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昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

2017年03月

清順監督とヒッチコック監督

「ラ・ラ・ランド」(2016 デイミアン・チャゼル監督)には、冒頭、エマ・ストーンさんを含む4人の女性が闊歩するシーンで
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「肉体の門」(1964 鈴木清順監督)を引用している他、ラスト近くには「東京流れ者」(1966 鈴木清順監督)を彷彿させるシーンもあります。何の予備知識もなく観に行ったら、ちょうど亡くなったばかりの清順監督へのオマージュを感じて狂喜、「絶対アカデミー賞獲るだろう!」と思ったのでした。(まだアカデミー賞の発表前でした) 結果は作品賞を逃したのですが、この「映画愛」に満ちたミュージカルに「映画」の本質を見る思いでした。
つまり、映画という夢の世界では、時間を超え、空間も越えることが出来るということです。あり得たかもしれない過去を描出することもできるし、恋の喜びに宙に浮かぶことだってできるのです。スクリーンに映し出された世界に身を委ねれば、目に見えぬものだって色や形をもって現れるのです。
「東京流れ者」のラストで渡哲也さんが、自分を裏切ったボス(北龍二さん)と対決する真っ白な空間(←「ラ・ラ・ランド」に引用)など、img_5
この世のものとは思えない、普通にはありえない場所です。あるいは、時折はさまれる「枯れ木」のショットなど。だけど、それらが渡さんの「孤絶のヒーロー」とも言うべきスター・イメージを鮮やかに焼き付けるのです。「映画」は、その出自において「画が動く」ことで人々を驚かせ、魅了したメディアでありました。そんな原点を考えれば、清順監督はまず、「アクションの場」ということを優先して、知恵をしぼり、技巧を駆使して映画作りをしていたのだと思います。
たしか、清順監督は小津安二郎監督作品について、「おはようとか、お久しぶりとか、座って台詞を言ってるだけで、動きが全くない。これ、映画といえますかね」という感じで批判していたと思います。大衆娯楽映画の監督を自認する清順さんにとっては、「映画とは歌と踊りとアクション」なのです。時に、シュールとか、飛躍があると言われる(日活上層部には「わけのわからない映画を作る」と解雇されてしまいます)けれど、少々ストーリーの運びを無視しても「どのように映像で見せるか」ことに注力したのでしょう。
先日、「ヒッチコック/トリュフォー」(2015 ケント・ジョーンズ監督) という「映画術 ヒッチコック/トリュフォー」(晶文社)という本になったインタビューのドキュメンタリーを観たら、index
ヒッチコック監督が「少々辻褄が合わなくても、それより大事なことはただひとつ、スクリーンにどう映るかということだ」というようなことをおっしゃっていました。清順監督と共通するものがあると思いませんか。 また、「よく論理的一貫性がないと批判されたが、それがまさに夢のロジックなのだ」とも語っていて、映画という一種の夢の本質をついていると思いました。
(ジャッピー!編集長)
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追悼・鈴木清順監督 「清順美学」は一日にして成らず

