ハッピー昭和クラブ

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

2019年02月

米アカデミー賞の感動的なスピーチ

2月24日(日本時間25日)に「第91回アカデミー賞」が発表されました。日本でも大ヒットとなった「ボヘミアン・ラプソディ」(2018 ブライアン・シンガー監督)もノミネートされているとあって、元クイーンのブライアン・メイさん、ロジャー・テイラーさんが登場、アダム・ランバートさんをヴォーカルに「ウィ・ウィル・ロック・ユー」「伝説のチャンピオン」のライヴ・パフォーマンスで盛り上げました。その「ボヘミアン・ラプソディ」の主演、フレディ・マーキュリーさんに扮したラミ・マレックさんが見事に主演男優賞に輝きました。(「ボヘミアン・ラプソディ」については当ブログ2019年1月2日、3日に書きましたのでご参照ください)
ラミ・マレックさんはオスカー像を手に、受賞スピーチで「自分のアイデンティティーに悩み、自分の声を見つけようとしている皆さん」と呼びかけました。ご自分が演じたフレディ・マーキュリーさんが劇中移民のせいで「パキ公」と侮辱されたり、「ゲイ」であることで疎外感を覚えたり悩んだりしながらも自分の信じる音楽に魂を注いだことをあげて、今はこういった物語が切望される時代なんだということを強調されていました。ラミさん自身もエジプト移民の子どもで、俳優を目指してもなかなか芽が出ず、自分の外見では主役をつかめないのかと思っていたそうですから、まさにご自身の境遇がフレディの苦悩とシンクロしたわけです。それがまるでフレディが憑依したような演技、ライヴ・シーンに結実したのですね。
「移民」をルーツに持つラミさんが、外見からいい役がつかないと悩んでいたように「ハリウッド」は長らく白人中心の世界でした。少し前には、スパイク・リー監督が主演・助演男女優賞ノミネート20人が全て白人俳優であることに抗議して、名誉賞を受けながら2016年の授賞式を欠席したこともありました。そのスパイク・リー監督が今回、脚色賞を獲得。その受賞スピーチが素晴らしく感動的なものでした。奴隷として連れてこられた祖先たちが多くの苦難を乗り越え、自分が今ここにいることへのリスペクト、この国を作り上げた全ての人への感謝を述べ、未来に向けても、自身の映画のタイトルにひっかけて「Do the right thing!」とコールしたのです。名指しはしていませんが、排除と分断の親玉・トランプへの批判がこめられているのは明らかです。
アメリカのアカデミー賞授賞式では、スターであってもけっこう政治的な主張、発言がなされることが多いです。一方、「日本アカデミー賞」では、そういった種類の発言は全く聞いたことがありません。下手なことを言うとスポンサーから敬遠されて仕事が無くなる、炎上する、そういったリスクが「黙らせて」いるのでしょう。何しろ、ローラさんがちょっと「沖縄の海を守れ」と書くだけで大騒ぎになる国なのです! 明日の「日本アカデミー賞」受賞式、誰か「今のデタラメ政権」に対しノーを突きつけてくれないかなあ、無理かなあ。アベ晋ゾウだって「言論の自由」があるってハッキリ言っている(笑)のだから、日本の映画人にも一歩突き抜けてほしいです。  (ジャッピー!編集長)
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追悼・内田正人さん 和製ドゥー・ワップの始祖「キング・トーンズ」

