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昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

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あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

2019年02月

追悼・上垣保朗監督 「ピンクのカーテン」で美保純さんを見い出す

映画監督の上垣保朗さんが今年1月29日に亡くなりました。まだ70歳という若さですから残念です。
昨日の当ブログで、第73回(2018年度)の「毎日映画コンクール」の「田中絹代賞」を受賞した白川和子さんについて書きました。その白川さんがロマンポルノを引退してしばらく経った頃、当時ロマンポルノで活躍し始めた美保純さんに会って「私のこと知ってる?」と聞いたら、美保さんが「ハイ!ルーツです」と答えたそうです。ロマンポルノの歴史を感じさせる良いエピソードです。その美保純さんを一躍、人気者にした「ピンクのカーテン」(1982 上垣保朗監督)の監督が上垣さんです。
上垣さんは、ジョージ秋山さんの漫画「ピンクのカーテン」を読んで映画化しようと思いつき、すぐに主役に美保純さんの起用を決めます。ピンク映画に数本出ていただけの美保さんとは面識もありませんでしたが、男性と女性の中間のような「ユニセックス」な感じが、実の兄の前であっけらかんと裸になったりする奔放なヒロイン・野理子に合うと閃いたのです。これが見事に当たり、映画は大ヒット、「ピンクのカーテン2」(1982 上垣保朗監督)、「ピンクのカーテン3」(1983 上垣保朗監督)と連打され、美保さんも個性派女優として大人気となります。上垣さんによると、実際に美保さんは「ケㇿッとした性格」だったそうで、美保さん自身「野理子は私にピッタリ」と言っていたそうですから、上垣監督のキャスティング眼は大したものです。のちに「男はつらいよ」シリーズに起用されたのも、山田洋次監督が美保さんに「寅さん」のような浮遊性を見出したのかもしれません。
子どもの頃から映画好きだった上垣保朗さんは旧日活末期に契約助監督として入社。「八月の濡れた砂」(1971 藤田敏八監督)などの現場につきますが、すぐに会社は製作中止となってしまいます。撮影所中に差し押さえ札がベタベタ貼られた状況でしたが「ロマンポルノ」で再開となって、「とにかく映画が作れる!」ことが嬉しかったそうです。以後、10年助監督生活を続け、「一条さゆり 濡れた欲情」(1972 神代辰巳監督)では、関西出身の上垣助監督が関西弁指導をしたり、数々の作品につきました。中でも藤田敏八監督には心酔していたので、「ピンクのカーテン」には「妹」(1974 藤田敏八監督)の影響があると語っていました。こういうのも撮影所の徒弟?制度によって受け継がれる良さであると思います。
僕は「ピンクのカーテン」以後では「少女暴行事件 赤い靴」(1983 上垣保朗監督)が印象に残っています。出演していた「小泉ゆか」さんがのちに上垣監督と結婚されたと思います。ちょっと小悪魔ぽい雰囲気の女優さんでした。長い助監督生活から監督昇進し、安定した演出で日活を支えた上垣保朗さんのご冥福を心よりお祈りいたします。 (ジャッピー!編集長)
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「田中絹代賞」を白川和子さんが受賞!

