ハッピー昭和クラブ

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

2018年03月

「悪い奴ほどよく眠る」本日上映!

前文部科学事務次官の前川喜平さんが名古屋の中学校で特別授業を行ったのを、文科省がしつこく「内容を報告」するように求めていた問題。「省独自の判断」と説明していましたが、やはり政治家からの「働きかけ」があったことが判明しました。さらに何と質問事項にもこの自民党議員の意見を取り入れて修正したというのだから「圧力」以外の何ものでもないですね。完全に「教育への政治介入」であります。前川さんは「‟総理のご意向”によって行政がゆがめられた」と発言されたお方だからターゲットになったのでしょう。権力=政府に逆らった者は徹底的にマークして潰そうという体質がブキミです。森友学園の籠池理事長だって逮捕されたのは昨年の7月ですから、もう8か月以上も拘留されています。証拠隠滅の恐れがない(ブツは全部おさえられている)、逃亡の恐れがない(日本全国に顔が知られている)にもかかわらず保釈申請が却下されている異常な事態。権力にとって都合が悪い奴の身柄は不当に扱っていつまでもシャバに出さないというのではもう「特高」「治安維持法」ですね。財務省、文科省、国交省、警察、検察に至るまで独裁者の方を向いて言いなりとは恐ろしいことになったものです。これが「美しい国」というものでしょうか。来週は佐川前長官の証人喚問が予定されていますが、やはり野党によって喚問が要求されている安部昭恵付き秘書だった女性、この人は今イタリア大使館勤務だそうですが、消されてしまうんじゃないか心配です。独裁者にとって都合が悪いとみればそれぐらいのことやりかねないですから。もう旧ソ連みたいなものです。(いや、現在のロシアも元スパイを殺そうとしたとか……) 
当ブログで3月11日、12日に書きましたが「悪い奴ほどよく眠る」(1960 黒澤明監督)では、劇中、汚職の証拠を握る役人が自殺を強要されます。また、「あいつは人じゃない。役人だ。官僚という鋳型にはめこまれた特殊な生き物だ」という台詞もありました。その「悪い奴ほどよくよく眠る」は、現在「香川京子映画祭」を開催中の池袋・新文芸坐で本日上映されます! ちなみに今日23日は黒澤明監督のお誕生日でもあります。権力の恐ろしさを描いた名作を是非大きなスクリーンでご覧ください! (ジャッピー!編集長)

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1968年ちゃんちゃこ結成

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1968年4月に僕達は西陣織で有名な地域の京都市立嘉楽中学校に入学しました。そこで、同じクラスで仲良しになった松村君と若林君と他数名でバンドをやろうぜ!ということになりました。さて、どんなバンドがいいかな?ってことになりまして、当時、GS全盛の時代だったので、「そらやっぱりグループサウンズやろが」ってことになりました。この年、京都の大先輩達が音楽シーンの中心におりました。ザ・タイガーズとフォーク・クルセダーズでした。
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もちろん、京都のヒーロー達であり、日本のヒーロー達でした。
ギターを弾いて歌っている姿に憧れをもって、バンドがやりたい!ってことになりました。
それで、さて楽器を購入しないと~ってことになりましたが、グループサウンズをやるには、とってもお金がかかるな~、ってことが解りました。エレキギターにドラムにアンプなんて・・・。それにヴォーカルマイク、練習は誰の家でやるの?・・・これは到底無理、無理、、、ってなことで、お手軽に歌って弾ける、フォークやったら、僕らにでも出来るのでは?なんていう経済的な理由(笑)でフォークギターを買ってもらって、歌をやりはじめたのでした。GSのバンドが出来るぐらい仲間が集まってたのですが、マジに歌おうと思った3人だけが残って松村君とベースの若林君と僕の3人で中学1年生のバンドがスタートしました。結成当時は羊年の3人でシープスっていうバンド名でした。
ウッドベースを買った若林君でしたが、高1の時に脱退してしまいまして、以来二人組のちゃんちゃこカンパニーが育ってゆきました。
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中学1年生の頃はほんとに初心者でギター教則本とかを買ってアメリカ民謡なんかを少しづつマスターしていったように覚えています。フォーク・クルセダーズのアルバムは全て買ってました。こんな風に弾ければいいのになぁって思ってました。
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フォーククルセダーズは、1968年の1年だけでプロとしての活動を終えて解散してしまいました。1968年12月に発売された「青年は荒野をめざす」のシングルが最後のレコードとなりました。12月31日、フォークルは紅白の裏番組に出演して「青年は荒野をめざす」を歌っています。
北山さんの「紅白を観ずに僕らの番組を観てもらった皆さんに感謝します」という一言を今も覚えています。
加藤和彦さんの12弦ギターのイントロが印象的な曲です。

