ハッピー昭和クラブ

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

2018年01月

村井邦彦さんが見出したユーミン

村井邦彦さんが「荒井由実」さんのデビューに関わったことは当ブログ2017年3月5日「キャンティ人脈~GSからサイケへ」にもちょっと書きました。高校生の頃から「キャンティ」に頻繁に出入りしていた荒井由実さんは、川添梶子さんに服をたくさんもらったり非常に可愛がられていたそうです。(ちなみに1974年リリースされた荒井さんのセカンド・アルバム「ミスリム」のジャケットに映っていたピアノは梶子さんのピアノです)たっぷりと当時の先端のヒップなカルチャーの洗礼を受けていたわけです。
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川添象郎さんがプロデュースしたミュージカル「ヘアー」の日本版(のちにガロを結成する大野真澄さん、堀内護さんも出演)に出ていた元タイガースの加橋かつみさんのアルバム「1971 花」にユーミンが書いた「愛は突然に…」が収録されたのも、「キャンティ」繋がりということです。hibagon8823-img674x1200-1511605438mxsofb21510
そしてそれを聴いた村井さんはユーミンの才能を見出し、曲を書いたら持ってきなよと言ってアルファ・ミュージックと作家契約を結ぶのです。つまり、村井さんは最初は荒井由実さんを作曲家として育成しようとしたのです。曲がたまり始め、村井さんはユーミンの書いた曲を、他の歌手に歌わせようと色々な所に持って行ったそうです。有名な話では、あの「ひこうき雲」も最初は雪村いづみさんの所に持ち込み、レコーディングまでしたそうです。それが思ったようにうまくいかず、村井さんはユーミンが歌った方がいいのでは……と一気に荒井由実さんがシンガー・ソングライターとしてデビューとなったのです。
荒井由実さんのアルバムを作るにあたって、村井さんはそれまで起用していたスタジオ・ミュージシャンに替えて、「キャラメル・ママ」を起用します。村井さんは旧知のルー・アドラーさんがプロデュースするキャロル・キングさんのレコーディング現場を見学し、譜面に忠実に再現するのでなく、ミュージシャンがスタジオであれこれアレンジを練りながら演奏するスタイルに感心し、それを目指したのです。
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「キャラメル・ママ」のメンバーは元・「はっぴいえんど」の細野晴臣さん、鈴木茂さん、小坂忠さんのバンドにいた林立夫さん、松任谷正隆さん(のちにユーミンと結婚)の4人。その後のミュージック・シーンで大活躍する方々です。
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ミリオンセラーを連発するその後のユーミン(松任谷由実さん)の活躍は言うまでもありません。そして、村井邦彦さんものちにYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)のエグゼクティブ・プロデューサーとして世界的な成功をおさめるのです。(ジャッピー!編集長)
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ニュー・ミュージックの扉を開いた村井邦彦さん

トワ・エ・モワが歌った「或る日突然」、「虹と雪のバラード」はいずれも村井邦彦さんの作曲で、本当に美しい曲だと思います。また、トワ・エ・モワのファースト・アルバムである「或る日突然 トワ・エ・モワの世界」というアルバムは全12曲、村井邦彦さんが作曲を手掛けていて、これは本当に名盤であります! 
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トワ・エ・モワは「或る日突然」のヒットで、ギターを持って弾き語りのスタイルでテレビに登場したので「フォーク」のイメージで括られることが多いのですが、このアルバムを聴くと、サンバ調があったり、ボサノヴァ風の曲があったり、ヴァラエティに富んでいて、村井邦彦さんの幅広い音楽性を感じます。これはもう「フォーク」にとどまらず、「ポップス」と言っていいと思います。それも良質のポップスです。
村井邦彦さんは、トワ・エ・モワを手掛ける前には、GS(グループサウンズ)の曲を書いて活躍されていました。最大のヒットはテンプターズの「エメラルドの伝説」でしょうか。GS最大のスター、タイガースの「嘆き」「美しき愛の掟」なども村井さんの曲です。 

