ハッピー昭和クラブ

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

2018年09月

アベ晋ゾウは既にプロデューサーデビューしていた?

昨日の当ブログでも書きましたが、政界引退後の進路を尋ねられ「映画監督は才能も必要だからプロデューサーかな」などとアホ発言をするアベ晋ゾウ。基本的に「上から目線」で「傷つく人がいる」とかそういうことが分からない輩なわけですが、映画好きとは初めて知りました。どんな映画が好みなんでしょうか、聞いてみたいものです。
映画とアベ晋ゾウというと、「シン・ゴジラ」(2016 庵野秀明監督)を観終わって、記者に感想を求められたアベが「自衛隊がかっこ良く描かれていて良かった」と答えています。当ブログ2016年10月3日「2016年の国策映画」でも書きましたが、戦争法案可決を待つようなクランク・イン、東京五輪決定でナショナリズム高揚に合わせたような公開時期、お気に入りの稲田朋美を思わせるような女性防衛大臣(余貴美子さんが演じていました)など、けっこう細かいところまで口を出している可能性がありますね。まさに「晋・ゴジラ」ですなあ! そして、最後は軍事兵器の見本市よろしく自衛隊大活躍、「日本はやれるんだ!」とシュプレヒコールで締めるという……「東北大震災」をタテにとっての「一億総動員」的な方向を向かせようというのが巧妙で醜悪であります。軍事大国肯定の匂いがするこの映画にアベは影のプロデューサーだったかもしれません。庵野監督は同じ山口県出身ですから、監督を飛び越えてのオーバープロデュースなんて思いのままだったでしょう。この「シン・ゴジラ」、製作が「東宝」単独なのもクサいですね。多くの製作会社や企業が出資する「製作委員会」という形が主流の今どきの映画界で一社単独、それも潤沢に製作費があって庵野監督も思う存分作れたとか。どうも「内閣官房機密費」が投入されているという噂もあるようです。としたら、まさに国家ぐるみの国策映画、アベ晋ゾウはすでに映画プロデューサーとして事実上デビューしていたわけで、なるほど、プロデューサーならできるという自信たっぷりの発言をするわけですね!
「晋・ゴジラ」は大ヒットを記録、いい気になった政権はやりたい放題、暴走していきます。映画というのは莫大なお金がかかる芸術ですから、作る側も権力の介入をつい許してしまいがちです。そしてこれほどプロパガンダに使われると怖いものはありません。それはナチスの例をひくまでもありません。
ですから、「万引き家族」(2018 是枝裕和監督)がカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞して、林文科相が顕彰しようとしたとき、是枝監督が「映画がかつて『国益』や『国策』と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つならば公権力とは潔く距離を保つというのが正しい振る舞いではないか」というのは全く正しいですね。権力者の都合の良い映画がハバをきかせるようになったらオシマイですから。
そんな是枝裕和監督の「全作品上映」(最新作『万引き家族』、オムニバスは除く)が明日から池袋・新文芸坐で始まります。作品製作順で上映しますから是非この機会にパルムドールへの軌跡をご覧になってください。 (ジャッピー!編集長)
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アベ晋ゾウの「任侠映画」に期待?

昨日、当ブログで「新宿昭和館」の映写技師・小林さんにインタビューしたときのことを書きました。若い頃の僕の目標は「昭和館が似合う男になること」でした。それぐらい、この映画館で「任侠映画」「実録路線」様々なヤクザ映画を観ていました。それらの映画が与えてくれたものが僕のかなりの部分を形作っているように思えます。
ですから、そんな任侠映画にたっぷり浸かった僕としては、自民党のインターネット番組で「人生100年時代、政界引退後にやってみたいことは?」と訊かれたアベ晋ゾウが「任侠映画を作りたい」と言ったというニュースは聞き捨てなりませんでした。アベ晋ゾウが任侠映画好きとは知りませんでしたが、「リアル」なものが作れると自信もおありのようです。そりゃそうでしょう。なぜなら、今、ご自分がやっていることが「ヤクザ」の手口そのものですからね。権力にふんぞり返り、周囲の者を恫喝し、「黒いものでも白い」と言わせる。こういう悪い親分が登場する映画を何本も観たもんです。まったく、悪玉の典型ですね。高倉健さんに真っ二つに斬られるような奴です。「黒いものでも白い」と言った子分は優遇し、心ある子分は邪魔者として消される。あれ、これって、文書を改ざんし、ウソついて「黒を白」として国税庁長官に昇進した奴もいれば、「ありえないこと」に悩み亡くなった近畿財務局職員もいることに当てはまる……。「黒を白」とすることが「適材適所」ってことですね! 一方では末端の命なんか虫けらほども思わない。まさに「ヤクザ」そのものですね、アベ晋ゾウ。
そして、
自分の地位を守るためには、反対派は徹底的に粛清し、裏切者は絶対許さない。(カツカレーを食い逃げした議員は追いつめられ消されるのでは) そうやって自分の権力を誇示しながらもっと大きな組織にはペコペコしているというのも「任侠映画」の悪玉ヤクザによくありますね。下には威張りちらし、上にはポチのようにシッポを振りまくる。あ、これもトランプに忠誠を示すアベ晋ゾウに当てはまるなあ。このように「任侠映画」さながらの悪を実践しているアベならさぞかし、いい「任侠映画」が作れますね! 「任侠映画」は悪玉が悪いほど盛り上がりますからね。あ、ひとつ懸念されるのは、悪玉はリアルに描けても善玉ヒーローは描けないということかな。
あと、アベ晋ゾウは「任侠映画を作りたい」の発言の際、「映画監督になりたいとずっと思っていたけど、才能も必要だからプロデューサーかな」とも言っていますが、ずいぶんプロデューサーという仕事をバカにしてますねえ。この人は、心の知能指数も低い人なんだなあとつくづく思いました。
(ジャッピー!編集長)

