ハッピー昭和クラブ

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

2019年12月

1969年から50年、2019年がもうすぐ終わります。

ひとつ前の当ブログで書いたように、僕にとって「1969」年というのは、家族の様相が一変してしまい、自分のその後を考えても大きな一年でした。これからどうなるのか……不安だった、50年前の母と僕でした。あれから、50年、よくこの長い年月を生き延びたものだと思います。特に、今年の夏は病気で入院、手術ということがあったので、余計に感じ入るものがあります。このブログでも、多くの人の「追悼」記事を書きましたが、中には自分よりも若くして亡くなる人もいます。「ジャッピー!」に関わった人でも、もう3人、若くして亡くなっています。こういった人たちと、こうして生きながらえている僕、どこに違いがあって、そういった運命が分かれるのか。病室のベッドに寝ていて、そんな自分が「生かされている」意味を考えたのでした。何のために、こうしてこの世に生まれ、あの日から50年経ってもこうして生きていられるのか。生きる意味は自分が見つけるものなのか、いや、ただ生きているということに意味があるのか。ともかくも、2019年があと数時間で終わります。どうか、皆様も良い年をお迎えください。 (ジャッピー!編集長)

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僕の個人的「1969」年コンピ・アルバムを作るなら

当ブログで、このところ「1969」年から50年という話題を続けております。「細野晴臣さんデビュー50周年」(当ブログ1219日)、一昨日に書いた「井上陽水さん50周年」、昨日の「『サザエさん』テレビアニメ50周年」、「クイズ『タイムショック』放映から50年」の他にも、「三沢高校・太田幸司投手の熱投から50年」(8月21日)、「『男はつらいよ』第1作公開から50年」(8月28日)、「『イージー・ライダー』から50年」(9月8日)、なんて記事も書きました。

僕にとって、「1969」年はとても重要な年です。といっても、「東大の安田講堂の攻防戦」や「ヴェトナム反戦運動」、「アポロ11号の月面着陸」、「ウッドストック」、「新宿西口フォークゲリラ」といった社会事象と関係なく、まったく個人的なことです。以前にも書きましたが、この年の3月末に僕の父親が亡くなり、4月半ばには兄が亡くなったのです。4人家族が1と月の間に母親と自分の2人家族になってしまうという大きな変化が家族にふりかかった年なのです。

子供だった僕がその突然の変化をどう受け止めていたのか……今それを正確に思い出すことは難しいですが、とにかくいきなり「死」というものが目の前に大きなものとして現れたこと、この世に理不尽なことは起きうるということが漠然とした形で心の奥に澱のようにあったように思います。そんな時に聴いたのがトワ・エ・モワの「或る日突然」でした……というようなことを、当ブログ2018年1月28日「トワ・エ・モワと1969年の僕」に書きました。

1969年5月に発売された「或る日突然」がさかんにとテレビやラジオからよく流れていた時期は、まさに母と僕の二人きりになってしまった頃と重なるのです。僕はこの年の夏に沼津の親戚の家にあずけられるのですが、その時もこの曲はよく耳にした記憶があります。こうした記憶により、今でも「或る日突然」を聞くと、あの1969年の少年時代の自分、そのときの心象風景が蘇ってくるのです。♪或る日突然 二人黙るの~ あんなにおしゃべりしていたけーれど~ という若い男女の恋の始まりを綴った歌詞とは関係なく、そのメロディが一気に1969年に佇む自分に戻してしまうのです。他にも、沼津の家に行くときに、ズー・ニー・ヴ―の「白いサンゴ礁」がタクシーのカー・ラジオから流れていたのもはっきり覚えているのです。これも歌詞の内容と関係なく、そのときの自分の不安な気持ちなどが甦ってくるのです。

本当に「歌」、特に流行歌というものが持つ「時代」や「記憶」といかに結びつく力というものは大きいと思います。一瞬で、その歌が流れていたときに引き戻すのですから。そんなわけで、1969年という僕にとって特別な1年。「或る日突然」以外にも、この年に聴いた曲には特別なものがあり、すぐにあの頃の自分に戻っていくような感覚になります。僕が個人的な「1969」年コンピュレーション・アルバムを作るなら、こんな感じでしょうか。