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村山実さんと江夏豊さん

昨日の当ブログの続きです。1972年、村山実さんが投手兼任監督でありながら、指揮権は金田正泰ヘッドコーチが持つという異常な体制となったタイガースはまたも2位とジャイアンツの後塵を拝してしまいます。責任をとる形で村山さんは現役引退、監督も解任となってしまいます。34歳でプレイング・マネージャーになって3年目、阪神の大エース村山は残念な形でチームを去ります。
そして、翌1973年は金田正泰さんが正式に監督に就任となります。自主トレ期間には、金田さんは江夏さんに同行して寺にこもったり仲が良かったのですが、シーズンが始まると二人の関係は険悪になっていきます。金田監督の作るローテーションがデタラメで不信感がたまっているところに、さらに打たれると毒舌家の金田さんに「ボケ」「アホ」と言われるなど投手陣の不満はマックスになっていきます。とうとう、監督が現役投手に殴打されるという事件が起きてしまいます。lg_1722_55fc75f8d5f6d
それも2度。最初は鈴木皖武さん、2度目は権藤正利さん、1年に二人のベテラン投手から殴られるのですから金田監督という人がいかに人望がなかったかが分かります。シーズン中、江夏さんと金田監督のののしり合いもたびたび新聞で紹介されるなど、毎度おなじみの「お家騒動」になってしまい、この年もジャイアンツに優勝をさらわれます。(V9最後の年です)
結果的に村山政権崩壊に一役買ってしまう形になった江夏豊さんは、のちに「サウスポー魂 小説・江夏豊投手」(川上健一・著 講談社)の中で、金田さんの甘い言葉にのせされてしまったことについて「親父がいなかったせいでああいう年代の人に惹かれるわけよ。親父のような愛情とか思いやりに対してものすごく弱かった」と語り、若くて相手を見る目がなかったことを後悔しています。それから何年かして村山さんに謝りに行った江夏さんに、村山さんは「豊、わかったろ。お前もいい勉強したろ」と言ってくれたそうです。
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金田監督退陣のあと、就任した吉田義男監督とも江夏さんはソリが合わず、とうとう南海にトレードされます。そこで出会った野村克也さんとストッパーの道を築きますが、サッチー問題で野村さん解任。わずか2年で広島カープに移ります。そして1979年、カープ優勝の瞬間、マウンドにいたのが江夏投手です。
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この試合、僕はテレビで観ていましたが、村山実さんが解説者で、優勝が決まったときに「江夏に優勝を味わわせてやりたかったが、私も出来なかった。野村監督も出来なかった。それを古葉監督はやってくれた!」と涙声で興奮気味に語っていたのをはっきりと覚えています。かつての弟分の活躍を心から喜んでいる村山さん、本当にいい人なんだなあと思いました。  (ジャッピー!編集長)
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村山投手の驚異の防御率0.98とその波紋

一昨日の当ブログでハピイさんが発掘した1970年の新聞記事から「阪神タイガースの村山実投手兼監督の1点台を切る防御率」について触れておられました。防御率というのは9回投げてとられる点を表しています。で、この年の村山さんの防御率は何と0.98! つまり、完投しても1点以下というピッチングを年間平均で行っていたわけですからスゴイ! もちろんこの年の防御率1位ですがこれは戦後の最高の防御率でその後も破られていない大記録です。
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だいたい村山投手は元来、防御率がいい安定したピッチャーでした。入団1年目の1959年(天覧試合で長嶋茂雄選手にサヨナラ・ホームランをくらった年です)に18勝、防御率1.19でいきなり沢村賞を獲得。(沢村賞を獲って新人王を獲れなかったのは村山さんだけ)4年目の1962年は25勝、防御率1.20、1965年は手首を骨折するアクシデントで5月から出場と出遅れながら25勝、防御率1.96で沢村賞。翌1966年も24勝、防御率1.55で3度目の沢村賞を獲得しました。(3度獲得は最多タイ。他に金田正一さん、斎藤雅樹さん)
そして1970年、兼任監督に就任しながら村山投手として防御率0.98という成績だったわけですが、チームは思わぬ事態になります。この年、スポーツ新聞を賑わしたのは村山さんとエースの江夏豊さんとの不仲でした。江夏さんが後年語ったところによると、本当にロッカー・ルームでつかみ合いの喧嘩になったこともあったそうです。その原因は、江夏さんの「俺ばかり酷使して、村山投手は自分が勝てる試合ばかり選んで投げている」という不満でした。全盛期を越えた村山投手はこの年、156イニング投げて14勝3敗でしたが、江夏投手は337イニング!で21勝17敗、完投した翌日もリリーフに出るようなこともありました。村山さんとしては「監督」として確実に「勝てる」試合を計算して自分のローテーションを組んだと思います。これは「監督」の立場としては当然のことだったでしょう。しかし、まだ若い江夏さんにしたら「自分ばっかり楽しやがって」と面白くなかったのでしょう。ジャイアンツと優勝争いしながら、監督とエースの仲はギクシャクし始めました。
当時の阪神タイガースというと「お家騒動」が年中行事のようになっていて、この頃は村山監督兼投手と金田正泰ヘッドコーチの派閥が抗争?していました。金田さんは村山さんとの間にスキ間ができた江夏さんに「豊、お前だけが頼りだ」とか甘い言葉で近づき、江夏投手は結果的に村山さんを追い落とす動きにのせられてしまいます。1972年、開幕後、成績があがらないタイガースは村山さんを監督のまま投手に専念、指揮権は金田ヘッドコーチが持つという前代未聞の体制をとります。チームの調子が良くなったら再び村山監督が指揮を執るという約束でしたが実行されず、屈辱の状態のままこの年で村山さんは選手引退、退団となってしまいます。
元々、江夏さんは村山さんを尊敬していて相談もよくしていたそうですが、それが監督と選手となるとローテーションとかに口出すことは違うとなってしまいます。やはり兼任監督(まして投手というのは)というのは難しいものだと思います。    (ジャッピー!編集長)
 