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映写技師・小林さんインタビューの思い出

当ブログ9月23日「新宿昭和館残照3-映写技師は見た」にハピイさんが書かれていますが、昭和館で映写を担当されていた小林さんに「ジャッピー!」で取材をしました。僕がインタビュアーをつとめたのですが、職人気質のプロのお話は本当に面白く、時間を忘れるほどでした。まだフィルムが可燃性で細心の注意を払い、フィルムがさがって汚れてしまわないように映写室の床は毎日ピカピカにしていた話、名画座になってからは古いフィルムが回ってくるのでエーテルできれいに拭いて補正したり……お客さんにいい状態で観てもらうための努力を惜しまなかったという話……。この取材をしたとき、小林さんは40年以上も勤めた映写技師をちょうど退職されたばかりでしたが胸ポケットにはテスターやドライバーを入れて持ち歩き、ちょっと悪い所があればいつでも調べるという臨戦態勢で、衰えぬプロ意識には敬服しました。 
小林さんは昭和31年4月28日、昭和館地下がオープンしたときに入ったそうですから、まさに映画が娯楽の王様、黄金時代に映写機を回していたのです。(日本の映画観客動員数のピークは1958年=昭和33年)周辺にも多くの映画館があり、どこも満員だったとのこと。当時、新東宝の封切館だったので嵐寛樹郎さん主演のメガヒット作「明治天皇と日露大戦争」(1957  渡辺邦男監督)など連日超満員で1日5000人は軽く入っていたといいます。上の映画館でさばき切れないお客さんを地下に入れて時間をずらせてかけていたというのですから、ハピイさんが言うようにまさに今のシネコンの元祖です。ああ、タイムスリップして、その頃の昭和館を覗いてみたい!
その後、新東宝が潰れてからは、洋画を上映したり邦画各社の映画をかけるようになり名画座に移行していきます。小林さんが昭和39年からつけておられた上映番組の記録を見せていただいたのですが、まさに日本映画の豊穣さがうかがえるだけでなく、どういう組み合わせにお客さんが入ったのか、その時代や空気、傾向が分かる貴重な資料でありました!
インタビューをしたのは、2000年7月20日、今から18年前! 場所は昭和館近くの喫茶店「タイムズ」でした。現在も健在です。外から珈琲をテイクアウトできるフロントスペースができたものの、あの頃と同じ佇まいで、競馬のある日曜日など相変わらず満員の盛況ぶりです。一方、昭和館の建物はなくなり、その跡地にはキレイなビルが建ち、その3階には「K'sシネマ」というミニシアターが入っています。今年、「カメラを止めるな!」(2018 上田慎一郎監督)の大ヒット作品の発信地となりました。
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かつて映画黄金時代に大勢の人が押し掛けた場所に口コミで多くの観客が集まったというので嬉しくなりました。インディーズ版「アメリカの夜」(1973 フランソワ・トリュフォー監督)140241_01
ともいえる「カメラを止めるな!」、映画愛に満ちた作品です!
 (ジャッピー!編集長)
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「ブロウアップ ヒデキ」ペンライト上映を観に行きました!

