ハッピー昭和クラブ

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

2017年04月

「黒の駐車場」ラストシーンの田宮さんと藤由紀子さん

昨日の当ブログで紹介した「黒の試走車」(1962 増村保造監督)に始まった大映の「黒」シリーズは、企業の熾烈な競争とそこで暗躍し翻弄される人間模様がサスペンスフルに描かれ面白いのです。宇津井健さんや川崎敬三さんの主演作もありましたが、やはり田宮さんがこのシリーズのカラーに一番合っていたと思います。ビシッとスーツを着こなし、ダンディという言葉がこれほど似合う俳優もいませんし、時に野心家であったり、一匹狼であったり、企業の中でドライに戦っていくといったキャラに田宮さんはピッタリです。大映を解雇されてから、テレビのクイズ番組「タイム・ショック」の司会をなさって、冒頭で「現代は時間との戦いです」という決め台詞を言っていましたが、「黒」シリーズはまさに「現代」の中でクールに戦う男という感じがしたのです。
「黒の試走車」のあと、しばらく宇津井さん、川崎さんの主演作が続きますが、第6作に田宮さんの主演作が登場します。「黒の駐車場」(1963 弓削太郎監督)です。僕が大好きな作品です。田宮さんの役は、元は暴力バーのバーテンをしていたチンピラで、客で来た製薬会社の部長・見明凡太朗さんを脅そうとして逆に説諭され改心、見明さんに拾われ、今は小さな製薬会社を営んでいます。そういう過去もあってか、田宮さんの部下となる社員には、警察のご厄介になりそうな若者、顔にアザのある女子事務員、片腕がない社員、長年大手に勤めていたがポイされた老社員(松村達雄さん)などが集まっています。世間からハミ出たり、ワケありの人たちが集まっていますが、その分、アット・ホームでまとまりのあるチームになっていて、その辺の描写もいいのです。研究者肌の社員(仲村隆さん)が新薬を開発して順調ですが、田宮さんの恩人の見明さんが自殺するという事件が起きます。不審に思った田宮さんが探っていくと、新薬をめぐる製薬業界の陰謀が浮かび上がる……というストーリーです。実直そのものに見えた松村さんが新薬のデータを大手の会社に流していたりという意外な展開もあったりして最後まで飽きさせません。
そして、田宮さんに協力して真相を探る女記者を演じるのが、藤由紀子さんです。
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1965年に田宮さんと結婚しますが、交際はこの「黒の駐車場」の共演あたりから始まったようです。「黒の駐車場」のラストは、無事に事件が解決し、田宮さんと藤さんが歩いているシーンです。藤さんが「この人たち、みんな踏みつぶされまいと必死なのね」と言うと、「そうさ」と田宮さん。藤さんが「でも、あなたは勝ったのね」と言うと、田宮さんは「ああ、これからゴマンと金が入る」と言い、「ねえ、君、一生僕にたかる気はない?」と続けます。藤さんが「……OKよ」とうなづき、田宮さんが藤さんの肩を抱き寄せ歩いていきます。このラストシーンの笑顔が本当に良くて、実生活の愛情が反映しているのかなあと思います。同時に、自ら命を絶ち藤さんをおいていってしまうことになる行く末を悲しく思ってしまいます。      (ジャッピー!編集長)
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田宮さん、「白」以前は「黒」でした

