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昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

2019年06月

映画監督としての田中絹代さん

昨日の当ブログ「田中絹代さんの女優魂」でふれたように、『サンダカン八番娼館・望郷』(1974 熊井啓監督)における田中絹代さんの演技は心をうつものでした。かつて貧困のため、海外に売春婦として売られていった「からゆきさん」を取材する研究者(栗原小巻さん)が訪ねるのが、老境に至った田中さん演じるおサキさんです。家族のために売られていったのに、帰国すれば家族たちからも疎んじられ、あばら家のような家で暮らすおサキさん。かつての国民的アイドル女優だった田中さんが老醜をさらし、国家からも家族からも見捨てられた受難の人生を経て達した優しさを見事に体現しました。こういう演技を観ると、最近のベテラン女優は老女を演じても、綺麗すぎるというか、「さらす」覚悟がないように思えますね。
この作品で各映画賞で女優賞を独占した田中絹代さんに、脚本家の成沢昌茂さんがお祝いの電話をかけました。成沢さんは溝口健二さんの弟子にあたり、溝口監督の遺作『赤線地帯』(1956 溝口健二監督)の脚本を書いていまがす。かつて溝口監督の数々の名作に出演した田中さんとは親しくしていたのです。成沢さんが「間のとり方や雰囲気の作り方がよかったですね。相手との調和のとり方は監督をされたことが役にたったんだと思います」と言うと、田中さんは大変に感激されたといいます。そして、「地獄で会うか、極楽で会うか、溝口健二に会ったら言ってやります。田中の『サンダカン八番娼館・望郷』をご覧くださいと。田中の演技には、監督をやったことが役に立っていますとね」と言ったそうです。
というのは、田中絹代さんが監督に進出すると聞いて溝口さんは猛反対、バックアップする小津安二郎さんに「絹代のアタマでは監督はできません」などと言ったことがあったからです。田中さんの中には成沢さんの称賛の言葉に、溝口監督を見返したという思いがあったのでしょう。田中さんは『恋文』(1953 田中絹代監督)を皮切りに、『月は上りぬ』(1955 田中絹代監督)、『乳房よ永遠なれ』
(1955 田中絹代監督)、『流転の王妃』(1960 田中絹代監督)、『女ばかりの夜』(1961 田中絹代監督)、『お吟さま』(1962 田中絹代監督)と10年間で6本の映画を監督されています。僕は6本とも観ていますが、どれも良く出来た作品で、決して話題性だけの監督ではなかったことを感じます。最初の二作『恋文』『月は上りぬ』はそれぞれ脚本の木下恵介さん、小津安二郎さんの雰囲気が強いですが、『乳房よ永遠なれ』以降は女流監督ならではの視座が定着してしっかりご自分のカラーのようなものが出ていると思いました。『お吟さま』もよく出来た作品だったので、以後も続けていたら監督としても一流になっていた可能性があったと思います。
田中絹代さんは監督をやる前、『あにいもうと』(1953 成瀬巳喜男監督)に助監督として参加、成瀬監督は田中さんに「スターの意識を捨てること」「自家用車に絶対に乗らないこと」「撮影30分前には必ず撮影所に入ること」「セット内では腰をかけぬこと」など厳しい条件を出して受け入れました。田中さんもきっちり修業してのぞんだのですから水準以上の作品が撮れたのでしょう。かつて、各映画会社の撮影所が機能していた頃は「監督」というハードルは高かったのです。
最近は、名前が売れると誰でも監督をやるような時代ですが、独りよがりな作品も多くうんざりすることも多いですね。
(ジャッピー!編集長)

