ハッピー昭和クラブ

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

2019年03月

吉田拓郎さん「ラジオでナイト」で語った闘病と復帰

今日で3月も終わり。年度末の時期というのは、テレビやラジオでは改変期で、番組の中には終了するものもあります。これは当ブログ2019年1月19日に「ありがとう、池袋の喫茶店ハイマート」でも書きましたが、僕は「馴染んだもの」が変わるというのになかなか慣れない性質(たち)なのです。新しく開拓するということより、ひとつの店に通うタイプなので、いつも行く店が無くなったりすると途方に暮れてしまうのです。なので、テレビやラジオもいつも見たり聞いたりしていた番組が終了となるこの季節が苦手なのです。
日曜日の夜に放送される、吉田拓郎さんの「ラジオでナイト」も今夜の放送で最終回なので淋しいです。この番組は2年間にわたって放送されて、今日がちょうど「100回目」。僕は今までの99回のオンエア、1回も欠かさず聴いてきました。今夜の放送で「全オンエア」聴取となるでしょうが、本当にこれから日曜の夜の楽しみが無くなってしまいます。当ブログでも2018年10月23日~26日にわたって、この「ラジオでナイト」の魅力を書いていますが、拓郎さんが「おそらくレギュラー番組を持つのは最後」と始めた番組で、「この番組では何でも答える」という拓郎さんのリスナーの手紙への気さくな突っ込みが楽しかったです。そして、拓郎さんが高校時代に演劇部の女子とデュエットした曲、大学時代のバンドなどレアな音源がかかったり、曲作りやレコーディングの裏話なども満載でした。最近ではリスナーから「拓郎の曲で嫌いなもの」という前代未聞のリクエストを募り、それに対する拓郎さんのコメントも面白かった!
そんな風に普段の放送では、陽気に話す拓郎さんが、前回(3月24日)の放送で涙で声を詰まらせながら語りました。「今までメディアで話さなかったことを話します」と始めたトークで、拓郎さんは長く闘病していたことを語られました。2003年に肺を3分の1切除、肺活量が落ちたこと。2007年ぐらいから不調に陥り、2009年に予定されていた全国ツアーも中止せざるを得なかったこと。(←実はこのツアーのチケット、僕も予約しようとしたのでよく覚えています) 2012年にはステージに立てるまで回復したのもつかの間、2014年に声帯に異変があり調べると「がん」が見つかり、喉に放射線を当てる厳しい治療を続けたそうです。声も出なくなり「もう歌えないかも」と落ち込んだ拓郎さんでしたが、奥様の佳代さん(=森下愛子さん)が励ましてくれ、喉が痛く食べ物も通らない拓郎さんのために毎日「おかゆ」を作ってくれたそうです。このあたりで涙声になった拓郎さん、最後に「若い頃は健康なんてどうでも良かったんだけど、それはとんでもないこと。健康でないと幸せな気分とか力が湧かないんです」と語り、「リスナーの皆さんの健康を心から願っています。そして愛情あふれる生活を送っていただきたい」と締めました。この日が最後の放送のネット局ということもあって、リスナーへの最後の挨拶ということなのでしょう。真摯な言葉に胸があつくなりました。
この番組のリスナーは、「よしだたくろう」時代からのファンの方(僕もそのひとり)が多いと思います。年齢からいっても体のあちこちにガタがきているのです。僕も31年間も朝5時台に家を出て夜遅く帰ってくる勤め人生活を送りましたから相当ツケが溜まっているでしょう。まだまだ大丈夫と過信して無理をしてはいけない年代です。拓郎さんは2009年にアルバム「午前中に…」をリリース、その1曲目が「ガンバラナイけどいいでしょう」です。ご自身も度重なる病気に見舞われた拓郎さんが同世代の人たちへ向けた曲です。また、ラスト(10曲目)に入っている「あなたを送る日」も胸にしみる名曲です! このCDを聴きながら、今夜の「ラジオでナイト」最終回を待つことにしますか。
(ジャッピー!編集長)
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あの頃の僕に引き戻す1969年の曲たち

