ハッピー昭和クラブ

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

2016年11月

健さんが文太さんで、文太さんが健さんで

奇しくも同年同月にこの世を去った2大スター、健さんと文太さん。今年は三回忌です。
池袋・新文芸坐の開館記念日は12月12日(小津安二郎監督の誕生日&命日と同じ)なんですが、2年前のその日の上映作品は、「新幹線大爆破」(1975 佐藤純彌監督)と「太陽を盗んだ男」(1979 長谷川和彦監督)の2本立て。開館記念日特別企画「友の会会員が選んだサスペンス・ミステリー映画」というプログラムでしたが、何とこれは、健さん、文太さんが亡くなる前に決定していたのです! たしか10月の終わりか11月はじめには発表されていて、そのあと健さんの訃報、文太さんの訃報が相次いだのです。何という偶然か、その開館記念日のプログラムは図らずもお二人の追悼上映となってしまったのです! その日、仕事の帰りに新文芸坐に行ってみると、平日にもかかわらず、お客さんが階段(新文芸坐は3階にある)にずーっと並んで外にまで列がはみ出る大混雑。場内もお客さんの熱気がすごくて、そもそもファンの投票によるプログラムですし、来場された方は大きなスクリーンに映るお二人の姿を堪能されたと思います。
さて、そんな2本の映画ですが、実は健さんと文太さんが入れ替わっていた可能性があるのです! 「新幹線大爆破」の健さんの役は当初、文太さんがキャスティングされていたのですが、文太さんは「これじゃ新幹線が主役の映画だな」と難色を示し、断ったのだそうです。一方、「太陽を盗んだ男」のジュリーを追い詰める刑事の役は、はじめ健さんにオファーしたと長谷川監督が述懐しています。何でも、共同脚本のレナード・シュレイダーが、健さん出演の「ザ・ヤクザ」(1974 シドニー・ポラック監督)の原作者(脚本は弟のポール・シュレイダー)だったこともあり、健さんを推薦、長谷川監督は健さんに4時間もかけて出演交渉をしたのですが、健さんは「原爆を作る方をやらせてくれないか」と、刑事ではなく、ジュリーの演じた役の方を希望したのだそうです。長谷川監督の「健さんがやると理由とか大義がある役になってしまう。これはもっとちゃらんぽらんなヤツの理由なき犯罪なのだ」という意図もあり、実現しなかったのです。
もしも……お二人が最初のオファー通りに役を引き受けていたら、どんな映画になっていたか……。羽田空港で飛行機を無念そうに見上げる文太さん、ジュリーを抱えビルから飛び降りる健さん……映画ファンにとっては、そんなシーンを想像するのも面白いですね。     (ジャッピー!編集長)
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健さんと文太さんが「流し」のコンビ

健さん、文太さんとも今年は三回忌。一昨年、同じ11月に前後して亡くなったとき、本当にショックでした。僕はちょうど、職場を辞めようかどうしようかグズグズ考えていた頃でした。相次いで亡くなったお二人が初共演されたのは、文太さんが東映移籍後、初出演となった「網走番外地 吹雪の斗争」(1967 石井輝男監督)です。この作品には、安藤昇さんも出ているのでその“引き”もあったかもしれませんね。また、新東宝時代に文太さんを起用したこともある、かつて知ったる石井監督ということもあって東映移籍第1作となったのでしょう。
続いて、翌年、再び健さんと共演したのが「ごろつき」(1968 マキノ雅弘監督)です。まだ脇役に甘んじて決定打のない文太さんでしたが、この作品では健さんの弟分という目立つ役どころまで来ました。
冒頭、九州の寂れた炭鉱で働く健さんと文太さん、テレビでキックボクシングの試合(当時、大人気でゴールデンタイムで放映していたのだ!)を観て、「俺たちにもやれそうだな」と即断、先の見込みのない炭鉱を飛び出し、上京します。着いたのが新宿、1968年といえば、ヒッピーたちがシンナーを吸ってラリっているような風景で、そこに田舎者丸出しの二人が右も左もわからずウロウロするのが笑えます。二人は何とか、見つけ出したボクシングジムに入門します。ジムの会長は大木実さん、トレーナーが曽根晴美さんと任侠映画っぽいキャストですが、いたって真面目なジムです、念のため。健さんがロードワークに励む珍しいシーンもあります。
ジムが決まって、次は住む所です。二人は大金持ちの婦人が住む家に、犬の散歩係をする条件で住み込みます。豪華な食事を見て二人が大喜びすると、実はそれは犬の食事だったりしてガックリ。犬より粗末な部屋に住まわされた二人は、犬の食事を盗み食いして解雇されてしまいますが、このあたりの文太さんのコミカルな演技は後年の「トラック野郎」シリーズ(1975~1979 鈴木則文監督)の文太さんの遠い予兆を感じます。
その後、愚連隊にからまれている「流し」を助けた縁で、二人は「流し」のバイトを始めます。酒場で客のリクエストに応えて、文太さんがギターを伴奏して健さんが「網走番外地」「唐獅子牡丹」を唄う(!)なんて楽しい楽屋落ちシーンがあります。健さんはめきめき上達してチャンピオンに挑戦、というレベルまできます。このままでいくと、ちょっとコメディ・タッチながら、当時流行りのスポ根ストーリーなんですが、先に言った「流し」の縄張り争いみたいなことから悪玉ヤクザの横暴が始まり、巻き込まれた健さんはガマンの末、とうとう殴り込む……と、いつもの任侠ものみたいな展開になります。
何だか、前半と後半がガラッと違う感じですが、スポ根と任侠のミックス、1粒で2度おいしい映画とも言えます。スポーツに励む健さんやちょっと弱気な弟分の文太さん、お二人の「流し」姿の歌も聴けて、当時のキックボクシングのチャンピオン・沢村忠の雄姿まで見れるのですから、サービス満点の映画です!
(ジャッピー!編集長)
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「仁義なき戦い」は人生の金言集