田宮二郎さんは、「白い巨塔」(1966 山本薩夫監督)のイメージが人々にも定着していたのでしょう、1970年代にテレビ・ドラマで主演するようになると、主にTBSで放映されたその多くのタイトルには「白」がつけられました。最初は1973年に放映開始の「白い影」です。原作は渡辺淳一さんで、孤独の影を背負った外科医を田宮さんが演じていました。外科医で不治の病にかかっているなど、「白い巨塔」にイメージが重なる部分もあり、渡辺さんの原作らしく男女の恋愛模様も濃厚で、「ちょっと子供が観てはいけない」匂いがしていたのを覚えています。原作小説の題名は「無影燈」ですから、「白い影」というのは田宮さん主演をアピールするためのうまいタイトルのつけ方と思います。この作品が視聴率が良かったので、田宮さんはTBSの連続ドラマの主力となり、以後の作品も「白い滑走路」「白い地平線」「白い秘密」「白い荒野」とタイトルに「白」が入ります。
テレビに映ってからはすっかり「白」が定着した田宮さんですが、大映時代、「白い巨塔」以前に田宮さんのイメージに合っていたのが「黒」シリーズです。1作ごとに完結する作品群なのですが、共通するのは、企業の間の熾烈な競争、産業スパイや陰謀が横行し、業績のためには手段も選ばない非情な闘いが描かれていることです。
26日の当ブログにハピイさん画のポスターが出ていますが、「黒の試走車」(1962 増村保造監督)がその第1作です。d3697287
自動車会社の新車の情報を巡り、ライバル会社が凄まじい争いを展開します。田宮さんの上司を演じるのが高松英郎さんです。高松さんは「巨人と玩具」(1958  増村保造監督)でも同じような人物を演じているしピッタリの鬼部長ぶりです。高松さんが「この企画第一課は、スパイが仕事だ!」と堂々と公言するぐらいですから、盗撮、盗聴なんてのは当たり前です。読唇術を使う、ライバル社を混乱させようと、ニセの情報をわざとつかませる、脅迫、ゆすり、もうほとんどヤクザと変わりません。田宮さんもライバル会社の新車の設計図を何とか手に入れようと、図面のコピーの紙屑をあさったりします。さらには自分の恋人(叶順子さん)をライバル社の部長(菅井一郎さん)に色仕掛けで近づかせて、情報を盗ませます。極秘情報を得て目的を果たしますが、菅井さんに体を奪われた叶さんは、自分をまるで「道具」に使った田宮さんを「あなたはキチガイよ!」と批難し、菅井さんにもらった指輪を田宮さんに投げつけ「さよなら」と去っていきます。田宮さんの同僚の船越英二さんはライバル社に脅され、自社の情報を流していて、発覚すると飛び降り自殺してしまいます。
増村監督らしい内角高めにズバズバ投げ込むような演出もあって滅法面白いですが、高度経済成長とはこういう非人間的な企業戦士たちによって成し遂げられたのかとあらためて思わされます。そういえば、電通の新人女子社員が激務に苦しみ自殺した事件がありました。電通の社員手帳に載っていた「鬼十訓」の中にも「取り組んだら放すな 殺されても放すな 目的完遂までは……」と書いてありましたが、まさにそれが当たり前の時代を映し出した映画だったのです。    (ジャッピー!編集長)
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「田宮二郎」と「財前五郎」

田宮二郎さんが亡くなった日のことはよく覚えています。暮れも押し詰まっていたその日、大掃除をしていたのですが、テレビもかけっぱなしにしていました。日本テレビで映画「花と龍」(1973 加藤泰監督)を放映していて、大掃除しながらチラチラ観ていたのです。そこに「俳優の田宮二郎さんが自殺しました」という臨時ニュースがテロップで入ったのでビックリしてしまいました。1978年12月28日のことです。
田宮さんは、この「花と龍」の前年に「人生劇場 青春・愛欲・残侠篇」(1972 加藤泰監督)で吉良常を演じ、加藤作品に続けての登板となっていました。老侠客・吉良常という老け役も見事にこなし、巨匠・加藤泰監督は田宮さんを「いい芝居をやる」と評価していました。渡哲也さん主演の「花と龍」では、原作にはない役をわざわざ田宮さんのために作ったといいます。田宮さんもそれに応えて、熱演しています。真冬のロケでふんどし一丁のシーンの撮影で、執拗に粘ることで有名な加藤監督がOKを出しても、自分の納得のいく演技ができるまで「もう一度お願いします」と自ら申し出たそうです。
また、これは有名な話ですが「人生劇場」のとき、森繫久彌さんと加藤泰監督が撮影中に激しい口論になったとき、田宮さんが間に入って仲裁したのですが、口調が吉良常そのものだったそうです。現場にいた助監督の三村晴彦さんは「あれほど役に没入する役者は見たことがない」と証言しています。
この「役に没入」のもっとも顕著な例が「財前五郎」です。「白い巨塔」(1966 山本薩夫監督)で演じて以来、自身のハマり役となり、山崎豊子さんが原作の続編を書かれると、田宮さんはそこに書かれた財前の死までを演じたいと、大映解雇直後1969年には自ら企画をTV局に持ちこみます。そのときは通りませんでしたから、1978年のテレビ「白い巨塔」には相当の思い入れで臨んだことと思います。念願のラスト近く、財前が病魔(ガン)におかされるので3日間絶食したり、財前の遺書も自ら書いたり、遺体となってストレッチャーに乗ってる場面も普通はスタントを使うのに自分でやると主張したとのこと。私生活でも苦しんでいた「田宮二郎」という自分と「財前五郎」という役が一体化しているようです。index10