今日、最終回を迎えた朝ドラ「まんぷく」、歩行者天国でカップヌードル(劇中では「まんぷくヌードル」)を販売、大成功するという大団円でした。「歩行者天国」が東京で実施されたのは、1970年でした。(その前に北海道で実施されたという説があります) 1970年は今週の月曜日~木曜日に放映された「ひよっこ2」での時代背景でもありますから、昨日も当ブログで書いたようにNHKが意図的に現役「朝ドラ」最終週と過去の「朝ドラ」続篇がシンクロさせたのでしょう。今後、「まんぷく」の続篇に「ひよっこ」の人物が登場するなんて「二つの世界」のコラボ・ドラマが作られるかもしれません。
「ひよっこ2」の最終回(3月28日)に伊藤沙莉さんがバスの中で♪死んでもあなたと~暮らしていたいと~と歌う、由紀さおりさんの「手紙」は1970年の歌ですが、第1回(3月25日)に登場した「いいじゃないの幸せならば」と「真夜中のギター」は1969年の曲です。佐良直美さんの「いいじゃないの幸せならば」は1969年度のレコード大賞受賞曲ですが、「真夜中のギター」を歌った千賀かほるさんも同年レコード大賞で新人賞を獲得しましたから、翌1970年も唄われていたでしょう。今よりも、ひとつの楽曲の寿命は長かった時代でした。
その1969年というのは僕にとっては、人生の中でいちばん記憶に残っている年です。当ブログ2018年1月28日「トワ・エ・モアと1969年の僕」にも書きましたが、僕の父親が3月末に亡くなり、兄が4月半ばに亡くなり、4人家族が1と月の間に母親と自分の2人家族になってしまったのです。いきなり家族に降りかかった「死」。子どもながら、この世はこういう理不尽なことが起こるんだということを知った年でした。そんな、もしかしたら自分がいちばん感性が強かった年に聴いた曲は本当に脳裡に強くこびりついていて、そのメロディを聴いただけで「あの頃の僕」の記憶が蘇ってくるのです。それは、トワ・エ・モアの「或る日突然」であり、アン真理子さんの「悲しみは駆け足でやってくる」であり、千賀かほるさんの「真夜中のギター」なのです。他にも、高田恭子さんの「みんな夢の中」とか中山千夏さん「あなたの心に」、新谷のり子さんの「フランシーヌの場合」(あ、今日は3月30日だ! 日曜日じゃないけど……)なども僕の記憶スイッチを押す曲です。ベッツイ&クリス「白い色は恋人の色」や、ビリー・バンバン「白いブランコ」、加藤登紀子さん「ひとり寝の子守唄」なども自分の寂しい時期に聴いた曲でした。沼津の親戚の家に預けられたときにバスの中でかかっていたのが、ズー・ニー・ヴーの「白いサンゴ礁」だったなあ……と人生の場面ごとに記憶が歌とセットになっているのです。
二人家族になり、母は必死に働いて僕を育ててくれて昭和を生きていったのです。ああ、あれから50年、よく生き抜いてこれたと思うと同時に、自分の人生は誰かのためになっていたのか……と考えると深い悔恨と空しさにとらわれるのです。

「ひよっこ2」で1969年の曲を聴いて個人的な感傷に浸ってしまいました。 (ジャッピー!編集長)

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「まんぷく」と「ひよっこ2」がシンクロ!

懐かしい人たちに再会しました! みね子に時子、三男、豊子、澄子に愛子さん、ムネオおじさん……そうです、今週25日(月)から28日(木)の4日連続で「ひよっこ2」が放映されたのです。2017年4月~9月に放送されていた朝ドラ「ひよっこ」を僕は夢中に観ていました。このブログでもかなり書いています。2017年5月15日、16日、21日、29日。7月8日、9日、27日。9月14日、15日、そして終了間際の9月25日から10月1日まで連続して「ひよっこ」がらみで書いています。何でこんなに取り上げたかというと、このドラマの舞台となった時代が、まさに僕が過ごした「昭和」だったこともあってこの「ハッピー昭和クラブ」にピッタリ合致しているのです。「いつでも夢を」、集団就職、ビートルズ、ツイッギー、フラワー・ムーブメント……劇中に散りばめられた色々なものが郷愁をくすぐりました。観ているうちに僕にとって、みね子はじめ登場人物たちが旧知の顔なじみのように思えていたのです。
そんなわけで、「ひよっこ」が終了したあと、その後みんなどうしているのかなあと想像したりしているうちに、演じていた人が出ている映画があると観に行ったりしていました。もう、「劇中の人物」と「演じた俳優」の区別がつかないヤバい状態です。(笑) そんなところに続篇「ひよっこ2」の放映ですから、4日間見逃しませんでした! 今回は1970年という時代設定になっており、大阪万博、アポロ月面着陸などがチラチラ出てきます。何とか東京に行きたいと花を運ぶトラックの荷台に乗ったムネオおじさん(峯田和伸さん)が「アメリカン・ニュー・シネマだ!」と「イージーライダー」(1969 デニス・ホッパー監督)の気分になるところは笑いました。ドラマはみね子(有村架純さん)の妹・千代子の進学、進路の悩みが軸となっていて、家族を思う気持ちがいじらしく、かつてのみね子と同じようです。千代子の場合は地域や、そこにある家、家族の未来の問題が含まれています。もうこうなったら、「北の国から」のようにシリーズ化して年に一回ぐらい放送して「ひよっこ」一家の一大クロニクルを作りますか。昭和~平成を通した庶民の生活史になるように思います。
しかし、「すずふり亭」もちょっと客足が落ちて、鈴子さん(宮本信子さん)が「ひとつのことだけやっていたら生きていけなくなっちゃうのかねえ……」と嘆くシーンがありました。このあと、個人の店が少なくなり、コンビニだらけになってしまう現実を知っている身からすると、みね子たちにそんなディストピアを経験させるより、まだ夢が信じられる世界に留まっていてほしい気もします。
そういえば、「ひよっこ2」にラーメン屋の光石研さんが、インスタントラーメンのせいでウチの売り上げはガタ落ちだと嘆き、「誰だよ! あんなもん作ったのは!」と叫ぶシーンがありました。ちょうど朝ドラ「まんぷく」も最終週で「カップヌードル」を売り込んでいる展開です。なるほど、だからこの時期に「ひよっこ2」を持ってきたのかと、NHKの遊び心を感じました。両作がシンクロした1970年代の初め、「即席」という「便利」は、一方では「終わりの始まり」だったわけです。
(ジャッピー!編集長)
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「イチロー」選手を見い出した男 三輪田勝利さん