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「仁義なき戦い」(1973 深作欣二監督)の脚本を書いた笠原和夫さんが、当初、深作さんの監督起用に難色を示した原因は、その8年前に遡ります。笠原さんが脚本を書いた「顔役」(1965 石井輝男監督)という作品をはじめは深作さんが監督することになっていたのですが、深作さんがイチャモンをつけたので、笠原さんが「前半、後半に分けて二人で書き直そう」と提案、旅館にこもったのですが、当時中原早苗さんと恋愛中(のちに結婚)だった深作さんは夜になると旅館を抜け出し、脚本書きをサボっていたそうです。笠原さんは激怒、監督は石井輝男さんに交代ということがあったのです。
笠原和夫さんはシナリオを書くために徹底取材することで知られていて、「仁義なき戦い」も企画段階から日下部五朗プロデューサーとともに、原作の元になった手記を書いた美能幸三さん(文太さんが扮した広能昌三のモデル)に会いに行ったり、綿密な取材を行っています。その取材ぶりは「仁義なき戦い 調査・取材録集成」(太田出版)という本でうかがえます。その微細にわたる取材記録の緻密さには頭がクラクラするほどであります! そんな苦労をして執筆した「仁義なき戦い」シリーズ(笠原さんは第4作まで)ですから、深作さんが笠原さんに「1字1句も脚本を変えない」と約束し、監督に決定したのも当然です。
笠原さん入魂のシナリオだけあって、名セリフがてんこ盛りです。人生の色々な局面で指針になるようなものが多いです。私事ですが、僕は昨年3月でそれまで31年間も勤めていた職場を辞めたのです。辞めたい、辞めたいと思っていましたが、31年も勤めていたのでさすがにずいぶんと思い悩みました。まさに、第1作の坂井(松方弘樹さん)の「夜中に飲んでるとつくづく極道がいやになって足を洗うちゃるかと思うんだが……朝になるとコローっと忘れちょる」みたいな感じでグズグズとふんぎりがつかなかったのです。
ノートの真ん中に線を引いて、片側にメリット、反対側にデメリットを書き出したりして考えました。そして退職願を出すリミットの時期が来て、僕の心の中で三上真一郎さんが「ここらでやらんと二度と舞台は回ってこんど」と囁いたのです。まさに「仁義なき戦い」が僕の背中を押しました。
後日談。僕が新文芸坐のチラシ解説を時折一緒に書いているCさんに、こんな感じで職場を辞めたことを知らせたら、「“一度、後手喰うたら死ぬまで先手は取れんのじゃけん”という台詞もありましたね」と、さすがは相棒、打てば響く返信が来たのでした。「仁義なき戦い」は珠玉のアフォリズムの宝庫です!
今日は菅原文太さんの命日。「仁義なき戦い」の数々の名セリフを反芻して三回忌を追悼しましょう。
(ジャッピー!編集長)
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秋の思い出・・・松茸ざんまい

