ハッピー昭和クラブ

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

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あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

2018年07月

追悼・真屋順子さん 「大幹部・無頼」と「傷だらけの天使」

昨日の当ブログで紹介した「無頼」シリーズ第2作の「大幹部・無頼」(1968 小沢啓一監督)は、作りこまれた脚本と、ラストの下水における死闘など鮮烈な映像でまぎれもなくシリーズ最高傑作ですが、主演の渡哲也さん&松原智恵子さんを脇で支える役者たちの好演も光ります。1作目「無頼より 大幹部」(1968 舛田利雄監督)で、幼い頃からの友人である待田京介さんが殺され、その愛人(松尾嘉代さん)を助けた五郎(渡哲也さん)は松原さんと付き添わせて松尾さんを青森に実家に送ります。待田さんを支えるため体を売っていた松尾さんは胸を病んでいます。その治療費のために五郎は嫌気のさしていたヤクザ稼業に引き戻されます。この病身の女性を演じた松尾嘉代さん、また、傷ついた渡さんを助ける娼婦の役で、僕のミューズ・芦川いづみさんが出ておられますが、この薄幸の女性を演じたお二人のはかない美しさが忘れられません。
昨年末、2017年12月28日に75歳で亡くなられた真屋順子さんも出ておられます。images (1)
五郎が雇われたヤクザ一家と敵対する組の幹部が二谷英明さんで、何とか抗争をおさめようとする良識派です。二谷さんの妻を演じたのが真屋さんで、ヤクザの女房ですが平凡な奥さんというたたずまいです。二谷さんはやはり稼業に嫌気を覚え足を洗おうと考え「最後の仕事」と約束を取り付け、殴り込みをかけますが失敗、命を狙われ逃亡の身となります。五郎が「早くこの街を離れろ」と忠告しますが、家族思いの二谷さんは一目、妻子に会おうと家に近づいた所を待ち伏せしていた刺客に殺されます。死体の横に子供へのおみやげのケーキがグチャグチャに踏み潰されているのが悲惨です。これは、のちの「仁義なき戦い」(1973 深作欣二監督)のラスト近く、松方弘樹さんが子供に買ってあげようとオモチャ屋さんに立ち寄って殺されるシーンがよく似ています。
真屋さんは俳優座出身で舞台で活躍されることが多く、映画では他に目だったものが思い出せませんが、萩原健一さんと水谷豊さんのコンビが主演したTVドラマ「傷だらけの天使」の第1回に出られたのが印象に残っています。
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ショーケンが逃走中に子供とぶつかってケガさせてしまい、事件に巻き込まれてしまう母親役でした。(たしか、子供は坂上忍さんだったと思います) 母子家庭でひっそりと暮らす母親役で、勤め先の上司に関係を迫られるシーンでチラッとバストを露出させていました。
そのお顔立ちから、薄幸な役柄が多かった真屋さんですが、1976年にスタートした「欽ちゃんのどこまでやるの!?」でブレイクしたのはご存じの通り。
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その後、脳出血で半身麻痺になっても辛いリハビリにも負けず頑張っておられた姿も知られています。本当に前向きで明るい方だったんだなあと思います。ドラマや「欽どこ」で楽しませてくれた真屋順子さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
(ジャッピー!編集長)
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1968年「無頼」が切り開いた日活ニューアクション

昨日の当ブログで書いたように「上板東映」のオールナイトで「無頼」シリーズを5本観た僕は、朝、映画館を出る頃にはすっかり渡哲也さん(=人斬り五郎)になりきって、♪ヤクザの胸は何故に淋しい~流浪の果ての虫けらに~ と主題歌を口ずさんだりしたのでした。
後年、「竜二」(1983 川島透監督)で知られる金子正次さんの伝記映画「竜二Forever」(2003 細野辰興監督)を観たときに、高橋克典さん扮する「金子正次」がやはり「無頼」を観たあと心酔して主題歌を口ずさむシーンがあって、「ああ、僕と同じだ……」と思ったのでした。先日も書きましたが、「上板東映」の閉館日の最終上映が「竜二」だったことも何か繋がってきます。
それはさておき、6本ある「無頼」シリーズの最高傑作はやはり2作目の「大幹部・無頼」(1968 小澤啓一監督)です。

