田宮二郎さんが亡くなった日のことはよく覚えています。暮れも押し詰まっていたその日、大掃除をしていたのですが、テレビもかけっぱなしにしていました。日本テレビで映画「花と龍」(1973 加藤泰監督)を放映していて、大掃除しながらチラチラ観ていたのです。そこに「俳優の田宮二郎さんが自殺しました」という臨時ニュースがテロップで入ったのでビックリしてしまいました。1978年12月28日のことです。
田宮さんは、この「花と龍」の前年に「人生劇場 青春・愛欲・残侠篇」(1972 加藤泰監督)で吉良常を演じ、加藤作品に続けての登板となっていました。老侠客・吉良常という老け役も見事にこなし、巨匠・加藤泰監督は田宮さんを「いい芝居をやる」と評価していました。渡哲也さん主演の「花と龍」では、原作にはない役をわざわざ田宮さんのために作ったといいます。田宮さんもそれに応えて、熱演しています。真冬のロケでふんどし一丁のシーンの撮影で、執拗に粘ることで有名な加藤監督がOKを出しても、自分の納得のいく演技ができるまで「もう一度お願いします」と自ら申し出たそうです。
また、これは有名な話ですが「人生劇場」のとき、森繫久彌さんと加藤泰監督が撮影中に激しい口論になったとき、田宮さんが間に入って仲裁したのですが、口調が吉良常そのものだったそうです。現場にいた助監督の三村晴彦さんは「あれほど役に没入する役者は見たことがない」と証言しています。
この「役に没入」のもっとも顕著な例が「財前五郎」です。「白い巨塔」(1966 山本薩夫監督)で演じて以来、自身のハマり役となり、山崎豊子さんが原作の続編を書かれると、田宮さんはそこに書かれた財前の死までを演じたいと、大映解雇直後1969年には自ら企画をTV局に持ちこみます。そのときは通りませんでしたから、1978年のテレビ「白い巨塔」には相当の思い入れで臨んだことと思います。念願のラスト近く、財前が病魔(ガン)におかされるので3日間絶食したり、財前の遺書も自ら書いたり、遺体となってストレッチャーに乗ってる場面も普通はスタントを使うのに自分でやると主張したとのこと。私生活でも苦しんでいた「田宮二郎」という自分と「財前五郎」という役が一体化しているようです。index10

「財前五郎」は父親を早く失い、他人の援助で大学に進み苦労して助教授までなって、さらに上への野望を燃やす男と設定されています。田宮さん自身、早く両親に死に別れ、祖母に育てられ、他人の援助も受けてきたという経歴を持っており、これは自分だ、と思ったのでしょう。おまけに本名の「吾郎」と財前「五郎」と同じ「ごろう」なのも、運命的に感じて自分しか演じられないと思ったのかもしれません。(ちなみに田宮さんの次男が「田宮五郎」の芸名で俳優されてましたが、2014年クモ幕下出血のため47歳で亡くなりました。恋人は浅野ゆう子さん)
同じような例で、アンソニー・パーキンスさんを思い出します。「サイコ」(1960 アルフレッド・ヒッチコック監督)のノーマン・ベイツ役で有名ですが、この役は5歳で父親を亡くしたという設定。アンソニーさん自身も実際に5歳のとき父親を亡くしていることもあって役にのめりこみ、その後も「サイコ2」、「サイコ3」、TVですが「サイコ4」とノーマン・ベイツ役を演じ続けます。「サイコ3」では監督までつとめます。indexノーマン
観る方もアンソニーさんにノーマン・ベイツのイメージをどうしても持ってしまいます。ハマり役に出会い、没入するというのが幸せなことなのかどうかわかりません。       (ジャッピー!編集長)
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