ハッピー昭和クラブ

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

2018年04月

追悼・高畑勲監督

今年の4月5日にアニメーション監督の高畑勲さんが82歳で亡くなりました。7e84fc06
僕は人一倍、映画を観る人間なのですが、アニメはそれほどでもないのです。しかし、高畑監督の劇場公開アニメはほとんど観ています。盟友の宮崎駿監督のように毎年のように新作があってヒットさせていたのと比べると、寡作といっていいでしょう。それだけに、どの作品も練り上げられていて、深みがあったように思います。「火垂るの墓」(1988 高畑勲監督)で封切日が決まっている中で日程に追われ、一部の場面を完成できないまま公開したことを恥じて、一時監督引退を考えたといいますから完璧主義な方なのだと思います。
その「火垂るの墓」は何回観ても落涙させられます。空襲の焼夷弾に対比される蛍のささやかな煌めき、政治的メッセージを声高に叫ばずとも、これほど戦争への怒りがこめられた作品はないでしょう。僕はこの映画を観ると、菅原文太さんが生前おっしゃっていた「若い人々と子供たちが幸せでない時代は、間違いなく悪い時代だ。若い人たちと子供たちに希望がない国は、間違いなく悪い国である。」という言葉を思い出します。高畑勲監督は大林宣彦監督や山田洋次監督といった戦争を知る世代の方たちと「戦争を伝える」ことに注力されていました。「映画人九条の会」にも参加され、改憲や安保関連法、特定秘密保護法などへの反対を強く訴えていました。高畑監督ご自身の空襲体験を綴られた「君が戦争を欲しないならば」(岩波ブックレット)でも、
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ひとつの方向に流れやすい日本人の歯止めとしても平和憲法が絶対必要ということを書かれています。
あと個人的な思い入れで言いますと、高畑さんのアニメ監督デビューは東映動画時代のテレビ「狼少年ケン」だということがあります。子どもの頃、このアニメが大好きで(前にも書きましたが)当時、家で飼っていた犬に「ケン」という名前をつけたほどです。♪ぼぼんがぼんぼん~ぼんがぼんぼん~という小林亜星さんによる主題歌も記憶にこびりついています!  もちろん、子どもだったので作り手の名前は知るよしもなかったのですが、毎週「狼少年ケン」で夢中にさせてくれた高畑勲監督のご冥福を心よりお祈りいたします。ちなみに明日5月1日~3日、池袋の新文芸坐では「追悼・高畑勲」というモーニング上映を行います。
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「パンダコパンダ」(1972 高畑勲監督)、「パンダコパンダ 雨ふりサーカス」(1973 高畑勲監督)、テレビシリーズの再編集版「赤毛のアン グリーンゲーブルズへの道」(2010 高畑勲監督)、そして傑作!「太陽の王子 ホルスの大冒険」(1968 高畑勲監督)が上映されます。お時間のある方は是非お越しください。
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  (ジャッピー!編集長)
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官僚たちに聴かせたい「反逆のメロディー」の名セリフ

昨日の当ブログでふれた、石橋正次さんが矢吹丈を演じた映画「あしたのジョー」(1970 長谷部安春監督)は1970年7月22日公開。その前、ゴールデンウイークの5月に「ハレンチ学園」(1970 丹野雄二監督)がヒットしたので味をしめて、同じくマンガの映画化の企画となったのかもしれません。「あしたのジョー」は日活と新国劇の提携作品だったので、辰己柳太郎さんが「丹下段平」に扮し、いい味を出してました。
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近年の「あしたのジョー」(2011 曽利文彦監督)では香川照之さんがマンガの「丹下段平」そのもののメイクで演じておりましたが、こうなると逆に笑ってしまって……マンガの実写化とはいえ、平面に描かれた画と生身の人間は違いますからねえ。
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それはさておき、1970年の「あしたのジョー」は「反逆のメロディー」(1970 澤田幸弘監督)を併映作に公開されました。「反逆のメロディー」は、いわゆる「日活ニューアクション」を代表する1本として知られております。地方都市を牛耳ろうとするヤクザ組織にアウトローが戦いを挑むストーリーで、主人公の原田芳雄さんが上下ジーンズというスタイルでジープに乗り、原田さんに同調する佐藤蛾次郎さん以下の仲間たちはバイクを乗り回すというのが、従来の任侠、ヤクザ映画と違って暴走族ものみたいな若い感覚があふれているのが新機軸でした。
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長髪、ジーンズというスタイルで登場する原田芳雄さんは「アウトロー」というイメージを強く確立しましたが、この映画を観ると、意外に原田さんの役は「策士」的な面が強いと分かります。(映画の冒頭は組織の偽装解散のシーンで原田さんもダークスーツを着ています)登場人物では、自分の組を潰され復讐に燃える一匹狼の藤竜也さん、敵方の組織の一員ながら反抗的な暴れ者・地井武男さん(原田さんと意気投合し、お互いの腕時計を交換して「これで俺たちはダチ公だぜ!」と言うシーンがシビレます)の方がずっとアウトロー度が高いです。そして最もアナーキーなのが佐藤蛾次郎さん演じる「ゲバ作」です。室蘭出身という以外は本名、来歴いっさい不明で、「とにかく破壊だ! ぶっこわせ! 威張りくさって弱い者をいじめるブタどもをぶち殺せ!」と暴れまわり映画の中途であっさり殺されます。この「ゲバ作」が印象的な台詞を言います。駆け引きにまみれる組織同士の「政治」に対して、「白は白、黒は黒、許せないものは許せないんだ!」と言うのです。
存在する文書を「ない」とウソついたり、あげくは公文書を「改ざん」したり、「口裏合わせ」を持ち掛けたり、「あの人」のために必死になって「白を黒」としようとしている官僚、これじゃあ悪い「ヤクザ」の下っ端そのものです。優秀な成績で東大とか出て、チンピラとなっていることを恥ずかしく思わないんですかねえ。「ありえないことをさせられた」と言い残して自ら命を絶った仲間もいるのに…… (ジャッピー!編集長)
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力石徹の葬儀、そしてアニメ、映画へ

