ハッピー昭和クラブ

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

2017年10月

CSにハロウィン、ハレ中毒ニッポン

プロ野球ファンにとっては、「日本シリーズ」は特別な舞台で本当に楽しみなのです。昨日の当ブログで紹介した「王選手が山田投手から打ったサヨナラホームラン」
t02200328_0280041813098954518
「江夏さんの21球」「ヒルトン選手が今井雄太郎投手から打った起死回生のホームラン」といった歴史に残る名場面はもちろんですが、「1970年はロッテは巨人と対戦して負けたけど、伏兵の井石選手が代打で2本、ホームランを打ったなあ」とか、「1973年、巨人相手のシリーズで南海のジョーンズ選手が一塁ゴロをトンネルしたなあ」とか、妙に細かいことまで覚えています。それだけ、セ、パの頂上決戦である「日本シリーズ」を熱心に観ていたのでしょう。
そんな僕でも、「クライマックス・シリーズ」導入以後は、記憶が薄まっています。これは、年齢に
よる記憶力の低下……というより、やはりCSによって「特別な」試合が増加しているせいだと思います。同リーグ同士で戦うCSではありますが、「短期決戦」が増えて、それがもはや「普通」になってしまった結果「日本シリーズ」の「特別感」が薄れてしまった感じ。つまり、「特別」が多くなって「普通」に埋没しちゃったわけです。とにかく観客動員を増やすために「特別」な試合を増やしていこう、という考えがCSを導入させましたが、それも当たり前になれば、また「さらに特別なものを」とキリがありません。「プレミア12」とか「U23」とかWBCとかだって同じですね。何だか年中、国際大会をやっている感じでありがたみはなくなっていると思います。
「ハレ」と「ケ」という言葉がありますが、普通の時間があるからこそ「ハレ」=特別な時間が際立ち、意味があるのです。野球に限らず、そのバランスが崩れているような気がしています。それもだいたいが商業主義に踊らされて。いい例が、本日の「ハロウィン」です。images (95)
本来の宗教的な意味は関係なく、すっかり、仮装した人たちがバカ騒ぎする日が定着しました。当ブログ昨年の10月30日に「世界で一番アホな街」にも書きましたが、この日は街に出る気がしません。静かに「読書の秋」「芸術の秋」なんて日常を送るなんてことはもう昭和の霧の中に消えてしまったのでしょうか。どんどんイベントが現れて、一年中「ハレ」じゃないと耐えられない人が増えていると感じます。明日になれば、お店はクリスマス仕様の商品が並び、次なる「ハレ」中毒者を待ち構えているのです。(ジャッピー!編集長)
にほんブログ村 その他趣味ブログ 昭和レトロへ にほんブログ村
おもしろいと思ったら、クリックしてください!

追悼・デイヴ・ヒルトン選手~日本シリーズの流れを変えた一発

「クライマックス・シリーズ」が登場して「ペナントレース」と「日本シリーズ」の繋がりが理不尽なものになったせいだと思いますが、僕は「日本シリーズ」の記憶が薄くなったように感じます。あの年、あのチームとどのチームが対戦したんだっけ……と数年前のシリーズでも思い出せないことがあります。昔は、年度とその年に対戦したチームなんて即座に浮かんだものです。「1971年の第3戦、阪急の山田投手が完封寸前、王選手にサヨナラ3ランをくらった」「1979年のいわゆる‟江夏の21球”」といった球史に残る名場面は脳裡に焼きついています。
そんな日本シリーズの印象深い名場面のひとつを作った選手が、今年の9月17日に亡くなりました。ヤクルト・スワローズで活躍したヒルトン選手です。メジャーのドラフトで何と全体1位指名だったというヒルトンさんですが、アメリカでは成績が残せず、1978年にヤクルト入団。一番バッターとして初のセ・リーグ制覇に貢献しました。独特のクラウンチング・スタイルの打撃フォームが懐かしいですね。不器用なところもあり、よく広岡達郎監督に怒られたりもしていましたが、ハッスル・プレーでチームを引っ張りました。
ダウンロードhiruton

