ハッピー昭和クラブ

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

2016年09月

おミズの哲学

今日、NHK-FMの「日曜喫茶室」で、40周年記念として永六輔さんの特集をやっていました。先週の月曜日にはTBSラジオで「誰かとどこかで」の特別番組をやっていたし、永さんほどテレビ、ラジオというメディアの中で言葉を大事にしていた人もいないなとあらためて思いました。このブログでも「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」を取り上げましたが、永さん作詞の名作をもう一曲。「黒い花びら」です。水原弘さんのレコード・デビューとなった作詞・永六輔、作曲・中村八大という名コンビによるこの曲は大ヒット、昭和34年、第一回のレコード大賞を獲得しました。水原さんが23歳のときです。華々しいデビューで一躍スターになった水原さんは豪快に遊ぶようになりました。銀座を飲み歩き、「よっ! おミズ」などと声をかけられれば見ず知らずの人でも輪に入れて奢りまくったそうです。最初は3人ぐらいで店に来て、二軒目で6人、三軒目で10人、しまいには20数人を引き連れていたというから、その気前の良さはハンパじゃないです。「オゴリ酒は飲まなかったね。それが俺の信条だね。人の金で飲む酒はうまくないよ。どんなに苦しくてもいい格好する。それが俺の身上だったんだ」と語るおミズは、昭和34年当時で一晩300万円も飲んだりしていたのです。ちょっと不良っぽいキャラで映画にも出るようになっていた水原さんが出会ったのが勝新太郎さん。この人も豪快な遊び方で有名で、おミズもすっかり心酔、さらに飲みっぷりに拍車がかかります。勝新をして「これまで俺と五分に付き合った奴はおミズだけだよ」と言わしめるほどだったのです。
永さんは水原さんのために続けて「黒い落葉」「黒い貝殻」「黄昏のビギン」(名曲!CMに使われていました)などの作詞を手掛けていますが、永さんの作品から離れたあたりから徐々に水原さんの人気は落ちていきます。それでもおミズの豪快な遊びは変わりません。それまで彼をちやほやし、たかっていた人が離れていく、そんな人間の卑しさへの寂しさをまぎらわすためにまた酒を浴びるということもあったのでしょう。とうとう昭和41年の時点で8000万円(!)もの借金を負います。周囲の支えもあり川内康範作詞の「君こそわが命」が起死回生の大ヒットとなり、奇跡の復活を果たしますが、金が入ればまた元通り。豪遊のリバウンドで再び借金まみれになり、全国のキャバレーを回り昭和53年、42歳という若さで肝硬変で亡くなります。そのあとには9000万円という借金が残されていました。
生前、「タレントは家のことに執着しちゃいかん。愛妻家やよき父親はサラリーマンにとっての理想かもしれないが、芸人がそうなっちゃおしまいだ。自分の稼いだ金は、自分についてきてくれる者たちに散財すべきだ。しかも落ち目になったからといって控えるようではダメだ」と語ったおミズ。今じゃ、お笑い芸人でもちょっと売れて小金が入ると、店を持ったり蓄財するような奴ばっかりになりました。
そんなおミズと勝新が酒の飲み比べをするシーンがある映画「ドドンパ酔虎伝」(1961 田中徳三監督)
ドドンパ
が28日(水)、池袋の新文芸坐で上映されます。  
(ジャッピー!編集長)
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男には男の武器がある