「女番長 野良猫ロック」(1970 長谷部安春監督)では、ボクシングの八百長が成立しなかった瞬間にそれぞれの思惑を持った登場人物のバックが突然原色になったり、時間経過を示す文字がグリーンやピンクの画面で明滅したり、「野良猫ロック セックスハンター」(1970 長谷部安春監督)では、藤竜也さんが岡崎二朗さんを撃つシーンの左右にスプリット処理した画面が有名です。たしか、「野良猫ロック マシンアニマル」(1970 長谷部安春監督)にも上下にスプリットした横移動シーンがありましたし、細かいカットバックなどもありました。長谷部監督がこうして技巧を凝らしていたのは鈴木清順監督の影響かな?と以前このブログで書いた(2月27日「地下道のカー・チェイス」参照)のは、長谷部監督は「くたばれ悪党ども 探偵事務所23」(1963 鈴木清順監督)や「野獣の青春」(1963 鈴木清順監督)などに助監督でついているからです。
「くたばれ悪党ども 探偵事務所23」は、宍戸錠さんが清順作品に初主演した作品で、クラブで唄ったり、チャールストンを踊ったりとノリノリです。
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地下室に監禁された錠さんが天井に向けてマシンガンを撃ちまくり、アスファルトをぶち抜いて(!)外の警察に知らせるという派手な見せ場があります。続く「野獣の青春」は、同じく大藪春彦さんの原作によるハードボイルド映画ですが、いわゆる「清順美学」の起点になった作品として語られることが多いです。たしかに、窓の外に突如現れる黄色い砂塵、モノクロに浮かぶ赤い椿、m_31104423140635B15D
青く塗られた部屋など原色を大胆に配した色彩に目を奪われます。のちに「刺青一代」(1965 鈴木清順監督)で高橋英樹さんが次々に襖を開けると広がる原色の空間やら、「肉体の門」(1964 鈴木清順監督)の4人の女の色分けc0061299_9441986
(←今、話題の「ラ・ラ・ランド」(2016 デイミアン・チャゼル監督)に引用されてます)などに発展するわけですが、こうした清順美学といわれるものが突如「野獣の青春」で開花したというわけではないと僕は思うのです。
「勝利をわが手に 港の乾杯」(1956 鈴木清太郎監督)でデビュー(1958年に清順に改名)。以後、歌謡映画、ギャングもの、和田浩治さん主演の「小僧アクション」など、ずっといわゆるB面映画を撮り続けてでいた清順監督がその一作一作を作っていく過程で、何とか観る人の目をひくように、楽しませるようにと工夫していくうちにだんだん「凝った」ことをするようになったのではないでしょうか。「あてがいぶち」の企画を何とかしようと知恵を絞り、ベストを尽くしてきた集積が「清順美学」となったのだと思います。
ですから、「野獣の青春」以前の作品にすでに「清順美学」の胎動はあったはずだし、かつての各映画会社がそれぞれの撮影所で量産していた時代、その広い裾野の中で、職人として技を磨き、試行錯誤するうちに「作家性」が生まれたのではないでしょうか。長谷部監督もどこまで影響を受けたかはわかりませんが、清順監督の現場にいて何かしら受け継いだのだと思います。こうして各映画会社の個性やカラーが作られていったのです。日本映画のレベルが高かったわけです。
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鈴木清順監督のご冥福を心よりお祈り申し上げます。      (ジャッピー!編集長)
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「野良猫ロック マシンアニマル」にまつわるエトセトラ

「野良猫ロック マシンアニマル」(1970 長谷部安春監督)で、昨日も触れたノボ(藤竜也さん)とマヤ(梶芽衣子さん)と静かに話すシーン、ノボが「何でここまでしてくれるんだい?」と尋ねると、マヤは「行ける人間は行った方がいいだろ、それだけさ」と答えます。この台詞に「ここではないどこか」へ行こうとする者への共感と羨望が滲み出る良いシーンでした。さらにここで梶さんが唄う「明日を賭けよう」という曲が素晴らしい!名曲です。 ♪星の孤独を知ったとき はじめて涙が出るという~ という歌詞がこのシーンにピッタリでした。
この作品は音楽面が充実していて、青山ミチさんの「恋のブルース」の他にも、女性ヴォーカルのGS「沢村和子とピーターパン」のステージ演奏が見れますし、「ズー・二ー・ヴー」が「ひとりの悲しみ」を唄うシーンもあります。 この「ひとりの悲しみ」の歌詞を変えて翌年大ヒットしたのが尾崎紀世彦さんが唄った「また逢う日まで」です。(当ブログ3月7日「悪魔のようなあいつのGS的キャスト」参照) 「ズー・ニー・ヴー」はこの映画の前年1969年に「白いサンゴ礁」のヒットを飛ばしたGSですが、ヴォーカルは町田義人さん。のちに「野性の証明」(1978 佐藤純彌監督)の主題歌「戦士の休息」で復活します。独特の高いヴォーカルで唄う「ひとりの悲しみ」も尾崎さんとまた違う味があります。町田さんをアップで捉えたショットもあったと記憶しています。
それから、太田とも子さんが2曲歌っています。太田とも子さんは梶芽衣子さんの実妹です。梶さんは1969年にマキノ雅弘監督のすすめで改名する前は本名の「太田雅子」で活動していました。さて、太田とも子さんがこの映画で
歌った2曲「恋はまっさかさま」ダウンロード (50)
「とおく群集を離れて」とも作曲は宇崎竜童さんです。「ダウンタウン・ブギウギ・バンド」(1973年デビュー)よりずっと前、宇崎さんはまだGS「ガリバーズ」のマネージャーとかやっていた頃でしょうか。まったく無名の頃ですがいい曲です。宇崎さんはこの8年後、俳優として「曽根崎心中」 (1978 増村保造監督)で梶芽衣子さんと共演することになります。
そういう「縁」の話でいうと、この映画で助監督を務めた田中登さんがのちに撮った「人妻集団暴行致死事件」(1978 田中登監督)の主演・黒沢のり子さんは、マヤが率いる不良少女グループの一人として出演しています。さらに、このグループには市川魔胡さんもいます。のちに松田英子さんと名前を変えて「愛のコリーダ」(1976 大島渚監督)で阿部定を演じます。この「野良猫ロック マシンアニマル」で共演したときは、まさか6年後、藤竜也さんとハード・コアをするとは思いもしなかったでしょう! 
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梶芽衣子さんが女優賞を総ナメした「曽根崎心中」、ロマンポルノながら日本アカデミー賞作品賞にノミネートされた「人妻集団暴行致死事件」(授賞式で富司純子さんが恥ずかしそうに紹介していました)、カンヌでも絶賛された「愛のコリーダ」と、70年代後半の名作を生み出す「縁」がこの「野良猫ロック マシンアニマル」に張りめぐらされておりました。    (ジャッピー!編集長)
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「野良猫ロック マシンアニマル」紫色の女王