阪急ブレーブスとの日本シリーズは、第7戦の大杉選手のホームラン判定をめぐる中断(当ブログ7月19日にも書きました)で有名ですが、第4戦のヒルトン選手の9回表に放った逆転2ランも忘れられません。好投していた阪急の今井雄太郎投手が完投寸前の2死からランナーを出すも、上田監督に続投を志願、そしてホームランをくらったのです。テレビで観ていましたがものすごい歓声でしたねえ。そして、このときの今井投手の顔!この表情はどんな名優でも表せないでしょう! ヤクルトは1勝2敗からタイに持ち込み、シリーズの流れを変えた一発になりました。
ヒルトン選手は翌1979年は不振で解雇され、1980年は阪神タイガースに移籍します。ところが、ゴールデン・ルーキー、岡田彰布選手を使え!という熱狂的虎ファンのブーイングがあったりで途中退団となってしまいました。ヒルトン選手が打席に入ると「岡田コール」が起こったのですからひどい話です。(ブレイザー監督にも脅迫手紙が届いたりして、結局ブレイザーさんも途中で辞任してしまいます)ちょっと不幸な形で日本球界を去ることになったヒルトン選手ですが、記憶に残るプレイヤーでした。ご冥福を心からお祈りいたします。   (ジャッピー!編集長)
にほんブログ村 その他趣味ブログ 昭和レトロへ にほんブログ村
おもしろいと思ったら、クリックしてください!

「ペナントレース」こそ「日本シリーズ」出場をかけた戦い

昨日の当ブログにも書きましたが、「クライマックス・シリーズ」のおかげで「ペナントレース」の意味がよくわからなくなってしまいました。ペナントレースを制したが「クライマックス・シリーズ」で敗退して「日本シリーズ」に出れない場合、「シーズン優勝」の記録には残るわけです。今年だったら、「2017年度セントラル・リーグ優勝」はカープとして記されるわけです。しかし、かりにベイスターズが日本シリーズでホークスに勝ったとしたら、「2017年度日本一」はベイスターズとして「各年度日本シリーズ優勝球団」の表に載るわけです。こうなると、「ペナントレース」と「日本シリーズ」は全く別もの、違う大会ということになります。何だかなー(←阿藤海さん調)という感じです。
古い話ですが、1992年に野村克也監督率いるスワローズがセ・リーグ優勝して、日本シリーズでライオンズと対戦しました。森昌彦監督が率いる西武は、当時圧倒的な強さを誇り、特に森監督就任の1986年から1988年までパ・リーグ3連覇、日本シリーズも制し、1989年は近鉄バッファローズに屈しペナントをのがしましたが、1990年から1992年までまた日本一になりました。mig (3)
つまり、7年間で3連覇を2回、6度も日本一になったのです。まさに黄金時代といってよいでしょう。そんな西武ライオンズに立ち向かい敗れたスワローズは、のくやしさが相当にあったのでしょう。その翌年1993年のキャンプに入ったときから「打倒・ライオンズ」を目標に練習に取り組んだと当時キャッチャーの古田敦也さんがおっしゃっていました。春のキャンプから、秋の「日本シリーズ」で勝てるように、ライオンズに負けないチーム力をつけようと取り組むわけですから、何としても「ペナントレース」を制するんだと意気込みも違ってくるし、レベルも高くなります。そして、スワローズは見事にセ・リーグ連覇を果たして、当然のようにパ・リーグを制したライオンズと2年連続の対決となり、死闘の末、リベンジし、ノムさんが胴上げされたのです。
つまり、「ペナントレース」というものが「日本シリーズ」出場をかけたもので、それを目指して長いシーズンを戦い、制した1チームが「日本シリーズ」という舞台に立つ価値があるのです。今の方式だと、「ペナントレース」は「クライマックス・シリーズ」出場をかけた戦いで、そこを制しても「アドヴァンテージの1勝」にしかならないのです。キャンプから始まる長いシーズンで一番の結果を出して報われないんじゃあ、「ペナントレース」の意味もなくなるし、「日本シリーズ」の価値も下がるだけではないですかねえ。    (ジャッピー!編集長)
にほんブログ村 その他趣味ブログ 昭和レトロへ にほんブログ村
おもしろいと思ったら、クリックしてください!