M1 或る日突然 (トワ・エ・モワ)

M2 真夜中のギター (千賀かほる)

M3 みんな夢の中  (高田恭子)

M4 ひとり寝の子守唄 (加藤登紀子)

M5 雲にのりたい (黛ジュン)

M6 禁じられた恋 (森山良子)

M7 白い色は恋人の色 (ベッツィ&クリス)

M8 白いブランコ (ビリー・バンバン)

M9 時には母のない子のように (カルメン・マキ)

10 昭和ブルース (ブルーベル・シンガーズ)

M11 別れのサンバ (長谷川きよし)
12 悲しみは駆け足でやってくる (アン真理子)

13 フランシーヌの場合 (新谷のり子)

14 あなたの心に (中山千夏)

15 風 (はしだのりひことシューベルツ)

ボーナス・トラック 白いサンゴ礁 (ズー・ニー・ヴ―)

 

何か、淋し気な曲が多いのは、当時の少年だった僕の心情が反映されているのかもしれませんが……本当にこの頃の曲は良いものが多かったなあ。

(ジャッピー!編集長)

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由紀さおりさん「夜明けのスキャット」リリースから50年

このところ、当ブログで「1969」年から50年……という話題を取り上げていますが、由紀さおりさんのデビュー曲「夜明けのスキャット」がリリースされたのも1969年です。♪ルールールルー~……ラーラーラララ~ と、なかなか歌詞が出てこない曲はそれまでの歌謡曲にない斬新なものでインパクトが大きかったですね。(オリコンにチャートインした曲で最も短い歌詞を持つ曲ときいたことがあります)やっと出てくる歌詞も、♪愛し合うその時に~この世はとまるの~ とエロティックなムードを醸し出し、「大人」の歌という印象が濃厚でした。このとき、由紀さおりさん、21歳! 何と大人っぽく、表現力があったのだろう!

この曲が収められた、由紀さおりさんの初アルバム『夜明けのスキャット』をたまたま聴いたトーマス・M・ローダーデールさんがたちまち魅了され、自身がリーダーをつとめるグループ「ピンク・マルティーニ」で由紀さんの曲をカヴァーしたのがきっかけで、由紀さんと共演した『PINK MARTINI&SAORI YUKI 1969』というアルバムが誕生しましたね。このアルバムがアメリカでi-tunesチャートのジャズ部門で1位になるなど話題になり、「逆輸入」の形で日本でも発売されヒットしたのが2011年。その頃まだ勤め人だった僕もすぐに購入し、今でもたびたび聴いています。翌年の「紅白歌合戦」では、由紀さんとピンク・マルティーニの共演が観られました。(たしか、アメリカからの中継だったと記憶します) 

このアルバムのタイトルに「1969」とついているのは、「夜明けのスキャット」を含み収録曲が「1969年の日本でラジオから流れていた曲をセレクトした」というコンセプトによるからだそうです。1曲目の「ブルー・ライト・ヨコハマ」は、いしだあゆみさんの大ヒット曲ですが、19681225日発売ですが、オリコンの首位に立ったのは1969年2月10日。そこから9週連続1位を独走したのです。たしかに、ラジオやテレビの歌謡番組でよく聴いたなあ!

他に佐良直美さんが歌い、1969年のレコード大賞を獲得した「いいじゃないの幸せならば」や、1968年発売ですがロング・ヒットとなった黛ジュンさんの「夕月」などが、カヴァーされています。由紀さんのちょっとジャジーな歌唱が本当に素敵で、オリジナルとはまた違う魅力があります。中でも、僕のお気に入りは「ブルー・ライト・ヨコハマ」に続き2曲目に入っている「真夜中のボサ・ノバ」という曲です。ヒデとロザンナさんが1969年に出した「ローマの奇跡」のB面に入っていた曲だそうで、僕も知らなかった曲です。選曲したのは何と、トーマスさんだそうで、こういった知られざる名曲を探しだすってスゴイことです。由紀さんの軽やかな歌唱はもちろん、ピンク・マルティーニの演奏も素晴らしく、本当にこの「1969」は「カヴァー・アルバム」のお手本みたいな1枚です。