最近、このブログで根本陸夫さんのことを何回か取り上げましたが、ちょうどタイミング良く「根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男」(高橋安幸著 集英社)という本が26日に発売されるそうです。ダウンロード (5)
この著者の高橋安幸という方が2008年に出された「伝説のプロ野球選手に会いに行く」(白夜書房)がめちゃくちゃ面白くて買って即、一気読みしたのを思いだします。10人の往年の名選手へのインタビュー集なのですが、昭和10年の巨人軍の第一回アメリカ遠征にも参加した名遊撃手・苅田久徳の話なんて野球のことが興味深いのはもちろん、何て「粋」な人なんだという話しっぷり。あと、印象的なのは、中西太の「どんなスポーツでも、自分の中心線が崩れないのが一番やから。で、中心線の中でもココ。ココのエンジンがええ奴がおったら、反動の力、遠心力でナンボでも鋭い打球が飛んで行くんや」と、自身の股間を指さしたという、「男の股間=エンジン説」。今みたいにビデオ映像やコンピュータで分析するのと違う、本当に野性の体感による打撃論がいいですねえ。昭和の野球の匂いがします。根本さんがらみで言うと、法政大~近鉄で根本捕手とバッテリーを組んだ関根潤三さんへのインタビューも載っていて、根本氏の「俺は見た目はその筋の人に見えるけど、中身は紳士。そこへいくと潤ちゃんは見た目は紳士だけど、中身はヤクザだ」という発言があったりします。巻末には「伝説のプロ野球ファンに会いに行く」と題して大瀧詠一さんとの対談も掲載されていて(これがまた超面白い!)、昭和プロ野球ファンにはマスト・バイの一冊です。「根本陸夫伝」も楽しみです。  (ジャッピー!編集長)
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ただ一度の浦安

ダウンロード (6)
浦安が舞台(劇中では浦粕)の「青べか物語」(1962 川島雄三監督)は、都会生活に疲れた作家が訪れた半農半漁の村で出会う土地の人々との交流を描いています。川島監督と名コンビの撮影監督・岡崎宏三さんによると、当時は浦安まで行くのに半日かかるし、町についた時から長靴じゃないとダメだったそうです。田んぼとか埋め立て前の独特の地面と掘割、道はハマグリとかアサリの貝殻で舗装してあったので歩くとザクザクと音がしたそうです。主演の森繁のスケジュールがタイトで(10日間くらい)、撮影の時期が雨季、しかも道がせまくてトラックが通りづらくライトの持ち込みも限られ…とカメラマンにとっては最悪の条件が重なったのですが、逆に「挑戦してやろう」という気持ちになったそうです。。「浦安というのは、何となくどんよりしているからね」と語り、その印象を出すために、普通に撮ると空の色が真っ白になるところを、4倍~6倍も落ちる特殊なフィルターを使ってぼかしたそうです。「今回は印象派でやろう」と画面について注文を出した川島監督にも見事に応えたのです。その色調が疲弊感の漂う物語(川島作品にしては珍しくナレーションも多い)にも実に合っていて、狂騒的な作品の多い川島作品の中ではもっともポエジー濃度が高い作品になっています。川島監督はロケーション地としての浦安は、もう一度別の作品で取り上げてみたいと語っていたので、気にいっていたのでしょう。
個人的な思い出としては、今から30年ぐらい前、悪さをして停学中だった生徒の家庭訪問という気が重くなる仕事で浦安の町を訪れ、「ああ、ここが青べか物語の町だ…」と初めて来たのに懐かしいような感慨を持ったのでした。もちろんもう映画の風景とはすっかり変わっていましたが、その生徒の父親が土地に長くいる人で「ちょっと前まで、べか船も多かったけどねえ…」などと話をしたのでした。その後、浦安を訪れたことはありません。もちろん、ディズニーランドにも一回も行ったことはありません。
川島&岡崎が映し出した浦安、その独特の色調、これは絶対にフィルムで観てほしい映画であります。
(ジャッピー!編集長)
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怪談映画の最高峰

