ハッピー昭和クラブ

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

2017年01月

「暴動島根刑務所」から得られる3つの教訓

「脱獄広島殺人囚」(1974 中島貞夫監督)は、お正月前の「捨て週間」と呼ばれる12月公開だったのですが、予想を上回るヒットになり、東映としては「さあ次も刑務所ものを!」となります。実際に集団脱走とかないか、いろいろ調べたけれどありません。ここでまた、「仁義なき戦い」(1973 深作欣二監督)の広能のモデル、美能幸三さんが「刑務所の看守に話を聞いてみよう」ということで、ご自分の入っていた網走、旭川、札幌の刑務所に中島監督、脚本の野上龍雄さん、企画部長と取材に出掛けます。それにしても、この美能さんの協力ぶりはなかなかのものがあります。ちなみに、この北海道の取材旅行の宿泊で、野上さんと部長は美能さんと同室になるのを怖がり、中島監督に押し付け、ずっと美能さんと中島監督が同室だったそうです。
そうしてようやく、大正時代に松江の刑務所で暴動事件があったという資料を見つけ、それを基に、現代に置き換えて作られたのが「暴動島根刑務所」(1975 中島貞夫監督)です。この映画では、松方さんはまず「病院送り」を狙って、独房で指を血だらけにして抜いた釘を飲み込みます。しかし、看守もさる者、「釘のまわりを芋で固めりゃ、すぐ下から出るよ」と、松方さんに芋をどんどん食わせ、翌日にはその通り、釘が出るのです。「脱獄広島殺人囚」は便所からクソまみれの脱獄でしたが、本作も脱獄した松方さんが映画館の便所(大の方)に逃げ込み、出てこないため、かけこんで来た小松方正さんがもらしてしまうという臭いシーンがあります。結局、松方さんは潜伏中に人命救助して、身元がバレて刑務所に逆戻りします。
さて、メインの暴動はなぜ起こるかというと……無期懲役の田中邦衛さんが豚の飼育係で夢中で世話していたのを、その役をとかれることとなってしまいます。「お願いします! オレは無期だから気が狂いそうなんだ! 豚の世話してる時だけ忘れられるんだ!」と必死に懇願しますが、聞き入れてもらえません。絶望した邦衛さんはその場で飛び降り自殺。これを契機に全員に「反省」と称して、昼飯、夕飯を無しとしてしまったから暴動が勃発するのです。つらいムショの生活、唯一の楽しみといっていいメシが取り上げられたのだから気持ちはわかります。
その暴動は、囚人たちと看守たちの談合で一旦はおさまりますが、刑務所側が約束を反故にして、松方さんと北大路欣也さんが網走送りにされてしまいます。護送列車から手錠に繋がれたまま脱走する二人。かつて、近衛十四郎さんの息子と市川右太衛門さんの息子ということで東映城のプリンスとして共に売り出されたお二人が
熱演を見せ、感慨深いです。
ということで、この映画から得られる教訓。①なるほど、便秘気味の方は芋をたくさん食べるのがやはり効くみたいです。②たとえ豚の世話だろうと、生きがいを奪ってはいけない。③食い物の恨みはおそろしい。といったところでしょうか。      (ジャッピー!編集長)
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映画の中の疎外者たち

松方弘樹さんがNHK「勝海舟」の収録が終わり、中島監督の約束通り、主演映画が待っていました。それが「脱獄広島殺人囚」(1974 中島貞夫監督)です。中島監督は「パピヨン」(1973 フランクリン・J・シャフナー監督)のような映画を作ろうと考えていたときに、美能幸三さん(「仁義なき戦い」の原作の元になった手記を書いた人。広能昌三のモデル)から、「何度も脱獄を繰り返した奴がおる」という話を聞いて、その人に取材して生まれた作品です。だから、これも「仁義なき戦い」の副産物、実録路線に加えてもいい作品でしょう。
久々の主演ということで、松方さんも大いに張り切り、キレキレの演技を見せてくれます。便所(ここはやはりトイレと言うより便所という呼び方がふさわしい)からクソまみれになっての脱出、捕まってもあきらめず脱獄を続けて、最後は刑期が41年7ヶ月に及んでしまいます。それでも、脱獄をやめず、大根を齧りながら歩いていくラストまで凄まじいテンションで自由への執念を体現します。
ダウンロード (32)

