ハッピー昭和クラブ

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

2016年10月

倉田と一三は義兄弟

Michiko_Sugata_1963
小野正一投手と仁木田鶴子さんの話題が出ましたので、プロ野球選手と映画女優のカップルの話で続けます。
同じく、大映に姿美千子さんという女優さんがいました。僕の記憶ではまず、「大怪獣ガメラ」(1965 湯浅憲明監督)で、主人公の少年のお姉さんの役が印象に残っています。本当に優しいお姉さんという感じで、怪獣目当てに観に行った思春期以前のガキンチョにとっても、ああこんなお姉さんがいたらなあという憧れの気持ちを抱かせました。元々、橋幸夫の初主演映画「すっとび仁義」(1961 安田公義監督)の相手役オーディションで優勝、デビューしたのですが、(ちなみに最初から優勝者には姿美千子という名前でデビューと決まっていた)その2年後、「高校三年生」(1963 井上芳夫監督)で主演、舟木一夫と共演しているので、当時の御三家のうち二人と共演した女優というわけです。この映画で姿さんは進路や恋愛に悩む女子高生に扮して、恋人役の倉石功さんがちょっと羨ましかったです。舟木さんが「好きだ」と告白するのは、姿さんの友人役の高田美和さんなんですが、姿さんも高田さんも清楚で純情そのものという美しさです。のちに高田さんがロマンポルノに出るなんてのは天地がひっくり返っても想像できないという感じです。一方、姿さんは1971年、ジャイアンツの倉田誠投手と結婚、引退となります。背番号17、リリーフで活躍した時期がありましたが、その後浅野啓司投手とのトレードでヤクルトに移籍。ヤクルトではパッとしなかったですね。
そして、姿さんの妹が橘和子さん。こちらは日活で渡哲也さんの相手役などつとめていましたが、お姉さんより早く1969年のオフ、やはりジャイアンツの高橋一三投手と結婚、引退します。高橋投手はこの年、絶好調。22勝をあげ沢村賞を受賞しました。シーズン中はよく橘さんがスタンドに応援に来ていたといいますから、張り切っていたのでしょう。ブルペンでは、高橋さんが「俺の彼女の姉さん、紹介しようか」なんて会話を倉田投手と交わしていたのかも。その高橋一三さんも昨年亡くなってしまいました。  (ジャッピー!編集長)
にほんブログ村 その他趣味ブログ 昭和レトロへ にほんブログ村
おもしろいと思ったら、クリックしてください!

妙な連想

大毎小野投手
 先だって、ケーブルTVで「禁断」(昭37 大映)という映画を観ました。
 妻子ある音楽家(宇津井健)が美人女医(叶順子ージャッピー編集長のフェイボレイト)と不倫の
逢瀬を重ねるといったような粗筋です。
 この音楽家の宇津井健の奥さん役を演じるのは仁木田鶴子さんというこれまた美人女優です。
それで、仁木さんで思い出したのが、大毎オリオンズ(現千葉マリーンズ)の小野正一投手です。
昭和30年代のパ・リーグを代表するサウスポーです。昭和35年には33勝をあげ優勝に貢献しました。
 この小野投手と結婚したのが仁木さんです。
 さて、小野投手でもう一つ思い出したのが常磐炭鉱です。今のスパリゾートハワイアン、常磐ハワイのことです。 小野投手は社会人野球チーム常磐炭鉱の出身です。かつての強豪です。
 常磐炭鉱で産出された良質の石炭はそのまま汽車で東京に専ら運ばれました。亀戸あたりから分岐する越中島線という貨物線(一部現存)で豊洲の発電所や東京ガスに沢山供給されました。
 豊洲石炭埠頭と呼ばれていました。
 今、築地移転問題で世間を騒がしている”豊洲”です。
 この移転に踏み切った言い出しっぺの一人はどなたでしたっけ。
 石原慎太郎さんです。
 この「禁断」の原作も石原さんです。
                         (ハピイ氏橋)
 


 
にほんブログ村 その他趣味ブログ 昭和レトロへ にほんブログ村
おもしろいと思ったら、クリックしてください!