「クライマックス」は、いらない。

今日から「日本シリーズ」が始まります。ホークス対ベイスターズの対戦ですが、何だか気持ちが盛り上がってきません……。あちこちで言われていますが、やはり、ペナントレースで14.5ゲームも差をつけられ3位のチームが、日本一の座を争う場にいるというのはどうも納得がいきません。クイズ番組で5点、10点で争っていたのにラストの問題が10000点となっているみたいで、それまでの長いペナントレースは何だったんだよと思えてしまうのは当然ではないでしょうか。優勝チームには1勝のアドヴァンテージがつきますが、長いシーズンを勝ち抜いて(今年のカープの場合88勝)1ポイントって……。
クライマックス・シリーズを導入した理由のひとつは、「シーズン終盤に消化試合が増えるのを防ぐ」ということですが、今年なんかはセはカープがはじめから独走、パもイーグルスが失速した後はホークスのひとり旅でした。2位と3位は少し争いましたが、それ以外の上位、下位はけっこう早くから差が開き、AクラスとBクラスはくっきりと分かれました。ファイターズなんかはもう浮上がムリと見ると、主力選手や外国人選手をトレードに出したりして、勝ち負けより来シーズンをにらんで経験を積ませようと若手選手を大量に起用していました。どうやったって、「消化試合」というのは出てくるものなのです。今は各球団が努力して観客動員も伸びています。パ・リーグだって、昔と違い、多くのファンをつかんでいます。ゲーム差が開いて順位が確定しても、スター選手を観に行くとか、面白いゲームを観て好きなチームを応援したいと球場に足を運んでいます。たくさんのお客さんがいるから、おいそれと手を抜いたり、だらけたゲームは見せられないと思います。クライマックス・シリーズなんてやらなくても、球場に来てもらえるようさらにサービスに力を入れたりすればいいのです。ダウンロードcrai

メジャーのポスト・シーズンの真似だろうけど、30球団もあるアメリカと違って、セ・パで12球団でそのうち半分(!)の6球団が日本シリーズに出場する可能性があるなんて、どう考えても「違うだろー」と言いたくなります。何でもかんでもアメリカの真似しなくていいんです。ベースボールじゃなくて野球でいいのです。要は、「クライマックス」というお客が集まる試合(=イベント)をできるだけ増やしたいということでしょう。商売だから「儲けたい」というのは当然ですが、だからと言って「日本シリーズ」の価値を下げるのは結局は「損」することになりゃしないかなあ。辞書を引くと「クライマックス」とは、「興奮や緊張などが最も高まった状態」とありました。長いペナントレースを勝ち抜き頂点に達したチーム同士がぶつかることでまさに最高潮になるのです。むりやり「クライマックス」を作っていると白ける人も多く出てくるように思いますが……。   (ジャッピー!編集長)
にほんブログ村 その他趣味ブログ 昭和レトロへ にほんブログ村
おもしろいと思ったら、クリックしてください!

追悼・遠藤賢司さん~「武道館」に一人で立ち向かった映画

昨日の当ブログで、モップスがフォークとロックを縦断したなんてことを書いていたら、遠藤賢司さんの訃報が伝わりました。10月25日に70歳で亡くなりました。残念でなりません。
遠藤さんは1969年、シングル「ほんとだよ」でデビュー。
ダウンロードhonnto
当時はシンガーソングライターという呼び方もまだなかったので、「フォーク」のジャンルの人と言われていたと思います。同じような人が多かったと思いますが、僕は1971年に出たシングル曲「カレーライス」が遠藤さんを意識した最初でした。