2月15日に内田正人さんが亡くなりました。「内田正人」といっても、あの「悪質タックル」を指示した日本大学アメフト部の監督ではありません。同姓同名ですが、「キング・トーンズ」のリーダーだった内田正人さんが82歳で亡くなったのです。
「キング・トーンズ」といえば、「グッド・ナイト・ベイビー」ですね。僕と同世代の方だったら、♪グッドナイト~グッナイ~ベイビー、涙こらえて~今夜は~このまま~お休み、グッドナ~イト と歌えることでしょう。1968年にリリースされ、大ヒットしました。その「グッド・ナイト・ベイビー」でリード・テナーで美しい高音の歌声を聞かせてくれたのが内田正人さんです。後年はよくサングラスをかけていて、ちょっと風貌がレイ・チャールズさんに似ていましたね。
内田正人さんは日本大学在学中にジャズのオーディション番組に出場、そこで審査員だった笈田敏夫さんに「君の声は黒人音楽に合うよ」とアドバイスされ、1958年にグループを結成します。最初はメンバーに女性が一人いたそうですから、イメージとしては「プラターズ」を目指したのでしょうか。(のちに「プラターズ」とは共演することになります) 女性が抜けて男性4人のコーラス・グループ「キング・トーンズ」となり、主に米軍キャンプを回っていました。その1960年代前半、ロカビリーから派生し、いわゆる「カヴァー・ポップス」が流行り「洋楽」的な曲が次々に出されました。(「カヴァー・ポップス」については当ブログ2017年6月11日~6月15日あたりをご参照ください)その流れの中で「キング・トーンズ」はバック・コーラスとして数々のレコーディングに参加しました。いわば、裏方だった「キング・トーンズ」が「グッド・ナイト・ベイビー」でレコード・デビューしたときは10年ものキャリアがあったわけですから実力はじゅうぶんです。僕も初めて聴いたときから魅せられました。「ドゥー・ワップ」のスタイルでヒットを飛ばしたグループとしても初めてで、のちの「シャネルズ(ラッツ&スター)」に先行しています。
「ドゥー・ワップ」といえば山下達郎さんが「オン・ザ・ストリート・コーナー」というアルバム(Vol.1~3)で一人アカペラという形で披露していますが、その山下達郎さんは「キング・トーンズ」に何曲か曲を書いています。セールスが振るわなかった達郎さんがブレイクする萌芽となった「GO AHEAD!」というアルバムに収録された「レッツ・ダンス・ベイビー」は元々、「キング・トーンズ」に提供された曲ですし、「シュガー・ベイブ」時代の「DOWN TOWN」も最初は「キング・トーンズ」用に書かれた曲でした。「キング・トーンズ」は本格派のグループとして、多くのミュージシャンが憧れを持ち、仕事を一緒にすることを望んだようで、極めつけは大瀧詠一さんのプロデュースによる「DOO-WOP! TONIGHT」です! 
素敵な歌声で楽しませてくれた内田正人さんのご冥福を心よりお祈りいたします。(ジャッピー!編集長)
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「全日本歌謡選手権」様々な人生を歌に託して

昨日の当ブログで、日本テレビの単発ドラマ「約束のステージ~時を駆けるふたりの歌~」についてかきました。当時、番組を制作していたのは大阪・読売テレビだったんですね。今回のドラマはその大阪・読売テレビの「開局60年記念番組」だそうです。
土屋太鳳さんが列車の中で眠ってしまい、目覚めると1975年という過去にタイムスリップしてしまい、そこで出会った歌手志望の百田夏菜子さんとコンビを組み「全日本歌謡選手権」に出るのですが、その審査員に扮しているのが、五木ひろしさん、八代亜紀さん、天童よしみさんなどです。このお三方は「全日本歌謡選手権」で10週勝ち抜いてグランドチャンピオンに輝いたOBです。審査員の中に城みちるさんもいましたが、その理由が不明。もしかしたら出場していたのかなあ。というのは、土屋太鳳さんのお母さんの役で石野真子さんが出ていたのですが、「スター誕生!」出身の石野真子さん、実は「スター誕生!」に出場する前に「全日本歌謡選手権」に出ていたのです。あっさり不合格になってしまったのは有名なエピソードですが、今回のキャスティングに繋がっているのでしょう。昨日の当ブログでも書いたように、アイドルぽい若い女の子がこの番組で勝ち抜くのはまず見たことありませんでした。
本当に審査が厳しくハードルの高いオーディション番組でしたので、7週、8週行ってもあっさり落ちてしまうなんてこともありました。すでに歌手としてキャリアを積んでいる「玄人」でないとグランドチャンピオンまで行くのは至難の技だと思います。僕が印象に残っているのはのちの中条きよしさんで、出場したとき、歌は上手いし、何というか舞台慣れしているなあと思いました。予想通り、10週勝ち抜きグランドチャンピオンになったのですが、毎週一緒にこの番組を観ていた母が「この人はかなり夜の世界の匂いが染み込んでいるね」と言ったのを覚えています。あと、元オックスの野口ヒデトさんが出場したときは応援しました。グループサウンズで「失神」を起したスターが演歌で再起しようと、まさに「トライアウト」的に挑む真剣さが伝わってきました。合格点ギリギリのこともけっこうありましたが、見事10週勝ち抜いて「真木ひでと」として再デビューを果たしたのは嬉しかったです。たしか10週目に歌ったのがグランドチャンピオンの先輩・五木ひろしさんの「よこはま・たそがれ」だったような記憶があります。(当ブログ2017年2月25日「漫画トリオのバック→オックス→演歌」を参照) また、青山ミチさんが再起をかけて出場、見事に合格しましたがレコード会社と契約できなかったのは薬物での逮捕歴があったせいでしょうか。歌は圧倒的に上手かったので残念でした。(当ブログ2017年3月27日「追悼・青山ミチさん」をご覧ください) 「全日本歌謡選手権」の回るステージには、そこで歌った人たちの様々な人生のドラマが渦巻いていたのです。 (ジャッピー!編集長)
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「約束のステージ」の舞台は「全日本歌謡選手権」

