましたが「ツィギー」さんという表記で映画に出てきます。「ツイッギー」じゃなく「ツィギー」。他にも、この映画の中では「ルル」さんも「ルール―」と表記されていました。字幕監修をピーター・バラカンさんが担当されていますので、正確な発音に基づいた表記なのかもしれません。しかし、いきなり「ドールトリー」とか言われても……うーむ。昭和世代としてはやはり、長年親しんだ?名前で刷り込まれていますから戸惑ってしまいます。
外国人俳優の表記となると、かつて老舗映画雑誌「スクリーン」が独特でした。さきほどの「ルール―」のように「ー」で長く伸ばす表記がよくありました。「ウィノナ・ライダー」じゃなくて「ウィノーナ・ライダー」とか、「ジョン・ベル―シ」が「ジョン・ベル―シ―」となっていたり、「マーロン・ブランド」でさえ「マーロン・ブランド―」となっていましたから相当なこだわりとみえました。「ダリル・ハンナ」が「ダリル・ハナー」、「ロバート・デュバル」に至っては「ロバート・デュ―ボール」となっていては、パッとその俳優が思い浮かびません。
他にも「ケヴィン・コストナー」とか「レナード・ディカプリオ」など、どんな人気俳優にも「こだわりの」表記のスタンスを緩めることはありませんでした。出演映画のチラシとかポスターのオフィシャルな表記と違うカタカナで書くのですから、よく映画会社からクレームがつかなかったなあと思いました。僕の推測では、「マイ・ジェネレーション」のピーター・バラカンさんのようなスタッフがおられて、できるだけ正確な発音に即していたのかと思います。あるとき「ユマ・サーマン」を「ウマ・サーマン」と表記しているのを見て、映画館に「検証」に行ったことがあります。彼女が出演する映画の予告編に耳をすませてみたのです。すると、たしかに「ウマ」の方が近いのです。それで、そう推測したのですが、「ケヴィン・コストナー」はやはり「コスナー」と聞こえるので確信はありません。
そもそも違う言語を表記するのですから難しい問題です。いくら発音に近い表記といっても限界はありますしね。名前も一種の記号と考えれば、時代の推移とともに定着したものでいいと思いますが。「スクリーン」誌は今もこの独自表記を続けているのかなあ。もう何年も読んでないので、今度、図書館に行って見てみようと思います。
かつて榊原郁恵さんが「アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた」という曲を歌っていましたが、もし今、懐メロ番組とかで歌うとしたら、♪アル・パチーノもドロンもいいわ~と変えるでしょうか。
(ジャッピー!編集長)
にほんブログ村 その他趣味ブログ 昭和レトロへ にほんブログ村
おもしろいと思ったら、クリックしてください!
昭和お宝品評会

NEW!!お宝をご紹介いただけるメンバーを募集中です!
投稿へのコメントもお待ちしております!

きたさん
1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
ジャッピー!編集長
映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
映画や昭和歌謡に底知れぬ造詣を示す昭和博士
ハピイ氏橋
昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
独自の目線で昭和の面白さを掘り起こすイラストレーター
記事検索
ギャラリー
  • みんな真似した「月光仮面」(大瀬康一さん)
  • 追悼・兼高かおるさん 「遠く」を夢見たテレビっ子の頃
  • みんな何処に行ってしまうのだろうか
  • 40年ぶりに観た「ディア・ハンター」
  • 40年ぶりに観た「ディア・ハンター」
  • 浅草にて平成最後の初詣風景
動画配信
上を向いて歩こう
関根忠郎の映画惹句術
看護婦さんの生活と信条
懐かしの昭和の物語 壱
懐かしの昭和の物語 弐
懐かしの昭和の物語 参
  • ライブドアブログ