カレーライスを食べているという日常の風景を切り取って呟くように唄われる中に、テレビに映る「三島由紀夫さんの割腹事件」すらも点景にしてしまう歌詞も印象に残りました。「カレーライス」が入っているセカンド・アルバム「満足できるかな」には他にも「ミルク・ティー」や「寝図美よこれが太平洋だ」などいい曲が入っていました。このアルバムにはバックに松本隆さん、細野晴臣さん、鈴木茂さんという「はっぴいえんど」の面々が参加しています。僕はこのセカンドを聴いてからファースト・アルバム「niyago」(←名曲「夜汽車のブルース」が入っています)に遡って聴いたのですが、いずれにしても、自分の周囲の私的な詞を書き歌う、といういわゆる「四畳半フォーク」というイメージでした。
ダウンロードkennji

その後、しばらく聴いていなかったのですが、70年代後半に横尾忠則さんの描くジャケットの「東京ワッショイ」というアルバムを聴いて驚きました。タイトル曲の「東京ワッショイ」や、その後の遠藤さんのテーマ曲ともいうべき「不滅の男」のインパクト! 四畳半フォーク時代(?)の内向的な歌詞世界から一気に宇宙まで飛び出したような感じ。♪いつでも俺は最高なのさ~ 俺は不滅の男~と叫ぶのには衝撃でした。遠藤さんは「俺は何も変わっていないんだ」と言っておられるのを何かで読みましたが、衝撃が強すぎてピンときませんでした。
ダウンロードwasshoi

それが、腑に落ちたのが、映画「不滅の男 エンケン対日本武道館」(2005 遠藤賢司監督)を観たときでした。遠藤さん自身が監督をつとめたドキュメンタリーで、無観客の武道館でたった一人で歌うのです。この前代未聞のコンサート?を、会場準備、リハーサル、時に中断して打ち合わせをしたり、まさに「武道館」を相手に立ち向かう姿を追っています。で、そのステージのセットがアンプを富士山のように積み上げた横に、日常感たっぷりの四畳半があるのです。ああ、ごく私的な半径何メートルかの四畳半空間は世界へ、いや宇宙へつながっているのだなあと妙に納得したのでした。自転車に乗って登場し、唄い倒していくエンケンさん、フォーク・ギターをこんなにかき鳴らす人はそれまでいなかったように思います。

フォークからロック、あるいはパンクと言われる遠藤さんですが、もうそんなジャンル分けでは収まりません。ご本人は「純粋音楽家」と称しておられましたが「遠藤賢司」さんという唯一無比の存在でした。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。289d9c16dfd896fc79f91afeb2592ffb
   (ジャッピー!編集長)

にほんブログ村 その他趣味ブログ 昭和レトロへ にほんブログ村
おもしろいと思ったら、クリックしてください!
きたさん
1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
ジャッピー!編集長
映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
映画や昭和歌謡に底知れぬ造詣を示す昭和博士
ハピイ氏橋
昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
独自の目線で昭和の面白さを掘り起こすイラストレーター
記事検索
ギャラリー
  • 80年代音楽シーンのプロローグ1978年にタイムトンネルⅡ洋楽
  • 80年代音楽シーンのプロローグ1978年にタイムトンネルⅡ洋楽
  • 80年代音楽シーンのプロローグ1978年にタイムトンネルⅡ洋楽
  • 80年代音楽シーンのプロローグ1978年にタイムトンネルⅡ洋楽
  • 沢島忠監督と渥美清さん「おかしな奴」
  • 沢島忠監督と渥美清さん「おかしな奴」
動画配信
自分史記念日倶楽部

あなたの自分史はドラマに満ち溢れています。自分の記念日にそんな自分史ドラマを映像に残してみませんか?

>>詳しくはこちら

上を向いて歩こう
関根忠郎の映画惹句術
看護婦さんの生活と信条
懐かしの昭和の物語 壱
懐かしの昭和の物語 弐
懐かしの昭和の物語 参
  • ライブドアブログ