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「野良猫ロック マシンアニマル」(1970 長谷部安春監督)の舞台は横浜。青山ミチさんが「恋のブルース」を唄うバーは、裏で密出国の船の斡旋をしています。ここに藤竜也さんと岡崎二朗さんの二人組が訪れ、スウェーデン行きの船の手配を頼みます。二人は米軍基地から横流しされたLSDを大量に持っていて、それを売りさばいて資金にしようと考えています。二人はベトナムからの脱走兵・チャーリーを連れていて彼を逃がすことも目的です。この作品の藤さんはヒゲはなく、銀縁のメガネをかけた非暴力・平和主義的な青年で、それまで長谷部監督が撮った「女番長 野良猫ロック」(1970)、「野良猫ロック セックスハンター」(1970)とはガラッと変わったソフトな役柄です。(こういう所が出演者が固定したシリーズの面白いところですね。次はどんな役柄なんだろうと)
代わりにヒロイン・マヤ(梶芽衣子さん)のグループに敵対するのが郷鍈治さんで、「ドラゴン」という暴走バイク集団のリーダーでいつもサイドカーにふんぞり返り、悪の存在感をたっぷり発揮します。はじめはLSDを奪おうとしたマヤのグループですが、脱走兵を助けようという藤さんたちに共鳴し協力します。LSDをさばくために郷さんたちに話を持っていきますが、横取りされてしまい争奪戦になります。チャーリーを拉致した郷さんのサイドカーを追って、マヤたちがミニ・バイクに乗って「近道を行けば追いつく」と、パチンコ屋さんや中華飯店の中を「ごめんなさいよ~」と言いながらバイクで疾走するシーンが見ものです。 1作目の「女番長 野良猫ロック」での新宿地下道のバギーとバイクの追走シーンを思い出させます。(当ブログ2月27日「地下道のカー・チェイス」参照)
郷さんは自分が昔ケガをさせたため車椅子に乗っている范文雀さんを女王のように崇拝しており、マヤたちは青山ミチさんからそのことを教えられ、范さんを誘拐してLSDを取り返そうとします。この范さんが住む部屋にはいつもバロック音楽みたいのが流れていて、壁、カーテン、ソファ全て紫色で、范さん自身も紫のドレス、ひざ掛けという恰好ですから、いやでも印象に残ります。
3人はマヤが案内してくれた廃屋に隠れ、仲間になったマヤたちとLSDを1錠ずつ飲んで盛り上がります。フェイス・ペインティングしたり、サイケな幻想シーンです。藤さんと梶さんだけはLSDをやらず、離れた所で静かに話します。藤さんの役名は「ノボ」でこれは「ノーボディ」をもじったものと説明されます。何で外国に行くのか、マヤに問われたノボが「さあな、日本にいるよりマシかもしれないと思ってな。行ってどうなるかわからないけどな」と答えます。続けて「何でここにいるんだい?」と逆に聞かれたマヤは「行けるところがあったら行ったかもしれない」と言います。このあたりの閉塞状況からの放浪願望、ベトナム脱走兵、バイカーとこれはもっともアメリカン・ニューシネマに近づいた日本映画といえると思います。        (ジャッピー!編集長)
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追悼・青山ミチさん