昨日の当ブログで「あしたのジョー」の力石徹の常軌を逸した減量について書きました。ウェルター級の力石徹が3階級も下のバンタム級の矢吹丈に合わせる(当時8階級。現在の17階級で考えると6階級下です!)ためだったわけですが、実は力石が初登場して、少年院で飼育するブタの群れの暴走に乗じて脱走しようとしたジョーの前に現れ、ブタを次々に殴り倒します。このシーンで力石のことをちばてつやさんがつい「大柄」の体格に書いてしまったことが始まりだったのです。このときは、先に「階級を越えて」対決するなんて考えていなかったそうですから、まさに「ケガの功名」といえるでしょう。
結果的には、力石選手はジョーをKOしながら試合後に亡くなってしまいますが、ストーリー的には大変盛り上がるものになりました。何しろ、亡くなったあと1970年3月24日には講談社において「力石徹の葬儀」が行われたぐらいです。マンガの登場人物のために葬儀が行われ、参列者が集まるなんてことはもちろん前代未聞のことでしたtumblr_inline_n4rbegqQcq1qb30ta
主催したのは寺山修司さん。ちゃんとお坊さんも呼んでお経もあげてもらい、原作者の高森朝雄さん(梶原一騎さん)、作画のちばてつやさんはもちろんのこと、一般読者の人が列をなしたといいます。ダウンロード
葬儀の最後にテンカウントがコールされ、寺山さんが弔辞を読まれました。時代相の中で「力石徹」をとらえた思い入れたっぷりの弔辞でしたが、この葬儀には、尾藤イサオさんも来場し、アニメ「あしたのジョー」の主題歌を歌っています。♪サンドバッグに~浮かんで消えぇた~憎いあんちくしょうの~顔めがぁけ~ と尾藤さんがソウルフルに歌唱するこの歌の作詞をしたのが寺山さんで、この葬儀の直後4月からアニメの放送が開始されるので、そのプロモーションだった側面はあったかと思います。
そして、7月には日活によって映画化されます。「あしたのジョー」(1970 長谷部安春監督)で矢吹丈を演じたのは石橋正次さん。
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当時、不良ぽい役で人気が出始めていた石橋さん、力石役は亀石征一郎さんでした。マンガを先に読んでいるので、どうしてもインパクトに欠けるきらいがありますが、石橋さんのジョーは悪くなかった記憶があります。
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ちなみに安岡力也さんが力石役を熱望しましたがオーディションに落ちてしまいます。しかし、長谷部監督は次作の「野良猫ロック セックスハンター」(1970 長谷部安春監督)に起用、力也さんのキャリアの中でも代表作となるのでした。(この名作については当ブログ2017年3月10日をご参照ください)    (ジャッピー!編集長)
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力石徹、狂気の減量

