ハッピー昭和クラブ

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話 あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

昭和大好きブロガー達による、昭和歌謡と映画のこぼれ話
あの映画は、あの曲はまさにそんな事だったのか!と感動再び!

2020年03月

『絞死刑』の松田政男さん

このところの当ブログで、317日に亡くなった松田政男さんについて書いていますが、今日は松田さんが出演された映画『絞死刑』(1968 大島渚監督)についてです。

『絞死刑』は、「小松川高校女子学生殺人事件」をモチーフに、その犯人のRの死刑が執行される場面から始まります。ところが、執行後、医務官がRの脈をみると、まだ生きていることが分かります。執行は失敗に終わり、「やり直し」をしようとしますが、意識を回復したRは自己喪失しており、自分が罪を犯したことを覚えていません。罪の意識を自覚させないと、死刑の執行はできないと、その場にいた「死刑を執行する側」の7人の男たちは、Rの記憶を戻そうと奮闘します。

その7人を演じるのが、佐藤慶さん、渡辺文雄さん、戸浦六宏さん、小松方正さんといった大島渚作品の常連俳優4人と、俳優としては素人の3人、足立正生さん、石堂淑朗さん、そして松田政男さんであります。大島さんの独立プロ「創造社」がATGと提携して製作したので、予算がなく仲間うちでキャスティングしたのですが、非俳優といっても、日大芸術学部時代から先鋭的な作品を作り、若松孝二さんとも共闘した足立正生さん、大島さんと松竹時代の盟友で脚本家の石堂さんは映画の「現場」の人ですが、松田政男さんは批評家ですから、どんな「演技」をするのか注目しました。

松田さんは、全く演技指導のようなことがないままいきなり台詞を言わされたと撮影時のことを回想されています。しかし、この素人ぽさが逆にいい味を出していたように思います。たしかに、松田さんの台詞は棒読みで説明調なんですが、その「感情の入っていない」セリフ回しが、松田さんの演じた「検察事務官」の血の通っていないような官僚ぽさが出ているのです。他のメンバーがそれぞれ、大きな「演技」や喜劇タッチでかき回す中、ひとり冷静にロボットのように事務的に説明するので、いいアクセントになって笑いを増幅します。松田さんの抑揚のない「よく勉強しておりませんが……」という台詞が有名ですね。

たしか大島監督はこの「権力側」の7人は誰がどの役をやるか、「入札しよう」ということになり、その前に「立候補」を募ったら、「保安課長」という一番叩き上げの教養のない人物に足立正生さんが立候補したそうです。実際には一番理屈っぽい足立さんが保安課長をやったら面白いとひそかに思っていた大島監督の希望通りになって、「実に面白いキャスティング」になったと監督は回想しています。

足立さんは70年代に入ると、赤軍と行動を共にしてパレスチナに渡り国際手配されますが、足立さんや若松孝二さんを重信房子さんに引き合わせたのが松田政男さんだったのです。松田政男さんが亡くなり、『絞死刑』の7人の男たちのうち、生きていらっしゃるのは足立正生さんひとりになってしまいました。 (ジャッピー!編集長)

 

 

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松田政男さんと川本三郎さん

松田政男さんの著書で僕が愛読していたのが、「日付のある映画論 松田政男のシネ・ダイアリー」(ブロンズ社)です。「日刊ゲンダイ」に「政」の署名で連載していた映画時評をまとめたもので、19761977年あたりの映画(邦画、洋画とり混ぜて)を切れ味よく評しています。

この「ブロンズ社」という出版社名、賢明な読者諸兄には気づかれる方も多いでしょう。「傍役グラフィティ 現代アメリカ映画傍役事典」(川本三郎さん、真淵哲さん編著)、「女優グラフィティ」(川本三郎さん、小藤田千栄子さん編著)、「スキ・スキ・バン・バン 映画ディテール小事典」(川本三郎さん、小藤田千栄子さん編著)これらを発行した出版社です。この3冊は、映画好きなら思わず頷いたりニンマリしたりすること請け合いの本です。僕も大事に持っていて今でもたびたび読んでいます。(どのページから読んでも楽しめるのがいいのです) 

松田政男さんは「女優グラフィティ」に参加していて、「まえがき」で川本さんが「この十年間おそらく日本の映画評論家の中でもっともたくさんの映画を観ている松田政男氏にゲスト・ライターとして特別出演していただいている」と書いています。ひとつ前の当ブログで書いたように、僕も松田政男さんの映画鑑賞の膨大な量、守備範囲の広さには驚かされましたが、川本さんをしてこう言わしめるのですからいかにすごいかが分かります。

