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昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

2017年11月

渚まゆみさんとの遭遇

菅原文太さんにとって「仁義なき戦い」(1973 深作欣二監督)への助走となった「現代やくざ 人斬り与太」(1972 深作欣二監督)、「人斬り与太 狂犬三兄弟」(1972 深作欣二監督)の2本で強烈な印象を残し貢献したのが渚まゆみさんです。特に「人斬り与太 狂犬三兄弟」では文太さんたちに監禁された田舎娘を演じますが、逃げ出すシーンで飲み屋街を全裸で走るなど大熱演でした!f93b7acd0d54cc473b1acdfa76e4516c--nagisa-movie-stars

渚まゆみさんはこの体当たりの演技の12年前、16歳で大映演技研究所14期生となります。そして「夕やけ小やけの赤とんぼ」(1961 島耕二監督)でいきなり主演デビュー。未見だったこの作品が先日、シネマヴェーラで上映されたので観に行きました。
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題名から分かるように童謡「赤とんぼ」をモチーフとした作品で作曲の山田耕筰先生も出演されています。ちなみに「渚まゆみ」という芸名も島監督と山田先生が命名したそうです。渚さんが扮する女学生は母(三宅邦子さん)の連れ子で裕福な家に暮らしています。母の再婚相手の継父(千田是也さん)は優しい人ですが、血のつながらない兄は典型的な金持ちの坊ちゃんという感じで、何か違和感がありとけこめません。学校をサボってちょっと不良ぽい仲間たちと遊んでいます。その中の黒人の混血少年・ノボルを特に可愛がっている渚さん、歌が上手いノボルをジャズ学校に入れようと連れていきますが、そこの教師(キューピーさんこと石川進さん)が差別的発言をしたので腹を立てて帰ってしまいます。失意の二人はふと盲学校の音楽の授業を窓から覗き見ます。目が見えなくても一所懸命に合唱する生徒たち、ヴァイオリンを弾く少年などの姿を見て心を奪われます。盲学校の先生が「生徒たちにいい音楽を聴かせたい」と言うのをきいて、渚さんは奔走します。ひとりで何とか音楽事務所とかに交渉に行きますが相手にされません。渚さんは思い切って山田耕筰先生の家に直談判に訪れます。ここで山田先生が登場するのですが、このシーンは本当に山田先生のご自宅のようでした。渚さんは盲学校の生徒たちにオーケストラを聴かせてあげたいと熱心に頼みます。山田先生も渚さんの言葉に耳を傾けますが、忙しい山田先生は次の予定があるからと秘書?(中条静夫さん)がすぐに連れ出てしまうのでわずかな出番ですが山田先生は渚さんとセリフのやり取りがあります。この手の映画ですから、山田先生が渚さんの願いを聞き入れてオーケストラ演奏会が実現するハッピーなエンディングかと思いきや、ひとひねりあるのに大変驚きました! ネタバレを避けますが、ラストの渚さんの夢見る表情が美しかった! この映画、見逃さないで良かったです。
とにかく、ショートカットで和製ジーン・セバーグと呼ばれていた渚さんの演技が瑞々しく爽やかな感動を受けました。
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観終わって、ロビーに貼ってある封切当時の新聞や雑誌記事を読んでいると、背後から声をかけられました。「これ、私なんですよ」と。何と!本物の渚まゆみさんが立っていたのです!思いもしなかったので「いい映画でした」と言うのがやっとでしたが、渚さんは「ありがとうございます」と丁寧におっしゃり、エレベーターに乗られたのでした。
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 (ジャッピー!編集長)

 
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「現代やくざ 人斬り与太」にかけた文太さん

昨日がご命日だった菅原文太さんの代表作「仁義なき戦い」(1973 深作欣二監督)は、当ブログ11月20日「脚本家と監督の死闘」で書いたように、笠原和夫さんは過去に自分の脚本をいじられ揉めた経緯が
あり、深作監督には難色を示したそうです。工藤栄一さんや中島貞夫さんなどが監督候補にあがる中、わざわざ東京撮影所から深作さんを連れてきて撮らせることを強硬に主張したのは、俊藤浩滋プロデューサー(藤純子さんのお父さん)だったそうです。
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俊藤さんは「現代やくざ 人斬り与太」(1972 深作欣二監督)を観て、その演出手腕を買って「仁義なき戦い」の監督に推したのです。菅原文太さんが後年語ったところでは、俊藤さんは最初は深作監督を評価していなかったそうですが、文太さんが「現代やくざ 人斬り与太」と「人斬り与太 狂犬三兄弟」(1972 深作欣二監督)を是非観てくださいよ!と直談判で勧めたとのこと。
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文太さんも、この2作品の手ごたえは相当なもので自信があったのでしょう。新東宝で本格的に映画俳優としてスタートを切るものの、経営悪化によりつぶれてしまい(その当時、文太さんは俳優組合の副委員長。ちなみに委員長は天知茂さん)、松竹に移籍します。松竹では文太さんを活かすような作品に恵まれず(会社のカラーが合わないですよね)、安藤昇さんの勧めで東映に移籍するも、しばらくは若山富三郎さんの映画や梅宮辰夫さんの「不良番長」シリーズ(1968~1972)の脇などに多く出ていました。どうしても2番手、3番手という位置から脱せなかったのです。ですから深作さんのこの2作品にかける思いは強かったのだと思います。撮影中、「深作監督と主演映画を撮って、燃えているんだ」と語ったといいます。
文太さん扮するチンピラが愚連隊を結成し暴れまわり、大組織に抗してのし上がろうとして破滅する「現代やくざ 人斬り与太」など観ると、文太さん自身がくすぶっていた焦燥や悲愴さを役に託してたたきつけているようで、その大熱演にのまれてしまいます! 僕はいろいろな映画館でこの作品を観ていますが、今はない「中野武蔵野ホール」で観たときのことが忘れられません。映画が終わったとき、前の席に座っていた初老のお客が一言「激しい映画だねえ……」と、隣の席の人に話しかけたのです。本当に思わず出たナマの感想ですね。「激しい映画」その通りです!  
そして「仁義なき戦い」につながり、文太さんは一気にトップ・スターに駆け上がるのでした。  (ジャッピー!編集長)
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日馬富士関の暴行問題と「仁義なき戦い」

