ハッピー昭和クラブ

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

2017年04月

松竹同期 大島渚さんと山田洋次さん

style="background-color: rgb(255, 255, 255);">昨日の当ブログに書いたように、製作再開した日活が松竹の助監督を引き抜いた余波で、助監督試験で補欠合格だった山田洋次さんが繰り上がります。山田さんはそのあと受けた日活の助監督試験に合格したので迷います。最終的に、松竹の試験官だった西河克巳さんの「君の資質は松竹の方が向いてる」というアドバイス通り、松竹に入社。映画が斜陽化した時代にも、「男はつらいよ」(1969 山田洋次監督)を第1作に国民的シリーズとし、松竹の屋台骨を支える大功労者となるのは周知のことであります。

山田さんが迷ったのは、日活は新しく、未知数の魅力を感じていたからです。また、後年、松竹の顔となった山田を考えると意外なことですが、それまで特に松竹の映画に興味を持ったことがなかったそうです。ただ、松竹の試験を受ける直前に観た「女の園」(1954 木下恵介監督)ダウンロード (68)

に深く感動したそうです。そして試験で口頭試問をした大庭秀雄監督の穏やかな雰囲気も印象的で、山田さんは「地味な性格の自分には、伝統ある松竹大船でコツコツやるのがいいかも」と思ったのも松竹に決めた一因です。
さて、同じ年の試験でトップの成績で合格したのが、ご存知、大島渚さんです。大島さんは京都大学で学生運動や学生演劇の活動(そのときの同志が戸浦六宏さん)をしていましたが、朝日新聞社など次々に就職試験に落ちてしまったので、たまたま演劇仲間に誘われ松竹を受けたのです。そして合格したものの、特に映画監督になろうという気持ちはないまま、もうすぐ入社で東上するというときに、やはり「女の園」を鑑賞し、感動に震えたのです。「女の園」は京都女子大と思われる女子大学を舞台に、自治会活動や学生への厳しい弾圧を描いた名作です。ダウンロード (69)
(高峰三枝子さんが冷徹な寮監を演じています) この作品の中に女子大生役の高峰秀子さんが「…去年の11月に京大の事件があったでしょう……」というセリフがあります。これは、全日本学園復興会議をめぐり、学生と警官隊が衝突した闘争でした。この会議の責任者だった大島さんはまさに自分たちの運動と挫折を思い出し、そういうことを映画で描けるという感動を覚えたのでした。
特に松竹映画に興味があったわけでないお二人が、「女の園」という同じ映画に感銘を受けて、松竹に同期入社したのです。試験官の西河克己さんをして「松竹メロドラマを背負っていく逸材」と言わしめた大島さんは、伝統の破壊者となり、「日本の夜と霧」(1960 大島渚監督)の上映打ち切りをめぐってあっさり退社。山田洋次さんは松竹一筋、今も現役、5月には新作「家族はつらいよ 2」(2017 山田洋次監督)が公開されます。ダウンロード (70)
同じ作品に感動というスタート・ラインから全く違うフィルモグラフィーとなったお二人。面白いものです。 (ジャッピー!編集長)
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運命の交錯 浦山桐郎さんと山田洋次さん