こんな名盤を生むきっかけとなったトーマスさんとアルバム『夜明けのスキャット』との出会い、「ジャケ買い」だったというのも面白いエピソードです。由紀さおりさんの、ちょっと和風なお顔立ちのジャケットがトーマスさんの目にとまらなければ、生まれなかったかもしれないのです。  (ジャッピー!編集長)

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クイズ「タイムショック」放送開始から50年

このところ当ブログで書いているように、テレビアニメ『サザエさん』が放映を開始したのが50年前の1969年ですが、この年に始まった番組に『タイムショック』があります。残念ながら、『タイムショック』はレギュラー番組としては放映終了していますが、時々「特番」で復活しています。たしか、今年の秋も「50周年記念」と冠して単発の「特番」が放送されたと思います。

1分間で12問というスピード勝負のクイズ、というのが当時の時代感にピッタリハマっていましたね。木曜日の夜、よく観ていました。問題自体は簡単なものなのですが、とにかく答える時間が5秒なので、瞬発力が必要だし、解答席の椅子が高くあがると緊張感もハンパなかったでしょうね。引っ掛け問題みたいなのがたまにあって、「今、何問目?」なんて問いが途中で出されると、たいていの人がパニックになっていました。たしか、加山雄三さんが「パーフェクト」を出したときも、その手の問題が出て、加山さんは「問題が出るたびに指を折って数えていたよ」と乗り切ったことを明かしました。それ以後、その方法で対処する出場者が多くなったと記憶しています。

『タイムショック』といえば、何といっても初代司会者の田宮二郎さんですね。「現代は時間との戦いです。さあ、あなたの心臓に挑戦します!」とストップウォッチ片手によどみなく語るオープニング、田宮さんのクールなカッコ良さが、このクイズのコンセプトによく合っていましたねえ。1969年といえば、既に日本映画は凋落していましたが、まだ「大映」は存続していました。その「大映」のスターだった映画俳優の田宮二郎さんが、テレビのクイズ番組の司会になったのは、1968年に田宮さんは大映をクビになり、当時の「五社協定」のため、容易に他社の映画にも出れず干されていた状況だったからです。藤由紀子さんと結婚(当ブログ2017年4月13日をご参照ください)して、子どももいた田宮さん、家族を養わなくてはいけないのに役者の仕事がなく、地方都市のキャバレーで「歌謡ショー」をやっていたといいます。奥さんの藤さんを社長に発足した個人プロダクション「田宮企画」を作り、フリーになっての初仕事が高松市のキャバレーだったそうです。「歌う映画スター来店!」ということで空港に女性ファンが詰めかけたといいますが、同時代の映画スター、三船敏郎さんや、石原裕次郎さん、かつては『悪名』シリーズの名コンビだった勝新太郎さんなどが自身のプロダクションで映画を製作したり活躍していた時期なので、田宮さんとしては悔しかったことと思います。大スターの彼らとは違って、長年尽くした「大映」からクビになり干されるという仕打ちだったのですから。このとき、田宮二郎さん、33歳。まさに働き盛りのときに仕事の場がなかったのはお辛かったと思います。そうした頃に始めた「歌謡ショー」、定員900名の大型キャバレーはほぼ満席だったといいますから、さすが映画スターの威光です。

そして、映像の仕事としては、「大関酒造」のテレビCMが最初でした。♪酒は~大関~心意気~ という歌で有名ですね。続いて「東京12チャンネル」のドキュメンタリー番組の司会を1クールやり、その後に「タイムショック」の司会のオファーがあったそうです。それまでスター俳優がこういう番組の司会をすることはなかったので、マネージャーは反対したそうですが、田宮さんは即、オファーを受ける決断をしたといいます。とにかく、必死に「田宮企画」を軌道にのせるため、仕事には全力投球だったのです。

そんな田宮さんの司会ぶりもあって、「タイムショック」は人気クイズ番組となりましたが、番組スタートから9年目の1978年9月に司会を降ります。(受け継いだのは、やはり俳優の山口崇さんでした)そして、その年の暮れ、田宮さんは43歳の若さで自らの命を断ってしまうのです。『タイムショック』の司会をしておられるときに既にいろいろ悩んでおられて精神的に不安定だったと言われます。もちろん、司会のときにそんな様子は一切感じさせず、洗練された司会ぶりだったので本当にびっくりしました。

(当ブログ2017年4月27日、28日もご参照ください) (ジャッピー!編集長)

 

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『サザエさん』といえば、江利チエミさん!