今年ももう3ヶ月が経とうとしています。まったく早いものです。今年ここまで亡くなった方を追悼していきましょう。
1月7日に亡くなったのが青山ミチさんです。images (31)
歌手として活躍された青山さんですが、どうしても覚せい剤使用で逮捕といったことの記憶がまず浮かんでしまいます。
1949年生まれの青山さんは、お父さんが在日米軍兵士のハーフ。たしか戦後の混血児歌手第一号と言われていたと思います。今だったら、ハーフ・タレントっていうのがひとつのポジションを得て、人気もありますが、この当時は、進駐軍が残していった子供といった不幸なイメージだったのです。また実際に偏見も強く、混血児ゆえにいじめられたり、辛い思いをしていた人が多かったのです。たしか、青山さんんもアメリカに帰ってしまった父親を捜すみたいな話題が女性週刊誌に載っていたように記憶しています。
子供の頃からジャズ喫茶などで唄っていて実力を認められ、まだ中学生でデビュー、「ミッチー音頭」という曲が有名です。 たしか倍賞千恵子さん主演の「下町の太陽」(1963 山田洋次監督)に出て唄っている姿が見れると思います。日本語歌詞をつけたカヴァー・ポップスの時代、「ヴァケイション」なんかも唄っていましたが、ライバルと言われた弘田三枝子さんよりも声量があって、リズム感抜群の歌声はやはり日本人とは違うのかなあと感じさせました。エイミー・ジャクソンさんと競作となった「涙の太陽」(のちに安西マリアさんがカヴァーし大ヒット)を出すなど人気がありましたが、まだ10代で覚せい剤使用で逮捕されます。そのときお蔵入りになった曲が、少しあとのGS時代になって、ヴィレッジ・シンガーズによって「亜麻色の髪の乙女」となって登場します。 さらにこの曲は島谷ひとみさんによってカヴァーされますが、幻の元祖は青山ミチさんだったのです。
その後、「野良猫ロック」シリーズの第4作「野良猫ロック マシンアニマル」(1970 長谷部安春監督)に青山さんが出演しています。横浜のバーで弾き語りを見せるシーンがあります。「恋のブルース」 という曲なんですが、その唄いっぷりが印象に残ります。何というか、ドスのきいたアレサ・フランクリンみたいな聴く人を圧倒するものがあります。堂々たる大人の歌唱という感じですが、考えてみると、この時まだ青山さんは21歳なんです。子供のときにスターになって、覚せい剤事件があったりの浮き沈みといった人生経験が滲み出ていたのかもしれません。
たしか、役もバーのマダムという感じで、見た目も21歳とは思えない人生の酸いも甘いもかみ分けたような貫禄がありました。「下町の太陽」のときから何十年も経ったかのように感じてしまいます。
70年代に入ってから、万引き事件や、覚せい剤使用などで何度か逮捕され、芸能界の表舞台から姿を消してしまいましたが、そのパンチのきいた歌唱は日本にもっとも早く現れたソウル・シンガーといってもいいでしょう。青山ミチさんのご冥福を心よりお祈りいたします。     (ジャッピー!編集長)
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きたさん
1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
ジャッピー!編集長
映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
映画や昭和歌謡に底知れぬ造詣を示す昭和博士
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昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
独自の目線で昭和の面白さを掘り起こすイラストレーター
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