未だ見ぬオキナワ

沖縄の米軍北部訓練場で警備にあたっていた機動隊員2人が、市民に対し「ぼけ、土人が」という侮蔑的発言をした問題。いずれも20代の2人の隊員が戒告処分を受けたが、これは、この隊員個体の問題じゃなくて、国家自体にそういった差別意識があることのあらわれだと思います。おそらく、沖縄に派遣された隊員同士、仲間うちでそんな言葉をはいていただろうし、彼らが育ってきた過程でもそんな意識を持たされてきたのではないでしょうか。だから、ああいう場面で「自然に」侮蔑的な言葉が出るのだと思います。
「沖縄 うりずんの雨」(2015 ジャン・ユンカーマン監督)というドキュメンタリー映画があります。ダウンロード (12)
戦後70年だった昨年公開された作品ですが、沖縄にとっての70年がまさに抑圧と差別の歴史だったことをあらためて突きつけられますまず、。昭和20年、普通の住民が駆り出された地上戦、その悲惨な様相が米軍が撮影した資料映像と証言だ明らかになります。その中で沖縄に配属された日本軍兵士の生き残りの方がこんな証言をしています。「…沖縄で民間の中に分散し、日常生活を見て、現地の文化も何も知らない我々は見下して、我々は大和民族で沖縄の人とは全然違うんだと。いつのまにかそういう意識が兵隊の頭の中に入ってしまったんだ…そのあとに日本兵と沖縄の人の間にあったことにはそれが一番の根拠になってしまった」と。だから、日本軍が多くの人々を犠牲にして「捨て石」にするようなことが起こったのです。結局、その意識が戦後も変わらず本土=国家側にあったということですね。
映画の中に1964年の東京オリンピックの聖火リレーが沖縄にやってきたときの映像が流れます。日の丸の小旗を持って迎える人々。知花昌一さんはその当時のことを証言します。「アメリカの屈辱的な支配から逃れるには日本に行くしかないと思った。日本には日本国憲法があって、戦争もしない、軍隊も持たない、基本的人権が保障されてる。それで経済的な発展もとげている。非常に素晴らしい国だと。」しかし、日本とアメリカが、沖縄を飛び越えて「基地を残す」ために復帰交渉をしたことに失望させられるのです。このように、アメリカだけでなく、日本からも軽んじられ、裏切られ続けた戦後。それは今も何一つ変わってないのです。映画のラスト近く、安里英子さんの「女性たちだけでなく、沖縄そのものが凌辱されている」という言葉が重くのしかかります。
そんな現実の中に生きる沖縄の人たちがいて、当たり前の生活ができるように戦っているのです。まだまだ沖縄について知らないことも多かったと実感させられるし、是非とも若い人たちに観てもらいたい映画です。
(ジャッピー!編集長)
にほんブログ村 その他趣味ブログ 昭和レトロへ にほんブログ村
おもしろいと思ったら、クリックしてください!

昭和のスピード・スター

一昨日、女子柔道の伊調馨選手が国民栄誉賞を授与されました。オリンピック4大会連続の金メダルですから、これは当然ですね。過去には、国民栄誉賞を辞退したスポーツ選手がいたのです。阪急ブレーブスの外野手・福本豊さんです。通算1065盗塁という記録を持つ日本プロ野球史上最高の盗塁王です。当時、メジャーリーグの記録だったルー・ブロックの939盗塁を抜いた年、国民栄誉賞を打診されましたが、「そんなモンもろたら、立ちションできなくなるがな」と言って辞退したのです。職人肌のプレーヤーである福本さんらしくていい話です。
福本さんはノンプロの松下電器からドラフト7位で入団したのですが、小柄で非力な自分がプロ野球に入れるとは思ってもおらず、阪急から指名されたことも知らなかったそうです。ドラフト会議の翌朝、普通に会社に出勤したら、スポーツ新聞を読んでいた同僚に「お前の名前が出とるぞ」と言われ、初めて指名を知ったそうです。もっと傑作なのは、福本さんの奥さんです。野球のことを全く知らない奥さんは福本さんに「阪急に転職や」と言われて、夫は阪急電鉄の駅員になったと思い込んでいたというエピソードがあります。
昔、阪急ブレーブスは、というかパ・リーグ全体が人気がなく、テレビで試合が中継されるなんてことはめったになかったので、日本シリーズかオールスター・ゲームぐらいしか福本さんのプレイを見ることができませんでした。僕が福本さんで鮮烈に覚えているのも、1974年のオールスター戦です。阪神・田淵が放ったホームラン性(というか、ホームラン)の打球を。センターを守っていた福本さんが背走し、フェンスに上ってもぎ取ったのです! これはすごかった! たしかこのプレイで福本さんはこのゲームのMVPを獲得したと記憶しています。当時、人気で劣っていたパ・リーグはオールスター戦といえども手を抜かず、「実力のパ」を見せてやろうとセ・リーグへの対抗意識に燃えていたのがよくわかります。
上記の「福本が田淵のホームランをもぎ取る」シーンは野球ファンには有名ですが、その前年だったか、オールスター戦で一塁に出た福本さんがさあ盗塁かとリードを広げたとき、マウンドにいた稲葉投手(中日)が顔を一塁の方に向けたまま、普通にバッターの方へ投球したのです! このシーンは鮮烈に覚えていますねえ! 2球ぐらいやったと思いますが、ギョッとした福本さんは帰塁し、タイミングを狂わされた福本さんは盗塁できなかったのです。稲葉さんの人を食ったような「技」もオールスター戦ならではです。こんな普段見られない楽しみがありました。(その稲葉さんも何年か前、中日二軍投手コーチを務めていてウエスタン・リーグの試合中に倒れて亡くなりました)
今のオールスター戦は何だか皆、セ・パ関係なく仲良しで和気あいあい。そもそも交流戦もあるから目新しさもなくなったし、ケガしない程度に楽しめばいいやというゆるい感じになっていますね。   (ジャッピー!編集長)
にほんブログ村 その他趣味ブログ 昭和レトロへ にほんブログ村
おもしろいと思ったら、クリックしてください!