「財前五郎」は父親を早く失い、他人の援助で大学に進み苦労して助教授までなって、さらに上への野望を燃やす男と設定されています。田宮さん自身、早く両親に死に別れ、祖母に育てられ、他人の援助も受けてきたという経歴を持っており、これは自分だ、と思ったのでしょう。おまけに本名の「吾郎」と財前「五郎」と同じ「ごろう」なのも、運命的に感じて自分しか演じられないと思ったのかもしれません。(ちなみに田宮さんの次男が「田宮五郎」の芸名で俳優されてましたが、2014年クモ幕下出血のため47歳で亡くなりました。恋人は浅野ゆう子さん)
同じような例で、アンソニー・パーキンスさんを思い出します。「サイコ」(1960 アルフレッド・ヒッチコック監督)のノーマン・ベイツ役で有名ですが、この役は5歳で父親を亡くしたという設定。アンソニーさん自身も実際に5歳のとき父親を亡くしていることもあって役にのめりこみ、その後も「サイコ2」、「サイコ3」、TVですが「サイコ4」とノーマン・ベイツ役を演じ続けます。「サイコ3」では監督までつとめます。indexノーマン
観る方もアンソニーさんにノーマン・ベイツのイメージをどうしても持ってしまいます。ハマり役に出会い、没入するというのが幸せなことなのかどうかわかりません。       (ジャッピー!編集長)
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田宮二郎さん、ライフワークとその死

先週の土、日にフジテレビでスペシャル・ドラマとして松嶋奈々子さん主演で「女の勲章」を放映していました。71index
近頃、僕はテレビドラマをほとんど観ないので、これも観ていませんが、京マチ子さん主演の映画はもちろん観ております。「女の勲章」(1961 吉村公三郎監督)は京さん演じるデザイナーと、下剋上を狙う弟子たちの女同士の争いがめっぽう面白い作品ですが、この作品は田宮二郎さんの出世作として知られています。onnanokunshyou02
京さんのブレーンとして辣腕をふるう一方、3人の弟子たち(若尾文子さん、叶順子さん、中村玉緒さん)とも次々に関係を持ち、のし上がって行く役です。大先輩の京さんとのベッド・シーンも堂々と演じた田宮さんは銀縁メガネをかけ、女性を利用するクールな野心家にピッタリはまり、注目されました。
1955年にスポニチ主催の「ミスターニッポン・コンテスト」で優勝し、モデルとなった田宮さんが大映に入社したのが1957年ですから、この「女の勲章」まで5年近く、目立った活躍はありませんでした。添え物映画の主演はあったものの、ほとんどがその他大勢の大部屋俳優みたいな感じでした。当初、本名の「柴田吾郎」で出演していた田宮さんは端役ばかりなので、俳優を辞めて実業家になろうかと思ったそうです。大阪生まれ、京都育ちの田宮さんは、住友系財閥の大番頭で有名な方だった祖父を尊敬していたといいますし、学習院大学に入学した頃は外交官志望だったといいますから、元々俳優というより、実業家とかグローバルな志向があったのだと思います。
のちに、「不信のとき」(1968 今井正監督)のポスター序列でもめて大映を解雇された田宮さんは自分のプロダクション「田宮企画」を立ち上げます。「日本のハワード・ヒューズを目指す」と言って映画製作など手掛けますが成功しませんでした。日英合作で「イエロー・ドッグ」(1977 テレンス・ドノヴァン監督)を製作、自ら主演しますが興行的に不発、多額の借金を背負います。そんな田宮さんに怪しい人物が近づいてきたのでしょう。田宮さんを追い出したあと倒産した大映の元の東京撮影所の土地を買収して最新型の貸しスタジオを建設するなんて事業計画が出て、高額融資に手を出していったようです。このあたりの生々しい話は「田宮二郎、壮絶! いざ帰りなん、映画黄金の刻へ」(著・升本喜年 清流出版)に詳しいです。
出世作「女の勲章」と同じく山崎豊子さん原作「白い巨塔」(1966 山本薩夫監督)の「財前五郎」はまぎれもない田宮さんの当たり役です。テレビでも演じようと山崎さんに直接願い出て、1978年に連続ドラマとして放映されます。その第一回放映直前に田宮さんの「M資金」に関する記事が週刊誌に載ります。そして、田宮さんは追いつめられ精神的に不安定になりながらも、財前を演じきり映画版では描かれなかった「財前の死」を撮影し、あと放映2回を残した1978年暮れに自らの命を絶ったのです。まだ、43歳という若さです。まるで、この野心に満ちた医師役と現実の田宮さんが重なるかのように思えた死です。 607527c49e17cad09e2b36da05096bb8
   (ジャッピー!編集長)   