特に、タイガースのコンセプト・アルバムの傑作「ヒューマン・ルネッサンス」にも「生命のカンタータ」「緑の丘」「朝に別れのほほえみを」「割れた地球」そしてアルバムの最後をかざる「廃墟の鳩」と名曲を提供しているのです。また、トワ・エ・モワ以後には、辺見マリさんの「経験」「私生活」「めまい」の3部作?の作曲をするなど、次々にヒット曲を生み出しました。
そして、村井さんのすごい所は1969年には自分の音楽出版社「アルファ・ミュージック」を設立、原盤制作に乗り出していることです。
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洋楽のエッセンスを取り入れる先見性はプロデューサーとしても大いに発揮され、数々のミュージシャンを発掘します。アルファ・レーベルから登場し最大の成功をおさめたのが「荒井由実」さんです。ダウンロード (33)
村井さんがプロデュースしたユーミンの「荒井由実」時代のアルバムを聴くと、プロコム・ハルムのようなブリティッシュ調、ファンク調、ボサノヴァ風、キャロル・キングを思わせる内省的な曲など、洋楽を見事に消化した新しい日本のポップスと感じます。いわゆる「ニュー・ミュージック」の誕生というわけですが、その胎動はトワ・エ・モワのファースト・アルバムにあったと思えてなりません。村井邦彦さんが以後のミュージック・シーンに果たした功績ははかりしれません。  (ジャッピー!編集長)
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「トワ・エ・モワ」と1969年の僕

一昨日の当ブログできたかたさんが「虹と雪のバラード」について触れています。僕も札幌オリンピックは熱心に観ていましたし、大好きな曲です。歌っていた「トワ・エ・モワ」の美しいハーモニーがとても心に残りました。
「トワ・エ・モワ」のデビュー曲「或る日突然」(これも村井邦彦さん作曲です!)も本当に大好きな曲です。そしてこの曲には個人的な思い出もあります。それは歌詞 ♪或る日突然、ふたり黙るの~ あんなにお喋りしていたけれど~ にあるような「恋愛の始まり」ということではなく、曲が流行っていた時の記憶という意味です。

1969年(昭和44年)というのは、僕の家族にとって大きな変化があった年で、僕の父親が3月末に亡くなり、兄が4月半ばに亡くなったのです。4人家族が1と月の間に母親と自分の2人家族になってしまったのです。子供だった僕がその突然の変化をどう受け止めていたのか……今それを正確に思い出すことは難しいですが、とにかくいきなり「死」というものが目の前に大きなものとして現れたこと、この世に理不尽なことは起きうるということが漠然とした形で心の奥に澱のようにあったように思います。そんな時に聴いたのがトワ・エ・モワの「或る日突然」でした。
たしか「或る日突然」は1969年5月に発売されたと記憶しています。ヒットして、テレビやラジオからよく流れていました。僕はこの年の夏に沼津の親戚の家にあずけられるのですが、その時もこの曲はよく耳にした記憶があります。なので、そののちも「或る日突然」を聞くと、2人家族になった1969年の少年時代が蘇ってくるようになりました。そのメロディを聞くだけで一気に1969年に佇む自分に戻ってしまう……あらためて「歌」の持つ力というか、特に流行歌が「時代」や「記憶」といかに結びつくものかを感じてしまいます。
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「或る日突然」の他にも、千賀かほるさんの「真夜中のギター」、ダウンロード (31)
アン真理子さんの「悲しみは駆け足でやってくる」などが僕を1969年に戻す曲であります。 47998272_o1
(ジャッピー!編集長)
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「白い恋人たち」と「虹と雪のバラード」

あと二週間ばかりで、平昌冬季オリンピックが開催されます。
お隣韓国での開催ということで、アジアのオリンピックは親近感があっていいなと思います。
このオリンピックでも記憶に残ってゆく新な名曲が生まれるといいのにな~、なんて思っている
僕はやっぱり音楽が好きなんだな~と思います。
僕が大好きで今も綺麗なメロディーを思い出すとゲレンデの風景が浮かぶ名曲がありますが、
やはり昭和時代の名曲達ですね。
冬、雪というとまず浮かぶのが「白い恋人たち」フランシス・レイです。

