昨日の当ブログに書いたように「キューポラのある街」(1962 浦山桐郎監督)は、浦山さんが監督昇進して第1作ということで相当な思い入れで撮影に入りました。浦山さんの故郷は兵庫県相生市ですが、かつては鋳物工場があり、キューポラの煙突が4本そびえていたそうです。子供時代を過ごした町への思いもあって、早船ちよさんの「キューポラのある街」を原作に選んだのかもしれません。c100_33urayama
また、相生は戦争中は海軍の掃海艇などを造って隆盛を誇っていたそうで、朝鮮人労働者が多く、彼らの子供たちと仲良くしていた浦山さんにとって、「キューポラのある街」に描かれた朝鮮人の友だちとの交流も映画にしたいと思った理由です。「この原作をやりたい」と言ったとき、プロデューサーは「会社は朝鮮人の部分を切れというかもしれないよ。五社ではタブーだからね」と忠告しましたが、浦山さんは強く主張して企画が通ったということです。
そんな思いの監督デビュー作ですから、演出にも全力投球です。浦山監督の演出は厳しく、吉永さんが荒川土手を全速力で走るシーンも何回もテストを繰り返し、病み上がりの吉永さんは貧血で倒れるほどだったといいます。翌年、浦山監督の第2作「非行少女」(1963 浦山桐郎監督)で主演の和泉雅子さんも、浦山監督にしごかれ、撮影中毎日、日記に「ウラヤマ、殺す」と綴っていたといいます。b76c7e1b0499d1d2afd6d096285877a7

そんな浦山演出に食らいつき、吉永さんは見事な演技を見せ、ブルーリボン賞の主演女優賞を獲得するなど脚光を浴びました。浦山作品には、その後も「青春の門」(1975 浦山桐郎監督)やアニメ「竜の子太郎」(1979 浦山桐郎監督)の声などに起用されます。そして、吉永さん主演のNHKのドラマが好評で映画化された「夢千代日記」(1985 浦山桐郎監督)9d0d83e918782ae5ac1748a6d82beac2
で久しぶりの吉永さんを演出することになります。ところが、撮影現場では衝突します。被爆者の夢千代が亡くなるシーンで「原爆を呪って大声で泣きながら死んでほしい」と要求する浦山さんに対し、吉永さんは「夢千代はそんな女じゃありません。私は泣きません」と言って拒否します。他にも「ピカが怖い」という台詞も浦山監督は「ピカが憎い」と言ってくれと要求しますが、吉永さんは「言えません」と譲りません。吉永さんはNHKでずっと演じてきたので「夢千代」は自分の役という自負があったでしょう。
一方、浦山監督にしたら、吉永さんの女優の基礎を作ったのは自分だという思いがあったでしょう。何だか自分が裏切られたような気持ちになったかもしれません。結局は吉永さんや製作サイドに押し切られ、彼にとっては満足のいく作品にはなりませんでした。そして、これが浦山監督の最後の作品となってしまいます。吉永さんに「まず、貧乏とはどういうことか考えてごらん」と問いかけて始まった監督人生は、吉永さんとの衝突で幕を閉じたわけですが、それは自分の意見をしっかり通す女優に成長したのだと考えれば感慨深いものがあるでしょう。101117yume04

(ジャッピー!編集長)
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