 松茸ざんまい
 今はもう冬・・・かと思わせるようなここんとこですが、今年の秋にちょいといいことが重なりました。
 カナダは針葉樹林宝庫バンクーバー産の松茸たくさんが到来したことと、国産等級牛肉ブロック500グラム(約3000円)半額に出くわしたことです。
 松茸は木材関係ルートでいただきました。輸入丸太に忍び込ませた密輸ものです・・・というのは冗談冗談、今、木材は丸太では入ってきません。ほとんど現地で製材されたものが来ますので。
 てなわけで、拙宅の拙卓をたまには賑わせられました。
 牛さんはタタキで、ワサビやショウガやニンニクで。松茸は焼くだけ。フレーバーの凝縮狙い。カナダ産とはいえぷんぷん香りました。
 そばがきもいと簡単にこしらえ、そばつゆにはおろしと茗荷をたっぷりで。
 ここには写っていませんが、たぶんは吟醸冷や酒とスパークリングを彼らの友人にした思います。
 松茸TPP でした。(ハピイ氏橋)
             
   
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混沌から傑作が生まれる

毎年、秋に5週間にわたって「仁義なき戦い」シリーズ(1973~1974 深作欣二監督)を上映、スタンプラリーを実施していた浅草名画座は、毎月、手作りコピー印刷の番組表を配布していました。ラインアップの作品紹介も独自で面白く、この番組表自体も楽しみにしていました。欄外のコラム?に「任侠雑学講座」なんてのもあって、ここにも
「仁義なき戦い」週間になると、関連の文章が書かれました。その中に「仁義なき戦い/配役整理作戦」というのがあったのを記憶しています。5部作の中で、同じ俳優が違う役で出てくることが頻発するので、(または同じ役なのに俳優が変わったりも)混乱しないように説明していて、「仁義なき戦い」若葉マークの人の予習復習に役立つ親切な情報でした。
確かに、群像劇ですから登場人物も多いし、東映も役者が足りなくなったり、次々に作品を繰り出し(第1作~第3作は1973年、第4作は1974年1月、完結篇は1974年6月公開ですから1年半のうちに5作連打されたのです!)、役者のスケジュールが合わなくなったりという事態の中で撮影されていたのでしょう。特に主要キャストはご苦労があったと思います。5部作中3本に異なる3人の役で出演、そして3役とも悲惨に殺される松方弘樹さんは、第1作のかっこいい若衆から一転、第4作では結核病みの役なので顔をどす黒くメイクしたり、第5作はシワを書き入れて壮年ヤクザに扮するなど見事にキャラクターを演じ分けました。第1作で伝説のヤクザ、「地獄のキューピー」をモデルとした若杉寛を演じ殺された梅宮辰夫さんは、第3作から眉毛を剃って別人物で再登場(帰宅した梅宮さんを見た当時幼いアンナさんが泣き出したというエピソードが超有名)するなど、いろいろ工夫されていました。
そもそも、当初は広能役は渡哲也さんだったのが、渡さんが病気で入院してしまい、当初坂井役(松方さんが扮した役)だった文太さんが広能になったということです。金子信雄さんも病気で、山守親分も、代わって三國連太郎さんがキャスティングされていたのが、過去に三國さんにドタキャンされたりしたことがある岡田茂が猛反対、西村晃さんに決まりかけたそうです。そこに入院先から這うようにやってきた金子さんの執念によって、山守役をゲット、あの山守像が生まれたのです。(ちょっと西村さんバージョンも観たかった気も) 第2作の千葉真一さんと北大路欣也さんも撮影直前に役が交換になっています。
だいたいにおいて脚本の笠原和夫さんが「過去に脚本を勝手に変えて撮られた」と深作監督の起用に難色を示したりと、企画がスタートしたときからドタバタ続きだったわけです。それが見事な作品に仕上がり、大ヒットするのです。準備万端、スキのない状態で始まる仕事よりも「火事場の馬鹿力」みたいなものが勢いをあげることはしばしばありますね。
ちなみに名和宏さんは第1作で土居組長役で殺され、早くも第2作で別人物の役で出てきます。第1作目がまだ撮影中に手ごたえを確信した会社が即、続編を決定したといいますから、脇役までゆっくり検討する余裕がなかったのかもしれません。名和さん、2作目でも村岡組長という同じく組長役(ただしこちらのが大物)で、メガネをかけたり、ちょっと白髪入っている程度のプチ・メイクで切り抜けています。   (ジャッピー!編集長)
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きたさん
1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
ジャッピー!編集長
映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
映画や昭和歌謡に底知れぬ造詣を示す昭和博士
ハピイ氏橋
昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
独自の目線で昭和の面白さを掘り起こすイラストレーター
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