この曲は1968年にフランスのグルノーブルで行われた第10回冬季オリンピックの記録映画のテーマ曲として制作されたものです。このサントラ盤のレコードは日本でも大ヒットしました。
この美しくも儚いワルツのメロディーは雪の中に消えてゆく恋を思わせるような、何とも忘れられないメロディーです。
そして、グルノーブルオリンピックの次が4年後の1972年日本で初の冬季オリンピック、札幌オリンピックでした。この札幌オリンピックでも名曲が生まれました。トワエモアが歌った「虹と雪のバラード」です。僕が大好きで尊敬している村井邦彦さんのメロディーは今でも口ずさめます。
当時は高校生だった僕は歌詞にはあまり関心を寄せてませんでしたが、今聴くと詩人河邨文一郎
(かわむら ぶんいちろう)氏の作詞がとっても深い詩であったことが再発見出来ます。
♪町が出来る、美しい町が、あふれる旗、叫び、そして唄♪
何とも、初めて開催される札幌オリンピックへの夢と期待に溢れているではありませんか!
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「日本春歌考」白い東京に黒い日の丸

月曜日の雪はすごかったですね。僕は用があって出かけていましたが、窓の外がだんだん吹雪いてきて「早く帰らないと……」と気になって目の前の用事に集中できませんでした。夕方、何とか帰れましたが電車は停まったり徐行運転したりで普段20分のところを1時間もかかってしまいました。雪国の人からしたら大した雪ではないでしょうが、本当に東京は「雪に弱い」のです。家にいて雪景色を見ている分には風情があるのですが……。雪が音を吸収し喧騒が消え、見慣れた街が一面「白い世界」になった様は幻想的でもあります。
東京の雪景色が印象的な映画というと「日本春歌考」(1967 大島渚監督)があります。  主演の荒木一郎さん、自由劇場に属していた串田和美さん、岩渕孝次さん、佐藤博さんの4人が大学受験で東京に出てくる高校生を演じています。当初、彼らの役にGSのゴールデン・カップスにオファーがあったそうですが実現しなかったエピソードは当ブログ2016年12月27日「荒木一郎さんのマルチな才能」に書きました。この4人がフラフラと東京の街を歩くと、「建国記念日制定反対」のデモ行進に遭遇、何気なくそのデモについていくシーンがありました。128557007807916210917
このシーンでかなり雪が降っていたのが印象的でした。何でも、封切日が決定していてほとんど時間がないという事情もあって、ザックリとしたストーリーだけで細かい脚本なし、現場で台詞を作りながら撮影にのぞんだのだそうですが、ちょうどこのシーンの撮影日に偶然、大雪が降ったのです。デモ隊が「黒い日の丸」(←その後の大島作品でもシンボル。美術担当・戸田重昌さんによる)を掲げてお堀のそばを歩いていく白と黒のコントラストはまるで「葬列」のようで大変な効果をもたらしたヴィジュアルでした。
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よく巨匠監督が「気にいった雲が出ない」とか「夕陽が気に入らない」とか「天気待ち」で撮影が延びたりしますが、逆に雪でも何でも撮らざるをえないというタイトなスケジュールの中でこういう印象的な映像が撮れる「幸運な偶然」もあるのですね。それでも、徹夜続きで仕上げ作業中、大島監督以下スタッフが爆睡し、とうとう封切が一日遅れるという事態になったそうですが……。128556948932616210702

この映画の撮影が行われたのは1967年2月あたりだと思いますが、そういえば、この年に大雪で小学校が休校になった記憶があります。それでも校庭に入って雪で遊んだなあ。あれから51年、今じゃ、外に出る気もしないです……。  (ジャッピー!編集長)
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きたさん
1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
ジャッピー!編集長
映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
映画や昭和歌謡に底知れぬ造詣を示す昭和博士
ハピイ氏橋
昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
独自の目線で昭和の面白さを掘り起こすイラストレーター
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