大相撲の九州場所も終わり、横綱・日馬富士関の暴行問題に関して、横綱・白鵬関の警察での聴取がありました。白鵬関の優勝40回はとてつもない記録ですが、今場所は上位陣に休場力士も多かったし、話題はすっかり土俵外の方に奪われてしまい残念な場所になってしまいました。images (5)

巡業中に「モンゴル力士会」で起こった「事件」は、何でも、日馬富士関が説教しているときに貴ノ岩関がスマホをいじっていたとか、また別の報道では普段から「もうあんたたちの時代じゃない」的な態度があったという話もあります。そもそも「モンゴル力士会」は、モンゴル力士の草分け・旭鷲山関が始めたささやかな飲み会です。旭鷲山が来日したのは1992年。異国に来て、ましてしきたりや上下関係に厳しい相撲社会です。言葉もわからない状況で淋しい思いもしたでしょう。だから、旭天鵬関などわずかしかいなかったモンゴル出身力士と集まって、思う存分母国の言葉で話したり、歌を唄ったりしていたのだと思います。これからどうなるか不安の中で肩を寄せ合い励まし合ったことと思います。2017y11m24d_221113867-300x254

それが、旭鷲山関が関取になり、道筋をつけ、モンゴル力士がぞくぞくと続きます。朝青龍関のように日本の高校に留学してから角界に入る力士も登場します。番付もどんどん上がり、三役は当たり前、朝青龍関は横綱になり(この人の土俵上の闘志はすごかったなあ!)、最強横綱・白鵬関も誕生します。こうしてモンゴル力士が一大勢力になり「モンゴル力士会」も巨大化し、かつての純粋に「故郷を離れた若者たちが淋しさを紛らわし励ましあった」雰囲気は変わっていったのかもしれません。会の中でも「派閥」的なものがあったり、若手の「下剋上」的な言動もあったのかもしれません。そう考えると、思い出すのは「仁義なき戦い」(1973 深作欣二監督)です。戦後の闇市が立ち並ぶ時代、ふと集まった小さな組がどんどんと拡大、勢力を伸ばしていくにしたがって、勝手なことを始めたり、はねっ返る者が出てきて、初期の結束が崩れていく……。
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何だか今回の騒動に似ている……というか、「組織」というものは巨大化すればだいたい同じようなコースを辿るのでしょう。「仁義なき戦い」は、いろんな組織のいろんな場面に応用できると改めて思った次第です。今回は、殴られた貴ノ岩関の師匠・貴乃花親方が強硬な姿勢を示していますが、親方自体かねてから「相撲協会」という大組織を「改革」しようとした人だし、今回の事件に対するコメントで元「朝青龍」と元「旭鷲山」の代理戦争ぽい側面も現れるなど、周囲の登場人物もまさに「仁義なき戦い」の様相を呈してきました。
そんな今日11月28日は菅原文太さんのご命日であります。 
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 (ジャッピー!編集長)
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沢田研二さんデビュー50年映画祭を開催!

ジュリー・ファンの方々に朗報です! 明日、11月27日から池袋の新文芸坐において、沢田研二デビュー50周年を記念して特集上映が始まります。「ジュリー マイ・ラブ」と題して6日間、12本の上映です。29日には「 ザ・タイガース 華やかなる招待」(1968 山本邦彦監督)を上映します。この作品については、当ブログ2月9日にも書きましたが、この1968年はデビュー2年目で人気絶頂期、「ヒューマン・ルネッサンス」という名アルバムも発表した年です。
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(映画の中でもアルバム中から何曲か披露してます)バンドとして音楽にかけるタイガースの思いが溢れるような映画です。脚本は「若大将」シリーズや「無責任」シリーズの生みの親、田波靖男さんですから楽しめますよ。当時の後楽園コンサートの映像も挿入されています!