それと、この映画で強い印象を残すのが、松方さんが脱走中、妹の所に逃げ込むエピソードです。大谷直子さん演じる妹は山の中に暮らしているのですが、どうやって糊口をしのいでいるかというと、モグリの屠畜なのです。実際に牛の屠殺を行うのは「三国人」(室田日出男さん、川谷拓三さんが演じています)で、大谷さんは彼らに体も与えて「仕事」をさせています。四国の奥深い山の片隅で、息を殺して生きる彼らのそれまでの人生に思いを馳せてしまいます。
中島監督は、文太さんと川地民夫さんがチンピラ・コンビを組んだ「懲役太郎 まむしの兄弟」(1971 中島貞夫監督)でも、川地さん演じる勝治にハーモニカで「満鉄小唄」を吹かせ、彼の死んだ母親が朝鮮人慰安婦だったことを匂わせます。昨日のこのブログで紹介した「山窩」へのこだわりも含め、在日、部落民、など被差別者へのまなざしが感じられます。「893愚連隊」(1966 中島貞夫監督)のチンピラたちへの共感もそうですが、疎外される者の哀しみだけでなく、ひたすら生きていこうというエネルギッシュな姿をとらえているところがすごいです! 
当時の東映映画は、実録という作品の性格上、こういったマイノリティに触れることは多かったわけですが、娯楽映画を観ながら胸の奥に突きつけられる「何か」がありました。現在はどうでしょう。今は、映画は1社だけでなく、いろんな会社がスポンサーになって「~製作委員会」というものばかりですから、ちょっとしたセリフ、描写、設定にも
クレームがついたり、自主規制をかけるから、社会の無害でキレイな表面しか描けない映画ばかりのような気がします。    (ジャッピー!編集長)
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20年!中島貞夫監督執念の1本

中島貞夫監督が倉本聰さんの脚本協力を得て撮った「くノ一忍法」(1964 中島貞夫監督)「くノ一化粧」(1964 中島貞夫監督)は撮影所内でも評判が良く、岡田茂さんからご褒美で「何かやりたいものを持ってこい」と言われ、中島監督は「山窩」を描いたものを企画として出します。「山窩」とは、家を持たず、わずかな生活用具だけを背負って山野を漂泊する人々のことです。倉本さんも大いにのって、シナリオも完成。自然とともに生きる山の民の少女、少年の物語を提出、キャストも西村晃さん、春川ますみさん、小沢昭一さんなど「くノ一化粧」に出演した今村昌平映画でお馴染みの面々で決め、主役の少女も小川知子さんで行こうという矢先に会社から中止命令が出てしまいます。頭にきた中島監督は不貞腐れてしまいます。自らの車を出してロケハンにも行ってくれた倉本さんにもお金が出ません。当時の東映は映画化されないとお金を払ってもらえなかったのです。脚本を人に頼むことにためらいが生まれ、中島監督はとにかく第一稿を自分で書くようになりました。
そして生まれたのが「893愚連隊」(1966 中島貞夫監督)だったのです。「くノ一化粧」の次に「旗本やくざ」(1965 中島貞夫監督)を倉本さんとの共同脚本で撮ったあとに作られた、この監督第4作で中島監督は日本映画監督協会で新人監督賞に選ばれました。自分の出した企画が一度は通りながら中止にさせられたという挫折、その鬱屈と悔しさが「893愚連隊」の大組織に抵抗するチンピラたちへの共感とシンクロして、傑作になったのでしょう。
中島監督が熱望した「山窩」を扱った物語は、製作中止から20年後についに実現します。それが「瀬降り物語」(1985 中島貞夫監督)です。sim
ちなみに瀬降りとは、「山窩」が河原に張る天幕のことですが、こうした独自の文化、掟を持った民に対する「一般」の人々の無理解、差別が描かれます。さらに映画の時代背景は昭和10年代ということもあり、徴兵のために「山窩」を国家に組み入れようとする動きなどの中での「山窩」たちの苦難もあります。1年間にわたってオール・ロケでとらえられた大自然の映像が美しく、「モノ」に溢れ、身動きがとれない現代の生活とどっちが人間らしいか……なんてことも考えさせられます。主演は萩原健一さんで、藤田弓子さんを相手の野外でのセックス・シーンが強烈でした!
製作中止から20年後に突然OKになったのは、同じ東映の「楢山節考」(1983 今村昌平監督)がカンヌ映画祭でパルムドールを獲得したからだろうと中島監督は推察しています。土俗もので続け!ということでしょうか。この時も中島監督は倉本さんに声をかけたそうですが、「お前が納得するように、一人でやった方がいいんじゃないか」と言われたそうです。倉本さんはもう北海道にいて「北の国から」などで忙しかったでしょうから無理もありません。
ちなみに「山窩」というと、まず出てくる名前は三角寛さんです。数々の、「山窩」小説を書いたことで知られ、文壇の人脈から井伏鱒二さんや吉川英治さんなどを株主に池袋に映画館「人世坐」「文芸坐」を開館、現在も「新文芸坐」として老舗名画座の命脈を保っています。      (ジャッピー!編集長)