style="background-color: rgb(255, 255, 255);">昨日の当ブログに書いたように、製作再開した日活は西河克己さんを勧誘役にして、松竹から助監督を引き抜いたわけです。その直前、松竹は昭和29年度入社の助監督試験を実施します。その審査員には、大庭秀雄監督、川島雄三監督とともに西河さんや、助監督の鈴木清太郎さん(のちの清順さん)や斉藤武市さんも席を並べていました。このときにトップの成績で合格したのが、大島渚さん。他に浦山桐郎さんも合格、山田洋次さんは補欠となりました。
合格に喜んだ浦山さんですが、通知が届きません。問い合わせると身体検査で結核が見つかったということで合格取り消しになってしまいます。浦山さんは学生時代は陸上をやっていたし、大学の証明書にも既往症はなかったので、何か別の理由があったのでは……と憤ります。松竹の助監督部もこの決定に抗議したそうですが、とにかく土壇場で落ちてしまいます。ダウンロード (71)
そんな失意で帰郷した浦山さんの元に一通の手紙が届きます。審査員だった清順さんからで、「自分たちは何人か日活に移籍することになったのだが、君も日活の助監督試験を受けに来たら」と教えてくれたのです。とにかく人材を集めたい日活は、他社からの引き抜きとは別に、第一期助監督試験を実施して「生え抜き」の監督も育てようとしたのです。
日活の試験では松竹と逆に、山田洋次さんが合格、浦山さんが補欠となってしまいます。ところが、例の清順さんたち助監督の日活移籍で松竹に欠員ができて、山田さんが繰り上がります。山田さんは、松竹、日活どちらに入るかかなり迷ったそうですが、ここで登場するのが西河克己さんです。西河さんは山田さんに「僕が見たところ、君は松竹の方が向いている」と松竹を薦めて、山田さんは松竹に入社します。そして山田さんが辞退したため、浦山さんが繰り上がり、日活に入ったのです。
清順さんが浦山さんに手紙を出さなければ、浦山さんは教師になっていたそうですから、のちの優秀な監督が埋もれることを救ったわけです。山田さんが松竹向きと見抜いた西河さんもさすがです。そして、もし、試験の結果そのままで「補欠繰り上げ」が生じなければ、浦山桐郎さんは松竹、山田洋次さんは日活の監督になっていたのです。そうなっていたら、松竹で「キューポラのある街」が、吉永小百合さんじゃない女優さんで撮られていたかもしれません。山田洋次さんの無国籍アクション、さらにロマン・ポルノが観れたかもしれません。山田洋次監督のロマン・ポルノ、ちょっと観てみたい気がします。    (ジャッピー!編集長)
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監督移籍で運命が変わる?

style="background-color: rgb(255, 255, 255);">昨日、当ブログでハピイさんが書いたように、石井輝男監督は新東宝から東映に移籍しました。ダウンロード (67)
そこで「恋と太陽とギャング」(1962 石井輝男監督)、「網走番外地」(1965 石井輝男監督)、そして異常性愛路線などを生み出しますが、師匠の成瀬巳喜男監督を追って東宝に行ってたらどんな監督になっていたでしょう。成瀬監督みたいな庶民の哀歓を綴ったり、石井監督がお好きだったデヴィッド・リーン監督の「ドクトル・ジバゴ」(1965)のような壮大なメロドラマを撮っていたかもしれません。かつては、各映画会社独自のカラーがあり、監督もどうしたってその会社の社風や個性に左右されます。ある意味、運命みたいなもので、違う会社に入っていたら全く違うフィルモグラフィーになっていたかもです。
ハピイさんが4月6日の当ブログに書いておられるように、鈴木清順さんは最初、松竹に入社し、日活再開に伴って移籍します。その仕掛け人というか、勧誘役だったのが西河克己さんです。すでに松竹で2本、監督作を撮っていたのに助監督待遇だった西河さんは、監督待遇で日活に誘われ、川島雄三監督や中村登監督に相談して移籍を決めます。移籍第1号です。月給が松竹は24000円、日活は70000円だったといいますから異例の厚遇です。そして、日活からは他にも有望な助監督を引き抜いてくれと頼まれ、昭和23年松竹入社の8人の助監督グループ「赤八会」に声をかけて、その中から志願したのが、中平康さん、斉藤武市さん、鈴木清太郎さん(のちの清順さん)の3人だったのです。このお三方は松竹大船では月給1万円ちょっとだったのが日活に来たとたん3万円になったとのことです。もし、この時に移籍せずに清順監督が松竹に残っていたら、どんな作品を作っていたでしょう? 案外松竹ヌーヴェル・ヴァーグの時に大暴れしていたかも? 篠田正浩監督なんかは「清順さんは日活がなかったら未来がなかった」なんて言ってますが。
ちなみに、和田浩治さんは日活に入る前、松竹からスカウトされ、城戸四郎さんと面接までしたそうです。その時、社長室のテーブルの煙草盆から何気なく煙草をとって吸ったら、城戸さんに「君は15歳だろ、煙草を吸っていいのか」と言われ、和田さんは「そいじゃ失礼します」と席を立って帰ったそうです。当時、銀座でブイブイ言わせていた和田少年にとっては当たり前のように煙草を吸ったのに非難され、そのあとに話が来た日活が「若い人が多く自由な雰囲気」で気に入り、入社したのです。もし、この面接の事件がなく和田さんが松竹に入り、清順監督が松竹に残っていたら、ここでお二人は監督と主演コンビを組んでいたかも。日活の小僧アクションものと違って、木下恵介調の青春ドラマだったりして。
明日から、新文芸坐で「追悼・鈴木清順 清順美学 その胎動期から開花まで」という特集があります。是非、おいでください。    (ジャッピー!編集長)