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田中絹代さんの女優魂

『約束』(1972 斎藤耕一監督)では萩原健一さんを本気で殴り、『夜の鼓』(1958 今井正監督)では有馬稲子さんの頬ををテストの段階から全力で引っ叩き、真剣で襲いかかって森雅之さんを怖がらせた三國連太郎さん、その役に入りこむ「本気」演技は、『越後つついし親不知』(1964 今井正監督)や『飢餓海峡』(1965 内田吐夢監督)では、セックスシーンであわや「本番」という本気度で女優さんをおののかせました。(当ブログ6月20日、21日、27日参照)
当ブログ6月22日「麻酔なしで上の歯を全部抜いた三國連太郎さん」に書きましたが、『異母兄弟』(1957 家城巳代治監督)では老境に至るまで演じる役のため上の歯を全部抜いた徹底ぶりです。その『異母兄弟』で三國さんから苛め抜かれる後妻役を演じた田中絹代さんは、歯を抜いてきた三國さんを見て「あら、まあ」と驚いたそうですが、これが影響したのか、翌年『楢山節考』(1958 木下恵介監督)で役のため、自分の前歯を抜いています。この映画は深沢七郎さんの原作の映画化で「姥捨て」をテーマにしていますが、ロケは行わずすべて人工のセット、歌舞伎の様式で描くという斬新な手法で撮っています。(フランソワ・トリュフォー監督も絶賛したといわれています) 田中絹代さんの扮した老母はまだ丈夫な歯を石臼に打ちつけて自分から「お山」に行くのです。このシーンのため、田中さんは本当に前歯を抜いたのです。三國さんもスゴイですが、まして田中さんは女優ですから、この役者魂は大したものです。
また、晩年の代表作で、かつて異国に売られた「からゆきさん」だった老女に扮した『サンダカン八番娼館・望郷』(1974 熊井啓監督)では、本当に感動的な演技を見せてくれました。田中さん演じる「おさき」さんの若い頃を演じたのが高橋洋子さんで、高橋さんも体当たりの熱演でした。これは、高橋さんがトークショーでおっしゃていましたのですが、撮影中、出番がなくオフのはずの田中さんがよく現場に来て、じーっと高橋さんの演技を見ていたそうです。何と、田中さんは自分の役の若い頃を演じている高橋さんを見て、その年取った役である自分の演技プランを立てていたのだそうです。逆ならよくあるかもしれません。若手女優がベテランの演技を勉強するために。しかし、あくまで「おさき」という女性の若い頃を見て、その「おさき」が年月を重ね老境に至った姿を演じるために撮影休みの日も来ていたのです。この衰えぬ研究心、頭が下がります。キネマ旬報女優賞やベルリン映画祭女優賞などを獲得したも当然です。
『楢山節考』、『サンダカン八番娼館・望郷』は、7月7日(日)~17日(水)に開催される新文芸坐「キネマ旬報ベストワンからたどる昭和・戦後映画史」において上映されます。田中絹代さんの魂の名演を是非ご覧ください! (ジャッピー!編集長)
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ショーケンと渡哲也さん、深作欣二監督

当ブログ2017年1月27日、28日に書きましたが、1974年の大河ドラマ『勝海舟』の主演の渡哲也さんは病気のため序盤で降板しました。脚本を担当していた倉本聰さんの盟友・中島貞夫監督の推薦もあって松方弘樹さんが代役をつとめました。
渡哲也さんは闘病生活に入り、東大病院で面会謝絶となってしまいます。それを破って強引に面会に訪れたのが深作欣二さんです。渡さんはそれまで東映の作品に出たことはありませんでしたから深作監督の作品にも出たことはなかったですが、「その前から、ショーケンやウチの弟に言われていたんですよ。サクさんとやらなきゃ男にならんぜと」と語っています。
ショーケンとのつながりは『勝海舟』での共演ということでしょう。東映の俳優である渡瀬恒彦さんは『仁義なき戦い』(1973 深作欣二監督)をはじめ、深作さんとの関わりは深いですが、ショーケンの方はテレビの『傷だらけの天使』で深作さんと出会っています。当ブログ4月8日「『太陽にほえろ!』から『傷だらけの天使』へ」で書いたように、ショーケンの不満から生まれた『傷だらけの天使』は、有名監督を起用、映画さながらの作り方で撮っています。その先陣を切ったのが深作欣二監督『ヌードダンサーに愛の炎を』(放映は第3話)でした。映画さながらの撮影なので最初から予算も日程も大幅にオーバーしてしまいます。しかし、充実感があったのでしょう。それが、渡哲也さんへの「サクさんとやらなきゃ~」という発言になっているのでしょう。
1年に及ぶ入院の後、渡さんは『仁義の墓場』(1975 深作欣二監督)で復帰します。病み上がりということもあるのか、鬼気迫る演技で代表作になりました。ところが、ショーケンの方は深作監督の映画本篇でのタッグの機会はなかなか訪れず、実現するのはずっと後、『いつかギラギラする日』(1992 深作欣二監督)まで待たねばなりませんでした。この出演までの経緯が渡哲也さんのケースによく似ているのです。
1991年、ショーケンは病気になって大河ドラマ『太平記』を途中降板(代役は根津甚八さん)していますが、順天堂大学病院に入院しているところに深作監督がお見舞いに来て、5冊の脚本を持ってきて「治ったら一緒にやろうや」と声をかけたのです。その中の1本が『いつかギラギラする日』となり、ショーケン・深作監督が初めて組んだ映画となったのです。(残念ながらこれ一本になってしまいましたが……) 大河ドラマを病気降板→入院→深作さんのお見舞い→映画初タッグ、と不思議な符合で『仁義の墓場』『いつかギラギラする日』2本の名作が生まれたのでした。
『いつかギラギラする日』は明日、新文芸坐「萩原健一追悼上映特集」の最終日に上映されます。『誘拐報道』(1982 伊藤俊也監督)と二本立てです。是非ご覧になってください! 
(ジャッピー!編集長)
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三國連太郎さんからショーケンに受け継がれた?

