ハッピー昭和クラブ

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

2018年07月

追悼・大杉漣さん サッカーとフォーク・ソング

サッカーのワールドカップはフランスの優勝で幕を閉じました。僕は勝てば初優勝だったクロアチアを応援していましたが延長戦が多くて疲れも残っていたのかもしれません。残念ながら負けてしまいました。応援といっても夜中起きて試合を観ていたわけでもなく、クロアチアを応援したのも小国だからという心情的なものです。僕はその程度で、特にサッカー好きというわけではないのですが、この期間は日本にこんなにサッカー・ファンがいたのか!と思うほど盛り上がりました。サッカー好きの芸能人もテレビによく出ていましたね。
サッカー好きというと、俳優の大杉漣さんが有名です。惜しくも今年の2月21日に亡くなられました。急性心不全だったとのことです。まだ66歳という若さ、亡くなったのもTVドラマの収録で訪れていたロケ先だったといいますから、突然のことで驚きました。まだまだ現役で映画やドラマで活躍してほしかったので本当に残念です。
大杉さんのサッカー好きは筋金入りで、ご出身の「徳島ヴォルティス」の熱烈なファンでよく試合を観に行って応援していたそうです。また、映画関係者などで結成しているサッカー・チームではキャプテンをつとめ「背番号10」を背負って月に1、2回、試合にも出ていたといいますから、健康そのものだったようなのに……。あるいは、仕事も忙しかった中、そうして活動的だったのが体を酷使することになったのか……。
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そして、サッカーとともに大杉さんの趣味として知られるのが「フォーク音楽」です。ギターの弾き語りは66歳の大杉さんにとって青春時代のスタイルだったのでしょう。そんな大杉さんにピッタリの役で出た映画が「ロッカーズ」(2003 陣内孝則監督)です。
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これは博多時代に陣内さんが友人たちと結成したロックバンド「ROCKERS」を自身が監督して描いた自伝的青春映画です。中村俊介さんが陣内さんの役、バンド仲間を玉木宏さん、岡田義徳さん、塚本高史さん、佐藤隆太さんが扮し、ライバルのバンドのリーダーが玉山鉄二さんとなかなか豪華なキャストでした。大杉漣さんが演じるのは、メンバーたちの溜まり場になっている地元の喫茶店のマスターで元・フォークシンガーという役。いかにもという恰好でフォークギターを爪弾きながら「恋の確定申告」という歌を唄うのです! これが印象的だったなあ! 映画の中でいちばん印象に残っていたりして。
大杉さんは「ソナチネ」(1993 北野武監督)のオーディションに遅刻しながらも、たけし監督のひらめきで合格、以後、たけし映画の常連となっていきます。わりと最近ですが、その恩人ともいうべきビートたけしさんと一緒にTVに出た番組を観ました。たけしさんの出身地・足立区の馴染みの店で、大杉さんがギターを弾いて、たけしさんが「浅草キッド」を唄ったのが忘れられません。

数々の役を演じて楽しませてくれた大杉漣さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
(ジャッピー!編集長)
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「日拓フライヤーズ」の7色のユニフォーム

昨日の当ブログで、1975年に広島カープの監督に就任したジョー・ルーツ監督がチームカラーを「赤」にすることを提案したものの、球団に予算がなくて「帽子とヘルメット」だけにとどまったという話を書きました。市民球団で特定の親会社を持たないカープは創設時から資金難に苦しみ、初期の「樽募金」のエピソードも有名です。初代監督の石本秀一さんはチームのことはコーチの白石勝巳さんに任せて、資金調達に走り回っていたそうです。地元企業を回って資金援助を募り、既に1950年代初めのユニホームの袖には「フマキラー」のロゴが入っていました。いち早くスポンサーによる広告ロゴを導入していたのです。(ちなみに「フマキラー」は地元企業の大下回春堂の製品です)1975年時点でも予算不足でアンダーシャツやストッキングまで及ばなかった「赤」への変更は、1977年に持ち越され、「江夏の21球」で知られる1979年の優勝のときはすっかり「赤」のチームになったのです。
そういえば、1973年に1年だけ「日拓ホーム・フライヤーズ」というチームがあって、7色のユニフォームを採用しました。
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当時のパ・リーグは観客動員に苦しみ、前・後期制を導入したり何とか人気を回復しようとしていた時期です。話題作りにと7色のユニフォームを採用したのですが、「日拓」のオーナーは「プロ野球経営はこんなに金がかかるのか」と驚き、
東映フライヤーズを引き継いでわずか1年で「日本ハム」に球団を売却してしまいます。
カープの「赤」ユニフォーム化に時間がかかったり、日拓の経営にも影響したようにユニフォームというのは金がかかるものだと思っていました。一軍、二軍の全選手に、監督、コーチと全員分を作るわけですから。しかし、最近は「ホーム用」「ビジター用」以外に「サード・ユニフォーム」「復刻ユニフォーム」「夏仕様限定ユニフォーム」など何種類ものユニフォームを着用するようになって、さらに来場者にユニフォームを配布するなんていうイベントもあります。スポンサー契約とかが上手くいって球団も豊かになったのだと思いますが、その球団のチームカラーが埋没してしまう面もありますね。メインのユニフォームを大事にしてほしいと思うこともあります。
ちなみに、7色のユニフォームを採用した1973年の「日拓」ですが、ゲンをかついで、試合に勝ったときのユニフォームを続けて着たりしたそうで、ほとんど着ないままに終わってしまったものもあるそうです。(そういえば紫色のモデルなんてあまり見た記憶なかったなあ)元選手とかで今、持っている人がいたらけっこうなお宝かもしれません。  (ジャッピー!編集長)