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任侠以前ギャングの健さん

恋と太陽とギャング ポスター
 この拙作手書き新宿昭和館ポスターの映画「恋と太陽とギャング」は昭和37年ニュー東映配給なるものです。
この前作「花と嵐とギャング」で健さんは初めて石井輝夫監督と出会います。
 石井輝夫監督はご存知健さん出世作「網走番外地」の監督です。
 石井監督はもともと新東宝の監督でしたが新東宝がつぶれた(昭和36年)ので東映に移籍しました。
 石井監督はお師匠さんの成瀬巳喜男監督のご縁で東宝に移ろうとしました。しかし、東宝には黒澤明監督
豊田四郎監督などキラ星のごとく重鎮がいらっしゃるので、とても自分の出る幕はないだろうと考え東映にしたそうです。
 網走への結実へこの映画はその布石だったかもしれません。
                       (ハピイ氏橋)
                   

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人が人を想うことは誰にも止められない

江利チエミさんが高倉健さんと結婚されたのは、1959年。チエミさん22歳、健さん28歳でした。健さんと出会ったのは片岡千恵蔵さん主演の「恐怖の空中殺人」(1956 小林恒夫監督)で共演したときでした。この1956年は健さんがデビューした年。一方、チエミさんはすでにスター歌手であり、この映画では、中原ひとみさんと姉妹役でヒロインです。健さんは、翌年から美空ひばりさんの相手役で連続して起用されます。ひばりさんの紹介もあったのでしょう、健さんとチエミさんの交際が始まります。出会ったときから、チエミさんは健さんにゾッコンだったし、健さんも撮影の合間に夜行列車に乗ってチエミさんに会いに行くほど熱々カップルでした。3年後に結婚となります。結婚後もオシドリぶりは変わらず、当時のお二人のツー・ショットなど見ると本当にいい表情をされてます。(一昨日の当ブログにもあります) スター歌手のチエミさんと、まだ若手俳優の一人で決定打のなかった健さんは当初はいわゆる格差がありました。やがて任侠映画の主演シリーズが当たり健さんの人気爆発となっても、まったくお二人の仲に変わりありませんでした。
一昨日の当ブログに記述したように、チエミさんの異父姉のことがあり、別れることになってしまいます。離婚後もお二人はお互いを愛していたのだと思います。チエミさんの葬儀には出なかった健さんは、チエミさんの自宅裏でひっそりと手を合わせていたといいます。また、毎年、チエミさんの命日には、人目を避けて早朝に墓参をしていたそうです。
僕の大好きな映画に「居酒屋兆治」(1983 降旗康男監督)があります。ダウンロード (66)
英治(健さん)が脱サラして営む居酒屋に集まる市井の人々の悲喜交々が描かれる好篇です。英治にねちっこくに絡む伊丹十三さん、向かいの小料理屋のママ役・ちあきなおみさん、ジャージ姿の細野晴臣さん、いつも隅の席に座っている池部良さん、そして女房役の加藤登紀子さん……とキャストも良く、個人的にはこういう「ヒーロー」じゃない健さんの映画がもっと観たかったです!そして、この映画のメイン・ストーリーは、英治のかつての恋人(大原麗子さん)が落魄し、気にかけた英治が探すものの……というものです。images (44)
別の男(左とん平さん)と結婚したあとも英治を想い続けた大原さん、そして彼女が迎える孤独死に、僕は何だかチエミさんが重なるように思えたのでした。(のちに名画座で再見したときは、やはり独りぼっちで亡くなった大原麗子さんの実人生が重なりました……)
映画のラスト、自分に気合を入れるように独り言つ健さんに、チエミさんを亡くし辛い日々を乗り越えてきた健さん自身の思いが滲み出ているような、演技を越えたものを感じてしまったのです。   (ジャッピー!編集長)

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1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
ジャッピー!編集長
映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
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ハピイ氏橋
昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
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