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M資金キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! 

田宮二郎 黒の挑戦者ポスター
 こんな話はもう無いかなあと思っていましたが、M資金ひっかかりばなしが近頃あったようです。
ローソンの玉塚さんがのっかちゃったというかペテンにあったらしいのですが。
 ともあれ、M資金とは戦後の裏面史にピカ一に浮き上がってくる超巨大な裏金ばなしです。しかるに実体は不明なまま今、今日にいたっています。もっとも裏金が白日のもとに晒されたらもう裏じゃありません。
 敗戦で宙に浮いた旧日本軍の超莫大な資産物資とか日本国民から供出(半強制)した貴金属とか云々が元手といわれます。
まあ、戦争になると、その美名?のもと国富は集中して集まります。欲しがりません勝つまではと、お国のために
財産、宝は供出しなさいと。
 実際、終戦時点での日本はジパング黄金の国だったと表現する先生もいます。
 前述の通り、相当量のダイヤなどの宝石、貴金属が集められました。日銀の地下に収納されたといわれますが
米軍が進駐後真っ先にその多くをかっさらったといわれます。松本清張さんの「日本の黒い霧ー征服者とダイヤモンド」に詳しく書かれています。
 戦争によって国自体は太るのです、。で、勝った国がその太った美味しい肉を食らうのでしょうか。
 結局戦後アメリカが日本に対して援助した各種の復興資金の原資は実は戦争中に集められた日本の資産だったようです。アメリカの身銭ではないのです。
 そんな類で、洋画の蓄積円の話もあります。戦後、数多のアメリカ映画が日本国内で配給されました。
 前にアップしましたが日活も戦後の一時期は洋画配給で稼ぎました。その円で貯まった配給収入はドル持ち出し制限があるので多くがそのままプールされて日本にとどまり金融界そして裏に流れたりしたといわれます。
 そんなわけで、M資金話の切り口はいろいろあり、その詐欺手順もいろいろということでしょうか。
 ちょいと、ながながぶつくさしましたが、冒頭の新宿昭和館オリジナル手書きポスターは田宮二郎さんの映画です。残念ながら田宮さんはM資金話にひっかかり、そのあげく自死されてしまったと噂されました。
 ”黒”のシリーズで凛々しく、関西風にはシュッとした背広姿は今拝見しても比類なき正統派二枚目です。
田宮二郎 黒の試走車ポスター

田宮二郎 暴れ犬ポスター
  さて、ちかごろきな臭いのですが、よその国の軋轢のはざまで日本の富が失われなければ良いのですが。
 もう、M資金は生みません・・・とかなんとか。
                                               (ハピイ氏橋)

 
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きたさん
1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
ジャッピー!編集長
映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
映画や昭和歌謡に底知れぬ造詣を示す昭和博士
ハピイ氏橋
昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
独自の目線で昭和の面白さを掘り起こすイラストレーター
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