ひとつ前の当ブログに書いたように、テレビアニメ『サザエさん』が1969年に放映スタートしてから今年は50年目。声優さんは亡くなったりして交代しているものの、サザエさん一家は歳もとらず、昭和の家族のまま生活しています。それでも、番組最後、サザエさんが飴玉を口に放り込み「ウッ、ゴゴッ……」とノドに詰まらせるショットは「マネするとあぶない」ということでカットされたり、細かい部分では時代の空気には反映されざるを得ませんね。

『サザエさん』のテレビアニメ放送の前には、江利チエミさん主演で実写ドラマ化もされており、よく観ていました。(実は戦後すぐの1948年には東屋トン子さん主演で映画化されていましたが)何といっても「サザエさん」といえば、江利チエミさんで、映画も10本続くシリーズとなった(たしか舞台でも演じています)当たり役です。この江利チエミさんのテレビドラマ版では、マスオさん役の川崎敬三さんがこれまたピッタリの適役でした。

テレビドラマの『サザエさん』では波平が森川信さん、フネが清川虹子さんでしたが、その前、東宝で映画化された当初は、サザエのお父さん、お母さんには名前がついていませんでした。『サザエさん』(1956 青柳信雄監督)で、藤原釜足さんがハゲヅラを被って演じたお父さんは「サザエの父」、清川虹子さん演じたお母さんは「サザエの母」とプレスシートに出ていました。サザエ、カツオ、ワカメと子どもの名前があっても、父母に役名はないのです。まるで「バカボンのパパ」みたいですね。映画を観ると、サザエの住む家の表札は「磯野松之助」となっていますから、釜足さんが演じたお父さんは「波平」じゃなく「松之助」なのでしょう。これは、もしかしたら笑福亭松之助さんの名前からとったのかもしれません。というのは、今年(2019年)の2月22日に93歳で亡くなった松之助師匠は、明石家さんまさんの師匠として知られていますが、吉本興業所属。映画『サザエさん』のタイトルロールには、「江利チエミ(吉本)」と出るのです。当時、江利さんは吉本興業に所属していたのですねえ。他に小説家・神田大六先生の役でアチャコも出演されますから、吉本がらみでお父さんの名前に「松之助」とつけたのではと推測しています。(サザエの妄想で、アチャコさんがデパートで6歳の女の子の服を着る姿が登場し爆笑ものです)

この第1作、サザエが友人(若山セツ子さん)の紹介で出版社に入ります。同じビルに入っている会社に勤めているマスオ(小泉博さん)と出会いますが、出版社は一日でクビ、マスオの紹介で「探偵事務所」に入ると、所長が森川信さん。かと思えば、磯野家に下宿するノリスケ役で若き仲代達矢さんが出ていて、鶏小屋に閉じ込められて「コケコッコー!」と叫んだり楽しい作品でした。

何といっても、江利チエミさんがサザエさんそのものという感じで、これ以上のキャステイングが考えられないほど、ハマっているのです。その後も、星野知子さんや観月ありささんもサザエを演じたし、今年は舞台で藤原紀香さんも演じていましたが、チエミさんには遠く及ばないですねえ。もちろん、チエミさんの歌もしっかり聴けます。サザエが妄想に浸るとミュージカル調の場面になって、近所のお店の御用聞きたちを演じるダーク・ダックスがコーラスをつけたり、サザエが初出勤でウキウキした気分で♪ヴィヴィデ、バビデブー~ とか歌うシーンの楽しさ!

そういえば、「御用聞き」というのもなくなりましたね。この映画には、他にも、「火鉢」にまたがり叱られるカツオ、「ほうき」を逆さに立てかけ手拭いかぶせる、客が早く帰るおまじない?など、昭和の生活風景が満載です。  (ジャッピー!編集長)

 

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1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
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