松田政男さんと川本三郎さんの出会いは1970年代初め。朝日の記者だった川本さんは「週刊朝日」の編集部にいたときに、学生活動家を名乗るKという青年を取材、信頼関係を築きます。ところが、朝霞基地で自衛官が刺殺された事件を起こしたというKに関わったということで「証拠隠滅」「逃走援助」の罪に問われ逮捕、朝日新聞社を懲戒解雇されてしまいます。このことについては、川本三郎さんの著書「マイ・バック・ページ ある60年代の物語」(河出書房新社)に詳しく書かれていますし、映画にもなりました。妻夫木聡さんと松山ケンイチさんが主演した『マイ・バック・ページ』(2011 山下敦弘監督)です。
クビになって不遇をかこっていた川本さんに当時、「映画批評」という雑誌の編集責任者だった松田政男さんが声をかけ、毎号、長文の映画批評を依頼したのです。そのとき、松田さんは「長い文章を書かなければダメだ」と、毎回
400字詰で30枚は書くよう、叱咤激励したそうです。川本さんは「とにかく30枚書きあげ、内容が悪くても活字にしてくれた」1年は、自分の修業時代だったと回想しています。松田さんの誘いと叱咤が、映画評論家としての川本三郎さんを誕生させたのです。

こうして川本さんが映画評論家の地位を確立したあと、1974年、今度は松田政男さんが日本赤軍との関係でフランスから国外追放されるハメになります。日本に帰国したあとも公安に張り付かれたそうですが、そんな時期に川本さんが編者をつとめた「女優グラフィティ」に執筆を依頼されたのです。このときのことを、松田さんは「多大な恩恵を蒙る」と感謝しています。そして、川本さんが仲介して、この「女優グラフィティ」を出していた「ブロンズ社」から「日付のある映画論 松田政男のシネ・ダイアリー」が発行されたのです。

お互いの不遇のときに声をかけ、文章を発表する場を提供しあったのです。なかなか良い話と思いませんか。苦境にあるとき、気にしてもらえることは真の友情といえますね。  (ジャッピー!編集長)

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追悼・松田政男さん 「ムービーマガジン」と「シティロード」

3月17日に映画評論家の松田政男さんが亡くなりました。87歳です。このところ、お名前を見かけることもなく、どこかで施設に入られているようなことを聞いていましたが、まだお元気なものと思っていました。

僕が映画を観始め、特に日本映画に魅せられ泥沼にズブズブはまり身動きがとれなくなった頃、それは「ロードショー」から「キネマ旬報」に進んだ頃ということですが、盛んに映画評を書かれていたのが松田政男さんです。まず、その守備範囲の広さに驚嘆しました。高校生のときに共産党に入党し、「行動派」として活動していた松田さんですから、大島渚さんや若松孝二さんといった監督の作品はもちろんのこと、邦画、洋画、プログラム・ピクチャーから日活ロマンポルノ、自主映画まで幅広くご覧になっていたのが単純にスゴイ!と思ったものです。

とりわけ、僕が愛読していた「ムービーマガジン」で連載されていた「映画全評」が楽しみでした。松田さんが観た映画を全てあげていくというもので、「東映マンガまつり」から洋ピン、大作、B級映画、さらに自主映画の上映会まで、観まくっている日々の記録で、あまりに本数が多すぎて毎回、紙数が尽きてしまうのが常でした。おまけに「ムービーマガジン」はなかなか予定通り発行されず(一応、隔月刊となっていましたが何か月も出ないのはザラでした)そのため松田さんの全評に追いつかなくなり、苦肉の策で「直近に観たものから日にちを遡る」形式で書かれた回もありました。それでも結局、発行が「全評」に追いつきませんでした。これが完璧な「全評」で連載されていたら画期的だったなあ! その後に連載された「映画天狗道場」は読者からの質問や投稿で「論争」をするという面白い企画でした。ただ、「論争」を吹っかけてくる投稿がなかったりで、結局松田さんのひとり語りになった回もありましたが、それでもめげずに「私は私なりに、ヤンガージェネレーションとの断層を埋めていく所存である」と書いていたのが印象に残っています。双方向のコミュニケーションを構築しながらの批評活動というのは、やはり活動家だったからか、他の評論家とは違うスタンスだったなあ。

