「クライマックス・シリーズ」が登場して「ペナントレース」と「日本シリーズ」の繋がりが理不尽なものになったせいだと思いますが、僕は「日本シリーズ」の記憶が薄くなったように感じます。あの年、あのチームとどのチームが対戦したんだっけ……と数年前のシリーズでも思い出せないことがあります。昔は、年度とその年に対戦したチームなんて即座に浮かんだものです。「1971年の第3戦、阪急の山田投手が完封寸前、王選手にサヨナラ3ランをくらった」「1979年のいわゆる‟江夏の21球”」といった球史に残る名場面は脳裡に焼きついています。
そんな日本シリーズの印象深い名場面のひとつを作った選手が、今年の9月17日に亡くなりました。ヤクルト・スワローズで活躍したヒルトン選手です。メジャーのドラフトで何と全体1位指名だったというヒルトンさんですが、アメリカでは成績が残せず、1978年にヤクルト入団。一番バッターとして初のセ・リーグ制覇に貢献しました。独特のクラウンチング・スタイルの打撃フォームが懐かしいですね。不器用なところもあり、よく広岡達郎監督に怒られたりもしていましたが、ハッスル・プレーでチームを引っ張りました。
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阪急ブレーブスとの日本シリーズは、第7戦の大杉選手のホームラン判定をめぐる中断(当ブログ7月19日にも書きました)で有名ですが、第4戦のヒルトン選手の9回表に放った逆転2ランも忘れられません。好投していた阪急の今井雄太郎投手が完投寸前の2死からランナーを出すも、上田監督に続投を志願、そしてホームランをくらったのです。テレビで観ていましたがものすごい歓声でしたねえ。そして、このときの今井投手の顔!この表情はどんな名優でも表せないでしょう! ヤクルトは1勝2敗からタイに持ち込み、シリーズの流れを変えた一発になりました。
ヒルトン選手は翌1979年は不振で解雇され、1980年は阪神タイガースに移籍します。ところが、ゴールデン・ルーキー、岡田彰布選手を使え!という熱狂的虎ファンのブーイングがあったりで途中退団となってしまいました。ヒルトン選手が打席に入ると「岡田コール」が起こったのですからひどい話です。(ブレイザー監督にも脅迫手紙が届いたりして、結局ブレイザーさんも途中で辞任してしまいます)ちょっと不幸な形で日本球界を去ることになったヒルトン選手ですが、記憶に残るプレイヤーでした。ご冥福を心からお祈りいたします。   (ジャッピー!編集長)
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