昨日の当ブログ「『なつぞら』と佐久間良子さん」に書いたように、日本のアニメの礎となった東映動画初の長篇カラー動画『白蛇伝』(1958 藪下泰司監督)で、「ライブ・アクション」を演じた佐久間良子さん、その後、次々に青春映画などに出演、主演スターとなっていきます。
そんな佐久間良子さんも三國連太郎さんの「本気」演技でひどい目にあいます。水上勉さん原作の文芸映画『越後つついし親不知』(1964 今井正監督)でのことです。三國連太郎さんの「本気」演技については、当ブログ6月20日、21日に書きました。『約束』(1972 斎藤耕一監督)で本気でボコボコにされた萩原健一さん、『夜の鼓』(1958 今井正監督)では、テストの段階から全力で頬を殴られた有馬稲子さん、真剣で襲いかかられた森雅之さんなど、共演者は大変な思いを味わってきました。この『越後つついし親不知』で、人妻役の佐久間良子さんは雪の上で夫(小沢昭一さん)の仲間・三國連太郎さんに犯される場面があります。雪に閉ざされた風景の中、壮絶なシーンですが、もちろん三國さんは役に入りこみ「本気」の演技です。佐久間さんを本当に犯そうとする勢いだったと言います。佐久間さんは怒って、撮影を止めたといわれるほどです。後になって、佐久間さんは「この映画の撮影で私は2度殺されかけました。一度は三國連太郎さんに犯される場面。2度目は小沢昭一さんにで泥田に顔を沈められる場面。『死ぬかもしれない』と本気で思いました」と回想しています。三國さんに犯され子どもを宿してしまい、事実を知った夫役の小沢さんに責められ殺されてしまうのですが、小沢さんにも三國さんの「本気」モードが感染したのかもしれません。ともあれ、迫力ある映画になったことは間違いありません。
三國さんはその後、『飢餓海峡』(1965 内田吐夢監督)で、殺人犯を演じたとき、逃亡中に出会った娼婦(左幸子さん)と情交するシーンでも「本気」を見せたそうです。映画をご覧になった方は分かると思いますが、このシーンは三國さんは布団にもぐっていて映りません。左さんの表情や手、足だけで表現するわけですが、三國さん、映らない布団の中で左さんの体を「本気」で愛撫していたといいます。女優さんも大変です。
『約束』で三國さんに本気で殴られながらも、そのやり方に共感したというショーケン。『極道の妻たち 三代目姐』(1989 降旗康男監督)で、三田佳子さんと長廻しのラヴシーンがあり、ショーケンは三田さんのスカートの中に思い切り手を突っ込んだのです。この辺、ショーケンは三國さんの本気演技の継承者のようです。しかし、三田さん、長い毛糸のパンツをはいてて、ショーケン「そりゃないだろ」と思ったというオチがつきます。『極道の妻たち 三代目姐』、今日、新文芸坐で上映です。『渋滞』(1991 黒土三男監督)との二本立てです。(←当ブログ5月3日「ショーケン主演のロードムービーの傑作『渋滞』」ご参照ください) (ジャッピー!編集長)
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『なつぞら』と佐久間良子さん

朝ドラ『なつぞら』で、先週、鈴木杏樹さんが「ライブ・アクション」を撮っているシーンがありました。「ライブ・アクション」とは、アニメを作る際に、生身の俳優に演技をさせて撮影しその動きを基に作画をするというものです。元々、ディズニーが使っていた手法です。実写映画の前に監督が「絵コンテ」を描くことがあります。その逆ですね。実写で「動く絵コンテ」を作って、それをアニメにするわけです。
『なつぞら』では『白蛇姫』となっていた、東映動画初の長篇カラー動画『白蛇伝』(1958 藪下泰司監督)の「ライブ・アクション」を佐久間良子さんがやられたことがよく知られています。佐久間良子さんは1957年に「第4期ニューフェイス」で東映入社、まだ俳優養成所で研修を受けている頃でした。やはり、当時から美貌は際立っていたのでしょうね、白蛇の精・白娘(パイニャン)の役の「ライブ・アクション」に抜擢されました。ちなみに仕える少青(シャオチン)の「ライブ・アクション」を演じたのは松島トモ子さんでした。そう思って観ると、たしかに佐久間さんと松島さんのの面影も感じます。
その後、佐久間さんは青春ものなどで主演もつとめ、スターになっていきますが、同じ藪下監督のアニメ『安寿と厨子王丸』(1961 藪下泰司監督)でも「ライブ・アクション」に参加しています(厨子王丸は北大路欣也さん)から、佐久間さんは日本アニメの創成期に大きな貢献をはたしたのです。
その『白蛇伝』が、京橋のフィルムセンターもとい「国立映画アーカイブ」で6月29日~9月1日に開催される「逝ける映画人を偲んで2017~2018」の中で「デジタル修復版」として上映されます。(上映日は「国立映画アーカイブ」のホームページで!) 音楽を担当した木下忠司さんの追悼です。(木下忠司さんについては、当ブログ2018年5月11日、12日をご参照ください) ピカピカの『白蛇伝』が観れると思うと楽しみです。 (ジャッピー!編集長)
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きたさん
1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
ジャッピー!編集長
映画雑誌「ジャッピー!」を主宰する編集長
映画や昭和歌謡に底知れぬ造詣を示す昭和博士
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昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
独自の目線で昭和の面白さを掘り起こすイラストレーター
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