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赤ヘルを導入したルーツ監督

昨日の当ブログで、1975年オールスター・ゲーム第1戦で山本浩二選手と衣笠祥雄選手によるアベック×2本塁打のことを書きました。「赤ヘル旋風」の文字が翌日の新聞のスポーツ欄に踊ったわけですが、この広島カープの「赤ヘル」はこの1975年から採用されたのでした。この年から指揮をとったジョー・ルーツ監督の意向で、「赤」を導入。
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それまでBクラスばかりで低迷していたチームに「燃える闘志」を注入する意図で「赤ヘル」「赤の帽子」に変更したのです。その前の3年間(1972~1974)は最下位と負けに慣れてしまっているチームにまず形から変革を促したのです。カープのCマークからメジャーリーグの「シンシナティ・レッズ」に似せたと思われがちですが、ルーツ監督が指定したのは、自身がコーチをつとめていた「クリーブランド・インディアンス」の「赤」の色合いだったそうです。(ずっと後に90年代に左胸に大きなCを入れたユニフォームを着用しましたが、これは「レッズ」のをモデルにしているようです)
「赤ヘル」を導入するまでのカープのユニフォームは「紺」がメインで、60年代後半の根本陸夫監督の時代は本当に高校野球のユニフォームといっていいシンプルなデザインでした。紺なんだけどちょっとグリーンがかかっていて僕は好きな色でしたね。帽子のマークはHiroshimaの「H」でした。(当ブログ2016年9月18日「監督の顔は履歴書」に根本監督がこのユニフォームを着ている写真あります。ご参照ください)たしか球団旗は今も紺の地に白い「H」の文字です。その後、70年代に入ると、紺色は濃くなり、帽子のマーク
は「C」となり、ロゴの縁取りや袖に赤いラインがほどこされていました。そして、ルーツ監督による一大刷新となるのですが、実は、ルーツ監督はヘルメット、帽子だけでなく、すべて「赤」にすることを提案したのに対し、球団にその予算がなく、まずはヘルメットと帽子だけとなったのです。ですから、カープ初優勝のシーンを見ると、前年までの「紺ロゴ」ユニフォーム、アンダーシャツやストッキングも紺のままです。今では、すべて「赤」となり、本拠地のズムスタの観客席は真っ赤に染まるなど完全にカープのチームカラーとなりました。
1975年のシーズンが始まってすぐ(4月27日)辞任してしまったルーツ監督ですが、「赤」の採用は最大の功績と言えるかもしれません。今や、カープといえば、「赤」以外考えられないし、グッズはもちろん地元広島では赤で彩ったコンビニ店舗があったり、キャンプ地の駅舎も赤で塗ったりと相当な経済効果もあるようです。   (ジャッピー!編集長)
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追悼・衣笠祥雄さん 1975年オールスター戦の赤ヘル旋風