昨日の当ブログで、亜湖さんを約30年ぶりでスクリーンで見た「明日にかける橋 1989年の想い出」(2018 太田隆文監督)という映画のことを書きました。「1989年」がもうタイムスリップもので振り返るような「過去」になっていることに時の速さを感じざるをえませんでした……。
タイムスリップものといえば、一昨日の22日(金)に日本テレビで放映していた「約束のステージ~時を駆けるふたりの歌~」という2時間の単発ドラマを観ました。現代の女の子(土屋太鳳さん)が1975年にタイムスリップして、同い年の女の子(百田夏菜子さん)と出会って歌手を目指すというストーリーです。普段、夜にテレビドラマを観ることはほとんどないのですが、テレビ欄を見たら「全日本歌謡選手権」を舞台にしたドラマということなので興味をひかれました。(よく観ていた番組なのです) しかも、監督が佐々部清さんとあり、チャンネルを合わせました。前に当ブログ2018年5月9日で取り上げた「カーテンコール」(2005 佐々部清監督)とか、他にも「チルソクの夏」(2003 佐々部清監督)「夕凪の街、桜の国」(2007 佐々部清監督)など好きな作品が多いのです。
「全日本歌謡選手権」は1970年代の前半に放送されていたオーディション番組で、たしか月曜日の夜7時半からでした。合格点を出すと勝ち抜き、10週続けるとレコード会社と契約できる特典があるのですが、これが相当にハードルが高く、めったに10週勝ち抜く人が出ませんでした。基本的には素人もプロも参加できるのですが、実質、すでに歌手としてデビューしているが売れないでくすぶっている人が勝ち抜くことがほとんどでした。あるいはキャバレーなどで歌っているような人、そういうキャリアがないとまず勝ち抜けない厳しさでした。この番組が生んだ最大のスターは「五木ひろし」さんですが、すでにデビューして3回も芸名を変えたあとでした。
出場
審査員の批評も辛口で、特に淡谷のり子さんは本当に厳しかったのを覚えています。「あなたねえ、歌は心よ」とかバッサリと言うのでした。当時観ていて思ったのは、淡谷先生は「演歌」ぽい歌い方が好きでないようで一段と厳しくなったように思えました。他に船村徹さんや鈴木淳さんなどが審査員におりました。また平尾昌晃さん、山口洋子さんも審査員にいたので、その縁で五木さんの「よこはま・たそがれ」の作詞・作曲となったのでしょう。
そういう感じなので、例えてみれば、戦力外通告を受けたプロ野球選手が他球団で再出発するために参加する「トライアウト」みたいなものです。出場者にはもう後がないという必死さがありましたね。今回のドラマでは、土屋太鳳さん&百田夏菜子さんが「個人授業」「17歳」「太陽がくれた季節」「ひとりじゃないの」などを歌って勝ち抜いていきますが、こういった若い女の子が「全日本歌謡選手権」に出て勝ち進んだ人はあまりいなかったと思います。こういう若い歌手志望の子は同じ日本テレビの「スター誕生」の方に出ていたでしょう。まあ、ドラマ上の設定ですね。昭和歌謡好きとしては、懐かしい曲が聴けて楽しめました。 (ジャッピー!編集長)
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「明日にかける橋 1989年の想い出」約30年ぶりの亜湖さん

