ハッピー昭和クラブ

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

2016年12月

2016年追悼・曽根晴美さん

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今年6月16日に曽根晴美さんが亡くなりました。78歳でした。
元々、プロ野球選手を目指し、東映フライヤーズと契約直前までいったそうですが、断念。どうしようかと迷っているときに人にすすめられて、東映4期ニューフェイス試験に合格、映画俳優となります。同期には佐久間良子さん、山城新伍さん、花園ひろみさん、室田日出男さん、山口洋子さん(後に作詞家になる)など錚々たるメンバーがいます。
初期は2年後輩の千葉真一さんとコンビで売り出されていて、千葉さんの初主演作「風来坊探偵 赤い谷の惨劇」(1961 深作欣二監督)に、千葉さん演じる探偵・五郎のライバル、スペードの鉄という役で出演されてます。この映画、地方都市を舞台に地元の牧場に立ち退きを迫る観光会社の悪辣なやり口に五郎が挑み、悪玉に雇われたスペードの鉄と対決するが、最後は協力して悪者をやっつける……と書いてわかる通り、当時大人気の日活「渡り鳥」シリーズ(1959~1962 斎藤武市監督)とそっくりなんです。ほぼ同じと言っていいかもしれません。つまり、小林旭さんと宍戸錠さんの役柄がそのまま千葉さんと曽根さんになっていて、曽根さん演じるスペードの鉄もちょっとキザな感じのセリフを言ったりします。しかし、実は深作監督のデビュー作でもあり、アクション・シーンのキレには後年の名作群が遠望できます。第2作「風来坊探偵 岬を渡る黒い風」(1961 深作欣二監督)も同じパターンの話で、こちらの曽根さんの役名はジョーカーの鉄です。
上映時間1時間ぐらいのSP映画を経て深作監督の初長編「白昼の無頼漢」(1961 深作欣二監督)にも出演して強い印象を残した曽根さんは、以降多くの深作作品に登場されます。ほとんどもれなくといっていいくらいです。もちろん「仁義なき戦い」シリーズ(1973~1974 深作欣二監督)にも出ておられます。別の役で再登場が当たり前のこのシリーズ、当ブログでも3役演じた松方弘樹さんのことを取り上げました(11月27日「混沌から傑作が生まれる」の項参照)が、曽根さんも第1作、第3作&第4作、第5作と3役をこなしました。松方さんと違う点がひとつ。3役とも殺された松方さんと違って、曽根さんは第1作の矢野役は殺害されたものの、第3&4作の上田役は生き残っていたのです。前の役は生きているのにすぐ後の「完結篇」では旅人(たびにん)のヒットマンの役で出てきます。何でも、深作監督に直談判して「この役をやらせてくれ」と言ったそうです。そんな曽根さん熱演の北大路欣也さん襲撃のシーンでした。
「新・仁義なき戦い 組長最後の日」(1976 深作欣二監督)には曽根将之の名で出ているのですが、すぐまた曽根晴美に戻っています。ちょっと気になっていましたが、どなたか理由をご存知ですか?
やんちゃなガキ大将がそのまま大人になったような個性的な風貌で、数多くの東映ヤクザ映画、アクション映画に出演された曽根さんのご冥福をお祈りいたします。     (ジャッピー!編集長)


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2016追悼・風見章子さん

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風見章子さんは、今年9月28日に亡くなられました。95歳でした。風見さんは14歳のときにエノケン一座に入団、1937年(昭和12年)の日活の新人募集に合格、銀幕デビューは「土」(1939 内田吐夢監督)です。長塚節の原作を徹底リアリズムで描いた名作ですが、結末部分が欠落しているのが残念。長らく、冒頭部分も欠落した111分版が最長版とされていましたが、冒頭部分が発見され、117分版となったフィルムを今年の2月にラピュタ阿佐ヶ谷で、観ることができました! 主人公一家の娘を演じた風見さんも土にまみれて厳しい農作業をこなしていました。松竹に移籍されてからも「母子草」(1942 田坂具隆監督)などで活躍しされました。
戦前の娘役から、戦後はお母さん役を多く演じますが、僕にとって印象的なのは、何といっても「網走番外地」(1965 石井輝男監督)であります。前に、このブログでも紹介しましたが(11月10日「健さんの命日です」の項)、健さんがの担当プロデューサーに、「これからのさ、オレの映画のどっかにおふくろと炊きたてのめしを入れてくれよ」と言ったエピソードと相まって、健さんが恋い慕う「優しいおふくろ」のイメージを見事に体現してしてくれたのが風見さんです。金の力で無理やり沢彰謙さんの後妻にさせられ、そのDVに耐えながら幼い子供をかばい、健さんが家を飛び出すと、そっとなけなしのお金を渡す……獄中で妹からの「お母さんが病気」の知らせを受け取り心配でいても立ってもいられない健さん、南原宏治さんに巻き込まれ、脱走するときの「おふくろー」……風見さんのイメージあってこそ、健さんの心情が観る者にも伝わってきたと思います。
その後、上品なおばあちゃんという役柄が多かった風見さんの晩年の代表作は「忘れられぬ人々」(2001 篠崎誠監督)です。戦友だった3人の老人(三橋達也さん、大木実さん、青木富夫さん)のそれぞれの生活と交流を描いた作品で、風見さんは青木さん(元・突貫小僧です!)がバスの中で一目惚れする老婦人・小春を演じます。それぞれ、連れ合いを亡くしている二人は交際するようになります。小春は、夫を戦争で亡くし、幼い息子を戦火から救い出せなかった悔いを心に抱えながら生きてきた女性で、そんな哀しみを青木さんに語る風見さんの演技が素晴らしかったのです。この作品で風見さんは、フランスのナント三大陸映画祭で主演女優賞を受賞されました。
戦前から戦後、そして平成までスクリーンで見事な演技を見せていただいた風見章子さんに感謝するとともに、ご冥福をお祈りいたします。     (ジャッピー!編集長)
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2016年追悼・梅津栄さん

