ハッピー昭和クラブ

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

2018年06月

「颱風とざくろ」星由里子さん、大人の女優へ

昨日の当ブログで取り上げた「千曲川絶唱」(1967 豊田四郎監督)のラスト近く、死の迫った北大路欣也さんが「君を見せてくれ……目に焼き付けて死にたいんだ……」と言って、星由里子さんが服を脱いで欣也さんの眼の前に裸身をさらすシーンは感動的でした。middle_resize_0

ここでは、星さんはバックヌードで背中が見えるだけでしたが、星さんのヌードが正面から映し出された作品が同年9月公開の「颱風とざくろ」(1967 須川栄三監督)です。(「千曲川絶唱」は2月公開でした)
冒頭いきなり驚かされる場面があります。星さんは大学のテニス部員で仲間と練習しています。OBの中山仁さんがコーチです。練習が終わってシャワーを浴びている女子5人が、中山コーチにからかい半分に「コーチも一緒にどうですか?」と言うと、何と、中山コーチは全裸になってズカズカと入ってきて普通にシャワーを浴びるのです! ずうずうしいのか、鈍感なのか平然としている中山さん……この場面、女子たちの裸身にはボカシがかかるなどはっきりと見えませんが当時としてはけっこう過激なシーンだと思います。この女子たち、星さんの他に桜井浩子さん、菱見百合子さん(のちのひし美ゆり子さん)がいるので、ウルトラシリーズのヒロインのヌード競演ということになります。20091005_2866437
それはさておき、帰り道でテニス女子たちが中山コーチの「シンボル」について批評?したり、石坂洋次郎さんの原作らしく、「性」に対して開けっぴろげな感じなのですが、ちょっとやりすぎな感もしました。いくら女子に呼ばれたと言ってもシャワー浴びているところに入るかなあ。「セクハラ」と認定されちゃうのでは?
その後、英子は中山コーチと付き合うようになり、お互いの家族にも紹介しますが、中山さんは紳士的で英子の体を求めたりしません。むしろ英子の方が積極的なくらいですがいつも飄々とかわされます。クリスマスの日、中山さんは友だちと登山に出掛けます。英子は窓の外を見ながら「彼がその逞しい肉体で私を押さえつけてくれたら……彼が帰ってきたら私は彼に私のこの体をあげよう……」と呟きながら、パジャマの前をはだけ、両の乳房をさらし、手で愛おしそうにつかみます。ダウンロードhoshi
健康な一人の女性として持っている性の欲求を肯定するような石坂原作のテーマをあらわすようなシーンでした。このとき星由里子さんは23歳。当時の女優としては大胆なシーンにちょっとドキドキしますが、星さんが大人の女優に脱皮しようと決意した時期なのかもしれません。
映画は中山さんが遭難して亡くなってしまいます。
彼が残した日記には「オレは英子を強引に抱くべきだったろうか……」とあり、鈍感、平然と見えた中山さんも性の葛藤があったことがわかります。英子がこの日記をちぎってお茶漬けにかけて食べてしまうシーンがありました。しばらく心に穴の空いたようだった英子ですが、社会人になり中山さんの弟(黒沢年男さん)と再会、付き合うようになり前を向いて生きていく決意をします。ラスト、中山さんのお墓の前での黒沢さんとのキス・シーンもかなり濃厚で、性的シーンのまったくない「若大将」シリーズの呪縛から解放されたかのようでした。
(ジャッピー!編集長)
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星由里子さん渾身の演技、名作「千曲川絶唱」