昨日の当ブログで書いたように、竹田かほりさんは1982年、「甲斐バンド」のリーダー・甲斐よしひろさんと結婚され、スッパリと女優を辞めてしまいます。当時の映画界で竹田さんと並び活躍された若手女優に森下愛子さんがいました。森下さんの本名は「竹田佳代」なのでややこしいですが、竹田かほりさんとも仲が良かったと言われています。森下さんも吉田拓郎さんと結婚されて(ミュージシャンというのはモテるなあ!)女優は辞めていましたが、後年復帰されテレビドラマなどでお母さん役などやっています。が、竹田さんの方は女優に戻ることはなく、主婦に専念され表舞台には出ておられません。たしか、娘さんがミュージシャンになり、結婚され子どももいるので、往年の「桃尻娘」竹田かほりさんも孫がいるお祖母ちゃんというわけです。
そして、「桃尻娘 ピンク・ヒップ・ガール」(1978 小原宏裕監督)の竹田さんの相棒、亜湖さんの名前を昨年、久々に見かけました。「明日にかける橋 1989年の想い出」(2018 太田隆文監督)という映画のキャストの中に「亜湖」とあったのです。もちろん、公開されてすぐ「有楽町スバル座」に観に行きました。映画はタイムスリップもので、「明日橋」という橋を思いをこめて走り抜けると、願った時代に行けるという設定です。主人公の鈴木杏さんが高校生のときに弟とケンカして「うるさい!お前なんか死んじゃえ!」と言ったその日、弟が本当に交通事故で亡くなってしまいます。以後、父親は酒浸り、母親は精神を病んで入院と家族は不幸から抜け出せません。自分のせいと苦しむ杏さんが1989年に戻り何とか弟の死を阻止しようとします。そうすれば未来の家族が幸せになれると信じて……。この映画では、タイムスリップした杏さんが高校生時代の自分に会ったり、パラドックス的に?という場面もありますが、「行動することが未来を変える」というテーマはよく伝わります。藤田朋子さん演じる化学の先生が「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(1985 ロバート・ゼメキス監督)のファンだったり、スケバン三姉妹とかリゲイン、、ジュリ扇などのバブル期のアイテムも登場して楽しめました。
そして、映画が終わり、亜湖さんはどこに出ていたのか分かりませんでした。細かい所まで観ていたのに……と訝しく思いながら、売店に置いてあるパンフレットをめくってみると、「えーっ!あの人が亜湖さん?」と思わず声が出そうになりました。ポッチャリだった亜湖さんが痩せてもう別人のよう「痩せて」というレベルではないですね、昔の面影はなく、おそらく多くの人は亜湖さんとは気づかないでしょう。(あとで知ったところでは長く闘病されておられるようです) 僕が亜湖さんをスクリーンで観たのはおそらく、石橋蓮司さんが主演された「出張」(1989 沖島勲監督)が最後。奇しくも映画の中のタイムスリップ先の1989年以来です。スクリーンで再会した亜湖さんに、29年という時の流れをあらためて感じながら、こうして映画にまた出ておられることが嬉しく思えたのでした。
(ジャッピー!編集長)
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きたさん
1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
ジャッピー!編集長
映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
映画や昭和歌謡に底知れぬ造詣を示す昭和博士
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昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
独自の目線で昭和の面白さを掘り起こすイラストレーター
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