昨日の当ブログで、1994年、オリックス・ブルーウエーブの監督に就任した仰木彬さんが、近鉄監督時代の繋がりから新井宏昌さんを打撃コーチに招いて、その年に「イチロー」選手が大ブレイクしたことを書きました。まさに「イチロー」選手という稀代のヒットメーカーが誕生するためのピースが揃った年だったわけです。しかし、そもそも、鈴木一朗選手が1992年にオリックスに入団していなければ、この出会いもなかったわけですから、鈴木選手に注目し、指名したスカウトこそが「世界のイチロー」の運命の扉を開いたともいえます。
そのスカウトとは、三輪田勝利さんです。愛知県出身の三輪田さんは高校野球の名門・中京商でエースとして甲子園にも出場。早稲田大学に進学後は23勝をあげ、六大学リーグで3回優勝に導いています。1967年のドラフト会議で近鉄に1位指名されますが拒否し、ノンプロの「大昭和製紙」に進みます。都市対抗では準決勝で敗れますが好投。1969年、またもドラフト1位で阪急ブレーブス(オリックスの前身)に指名され今度は入団します。2度もドラフト1位にかかっていますから、かなり期待された投手でしたが、活躍はできず、通算4勝、わずか実働3年で引退します。以後、スカウトに転身(二軍コーチをした時期もありますが)出身の中部地区を担当していました。そこで見つけたのが「鈴木一朗」選手です。
三輪田さんは愛工大名電のエース、伊藤栄佑投手を目当てに訪れます。3年生の伊藤投手はその年、近鉄にドラフト5位で指名されます。そのとき、レフトを守っていた「鈴木一朗」選手に目をとめます。鈴木一朗選手を初めて見たとき、三輪田さんも「線が細く、パワー不足」と思ったそうですが、バット・コントロールは「高2とは思えない」非凡なものを感じたそうです。甲子園にも出ますが、伊藤徒手が打たれ初戦敗退。3番を打っていた鈴木一朗選手も4打数1安打、三輪田さんは「この時点で他球団の目にはとまっていなかっただろう」と語っています。翌年、高3になった鈴木一朗選手はエースで3番バッターとして甲子園に出場。ここでも初戦敗退、他球団は「投手」として見ていて鈴木一朗選手に高い評価を持たなかったのです。鈴木一朗選手が希望した地元の「中日ドラゴンズ」(当時、星野仙一監督)も「線が細い」と評価していました。しかし、前年たまたま鈴木一朗選手のバット・コントロールを「発見」した三輪田さんは、高3になった春から初夏も愛工大名電に通い鈴木一朗選手を見続けます。すると、昨年よりパワーアップして「相当なトレーニング」を積んだことがうかがえ、「この少年のバッティングは間違いなく一級品になる」と確信したそうです。鈴木選手の指名を強く推し、オリックスは4位で指名します。三輪田さんは自分が見た才能を他球団も気づいているのではと「3位までに指名しないと他球団にとられる」と心配しましたが、残っていたのです。そして「ファームで4~5年でレギュラー」という三輪田さんの期待を大きく上回り、3年目にブレイクしたのでした。
「世界のイチロー」を発掘した三輪田さんは以後もスカウトとして活躍しましたが、1998年、自ら命を絶って
しまいます。ドラフト1位で指名した沖縄水産高校の新垣渚投手が「ダイエー以外は行かない。大学に進学」と入団拒否、交渉に応じてもらえず那覇で投身自殺をしてしまいました。ご自身もかつてドラフト1位指名を拒否していますから新垣投手側の気持ちも分かったのかもしれません。スカウトとして会社からのプレッシャーも強かったかもしれません。真相は分かりませんが、昔からいろいろな問題(囲い込み、裏金、代理人と名乗る有象無象など)が取りざたされる「新人入団」過熱問題がとうとう「スカウトの自殺」という最悪の事態を招いてしまいました。
三輪田さんが無名の「鈴木一朗選手」に目をつけ熱心に愛工大名電のグランドに通わなかったら「世界のイチロー」はいなかったかもしれません。「イチロー」選手は、自分を見出してくれた三輪田さんの死に号泣、愛用のバットを棺に入れたそうです。そして、日本に帰ってくると三輪田さんのお墓参りを欠かさないそうです。(ジャッピー!編集長)
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「イチロー」選手と「ミス日本」を育てた新井宏昌さん