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9月23日から池袋・新文芸坐で「追悼・西城秀樹 ヒデキ、フォーエバー!」という上映会をやっていて(本日まで)、僕は24日、「ブロウアップ ヒデキ」(1975 田中康義監督)を観に行ってきました。これは、1975年の夏に行われた西城秀樹さんの全国縦断ツアーの模様を収めたドキュメントで、コンサートの模様はもちろん、大掛かりなセットを建てる様子(特に富士の野外会場のクレーンを使った会場がすごい!)、スタッフさんの仕事、ツアーの合間に見せる秀樹さんのプライベートな表情もすくいあげています。
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僕が出かけた24日の夜の回は「発声、手拍子、ペンライトOK」の応援上映という観客参加のもので、この手の上映は初めての経験でした。観客は98%ぐらいが女性。かつての秀樹ファンでしょう、僕と同年代の熟女の方々がほとんど。いつもは男性客が多くて男子トイレに列ができる新文芸坐ですが、この日ばかりは女性トイレの方に長い列ができておりました。ロビーで掲示されたポスターにカメラを向ける人、物販されているブロマイドを選んでいる人、そしてBGMで流れる秀樹さんのヒット曲に合わせて口ずさんでいる人などもいて、いつもと違う休憩時間の雰囲気でした。中には、地方から来てホテルをとって通いつめるという人もいたようです。
上映が始まる前に文芸坐スタッフHさんが前説で登場、「ウォーミングアップしましょう!」と場内に流れた「情熱の嵐」に合わせて秀樹さんのエア・アクション、場内から♪君が望むなら~「ヒデキ!」のコールを引き出し、「皆さん、これでノドが開きましたね! ではお楽しみください!」と、すんなり応援上映に入りやすい雰囲気を作る心遣いを見せてくれました。そして始まった「ブロウアップ ヒデキ」、秀樹さんの熱唱に合わせてペンライトが振られ、「ヒデキ!」と声がかかり、大いに盛り上がりました。僕の斜め前の席にいた60代ぐらいの女性、地味な服装で大人しそうな方でしたが映画の終り近くになって「ヒデキ、ありがとう!」と大きな声を出していたのが印象的でした。
映画に記録されたツアーの大観衆の熱狂、当時の秀樹ファンの女の子たちにもあれから43年の歳月が流れ、それぞれの人生を送ってきたわけです。秀樹さんにも栄光だけでなく、闘病の苦しい時期があったように同じ歳月が流れた女の子たちにも色々なことがあったでしょう。仕事、結婚、子育て、あるいは不倫、離婚、挫折、闘病……喜び、悲しみ、様々なことがあったでしょう。大人になって生活を築くのは大変なことです。今こうして同じスクリーンを見つめている人たちが懸命に生きてきた……そんなことを考えると何だか言いようのない感慨に襲われてしまって、僕も手拍子をしながら思わず落涙して
しまいました。ここに集った見知らぬ女性たちに、よくぞ、それぞれの人生を生き抜いてという気持ちを持ちました。
ロビーでは、お互い連絡先を交換したりする光景も見れました。久々に再会した秀樹ファン同士もいたでしょうし、ここで知り合いになって新たな繋がりを作った人もいたでしょう。家でDVDを観ているだけではできない連帯感、あらためて「映画館で映画を観ること」の素晴らしさを感じた一夜でした。
(ジャッピー!編集長)

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ジュリー、内田裕也さんと悠木千帆さん、3人が出た映画

一昨日の当ブログで、きたかたさんが「寺内貫太郎一家」の樹木希林さん(当時は悠木千帆さん)扮するおばあちゃんが「ジュリー~」と言いながら身悶えるシーンのことを取り上げておられました。当時まだ30歳ちょっとだった悠木さんが老け役で、腰を曲げて必ず沢田研二さんのポスターの前で身悶える姿には笑いました。毎回の定番シーンでしたが、たしか沢田さんが登場した回があったと記憶しています。悠木おばあちゃんが外を歩いていて道を尋ねられ、相手を見ると何とジュリー!で驚愕するというサプライズなシーンで、ドラマの筋には絡まない特別出演という感じでした。
あと、この回だったか、別の回だったか、沢田さんと悠木さんが挿入歌「リンゴがひとつ」をデュエットしたこともありましたね。
「寺内貫太郎一家」を担当していた久世光彦プロデューサーは熱烈なジュリーのファンです。このことは当ブログ2017年3月9日「悪魔のようなあいつ ジュリーが脱ぎまくる!」でも、「久世さんの沢田に対しての思い入れが強すぎて、沢田をずっと長回しで撮っちゃったりする……要するにドラマから離れてアイドル沢田を撮っていっちゃうんだよ。でも久世さんは多分、そういうものを撮りたかったんだと思うけどね……もうホモじゃないかと思うぐらいに、思い入れが入り過ぎるんだよね」という荒木一郎さんの証言も紹介しました。ですから、あの悠木さんの「ジュリー~」は久世さんの気持ちを代弁しているのかもしれません。
また、悠木千帆さんは「寺内貫太郎一家」が放映スタートした1974年の前年に
内田裕也さんと結婚されていますが、沢田研二さんがいたタイガースを発掘して東京に連れてきたのが内田さん(←このことは当ブログ2018年4月11日「ファニーズからタイガース」ご参照してください)ですから、そういう縁も考えると面白いですね。
そして「寺内貫太郎一家」が放映された1974年末、ジュリー、内田裕也さん、悠木千帆さんは映画「炎の肖像」(1974 藤田敏八・加藤彰共同監督)で共演しています。といっても3人が顔を揃えるシーンはありません。内田さんは映画後半のジュリーのライヴの場面で同じステージにあがり共演(カッコいい!)

一方、悠木さんはジュリーとたまたま知り合ったトラック運転手・地井武男さんが立ち寄る食堂のおばちゃん役で、メシを食う二人の横でヤカンからお茶を注いだりします。観ている側からは、あの「ジュリー~」が記憶にあるから何か絡むかと思うとあっさりスルーというのが面白かったです。
(ジャッピー!編集長)
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きたさん
1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
ジャッピー!編集長
映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
映画や昭和歌謡に底知れぬ造詣を示す昭和博士
ハピイ氏橋
昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
独自の目線で昭和の面白さを掘り起こすイラストレーター
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