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今年、8月6日に88歳で亡くなられたのが梅津栄さん。数々の映画に脇役で出演、いい味を出しておられました。
役者になるまで、屑屋さんやニコヨンをやっておられたという苦労人で、それが市井の人など演じるときに滲み出ていた感じがします。劇団青俳で木村功さんの付き人を経て、役者となり、映画デビューは「雲ながるる果てに」(1953 家城巳代治監督)です。
梅津さんといえば、僕が真っ先に思い出すのが「与太郎戦記」(1969 弓削太郎監督)です。「えー、春風亭柳昇といえば、今や日本では……私ひとりということになってまして……」というフリで有名な春風亭柳昇師匠の軍隊体験を書いた本を原作にした喜劇です。柳昇師匠をモデルとした二等兵・秋本与太郎を演じるのはフランキー堺さん。厳しい上下関係や規律に振り回されながらも、与太郎が落語家だったことを知った中隊長に「一席やってみろ」と言われ、休憩時間に落語をやったのが評判になったり、ようやく軍隊生活に馴染んでいきます。
任務を持って、上官と民泊することになった与太郎。そこの娘が大変な美人(大映最後の清純派・南美川洋子さんが演じています)で、上官から「夜這いをかけるから偵察してこい」と命じられ、渋々行くと、娘の方から言い寄られ……って、これが実は夢で、寝ぼけた与太郎が一人で悶えるシーンのフランキーさんが笑えます。
さて、一等兵に昇進した与太郎が、新しく入ってきた梅津さん扮する兵隊を初年兵と思ってどやしつけますが、この梅津さん、強面で態度が異様にでかいのです。聞いてみると、実は六年兵。与太郎はあわてて謝りますが、梅津さんは急に色っぽい目つきでフランキーに迫るのです! このオカマ役が絶品で大爆笑! 
見た目の怖さとのギャップ、態度を急変して突然オネエ言葉になる梅津さん、好評だったのでしょう。この後、3作が連打されシリーズ化されたのですが、全4作に登場するのです。3作目までは、この1作目と同じ六年兵の役。シリーズ最終の第4作「与太郎戦記 女は幾万ありとても」(1970 弓削太郎監督)では、旅館の風呂の三助になっていて、「あなた好みの男になりたいの~」なんて言いながら与太郎に迫ります。与太郎が入浴している所に登場したときから、もう期待通りの展開ですが、風呂場での迫る梅津さんと逃げるフランキーさんのドタバタが面白い。ラストは、いよいよ戦局が厳しくなり、与太郎たちが南方に出発するのですが、見送りの芸者衆の中に梅津さんがいて、与太郎に色目をおくっているのです。まさにシリーズの顔といっていいぐらいの怪演でした。
多くの映画で楽しませてくれた梅津さんのご冥福をお祈りいたします。      (ジャッピー!編集長)