一昨日の当ブログに書きましたが、イチロー選手にとって仰木彬監督との出会いは非常に大きいものでした。「振り子打法」について「ただ他の打者が真似できないだけの話で、イチローの球のとらえ方、スイングは直す必要なかった」と語り、伸び伸びとプレイさせたのです。その「振り子打法」ももちろん一朝一夕に完成したわけでなく、試行錯誤を重ねたのは言うまでもありません。大いに貢献したのが、当時の打撃コーチ、新井宏昌さんです。仰木監督も「振り子打法」については、新井コーチの指導あってこそと称賛しています。イチロー選手は大ブレイクしたあとも新井コーチの話にはじっと耳を傾け、微妙な修正、改良を続け打法を完成させたのです。また、鈴木一朗を「イチロー」という登録名に変えた(同時に、佐藤和弘選手の登録名を「パンチ」にした)のも、実は新井コーチが進言したことだそうです。アイデアマンの仰木監督が「名付け親」のように思われていますが、最初に言い出したのは新井コーチだったのです。
新井宏昌さんは、PL学園では主将として1970年の甲子園で準優勝に導き、近鉄バッファローズに9位でという下位で指名されますが法政大に進学。1974年ドラフトで南海ホークスから2位指名を受け入団します。PL学園→法政大とアマ野球のエリート・コースを歩んでいますが、プロ選手としては小柄で細身のため大成しないと見られていましたが、2000本安打も達成し歴史に名を残しました。僕も大好きな選手でした! 当時のホークス・野村克也監督がたまたま六大学野球を観戦していて、バッティング・センスが際立っていることに目をつけ指名するよう言ったそうです。たしか、野村監督は後年、息子の克則くん(明治大)の試合を観に行って、対戦相手の法政大・稲葉篤紀選手に目がとまりスカウトにドラフト指名を命じたという話があります。稲葉選手も2000本安打を達成、今や日本代表チームの監督まで昇りつめましたから、ノムさんの眼力はさすがです。大学野球もボーッと観ているわけではないのです。
それはともかく、愛工大名電高のイチロー選手を地元の中日ドラゴンズが「線が細い」と指名を見送ったのと何となく似ていますね。南海ではすぐにシュアなバッティングで頭角をあらわし、1979年に打率2位で首位打者を惜しくも逃がしますが、1985年近鉄に移籍し1987年には念願の首位打者に輝きます。このときの年間184安打がプロ野球記録だったのですが、それを破ったのが自分が指導した「イチロー」選手だったのです。1994年、ヒットを重ねるイチロー選手に「お前なら俺の記録は抜けるぞ」と励ましたそうです。184本を抜いたとき、新井コーチが本当に嬉しそうに愛弟子を称賛していたのを僕も覚えています。新井さんが近鉄を引退したのが1992年、仰木彬さんも同年に監督を退任しました。そして仰木さんがオリックス監督に就任した1994年、新井さんもコーチに就任しましたから、明らかに仰木さんがオリックスに引っ張ったのでしょう。そして、その年、「イチロー」選手が200本という当時前人未到の記録をうちたてる……。まさに出会いの運命がピタリと合わさったとしかいえません。
新井宏昌さんには3人の娘さんがいらっしゃって、これが美人3姉妹であることは有名です。特に三女の方は「ミス日本」グランプリで、パリコレにも出られた一流モデルさんです。長女の方も「ミス着物」(だったと思う)でカンボジアかどこかで社会貢献活動をやっています。(以前、テレビの「情熱大陸」で新井3姉妹が取り上げられました) 「世界のイチロー」を育てた新井コーチ、実の娘さんたちも世界を舞台に活躍しているのです!  (ジャッピー!編集長)
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きたさん
1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
ジャッピー!編集長
映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
映画や昭和歌謡に底知れぬ造詣を示す昭和博士
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昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
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