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「勝海舟」から「前略おふくろ様」

1974年の大河ドラマ「勝海舟」を毎週観ていて、元々渡哲也さん主演だったせいか、キャスティングに日活系が目立っていたような気がしていました。まず、海舟の奥さん役が丘みつ子さんで、日活ニュー・アクション末期に「関東流れ者」(1971 小沢啓一監督)、「関東幹部会」(1971 沢田幸弘監督)、「関東破門状」(1971 小沢啓一監督)と続いた「関東」シリーズでは3本すべてで渡さんの相手役をつとめていました。「無頼」シリーズ(1968~1969)の松原智恵子さんと並んで、渡さんの映画のヒロインというイメージが定着していました。他にも、近藤勇を郷鍈治さん、土方歳三を藤竜也さんが演じていて、渡さんとこの二人というと、いやでも「斬り込み」(1970 沢田幸弘監督)を想起してしまいます。ニュー・アクションによく出ていた地井武男さんも出演されているし、さらに郷さんのお兄さん、宍戸錠さんも山岡鉄舟役で出ておられました。ちなみに渡さんの映画デビュー作は「あばれ騎士道」(1965 小杉勇監督)で錠さんの弟役で役名の哲也をそのまま芸名にしたのでした。
推測するに、初の大河ドラマ主役の渡さんがやりやすいように、気心が知れた俳優を配したのではないかと思います。病気降板で松方さんに交代となってしまいましたが……そして松方さんと仁科さんの運命?の出会いがあるのです。仁科さんのお父様の岩井半四郎さんが出演されていることは前に書きましたが、他にも面白いキャスティングがあります。海舟と情を交わす女性で大原麗子さんが出ていますが、当時結婚されていた渡瀬恒彦さんも出ているのです。こちらも渡さん主演から生まれたキャスティングかもしれませんが、田中新兵衛(「人斬り」(1969 五社英雄監督)で三島由紀夫さんが演じた役ですね)を演じました。大谷直子さんも出ていましたが、当時の夫・松山省二さんも出てれば、次に結婚された清水紘治さんも出演されてます。この作品が出会いだったかも。
僕がこの「勝海舟で」印象強かったのは、萩原健一さんです。人斬り以蔵の役で、暗殺者として利用されながら竜馬(藤岡弘さん)への共感もあり葛藤する様を熱演していました。img_9
1974年といえば、「青春の蹉跌」(1974 神代辰巳監督)に出た年で役者・ショーケンがまさに旬を迎えた頃です。そして、翌年、同じく倉本聰さんの脚本による「前略おふくろ様」(1975~1976 第2部1976~1977)に主演、新境地を開いていきます。
「前略おふくろ様」に室田日出男さん、川谷拓三さん、志賀勝さんが起用されたのは、もちろん中島貞夫・倉本聰ラインがあったからです。 img_0 (3)


     (ジャッピー!編集長)
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松方さんと渡哲也さんの不思議な因縁

中島貞夫監督の東大の同期に倉本聰さんがいます。おふたりは駒場祭で演劇をやったのがきっかけで、共に美学科に進み、卒業後も交流が続きます。中島貞夫さんが監督デビューということになって、すでに「月曜日のユカ」(1963 中平康監督)などの脚本を書いていた倉本さんに「手伝ってくれ」と連絡をとって出来たのが、「くノ一忍法」(1964 中島貞夫監督)です。当時の新人監督としては異例のカラー作品とあって、シュールな色彩感覚が冴えた作品でした。評判も良く、続く「くノ一化粧」(1964 中島貞夫監督)にも倉本さんは共同脚本で参加しています。
そんな盟友・倉本さんが脚本を書いたNHK大河ドラマ「勝海舟」(1974)で、主演の渡哲也さんが病気で途中降板せざるをえなくなり困っているときに、中島監督が松方さんを推薦、岡田茂社長の許可を取り付けて渡さんの代役に決定したのです。mig
このとき、中島監督が松方さんに「NHKから帰ってきたら主演映画を用意しておく」と約束し、それが1974年12月公開され、松方さんの代表作といえる「脱獄広島殺人囚」(1974 中島貞夫監督)です。images (11)

当時の僕はよく大河ドラマを観ていて、「勝海舟」も楽しみにしていました。渡さんが松方さんに変わったときはちょっと違和感があったのを覚えています。ただ、この交代劇はわりと早い時期(開始から10回もいってなかったと思います)で、その後は観ているうちに海舟=松方さんというイメージで観ることができました。
そして、松方さんはこの大河ドラマの共演者として仁科明子さんと出会います。「勝海舟」には、仁科さんの父親、岩井半四郎も出ていましたが、その目を盗んで(?)の不倫の恋に猛反対。松方さんと清純派女優の仁科さんの交際は週刊誌をにぎわせ、数年後には正式に結婚となります。
渡さんの病気降板がなければ、松方さんと仁科さんの出会い、結婚もなかったかもしれません。運命というものは不思議です。実は、その前にも、渡さんは東映第1作として「仁義なき戦い」(1973 深作欣二監督)の主演・広能役にキャスティングされていましたが、やはり病気療養中で断念、当初は坂井役だった文太さんが広能役になったという経緯があります。ここでも、渡さんが病気でなかったら、松方さん演じる坂井鉄也はなかったわけです。
さらに、病気から復帰した渡さんが出演された石原プロ製作の「大都会PART2」(日本テレビ)で、渡さんの妹役で仁科さんが出演していたのですが、この松方さんとのスキャンダルのゆえか、途中から何の説明もなくパッタリと出なくなってしまいました。   (ジャッピー!編集長)



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きたさん
1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
ジャッピー!編集長
映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
映画や昭和歌謡に底知れぬ造詣を示す昭和博士
ハピイ氏橋
昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
独自の目線で昭和の面白さを掘り起こすイラストレーター
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