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2016追悼・白川由美さん

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今年6月14日に白川由美さんが亡くなりました。享年79歳。最近までテレビドラマに出ておられたので急逝のニュースには驚きました。
東宝特撮映画で育った世代としては、よく出演されていた白川さんは「大人の女性」というイメージでした。「美女と液体人間」(1958 本多猪四郎監督)ではギャングに拉致され、地下の下水道内を引っ張りまわされますが、その時の白いシミーズ姿には子供心にもドキドキさせるものがありました。その頃の白川さんはまだ22歳、こっちが子供だったとはいえ、ずいぶんと大人っぽく見えたものです。今の22歳と言ったら、まだ「女の子」という感じですものね。容姿というより、精神年齢みたいなものが「大人っぽさ」にあらわれると思いますが、相対的に世の中が子供っぽくなっていますね。
白川さんの映画で印象に残っているのは、「おれについてこい!」(1965 堀川弘通監督)です。前年の東京オリンピックで金メダルを獲得した女子バレーボール、「東洋の魔女」と呼ばれたチームを率いた大松博文監督の著書を基にした映画です。大松監督を演じたのは、ハナ肇さんで、この役のために5キロ痩せたそうで好演しています。白川さんはスラリとした長身を活かして主将・河西昌枝さんに扮しました。白川さんは1年仕事を休んだあとの復帰作で、実際に河西さんから回転レシーブの指導を受けるなど役にうちこみ、その甲斐あって、劇中もちゃんとバレーボール選手に見える熱演でした。
映画は、チームの様々なエピソードがうまく使われています。いよいよ決勝の当日、試合会場に向かうバスの中、すっかり緊張してしまっている選手たち。「歌でも唄え!」と監督が言ってもダメ。そんな重い空気の中で、白川さんが「あ、あんなのまだやってるんだ!」とバスの窓から「ウエストサイド物語」のポスターを指さします。実は、猛練習に明け暮れる日々で選手の体力、精神の疲労がピークになって、選手代表が監督に「1日練習を休みにしてください」と直談判(この時、「団結」と書いたハチマキしているのが面白い)、監督もOKして、皆で観に行ったのが「ウエストサイド物語」だったのです。大松監督も行ったのですが映画館の中で爆睡……こんな思い出話でバスの中の緊張はほぐれるのでした。
いよいよ試合開始でコートに入場していく選手たち。そのあと、ゲームのシーンはなく、ボールがひとつポツンと置かれた控室が映され、そこに勝利のアナウンスが流れ、チームの戦績がテロップが入るラストも素晴らしいです。
河西さんは2013年に亡くなり、演じた白川さんも亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。
(ジャッピー!編集長)
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名画座と、深夜放送と、中川梨絵さん

中川梨絵さんとは握手していただいたことがあります。1995年10月のことです。アテネ・フランセで追悼・神代辰巳という企画で、長らく封印されていた「女地獄 森は濡れた」(1973 神代辰巳監督)の特別上映が行われ、中川さんはトーク・ゲストとして来場されていたのです。MBm1R
上映会、神代監督のエピソードを語るトークショーが終わり、観客も帰り始めたころ、僕は中川さんの方に近づいて握手していただいたのです。当時、中川さんは映画出演から遠ざかっていて10年ぐらいスクリーンにその姿を観ることがありませんでしたので「また映画に出てくださいよ」と声をかけました。中川さんは「ありがとう」と言って、細い手で握り返してくれました。その後、映画で中川さんと再会できたのは「ニワトリはハダシだ」(2004 森崎東監督)で、原田芳雄さん、石橋蓮司さんとの共演は「竜馬暗殺」(1974 黒木和雄監督)の同窓会のようでした。映画自体も森崎さんらしいエネルギッシュないい作品でした。
そんな思い出もある中川さんの訃報を聞いた今年の6月、ちょうど僕は「1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代」(柳澤健・著 集英社)という本を読んでいたので、その偶然に驚いたのです。
林美雄さんのパックインミュージックは、全編、日本映画への偏愛ぶりで有名な深夜放送でした。とにかく毎回のように「八月の濡れた砂」(1971 藤田敏八監督)の主題歌をかけまくり、「反逆のメロディー」(1970 沢田幸弘監督)や、「野良猫ロック セックスハンター」(1970 長谷部安春監督)など日活ニューアクションの作品群を熱く語り、若い映画ファンのたまり場のようになっていました。僕も日本映画狂になったかなりの部分を林さんに負ってます。この本の中では、林さんが当時、仕事や破たんした最初の結婚のことなどで苦悩しているとき名画座(文芸地下)で出会ったのが「八月の濡れた砂」であったということも書かれています。そして、リスナーたちが自然発生的に呼びかけて当時の「文芸坐オールナイト」に集まったり、「サマークリスマス」と名付けたイベントなど、映画を介しての若者たちのコミュニティが作られたのです。今のようなネットやSNSはない時代、深夜のラジオ電波が引き寄せた70年代前半の青春が語られます。 
中川さんが初めて林さんのパックに出演したときの記憶も書かれています。「……林さんには会話の楽しさを初めて教えていただいたような気がします。私の話が面白かったらしくて、聴いてらっしゃる方の反響が凄かった……」そして、リスナーの投票によるパック独自の主演女優賞に選ばれたのです。他にも番組終了の告知が出ての「サマークリスマス」のイベント、スタジオに400人ものリスナーを集めての収録、ユーミン(まだ荒井由実の頃)や石川セリがゲストで出ていたところに中川さんが酔っ払って入ってきて、ふたりを押しのけて「どいて、どいて、私のピアノなんだから」と何曲か唄ったというエピソードも載っています。
自分の好きな日本映画のことを話していた林さんのパックは金曜深夜2部、スポンサーがついていなかったので自由にできたのでしょう。スポンサーがついて、好き勝手はできなくなり、林さんのパックは終了していきますが、それはどんな隙間もカネにしようという経済主義に文化が駆逐される時代の象徴に思えます。
(ジャッピー!編集長)
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1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
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映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
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昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
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