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「俺は眠たかった!」に吉永小百合さんが!

ご指名をいただいたので、昨日の当ブログでハピイさんが畳の下から発掘した新聞の広告にあった「俺は眠たかった!!」(1970 萩本欽一監督)について書きます。20061216011405
欽ちゃんが製作・監督・脚本・音楽・主演の5役をこなした映画ということで話題になりました。製作は欽ちゃんが所属していた「浅井企画」、音楽は小泉宏さんと共同とはいうものの、当時コント55号は人気絶頂、テレビに出まくっていたときに作ったわけですから、時間もない中で大変だったと思います。萩本さん演じる主人公が仕事に追いまくられ不眠症に陥るという設定が、実際の当時の殺人的なスケジュールの中にいた欽ちゃんの心の叫びのように思えました。ビートルズ人気が沸騰する最中にジョン・レノンさんの心情が垣間見える「ヘルプ!」みたいな感じ?でしょうか。program_photo_55_orenemu

僕はこの作品を封切では観ていなくてだいぶ経ってから名画座で観たのですが、すごく笑えたという印象はありません。だいぶ中身は忘れてしまいましたが、坂上二郎さんが何役もやっていたのは覚えています。(昨日の当ブログの広告によると二郎さん5役)たしか欽ちゃんの母親役もやっていたし、欽ちゃんと二郎さんによるコントをいくつかつなぐスタイルだったと思います。しかし、コント55号のお二人がテレビでやっていたスピーディなコントが面白過ぎたからか、ちょっと期待外れだったような感じでした。テレビでなく「映画」ということを意識したのでしょう、サイレント風に字幕を使ったりしていましたが、それがテンポを崩したのかもしれません。また、不眠症でフラフラして起した事故で孤児になった子どもを引き取るくだりは「キッド」(1921 チャールズ・チャップリン監督)を思わせるし、萩本さんはのちにチャップリンに会いにいったりするほど心酔していましたから、チャップリン映画へのオマージュの意味もあったかもしれません。いっそ、全編サイレントで作っても良かったのではと思いました。
物足りない所はありましたが、主人公の眠りを妨げる工事の音や交通戦争にはちょっと社会風刺をこめているし、石立鉄男さんが演じるゲバラかぶれの革命家など、1970年という時代の空気をたっぷりと感じられるという点では面白かったです。
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萩本さんはこの前年には自分で制作費を出し自作自演の「手」(1969 萩本欽一監督)という60分ほどの映画を自主制作しているほどなので、「映画」への思い入れは相当に強いものがあるようです。これは僕も未見なのでどこかで上映してほしいです。
「俺は眠たかった‼」には一瞬、吉永小百合さんが出ていたと記憶しています。今、公開中の「北の桜守」(2018 滝田洋二郎監督)は「吉永小百合さん出演映画120本目」となっていますが、吉永さんのフィルモグラフィに「俺は眠たかった‼」が入っていないで数えてしまっていますね。正確には「北の桜守」は121本目です!  (ジャッピー!編集長)

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1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
ジャッピー!編集長
映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
映画や昭和歌謡に底知れぬ造詣を示す昭和博士
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昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
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