1作目の「無頼より 大幹部」(1968 舛田利雄監督)の純然たる続篇で、舛田組の助監督だった小澤さんの監督デビュー作となりました。ちなみに3作目以降はそれぞれ単独の話で繋がりはありません。「大幹部・無頼」は冒頭に前作の要約みたいのがつきますから、1作目の後篇とみていいと思います。渡哲也さん演じる五郎は何とかヤクザの世界から抜け出そうとしますが、様々なしがらみでズルズルと引き戻されて孤絶の闘いに至る……というのがシリーズの基本的なパターンです。「大幹部・無頼」では、ラスト、悪玉たちと下水の中での凄絶な激闘とその暗渠の上にある学校でバレーボールに興じる女子高生たちの姿がカットバックされます。健康的な日常世界(いわば、吉永小百合さんとかが出た日活青春路線)と全く異なる陰惨な裏社会が対比される、今や伝説となった名場面であります。それまでの日活アクションにももちろんヤクザや悪玉は出てきましたが、「無国籍アクション」に代表されるようなどこか現実離れしたフィクショナルな悪者でした。それが、「無頼」では残虐性を増し、リアルに悪辣な存在となります。「無頼」シリーズがいわゆる「日活ニューアクション」の始まりと位置づけられる要因のひとつ」だと思います。さらに時を経て、それは「東映実録路線」にもつながっていくのです。
石原裕次郎さんや小林旭さんのような颯爽としたヒーローとは違って、このシリーズで渡さんが演じたのは惨めにもがき苦しむ主人公でした。それまでの「日活アクション」とは明らかに違うフェーズに入ったのでした。この「大幹部・無頼」ではドブ川の死闘でしたが、次の第3作「無頼非情」(1968 江崎実生監督)では渡さんと悪玉の渡辺文雄さんがペンキまみれになって取っ組み合います。ダウンロードburai
ちょっと「酔いどれ天使」(1948 黒澤明監督)の三船敏郎さんと山本礼三郎さんの激闘を彷彿させますが、「ド汚ねぇヤクザ」(←劇中の渡さんの自嘲的な台詞)に絡み取られもがく渡さん演じる五郎の置かれた苦境をあらわすようで、感情移入しまくったのでした。(ジャッピー!編集長)