かつて、こんな投手がいた

昨日はドラフト会議がありました。プロ野球ファンにとっては、有望な選手がどこの球団に入るか気になるイベントです。
昔に比べるとショーアップされているのが気になりますが、スポンサーがついているし、まあそれはいいでしょう。ちょっと違和感を覚えたのは、そのあと同じ局で「ドラフト緊急生特番! お母さんありがとう~夢を追う親と子の物語 運命の瞬間を生中継」という番組を放送していたことです。少し観てみたのですが、1位指名された選手が母親の前で感謝の手紙を読んだり、子供の時に家族がどんな苦労をしたかを再現ドラマにしていたりと、感動の大安売りという感じなのです。活躍してから苦難のエピソードを披露するならまだしも、。彼らはただ指名されただけで、プロ野球選手としては「何者でもない」のです。そして、故・三波伸介さんの「減点パパ」みたいに親の前で感謝の手紙を読み上げ涙を流すなんて、どうなのよ?と言いたくなります。大学の入学式に親がついて来るのが当たり前になっている昨今では、これが普通なんでしょうか。
かつて、石戸四六という投手がいました。秋田商からノンプロの日立製作所を経て国鉄スワローズに入団。まだドラフト会議が始まる前で、日立時代の監督・砂押邦信さん(立教時代に長嶋茂雄に猛ノックを浴びせ鍛えたことで有名)が国鉄の監督になっていたのでその「引き」があったのでしょう。石戸さんは球団事務所で契約金をもらってその足でタクシーを拾い、そのまま秋田へ帰省するのですが、途中、温泉街に立ち寄り、タクシーの運転手さんやたまたま旅館に泊まっていた一般の人にも大盤振る舞い、毎晩飲めや唄えやの宴会続き。ようやく秋田の大館に着いたころには契約金はほとんど無くなっていたといいます。それについて、石戸さんは「金なんてこれから稼げばいいんだ」と言い放ち、その言葉通り、5年目に11勝あげたのを皮切りに弱小球団で4年連続二桁勝利をあげる活躍をみせました。特に1968年には球団では金田正一以来の20勝をあげました。このときも19勝をあげたあと、広島戦で17安打も打たれ7点とられながら8対7のスコアで完投勝ち、見事に20勝目をあげたのです。今だったら、勝ち投手の権利を得たら継投に入るとか、勝てる展開で救援して勝ち星をつけるとか小細工するところですが、昭和の野球は違います。当時の別所監督が「このゲーム、お前にやる」と言って石戸投手に託し、試合中ブルペンでは誰も待機していなかったそうです。
今、ドラフトで指名され、テレビの感動番組に出ているような選手を見ていると、もうこんな豪快で個性的な選手は出てこないだろうなあと思います。石戸投手は1970年のシーズンは3勝に終わるとあっさり引退、秋田に帰りスナックを開店。そのスナックの店名は「神宮」でした。そして酒の飲みすぎがたたったのか39歳という若さで亡くなりました。      (ジャッピー!編集長)
にほんブログ村 その他趣味ブログ 昭和レトロへ にほんブログ村
おもしろいと思ったら、クリックしてください!
昭和お宝品評会

NEW!!お宝をご紹介いただけるメンバーを募集中です!
投稿へのコメントもお待ちしております!

きたさん
1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
ジャッピー!編集長
映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
映画や昭和歌謡に底知れぬ造詣を示す昭和博士
ハピイ氏橋
昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
独自の目線で昭和の面白さを掘り起こすイラストレーター
記事検索
ギャラリー
  • 追悼・ソンドラ・ロックさん イーストウッド映画のヒロイン
  • 追悼・ソンドラ・ロックさん イーストウッド映画のヒロイン
  • 追悼・ソンドラ・ロックさん イーストウッド映画のヒロイン
  • 追悼・ソンドラ・ロックさん イーストウッド映画のヒロイン
  • 追悼・ソンドラ・ロックさん イーストウッド映画のヒロイン
  • 追悼・輪島大士さん さらば黄金の左
動画配信
自分史記念日倶楽部

あなたの自分史はドラマに満ち溢れています。自分の記念日にそんな自分史ドラマを映像に残してみませんか?

>>詳しくはこちら

上を向いて歩こう
関根忠郎の映画惹句術
看護婦さんの生活と信条
懐かしの昭和の物語 壱
懐かしの昭和の物語 弐
懐かしの昭和の物語 参
  • ライブドアブログ