本日、4月26日というのは「日本で初のボクシングのタイトルマッチ」が行われた日なんだそうです。1924年(大正13年)当時の「日本拳闘倶楽部」が主催して日比谷公演音楽堂が会場。この試合で日本チャンピオンが決まったのです。今は協会も「日本ボクシングコミッション」という名称となって、皆「ボクシング」と呼んでいますが、僕の子どもの頃、父親なんかは「お、今日はテレビで拳闘があるか」と普通に「拳闘」と呼んでいたなあ。
ボクシングといえば、今月15日のWBCフライ級タイトルマッチで、チャンピオンの比嘉大吾選手が計量で体重オーバーで王座を剥奪されるという事態になりました。(試合もTKOで負けました) その前にもWBCバンタム級タイトルマッチで山中慎介さんが王座奪回を狙ったのですが、チャンピオンのルイス・ネリ選手(メキシコ)が前日計量で2.3キロも超過して王座を剥奪されました。おまけに試合時はさらに増加し1階級以上の体重となっていたそうで、これでは山中選手は勝てません。王座は空位となり、大変しらけた世界戦となってしまいました。計量オーバーなら、その時点でフェアではなくなっているわけですから、試合をやらずに、無条件で相手が王座につくでいいと思うのですが、やはり興行としてテレビ中継も入っているし、大きな金が動いているので「試合」はやらざるを得ないようです。比嘉選手の場合も前の試合から2ヵ月という短いインタバルにムリがあったと思います。これも「興行」の都合ですね。比嘉選手も1回目の計量後、汗も一滴も出なかったといいますから、無理なスケジュールで試合を組んだジムにも責任があると言われても仕方ありません。いずれにしても、日本人の世界チャンピオンで初の軽量オーバーですから残念なことです。比嘉選手には「無期限停止」という重い処分が下されましたが、まだ若いのですからあきらめず頑張ってほしいです。
過酷な減量で思い出すのは「あしたのジョー」の力石徹です。
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ライバルの矢吹丈と戦うために階級を下げるわけですが、力石はウェルター級、一方、ジョーはバンタム級ですから3階級も下なのです!(当時は8階級、今は細かくなって17階級) おそらく10キロ以上減量しなくてはなりません。これはもう狂気の沙汰です。力石はひとり地下牢みたいな部屋で寝起きし、夜中に苦しくて水を飲みたくなるので水道の蛇口を針金で巻いて水が出ないようにしてしまいます。その痩せこけて幽鬼のような表情(マンガですが)は忘れられません。ダウンロード (90)
力石はジョーを倒しますが、試合後に亡くなってしまいます。こんな減量したらムリもありません。
「あしたのジョー」は少年マガジン1968年1月1日号スタート(発売は1967年12月ですが……)ですから、今年、連載50周年です。
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それを記念して「あしたのジョー展」が明後日4月28日から5月6日まで「東京ソラマチ」で開催されます。行ってみたいけど、ゴールデンウイーク真っ只中、混むだろうなあ。  320
(ジャッピー!編集長)
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「ジャックス」にぶっ飛んだ!

昨日の当ブログで取り上げられていた「ジャックス」、僕もアルバム「ジャックスの世界」を初めて聴いたときはぶっ飛びました。A面1曲目の「マリアンヌ」、ドラム・ソロが徐々に高まっていき、♪嵐の夜が好きさ~ 怒り狂う闇が俺の道案内~ という歌詞、グループサウンズとは全く異なる世界観に、何だかとんでもないものに触れているような「おののき」に近い感情にとらわれたのを覚えています。
2曲目のリリカルな「時計をとめて」をはさみ、次が「からっぽの世界」です。この曲がファースト・シングルだったわけです。歌詞に「ぼく、おしになっちゃった」というフレーズがあってCD化されなかったり、この曲だけ収録されてないことがありましたが、現在はどうなのだろう?ダウンロード (87)

僕はビートルズ好きなので、B面の「どこへ」とか、「トゥモロー・ネヴァー・ノウズ」のサウンドを連想したりしました。1966年に「リボルバー」が発表され、1968年までの間に、サイケデリック、アート・ロック、ハード・ロック、プログレと急速にロックは多様化していきます。僕は、「ジャックス」の早川義夫さんの魂を引きちぎるようなヴォ―カルに、男女の違いはあれどジャニス・ジョプリンさんを思い出しますし、内省的で文学的な歌詞には「ドアーズ」のジム・モリソンさんを連想します。
「ジャックス」は元々、早川さんが和光高校に通っていた頃、同級生と組んだバンドが母体です。男子2人女子1人というトリオ編成で「ピーター、ポール&マリー」のコピーなどやっていたといいますから、フォークが原点です。その後、女子が抜けて「ジャックス」という名前になり、新メンバーを加え4人組となってヤマハ軽音コンテストで入賞、プロ・デビューを果たします。彼らの曲の歌詞がどこか文学的な匂いがするのは、和光高校の演劇部の先生が率いていた劇団員の女性なども歌詞を手掛けていたからです。(「マリアンヌ」「どこへ」の作詞者・相沢靖子さんなど)そして、あとから加わった木田高介さんはジャズの影響を受けていたし、いろいろなジャンルが融合してフォークの枠を超えた音楽性を持つに至ったのでしょう。1968年当時、「ジャックス」の曲、演奏はまさに唯一無二のものとなりましたが、時代が追いついていないきらいはあったかもしれません。グループ・サウンズというメイン・ストリームに対し、アングラという感じがしました。
一方でタイガースやテンプターズが東宝の映画で主演映画を撮っていたとき、ジャックスはピンク映画、それも最も先鋭的な若松孝二さんの作品「腹貸し女」(1968 若松孝二監督)ダウンロード (88)
 に出て演奏していたわけですから、それぞれの立っていた位置が分かりますし、1968年という時代の音楽シーンが多様な混沌にさしかかっていて、刺激的だったのだなあとあらためて感じます。  (ジャッピー!編集長)
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きたさん
1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
ジャッピー!編集長
映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
映画や昭和歌謡に底知れぬ造詣を示す昭和博士
ハピイ氏橋
昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
独自の目線で昭和の面白さを掘り起こすイラストレーター
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