星由里子さんの代表作というと、「千曲川絶唱」(1967 豊田四郎監督)ではないでしょうか。102161868
難病もので、文芸映画の巨匠・豊田四郎監督となるとしっとりと静的な画面を想像しますが、この作品はすごい躍動感があって生き生きと若者を描いています。それは何より、主演の北大路欣也さんと星由里子さんの瑞々しい演技があったからだと思います。
北大路欣也さんはとにかく、元気を絵に描いたようなエネルギッシュな青年です。田中邦衛さんがトラック運転手の相棒で、邦衛さんの妹(いしだあゆみさん)はカリエスで入院しています。そのお見舞いに付き合った欣也さんは、少し前に歯茎から血が出ていたので、邦衛さんから「ついでにお前も診てもらえよ」と言われ、渋々診察を受けます。欣也さんはこの病院で出会った看護婦の星由里子さんに一目で惹かれます。医者の平幹二朗さんは欣也さんに「白血病」の症状を見つけます。はじめは病気のことを隠していましたが、ある日、欣也さんが運転中にめまいが襲い、鶏小屋に突っ込む事故を起こします。このときの警察と病院の電話のやりとりから欣也さんも「白血病」であることを知ってしまいます。(漁師の手伝いで海に出た時にビキニ実験の白い灰を浴びたという設定なので反核映画でもあります)ヤケになった欣也さんはパチンコ屋に入り浸ったり、街をふらつきます。星さんにも「放っておいてくれ!」とすっかりひねくれてしまいますが、次第に心をひらき通じ合います。星さんが「目の見えない人には白い杖がいるわ。そして、その杖になりたいという人もいるのよ」という科白が印象に残ります。
実は星さんには親が決めた許婚がいるので、父親(宮口精二さん)は激怒、「相手はトラック運転手でしかも余命半年か一年というじゃないか!お前はあと30年も50年も生きるんだぞ!」と言うと、星さん、「死んだ50年より生きた1年を選ぶわ!」と言うのが感動的。また、星さんが母の墓に欣也さんを連れていき、宝物だという「母がつけていた育児日記」を読み上げるシーンがありました。「……誰かに必要とされる限り、人間として生きる価値があるんだ。だから強く生きていくの……」、聴いていた欣也さんが「俺なんか誰も必要としてくれてないさ……」と言うと星さんが「私が!必要としているわ!」と言うのです。ああ、こうして書いていても涙が出そうになるなあ。
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そして、欣也さんは前向きになり「俺が作った道をトラックが走るんだ……」と道路工夫として働きます。しかし、病状は悪化します。欣也さんが病院のベッドで「君を見たい……」と言い、星さんが欣也さんの前で裸身をさらすシーンはソフトな画調で本当に美しかったです。女優に対する演技指導に定評のある豊田監督のもと、星さん本当に入魂の演技という感じで忘れられない映画です。
(ジャッピー!編集長)
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追悼・星由里子さん~特撮映画と澄ちゃん

今年の5月16日に星由里子さんが亡くなりました。
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お病気だったとは知らなかったので突然の訃報で驚くました。何より74歳というのは早すぎます。残念でなりません。
星由里子さんは1958年、14歳のとき、東宝が「宝塚歌劇団東京公演」を記念して実施した「ミス・シンデレラ娘」コンテストで優勝、映画界に入ります。
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その後、時を経て1984年に「東宝シンデレラ」コンテストとして定期的に開催され、沢口靖子さんや長沢まさみさんがデビューしますから、星さんは彼女たちの大先輩ということになります。
翌年「すずかけの散歩道」(1959 堀川弘通監督)でデビューした星さん、ダウンロードsuzukake
何といっても1961年にスタートした「若大将」シリーズのヒロイン・澄子役が有名です。加山雄三さんも星さんの訃報に接して「……僕より君が先に逝ったことを信じたくないけど、澄ちゃんの存在は永遠だよ……澄ちゃん、ありがとう。ゆっくり休んでね」というコメントを出されていました。images (1)
また、星さんは「モスラ対ゴジラ」(1964 本多猪四郎監督)以来、特撮映画にもよく出られていたので、僕も子供の頃からよく星さんを観ていました。
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やはり東宝特撮によく出ておられた水野久美さんも大好きでしたが、水野さんは「妖艶」(子供ですからこの語彙は持っていませんでしたが)な美しさ、一方の星さんはショートカットの髪がよく似合い、溌溂として親しみやすいという感じでした。水野さんの方が星さんより6歳上ですから無理もありませんが、水野さんの大人っぽさ、星さんの身近にいるお姉さん的なキュートさ。まったく別種の魅力に子供心ながら胸ときめかせたのでありますhqdefault
。子どもの頃に特撮から入った僕には、初めて映画で意識した女優の2トップということになります。
また、「若大将」シリーズは特撮ものと2本立てで公開されることも多かったので、夏休みやお正月の東宝映画を観に行くと、必ず2本のうち1本で星由里子さんとスクリーンでお会いしたという記憶があります。例えば、当ブログ4月15、17日に取り上げた「海の若大将」(1965 古澤憲吾監督)の併映は「フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)」(1965 本多猪四郎監督)だったし、「エレキの若大将」(1965 岩内克己監督)の併映は「怪獣大戦争」(1965 本多猪四郎監督)でした。本当にたくさんの映画で楽しませていただきました。星由里子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
(ジャッピー!編集長)
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大阪で震度6の地震