今回の特集上映、タイガースの映画はこれ1本ですが、あとはソロ以降のジュリーの様々な顔が見られます。ジュリー・ファンにおススメしたいのが、28日に上映される「炎の肖像」(1974 藤田敏八・加藤彰監督)です。ソロになって初の主演映画で、ジュリー自身を思わせるロック歌手が周りに作られた虚像の中でもがくという作品です。タイガース時代のいわゆる「アイドル映画」と違って、突っ張った感じのジュリーがまた魅力的です。
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こちらでは井上堯之バンドをバックにライヴを披露するシーンがあります。それと、ジュリー初のベッド・シーンがあってお相手は中山麻理さんで、かなりの美乳を披露していました。撮影時とても寒くて「カット」がかかったあとも「寒いからしばらくこうしていましょう」と中山さんに言って抱き合っていたというエピソードが印象的で何故か今でも覚えています。
この「炎の肖像」と同時上映するのが「パリの哀愁」(1976 出目昌伸監督)で、こちらはパリを舞台に人妻と恋に落ちる青年をジュリーが演じます。人妻を演じるのはクロディーヌ・オージェさん。「007 サンダーボール作戦」(1965 テレンス・ヤング監督)でボンド・ガールだった人で大人の女性のフェロモンが出まくっている感じでした。劇中、ジュリーとのラブシーンがかなり濃厚だった記憶があります。当時、「巴里にひとり」というシングル曲を出したりしていたので、沢田研二さんをヨーロッパ方面で売り出していく戦略があったのでしょうか。パリや南仏の風景の中のジュリーが実にカッコイイです。
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その他、田中裕子さんとの結婚のきっかけとなった「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」(1982 山田洋次監督)と、
その17年後、お二人が夫婦漫才コンビに扮する「大阪物語」(1999 市川準監督)の同時上映など、ジュリーの魅力満載の特集です。是非お越しください!  (ジャッピー!編集長)
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追悼・デヴィッド・キャシディさん

この11月21日にデヴィッド・キャシディさんが亡くなりました。67歳という年齢は早すぎます。認知症を患っていたというのも最近知ったばかりでした。昔の溌溂としたアイドル時代の面影しか知らないのでちょっと複雑な心境です。
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キャシディさんといえばもちろん「人気家族パートリッジ」の長男役です。僕も昔、ダラダラした日曜日の午前中に良く観ていました。5人の子供を抱えたママを助けるためにバンドを組んであちこち巡業するという、今思えばロードムービー風のホームドラマでした。当時は、「ジャクソン5」とか「オズモンド・ブラザース」といった家族で構成されたアイドル・グループがいたので、僕はこの「パートリッジ・ファミリー」も実の家族だとけっこう思い込んでいましたが、これはドラマの中の家族です。photo
しかし、ママ役のシャーリー・ジョーンズさん(ミュージカル映画「オクラホマ」(1955 フレッド・ジンネマン監督)で有名)は、デヴィッドさんの父親・ジャック・キャシディの再婚相手だったので、デヴィッドさんは継子ということになります。ドラマの中では実の母子を演じて息もピッタリ、デヴィッドさんの歌に楽しそうにバック・ヴォーカルをつけていました。そして、劇中でパートリッジ一家が吹き込んだレコードがヒットしてチャート1位になるのが現実になって、「悲しき初恋」(原題: I think I love you)は爆発的なヒットを記録、本当にビルボードで1位になるのです! ドラマの中の歌手やグループが現実世界に飛び出して活躍するのは、日本でも「オーロラ輝子」(←河合美智子さんが演じた役)などの例がありましたね。
「悲しき初恋」は、キャッチ―で親しみやすいメロディで日本でもヒット、
デヴィッド・キャシディさんも人気を集め、その後も何曲かスマッシュ・ヒットを出しました。たしか「悲しき青春」という曲もありました。そして、デヴィッドさんの名前をあまり聞かなくなって、1977年、ショーン・キャシディさんがカヴァー曲「ダ・ドゥ・ロン・ロン」でビルボードで1位を獲得します。ショーンさんはジャック・キャシディさんとシャーリー・ジョーンズさんの息子。つまりデヴィッドさんの腹違いの弟です。デヴィッドさんに比べて、「可愛い」系でショーンさんも人気がありました。(まだ10代) 当時はビージーズの末っ子、アンディ・ギブさんが大人気でちょっとまたアイドルぽいスターが流行ってきていたのです。
デヴィッドさん、ショーンさんと兄弟でチャート1位、いや、「悲しき初恋」にはシャーリーさんもバックで歌っているから、母子3人がチャート1位獲得者ということですね。70年代初め、ドラマと歌で楽しませてくれたデヴィッド・キャシディさんのご冥福を心よりお祈りいたします。    (ジャッピー!編集長)
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きたさん
1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
ジャッピー!編集長
映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
映画や昭和歌謡に底知れぬ造詣を示す昭和博士
ハピイ氏橋
昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
独自の目線で昭和の面白さを掘り起こすイラストレーター
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