浦安に建つ「東京ディズニーランド」に対して、大坂には「ユニバーサルスタジオ・ジャパン」があります。アメリカからやってきたテーマ・パークが東西で覇を競っているのです。そのUSJで「ハロウィン・ホラー・ナイト」と称して、今年は「和のホラーは我々日本人が世界に誇れるもの」というコンセプト?で「TATARI ~生き人形の呪い~」というアトラクションを開催しているそうです。そこに人形供養で有名な和歌山の神社から、供養された人形600~800体が使われているということがニュースで流れていました。だいたい、ハロウィンなのになぜ「和」なのかも意味不明ですが、この供養された人形を使うというのはどうなのかと思いますねえ。神社に人形を持ってきた人たちにとっては、様々な思い出があったと思うんです。きっと感謝の気持ちをこめて供養をお願いしたことでしょう。いくら供養したからといって、その人形が祟りとか呪いなんてタイトルのもとでお化け屋敷のアイテムにされるなんて思ってもなかったものでしょう。儲かれば何でもあり」がここまで来ましたか。そのうち、遺体も供養した後は物体だからと展示するんじゃなかろうか。
「東海道四谷怪談」(1959 中川信夫監督)ダウンロード (7)
は新東宝が傾き始め低予算を余儀なくされたにもかかわらず、スタッフが知恵と工夫を駆使して作り上げた日本映画史上不滅の怪談映画です。障子の向こうに現れる隠亡堀、戸板返しのシーンの衝撃は今も忘れ難いです。CGなんかないですから、戸板の端を二人の助監督が持って染料入りの水に潜って息を止めていたのです。そんなカツドウ屋魂の結集が名場面を生み出したのです。お岩さんを演じた若杉嘉津子さんは「こういう怪談物の役をやると、実際にこういう人がいたとしたら見世物にすることでしょ。見世物にして人がそれを笑ったりしたら、見世物にされた人間て怒るでしょ。それに気が付いたのよ。だったらやらせてもらう私がそういう欲のある気持ちでやるのはいけないことで、やっぱり自分自身が身も心も清らかになってこの役に当たらないといけない」と語り、朝、撮影に出掛ける前と帰宅してからのお線香をあげ、真摯な気持ちで臨んだといいます。この謙虚な気持ちこそが「和」の心なんです。USJの「和」といいながらのアメリカンな合理主義には違和感ありますなあ。貸し出した神社も神社だし。
「東海道四谷怪談」本日、池袋の新文芸坐にて「怪談累が淵」(1957 中川信夫監督)と二本立てで上映されます。お彼岸のお墓参りのお帰りにいかがでしょうか。  (ジャッピー!編集長)
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都会に隣接していた大マングローブ

浦安大三角写真

    50数年以上前の航空写真です。さて、いずこでしょうか。
 東京湾にそそぐ江戸川河口です。
 江戸川をはさんで左側が東京都江戸川区葛西で、右側が千葉県南葛飾群浦安町(当時)です。
 注目すべきは、河口を二股に分ける三角州です。
 浦安の漁民はここを「大三角」と呼んでいました。 その干潟に葦やらマコモなどの汽水域に群生する植物が
広大に群生していました。さながら熱帯亜熱帯のマングローブ林のようです。 スズキ、ハゼ、キス、浅蜊、青柳、蛤、海苔など魚介類もふんだんに取れる豊穣の海でした。 葦は農家のヨシ葺き屋根にも利用されました。
 この河口両岸一体は半農半漁な地域だったのです。海幸の大王国です。
 今、この「大三角」はどうなっているでしょうか。
 ネズミの大国、失敬、東京ディズニーランドになっています。一帯をそっくり呑み込むように。
 約50年前に始まった埋め立ての変遷は以下の写真です。
 浦安大三角2

 
   浦安大三角3
   (写真は単行本「浦安の大挑戦」(日新報道刊)より)
  たしかに50年近く前から「いずれ東洋一の遊園地が浦安にできるぞ」という話はありました。
 しかし、埋め立てがはじまったとはいえ、まだまだ牧歌的漁村然とした色合いが強い当時の浦安からは
それは絵空事にしか思えませんでした。
 20年近くたってやってきたのは、この埋め立て開始の時分に物故したウオルト・デイズニーの魂の具現物でした。
 浦安とデイズニー・・・今もって摩訶不思議な組み合わせです。ファンタステイックかな。
埋め立て前の浦安の様子は東宝映画「あおべか物語」(昭和37年、川島雄三監督、原作 山本周五郎)
でとくと人の目線でご覧になれます。くわしくはジャッピー編集長にまかせます。
 さて、「3.11」でこの埋め立て地帯は広範にわたって液状化しました。
 ちょいと、下ネタっぽく、くくります。
 やはり元は三角州です。人間もその三角地帯は液状化しやすいのです。潮を吹き出します。
                                                  (ハピイ氏橋)
                                        
 浦安大三角

夜のひおしがりイラスト

 
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1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
ジャッピー!編集長
映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
映画や昭和歌謡に底知れぬ造詣を示す昭和博士
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昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
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