当ブログ2月11日に書きましたが、「キネマ旬報ベストテン」で柄本佑さん・安藤サクラさんが主演男優賞・女優賞をご夫婦で受賞されました。同じく「毎日映画コンクール」でもご夫婦で男優主演賞・女優主演賞を獲得となりました。この「毎日映画コンクール」も歴史は古く、1946年(昭和21年)戦後いちはやく創設されました。1985年第40回に長く映画に貢献した女優さんに贈られる「田中絹代賞」が設定されました。最初の受賞者は吉永小百合さん、以後も倍賞千恵子さん、岩下志麻さん、香川京子さん……など錚々たる女優さんが受賞されてきました。そして、今回の受賞者は白川和子さんだったのです!
「田中絹代賞」制定以来、ロマンポルノ出身の初の受賞者となった白川和子さんは、日活ロマンポルノ第1弾となった1971年11月20日封切の「団地妻 昼下がりの情事」(1971 西村昭五郎監督)に主演されました。出演してくれる女優集めに新路線の成否がかかっていたわけですが、昨日の当ブログ「追悼・黒澤満さん」に書いたように、黒澤満さんが活躍されます。何しろ出演してくれる女優集めに新路線の成否がかかっているわけですから、黒澤さんは事前にピンク映画を何本か観て予習されていたそうで、白川さんに白羽の矢を当てます。
白川さんは既にピンク映画に約200本も出ていましたが、いわゆる「親バレ」はしていなかったのですが、「日活」という大手の作品となると宣伝も大きいし、何より「ロマンポルノ」のトップバッターとしてマスコミの話題を集めてご両親に分かってしまいます。お父さんは「防衛庁」の役人という固い仕事だったので「辞めろ」「辞めない」と揉めたそうですが、白川さんは意志を貫き、やがてお父さんも「深みのある人間になれよ」と応援してくれるようになったといいます。白川さんは「日活」に来て、セットの豪華さ(石原裕次郎さんや小林旭さんの時代の「銀座オープンセット」もまだあったそうです)、衣装もたくさんあって(ピンク時代は衣装は自前だったとか)環境の違いに驚いたそうですが、何より「日活」に残ったスタッフたちの「撮影所の灯を消すな」という思いにうたれたといいます。
「団地妻」役で「日活」デビューで、本当にそういう気怠い主婦という感じでしたが、実は白川さん23歳。「倦怠期」なんて言葉も知らなかったそうです。後に「団地妻 昼下がりの情事」は僕も観ましたが、とても23歳とは思えない大人っぽさでした。「ロマンポルノの女王」と呼ばれた白川さんですが、「日活」に在籍したのは1年半。日活の関西営業社員の人と結婚され引退、「本当の団地妻になった!」と当時話題になりましたよね。
その後、離婚を経て女優復帰、多くの映画で脇役でいい味を出してこられました。白川さんが飲んでいると、カウンターの隣りに座った男性が「僕の青春でした!」と声をかけてきたりしたことがあり、「ああ、この人たちの胸の中で生き続けているのね」と嬉しかったとインタビューで答えていたことを覚えています。
やがて、「ロマンポルノ」も作品的評価も高まり、多くの名作も生まれました。そこに至るまでには白川さんたち、初期に出られた人たちの苦労があったからです。スタート時は、偏見にさらされたり、嫌な思いをされたこともあったと思います。それは、戦前、「映画女優」なんてヤクザな仕事と見られて
人たちと同様です。こうして、映画の歴史における貢献を認められたのは素晴らしいことです。「田中絹代賞」に、今後も普通に「ロマンポルノ」出身女優さんが選出されることでしょう。
(ジャッピー!編集長)
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追悼・黒澤満さん プログラム・ピクチャーを復活させた男