今年のプロ野球オールスター戦、パ・リーグが2連勝。MVPは第1戦は森友哉捕手、第2戦は源田壮亮遊撃手が獲得、西武ライオンズ勢の独占です。ライオンズは強力打線が打ちまくって開幕からずっと首位、レギュラー・シーズンの勢いがそのまま出た感じですね。(このところは中継ぎ投手陣が不安定ですが……) 
オールスターで活躍しチームが旋風を巻き起こしたというと、何と言っても1975年の広島カープが思い出されます。甲子園球場で行われた第1戦の初回、セ・リーグの3番・山本浩二さん、6番に入った衣笠祥雄さんがホームランを放ったのです。
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打たれたパ・リーグの先発投手は近鉄バッファローズの太田幸司さんでした。1969年、三沢高校のエースとして決勝再試合を投げた太田投手は一躍アイドル人気が爆発。ドラフト1位で近鉄入団後、1年目の1970年からファン投票1位を続けて(1973年は、巨人から移籍し、いきなり20勝投手となった山内新一投手が1位でしたが、太田投手は監督推薦で出場)この年6回目の出場。少しづつ実力も伴ってきたとき(太田投手はこの年、自己最高の12勝をあげました)で、しかも第1戦、かつて沸かせた甲子園で投げるとあって、試合前、太田幸司さんに注目があたっていたような記憶があります。そこにカープの2人が一発をくらわせたのです。さらに、このお二人は第2打席でもホームランを打ったのです! こちらは阪急のエース・山田久志さんからです。この年のセ・リーグのクリーンアップは3番・山本浩二さん、4番・王貞治さん、5番・田淵幸一さんでしたが、カープ勢の活躍に気圧されたか、王・田淵両巨砲はノーヒット。二人の後の打順だった衣笠さんはソロ2本。2ランと3ランを打った山本さんにMVPは持っていかれました。
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ともかく、2打席連続のアベック・ホームラン、これでカープの勢いは本物になったと感じました。そして、この年、カープは球団創設初の優勝を果たしたのでした。ルーツ監督が「ジャイアンツの長嶋を超えるサードがいるじゃないか!」とサードにコンバートされた衣笠さん、その後の活躍は書くまでもありません。あの頑健な衣笠さんも今年の4月23日に71歳という若さで亡くなりました。ご冥福を心よりお祈り申し上げます
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(ジャッピー!編集長)

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2018年の松坂大輔投手とイチロー選手

昨日の当ブログで、松坂大輔投手のプロ・デビューの1999年、夏に「グリーンスタジアム神戸」でイチロー選手と対決した試合を観戦した思い出を書きました。イチロー選手との対戦は2打席押さえましたが、そこに集中しすぎたのか、松坂投手は4失点で3回はじめに降板しました。しかし、試合は西武ライオンズが終盤に得点を重ね7対6で勝利、松坂投手に黒星はつきませんでした。完全に負け投手のパターンでしたが、この辺、のちの言葉で言うと「持ってる」感じでしょうか。
イチロー選手は1994年に210本のヒット(当時、前人未到の記録)を放ち、一躍スター選手となりました。その年から2001年まで、何と!8年連続首位打者だったのですからもう異次元です。(その翌年からイチロー選手はメジャーに移籍)首位打者をとれる実力があってもイチローと同時期にいたせいで、とれなかった選手もいたでしょう。そう考えるとこの8年間にパ・リーグに在籍した選手は不運でしたね。僕が観戦した松坂投手との対決時はイチロー選手6年連続首位打者の年、まさに並ぶ者のないヒット・メーカーで、その野球への取り組む姿勢も含めて僕もファンでした。
そんなイチロー選手も今年は古巣マリナーズに復帰しましたが、5月には「会長付特別補佐」という
聞いたこともないような肩書をもらって、今シーズンはもう試合に出られないが、チームには帯同するという不思議な立場になりました。20180508211047

どうも、来年、マリナーズは日本で開幕戦をやるので、その時にイチロー「選手」で目玉にするための措置と言われています。しかし、ゲームにも出ないのに試合前に練習に参加し、ゲーム中はコーチでもないからベンチから出る、こんな不自然な状態を受け入れてほしくなかったです。だいたい、周りのチームメイトだって変に思っているんじゃないかなあ。コーチでもなく、試合にも出ないのにバッティング練習したり、レジェンドだから何も言えないのだろうけど……。これから試合に臨むというときに「野球の研究者」がいたらよく思ってない人もいるんじゃないのか。
先日はバッティング・ピッチャーをつとめていましたが、イチローさん自身、恥ずかしくないのかなあ……。「50歳まで現役でやる」と宣言したのなら、マイナーでも独立リーグに行ってまた這い上がれるようやればいいと思います。そうでなければスパッと辞めるべきだと思います。
松坂大輔投手も昨年オフ、ホークスからコーチ登録でリハビリしながら復帰を目指すよう打診されました。(かつて斉藤和巳投手がそういう契約をしていました)しかし、あくまで「選手」でと希望した松坂投手は退団、ドラゴンズのテストを受け、前年4億円から大幅減の1500万円で入団、苦しみながらも3勝をあげたのです。
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松坂投手とイチロー選手、あの1999年の夏の日、僕が「グリーンスタジアム神戸」で観たお二人が今、全く違う選手生活の晩年を送っています。 (ジャッピー!編集長)
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1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
ジャッピー!編集長
映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
映画や昭和歌謡に底知れぬ造詣を示す昭和博士
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昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
独自の目線で昭和の面白さを掘り起こすイラストレーター
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