昨日の大阪で起こった地震で被害にあわれた方々へお見舞い申し上げます。余震があるかもしれないのでじゅうぶんにお気をつけてください。大切な命をおとされた方もいるし、皆さん不安でいっぱいの状況の中、悪質な「デマ」画像をSNSに流し、拡散する人というのはいったいどういう神経をしているのか。悲しくなります。 (ジャッピー!編集長)
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梶芽衣子さん、新文芸坐にて熱く語る! PART2

昨日の当ブログで書いたように、新文芸坐の「梶芽衣子映画祭」の初日の舞台挨拶で梶芽衣子さんは演技論や映画への強い思いを語られました。日活という映画会社で育てられた梶さんは、1965年(昭和40年)入社、渡哲也さんと同期です。
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昨日のトークでも「まだ学生だった渡さんは詰襟、私はジーパン姿」と回想されました。調布の撮影所で仕事が終わって帰りのバスがなかなか来ないときなど、よく一緒にお二人でテクテク駅まで歩いたそうです。すると、当時の大スターさんたちが横をベンツやリンカーンといった高級車に乗って通り過ぎ、埃をかぶったそうです。そんな時、梶さんが「あんな車に乗れるようになるまでやる?」と訊くと、渡さんは「男子一生の仕事にあらず!」ときっぱりおっしゃたそうです。梶さんも始めは特に「女優」になりたいと思ってもいなくて、右も左も分からない所に放り込まれて苦しい思いをしていたので、「気がつけば、そんな二人が50年以上もずっと俳優をやっているのよ」と感慨深そうに述べられました。
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日活時代の石原裕次郎さん、小林旭さん、宍戸錠さん、高橋英樹さんなど、東映では高倉健さん、菅原文太さんなどの看板スターの方々と共演させていただいたという梶さん、「三船敏郎さんとは映画では共演がなかったけれど、三船プロが初めてTV番組を製作したときにオファーをいただき出演させていただいた」ときのエピソードを語っておられました。初めて三船プロダクションを訪れたときに、門の所で竹ぼうきを持って掃除しているおじさんがいたので「おはようございます!」と挨拶したら、それが三船敏郎さんだったので驚いたとのこと。(三船さんはキレイ好きでご自宅でも率先してマメに掃除をしていたことが有名)三船さん、すぐに「梶さんですね。今日からよろしくお願いします」と言い、「荷物をお持ちしましょう」と梶さんの荷物を持ち、部屋に入れば自らコーヒーをいれてくれたそうです。
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梶さんは「世界の」といっていいのは三船敏郎さんだけとおっしゃり、その謙虚な人柄を称賛されていました。そして「今どきのにわか映画俳優の方がよっぽどエラそうじゃない? おやめなさい!」と言うと、場内は共感の笑いが起きました。
その後、「深作欣二監督、増村保造監督とのエピソードを」という観客からの質問に「濃いわよ~」と言いながら語っていただきました。そして最後に「本物の映画を撮られた監督に最後に出会えた女優じゃないかなと思います。それが誇り」とおっしゃいました。梶さんの映画育ちの自負と矜持に満ちたトークでした。  (ジャッピー!編集長)
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1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
ジャッピー!編集長
映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
映画や昭和歌謡に底知れぬ造詣を示す昭和博士
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昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
独自の目線で昭和の面白さを掘り起こすイラストレーター
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