昨年2018年11月30日に映画プロデューサーの黒澤満さんが亡くなりました。85歳です。黒澤満さんは、映画、テレビドラマを合わせると400本以上のプロデュースをされていますが、何と言っても「東映セントラルフィルム」に招聘され作ったアクション映画です! 
70年代後半、大作映画が主流になってきた時代、東映セントラル・フィルム第1作「最も危険な遊戯」(1978 村川透監督)が登場したとき、リアルタイムで「プログラム・ピクチャー」の復活に立ち会えて大興奮したものです。実は僕が日本映画をこんなに観るようになったきっかけは「日活ニューアクション」にハマったからなんですが、黒澤さんはその旧日活の末期に俳優部の部長、企画制作部長でした。ですから、「日活ニューアクション」の遺伝子を受け継いでいるようなテイスト、本当に狂喜しました!
黒澤さんが日活に入社したのは1955年(昭和30年)で、プロデューサー志望でした。というのも、黒澤さんは戦後のアメリカ映画にどっぷり浸かっていて、「監督よりプロデューサーの方が力がありそうで面白いんじゃないか」と考えていたからです。しかし当初は「新宿日活」の営業係、その後は大阪に異動となり「梅田日活」の支配人など歴任、劇場運営に関わりました。1970年に撮影所に移り、ようやく撮影現場に関わるようになったわけですが、興行分野にいた経験から、観客の目線や時代を見極める企画力を発揮します。日活が「ロマンポルノ」に方針転換をする際も、女優を揃えてローテーションを作ったり、プロデューサー・システムを決めたりと黒澤さんがほとんど体制を整えて軌道にのせたのだそうです。
ところが、営業部長がクビという話が役員会議で出て、カチンときた黒澤さん、席上で「営業業績が悪いというなら作品を作っている俺も責任をとる」と言ってしまいます。その営業部長は「大阪時代によく助けてもらっていた」という盟友ですから、ハードボイルド小説や映画の好きな黒澤さんらしい男気です。日活を辞めて無職になった半年あまり、ポケットミステリーを持って家を出て山手線をぐるぐる回って読んでいたというのは有名なエピソードです。そうして企画の引き出しを広げていたのです。
そして、日活時代の黒澤さんの辣腕ぶりに注目していた東映の岡田茂社長にヘッド・ハンティングされ「東映セントラル・フィルム」設立、大作と違う娯楽作を作るという岡田社長の意図と「プログラム・ピクチャーこそ映画の原点」という黒澤さんの持論が合致したのです。「会社帰りのサラリーマンがスカッとするようなものを」と考え、作られたのが「最も危険な遊戯」です。日活出身で旧知の村川透監督を引っ張り出し、松田優作さんが一匹狼の殺し屋を演じた本作、低予算ながら、今や伝説となった「階段移動を使った銃撃戦」を長回しで撮るなど、映画的興奮を詰め込んだ傑作でした。
これを皮切りに数々の映画を企画、製作した黒澤満さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
明日17日から池袋の新文芸坐で「追悼・黒澤満」として2週間にわたる特集上映が開催されます。期間中は豪華なトーク・ゲストが続々登場しますので是非おいでください。上映作品など詳細はチラシをご覧ください。解説もたっぷり書きましたので! 明日初日は「最も危険な遊戯」と第2作「殺人遊戯」(1978 村川透監督)の2本立て、村川監督のトークショーもあります!  (ジャッピー!編集長)

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「沖縄スパイ戦史」とサクラダ五輪担当相の発言

昨日の当ブログで、キネマ旬報文化映画ベストワンに輝いた「沖縄スパイ戦史」(2018 三上智恵、大矢英代監督)について書きました。戦時中、少年や民間人を巻き込み、押し付けた「裏の戦争」の実態を炙り出す内容は衝撃的でした。本土から派遣された「陸軍中野学校」出身の工作員たちによって利用されたわけで、いうなれば味方と思っていた「本土」に騙されたのです。さらに、映画の中で語られていたのですが、この「工作員」たちは本土のあちこちの地方にも派遣されていたのです。沖縄戦のあと、本土決戦となっていたら、同じようなことが日本の隅々で行われていたわけです。偽名を使って村に入り込み、追い出し、スパイ疑惑をまき散らし、機密を守るためという大義名分のもと同胞の命を奪う……ということが間違いなく起こっていたでしょう。なぜなら、この「工作員」たちは自分たちが間違ったことをしているとひとつも思ってないからです。昨日も触れましたが、元自衛隊の人が「そういう教育を受けた軍人というものは、いかに作戦を遂行するかだけしか頭にないので、国民を守ろうなんてこれっぽっちも頭にない」と証言していました。それが「戦争」というものだと言われたらそれまでですが、だから「戦争」は悪なのです。「戦争」はそれを始める「上」の一部の人々がいい思いをするためだけに行われるだけで、「権力」が「国民のために」なんて考えるなんてことはないからです。
なんてことを「沖縄スパイ戦史」について考えていたら、ニュースで五輪担当相の失言が報道されました。水泳のエース、池江璃花子さんが「白血病」であることを公表されたのを受けて、五輪担当相が「五輪の盛り上がりが下火になるのではと心配」と言ったのです。このサクラダとかいう人物の個体としての資質ということもあるでしょうが、どの人が大臣になっても似たようなことを言うような気がしますね。結局、「権力」にとっては、「五輪大会」が大事で選手は「駒」ぐらいにしか見えてないのでしょうね。「駒」の生命に思いが至らないのは、「五輪」を「戦争」に置き換えれば明らかです。サクラダは自分の発言について釈明していますが、おそらく心の中では、自分が悪いこと言ったとは少しも思っていないでしょう。「権力」の本質が見えてくる案件です。  (ジャッピー!編集長)
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「沖縄スパイ戦史」を是非観てほしいです