もう一つ、僕が毎月買っていた情報誌の「シティロード」に、封切映画の「星取表」があって、今野雄二さんや宇田川幸洋さんといった人たちと松田さんも名前を並べていました。(あと、襟川クロさんなんかもいたかなあ。うろ覚えですが)僕は松田さんのつけた採点(星5つが最高点でした)と短評を真っ先に見たものでした。「党派性」というブレない核がありながら、いや、あったからこそ硬軟とり混ぜて分かりやすく読ませてくれました。

あと、松田さんは僕と同じ私鉄を利用して降りる駅が一緒だったので、何度も電車内でお見かけしたことがありました。たいてい読書されていました。ある日、隣の座席になったので、何読んでいるのだろう?とチラッと横目で見たら、清水義範さんの「国語入試問題必勝法」でした。難しい思想の本でも読んでいるのかと思ったら、柔らかい本だったので意外に思い、よく覚えています。

映画についてずいぶん多くのことを読ませていただきました。松田政男さんのご冥福を心よりお祈りいたします。 (ジャッピー!編集長)

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『星屑の町』、あの頃の記憶を蘇らせる昭和の歌

ひとつ前の当ブログでちょこっと触れましたが、『星屑の町』(2020 杉山泰一監督)を観ました。元は人気の舞台劇だということですが、僕は知りませんでした。たしかに「舞台劇」的な場面もあり、特に、ムード歌謡コーラスグループ「山田修とハローナイツ」の面々のアンサンブルは最高でした。舞台でも演じているメンバーなので呼吸、間合いがお見事でした。

ラサール石井さん、小宮孝泰さんの「コント赤信号」組、太平サブロ―さん(シローさんは若くして亡くなってしまいましたね……)を見ると、かつての漫才ブームの頃を思い出すし、でんでんさんと渡辺哲さんはあの『冷たい熱帯魚』(2010 園子温監督)をどうしたって思い出します。有薗芳記さんもいかにもという「拗ねた」雰囲気が絶品で、それぞれのキャラが立っていました。そんなベテランの曲者役者の中に紅一点で入る「のん」さんが良かったなあ! 「のん」さんは、『この世界の片隅に』(2016 片渕須直監督)はありましたが、実写映画の出演は『海月姫』(2014 川村泰祐監督)以来ですから6年ぶり。当時はまだ「能年玲奈」でした(本名が使えないとはね……)

こんなに透明感のある女優さんを(いろいろ事情があるのでしょうが)使わずにいる映画界は大きな損失だと思います。

その「のん」さんが、劇中、「ハローナイツ」に入るためのオーディション?で唄うのが「新宿の女」です。藤圭子さんのデビュー曲で、僕も♪私が女になれたなら~私は女を捨てな~いわ~ という出だしからソラで唄えます。1969年という僕の感性がもっとも敏感だった時期(当ブログ20191231日参照)に聴いたことも大きいでしょうね。当然、藤さんのドスのきいた「怨歌」という感じではないですが、「のん」さんの歌唱が何となく「昭和」感を醸し出すのは、やはり「のん」さんの一所懸命な

不器用さというような個性ゆえでしょう。

また、黒いハットを被った「のん」さんが、キラーズのように「ハローナイツ」を従えて唄う「恋の季節」も良かったです。ピンキーとキラーズの「恋の季節」が流行った1968年は僕の父も兄も生きており、4人家族だったわずかな時間を思い出すのです。4人でちゃぶ台を囲んだ晩御飯の時間、テレビの歌番組から「恋の季節」が流れてきて、父が「この子(ピンキー)はいいな」と言ったことを覚えています。ほとんど、若手の歌手を褒めたことのない父だったので強く記憶に残っているのです。そんな個人的な思い出もありますが、あの頃は家族でひとつのテレビを眺め、ひとつの歌に聴き入った時代だったのです。そういう意味で、歌謡曲というのはパワーを持っていましたし、国民的ヒットが生まれたのです。時は流れ、家族揃っての団らんも少なくなり、それぞれの個室でテレビを観る時代もとうに過ぎ、みんな各々が下を向いてスマホの小さい画面に見入るようになりました。こうなってはもう本当のヒット曲って出てこないでしょうねえ。ある時代を振り返るとき、「この曲!」と浮かぶ曲の記憶を共有するってことは昭和までだった気がしています。