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我が映画史の核となった「上板東映」で観た映画

一昨日、昨日と「上板東映」のことを書いています。ここは僕が住んでいた家から徒歩3分ぐらいの所にあったので本当によく通いました。僕は生まれは新宿なんですが、幼児の頃に池袋に引っ越し、小、中、高校の途中まで住んでいました。映画が好きになり始めて池袋の「文芸坐・文芸地下」に行くようになり、日曜なんかは朝早く開場前から並んで、文芸坐で洋画を観て、文芸地下で邦画を観るなんてことをやっていました。僕が住んでいた上池袋という町から歩いて15分ほどでしたから、早起きして名画座のハシゴをしていました。そして高校のとき「上板橋」に越したら、さらに近所に「上板東映」という名画座があったというわけです。ちなみに、その後「上板橋」から「東武練馬」に越したのですが、今度は僕が越してきたあとに駅近くにシネコン(12館)ができ、今に至っています。僕の住む先々、映画館が待っていたり、追いかけて?作られたりなのです。もう、僕は「映画館」のない町に住むことが考えられない運命なのかもしれません。
というわけで、ご近所名画座の「上板東映」によく出かけ、たくさんの日本映画を観ました。普通の名画座が「2本立て」なのに対し、ここは「3本立て」は当たり前、「4本立て」なんてこともけっこうあったので、1日「上板東映」で過ごすなんてことがよくありました。「仁義なき戦い」(1973 深作欣二監督)~「仁義なき戦い 頂上作戦」(1974 深作欣二監督)の脚本・笠原和夫さんの4部作を観たのをよく覚えています。
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残る「仁義なき戦い完結篇」(1974 深作欣二監督)も後日「上板東映」の昼間の番組で「仁義の墓場」(1975 深作欣二監督)、「脱獄広島殺人囚」(1974 中島貞夫監督)と3本立てで観ました。そういえば「新・仁義なき戦い」シリーズ3本もここで観たなあ。
あと、個人的には、オールナイトにもよく行きました。家から近かったこともあって、家で夕食を食べてから、ちょっとしたお菓子と飲み物を持ってオールナイトに出掛けたものです。一番記憶に残っているのは「野良猫ロック」シリーズ全5作を一気見したことです。ダウンロードnora
軽快に「女番長・野良猫ロック」(1970 長谷部安春監督)「野良猫ロック ワイルドジャンボ」(1970 藤田敏八監督)とすすみ、ちょうど深夜にヘヴィな「野良猫ロック セックスハンター」(1970 長谷部安春監督)、ちょっと疲れた時間帯に「野良猫ロック マシンアニマル」(1970 長谷部安春監督)、そしてラストで主人公たちが全滅する「野良猫ロック 暴走集団’71」(1971 藤田敏八監督)を観終えて外に出ると白々と夜が明けている……というのが自分の中でぴったりとハマった映画経験として残っています。オールナイトでは、他にも渡哲也さんの「無頼」シリーズ5本を観て、img_0 (1)
渡さんがぶっきらぼうに唄う主題歌がしばらくは脳内にこびりつきました。「無頼」シリーズは全6本。最後の「無頼 殺せ」(1969 小沢啓一監督)は長らく観れなかったのですが、この6年後ようやく浅草の映画館で観れました。
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こうして「上板東映」でたくさんの日本映画を観ました。多い時は土曜日に4本観て、一度家に帰って夕食を食べて夜に5本立てのオールナイトを観るといったこともやっていました。そして、その後の人生で色々な映画を観てきましたが、結局はここでまとめて観た「野良猫ロック」や「仁義なき戦い」「無頼」といった作品群が僕の映画史の核になっているとつくづく思うのです。 (ジャッピー!編集長)
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「上板東映」は邦画ファンの聖地でした

昨日の当ブログで、大杉漣さんが「ピンクリボン主演男優賞」を受賞した、ピンク映画時代の代表作「連続暴姦」(1983 滝田洋二郎監督)のことに触れました。DaOd3vvV4AEyuEQ
この作品で大杉さんが扮した映写技師が働いているのが「上板東映」で、僕はこの名画座にも狂ったように通っていたので、「連続暴姦」を観たときに館内が映し出されたときに何とも言えない愛惜の思いがこみあげました。
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「上板東映」は1957年(昭和32年)に開館、その名から分かる通り、はじめは東映系列の映画館だったそうです。東映時代劇の黄金時代ですから相当の観客が押し寄せたことだと思います。やがて、名画座となっていき、1975年(昭和50年)頃からは邦画各社の様々な映画を上映していくようになります。個性的かつ魅力的なラインアップで、映画ファンの間でも人気のある名画座でした。 
行ったことのある方はご存じだと思いますが、ロビーにはポスターが所狭しと貼り出され、見上げると天井にまで貼ってあるのです。僕が覚えているのは「仁義の墓場」(1975 深作欣二監督)の大判ポスターがドーン!と天井に貼り付けられ、「俺が死ぬときはカラスだけがなく!」というコピーと共に、拳銃を構えた渡哲也さんが頭上から睨みをきかせておるようでした。A1RD4NDTI9L._RI_
そして、入って左側に売店があって、お菓子など食べ物の他に映画のミニコミ誌とかを販売していて、これが充実していました。そして、休憩時間には石川セリさん唄う「海は女の涙」「遠い海の記憶」が流れていて、ここにいるともうどっぷりと映画に浸かっているという感じの時間を過ごせたのです。邦画ファンにとってはこんなに居心地のいい場所はなく、僕も初めて来館したときから馴染んでしまったのです。何より館主の「映画愛」が溢れて出している感じでした!
「上板東映」の名物支配人・小林紘さんは、若い人や学生の自主製作映画にも協力し、1980年には「狂い咲きサンダーロード」(1980 石井聰互監督)に出資し、製作に乗り出します。img_0
以後も、石井監督の「狂映舎」を中心に、若い才能を応援していきます。僕もここで「爆裂都市」(1982 石井聰互監督)とか「神の堕ちてきた日」(1983 大屋龍二監督)などを観ました。また、「連続暴姦」の撮影に館内を使用させるなど、ピンク映画にも理解が深かったのは、邦画界に大作主義が始まった時期にプログラム・ピクチャーとしての評価をしていたのだと思います。
「上板東映」は1983年12月31日に惜しくも閉館。僕ももちろん最終日には観に行きました。「人斬り与太 狂犬三兄弟」(1972 深作欣二監督)、「冬の華」(1978 降旗康男監督)「竜二」(1983 川島透監督)の3本立てでした。上映の後、多くの映画人が集まりイベントも行われました。賑やかさの中で、何となく「ある時代」が終わった……という感じで放心状態になってしまいました。
(ジャッピー!編集長)