一昨日の当ブログで「第92回キネマ旬報ベストテン表彰式」を観覧したレポートを書きました。今回は日本映画部門「万引き家族」(2018 是枝裕和監督)、外国映画部門「スリー・ビルボード」(2017 マーティン・マクドナー監督)がベストワンに選出されました。納得の結果です。「キネ旬ベストテン」というとどうしても劇映画が浮かぶわけですが、「キネ旬」には「文化映画」部門というのがあって、すぐれた文化映画が表彰されています。
今回の「文化映画ベストワン」になったのは「沖縄スパイ戦史」(2018 三上智恵、大矢英代監督)です。三上監督は元はアナウンサーだった方で、ドキュメンタリー映画監督になられてからは「沖縄の基地」問題にこだわって活動を続けています。今まで作った3作「標的の村」(2013 三上智恵監督)が1位、「戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)」(2015 三上智恵監督)が2位、「標的の島 風かたか」(2017 三上智恵監督)と、いずれも力作で高い評価を受けました。そして今回1位となった「沖縄スパイ戦史」ですが、これはすごい映画です! 
今回の作品は、戦時中に沖縄の民衆がいかに戦争に利用されたかを、当時を知る方々の証言や記録を丁寧に掘り起こして明らかにしていきます。本土から派遣された軍人により組織された隊は普通の戦闘ではなく、「ゲリラ」「スパイ」を念頭に置いた訓練を受けます。米軍が上陸するという前提がそこにあります。その隊では14、15歳の少年たちが自分の身長より高い銃を抱えて活動していたのです。
また、ある島では「山下」という名の男が学校の先生として赴任、優しいアニキのような先生に子どもたちや住民たちも心を許します。ところが、「山下」というのは偽名で、その男は住民たちを島から追い出すミッションをおびて派遣された軍人だったのです。軍事上の作戦で島を利用するためです。しかも、住み慣れた島を追い出された人々はマラリアの蔓延する他の島に移住させられ何百人も亡くなります。一方、元「山下」は戦後、和歌山かどこかで工場経営者になってのうのうと暮しているのです。
他にも、物資の入った倉庫で作業させられた女子学生が軍の「処刑リスト」に入っていたというひどい話も出てきます。軍の機密を知ったからには生かせておけないというわけです。完全に「沖縄」の人々を守ろうという気はなく、軍事、作戦のためには殺してもいいというスタンスです。また、住民同士にスパイ疑惑を広めて監視させ合うなど、考えられえる限りのヒドイことが実行されていました。これらを遂行していたのは「陸軍中野学校」出身のその道のプロ軍人です。彼らは冷徹に作戦を進めることしか頭にないのです。
先の戦争で「沖縄」が「捨て石」になったことは「激動の昭和史 沖縄決戦」(1971 岡本喜八監督)などでも描かれよく知られていますが、いわば「裏の戦争」でこんな残虐で悲惨なことがあったのです。「権力」というものは国民を守ろうなんてひとつも思っていないことが普遍的であると分かります。そして、映画の最後にそれは現在も変わらないということが、今の「沖縄」や「日本」の状況に繋げてメッセージとなります。「基地があればそこがまず攻撃されるのが当然です」という元・自衛官の人の言葉も出てきました。沖縄の「県民投票」も間近に迫った現在、多くの人に「沖縄」「基地」といったことに目を向け考えるためにも観てもらいたい作品であります。 (ジャッピー!編集長)
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1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
ジャッピー!編集長
映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
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昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
独自の目線で昭和の面白さを掘り起こすイラストレーター
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