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大杉漣さん「連続暴姦」は上板東映でロケ

昨日の当ブログで、今年の2月に亡くなった大杉漣さんが、「ソナチネ」(1993 北野武監督)のオーディションに遅刻しながらも採用されたという有名なエピソードを書きました。以後、たけし作品の常連となって、多くの人に知られる俳優になっていきました。
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この「ソナチネ」のときには大杉さんは既に40歳をこえていましたので遅咲きと思われるかもしれませんが、芸歴は古く、1974年に大学生だったときに「転形劇場」という劇団に入り活動していました。いわゆる「アングラ」といっていいでしょう、舞台上をただ歩いて、滴り落ちる水を飲むだけというような沈黙劇を演じていたとテレビ番組で話しておられました。その演劇活動と並行して1980年からはピンク映画に出演されるようになります。
80年代の大杉さんはピンク映画に多く出演され存在感を発揮されていました。有名なところでは「変態家族 兄貴の嫁さん」(1984 周防正行監督)があります。小津安二郎監督の作風を完コピしたピンク映画で、大杉さんは祖父の役(つまり、小津作品の笠智衆さんのパロディです)で33歳の大杉さんが見事に老人役を演じていました。たしか、大杉さんは笠さんを大変尊敬していると聞いたことがあるので、役づくりに力が入ったのかもしれません。
僕はそんなにたくさん観ているわけではないのですが、のちに名画座で観た「連続暴姦」(1983 滝田洋二郎監督)は非常に印象に残っています。大杉さんが演じるのはレイプ魔で、普段は映写技師をしているという役でした。姉を犯し殺害した大杉さんの正体を突き止め復讐するヒロインの話でしたが、たしか犯人だと分かるのが、落ちていた手袋で「映写技師がフィルムを扱うときに使う特殊な手袋」だったのが決め手になったと思います。この映画の舞台になったのが「上板東映」という名画座で、僕の家から徒歩3分ぐらいの場所にあったので当然入りびたっていましたから、「上板東映」が閉館したあとにこの「連続暴姦」で場内が映し出されたときは懐かしくてたまりませんでした!10094460683
 大杉さんが普段いる映写室から無人の客席におりてきて、正体に気づいた女子従業員を絞殺するシーンがありましたが、大杉さんの迫力ある演技とともに、「ああ、この客席に座っていろんな映画を観たなあ……」という感慨にもおそわれてしまうのでした。  (ジャッピー!編集長)
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1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
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映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
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昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
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