他にも「ハローナイツ」によって唄われる、島倉千代子さんの「ほんきかしら」、内山田洋とクールファイブの「中の島ブルース」も良かったですが、「ハローナイツ」のメンバーが控え室でモメている間、前座?の戸田恵子さんが歌唱する、由紀さおりさんの「手紙」、加藤登紀子さんの「愛のくらし」も素晴らしかったです! さすが元々歌手でデビューした戸田さんです。その歌いっぷり、もっていかれます! (ジャッピー!編集長)

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シネコンでビンゴ達成!(自己満足)

ひとつ前の当ブログに書いたように、『Fukushima 50』(2020 若松節朗監督)は、原発事故にも直面した福島の被災民に寄り添うどころか、「オリンピック・パラリンピック」のプロパガンダ的な酷い映画でした。

ただひとつ、内容とは全く関係なく良かったのは、この『Fukushima 50』を観た近所のシネコン(自宅から徒歩5分)でついにビンゴ!だったことだけです。どういうことかっていうと、このシネコンは12館ありまして、当然ながら、その日、どの映画が何番館で上映しているかはチケットを買うまで分からないのです。それが、1から12まで揃ったのです。

このシネコンが始めた「ポイントカード」に入ったのが昨年2019年9月12日。それまでもポイントカードはありましたが、授業員の方にスタンプを押してもらうアナログ仕様でしたが、新しい磁気カードのものになったのです。そこから何本か観ていくうちに、なぜか「10番館」で観る機会がないことに気づき、以後行くたびに「今日は何番館だろう?」と気にするようになっていたのです。しかし、なかなか「10番館」にあたらず、ついに年が明け、2020年になってしまいました。そして、ついに3月11日、「東日本大震災」の日だから関連する映画でも観ようと選んだ『Fukushima 50』が「10番館」! ビンゴが完成したのです!

9月12日のポイントカード更新からここまでちょうど半年かかり、45本目で達成しました。以下、そこまでに観た映画です。

 

1番館:『男はつらいよ お帰り寅さん』、『ロマンスドール』

2番館:『記憶にございません!』

3番館:『ロケットマン』、『人間失格 太宰治と3人の女たち』、『劇場版 そして生きる』、『楽園』、『前田建設ファンタジー営業部』、『フォードvsフェラーリ』

4番館:『真実』、『カツベン!』、『リチャード・ジュエル』、『Last Letter』、『イントゥ・ザ・スカイ 気球で未来を変えたふたり』、『グッド・ライアー 偽りのゲーム』、

    『キャッツ』

5番館:『引っ越し大名』、『イエスタデイ』、『スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼』

6番館:『蜜蜂と遠雷』、『スペシャル・アクターズ』、『最高の人生の見つけ方』、『影踏み』、『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』、『ジョジョ・ラビット』、

『グッドバイ 嘘から始まる人生喜劇』

7番館:『決算!忠臣蔵』、『mellow

8番館:『AI崩壊』、『カイジ ファイナルゲーム』

9番館:『アイリッシュマン』、『パラサイト 半地下の家族』、『記憶屋 あなたを忘れない』、『仮面病棟』

11番館:『見えない目撃者』、『ヒキタさん! ご懐妊ですよ』、『ジョーカー』、『風の電話』、『ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密』

12番館:『アイネクライネナハトムジーク』、『宮本から君へ』、『ひとよ』、『マチネの終わりに』、『屍人荘の殺人』

 

そして『Fukushima 50』が「10番館」となりビンゴです。別に、1~12を制覇したからといって何の特典もありません。単なる自己満足ですが、達成感があります。このポイントカードは6回鑑賞で1回無料になるのですが、この間、6本無料で観ました。また、ここは55歳以上は1100円と、シニア料金1200円というのが多い他館と比べてもお得なのでよく来るのですが、シネコンというのは、ちょっと観客の「入り」が悪いと、すぐ上映回数が減ったり、打ち切られるので油断できません。次にビンゴを完成させるのはいつになるでしょうか。ちなみに『Fukushima 50』を観た2本あとに『星屑の町』(2020 杉山泰一監督)が「10番館」でした。あれだけ出なかった「10番館」が続くとは……そんなもんですね。 (ジャッピー!編集長)

 

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1975年「空飛ぶ鯨」でデビューしたちゃんちゃこのメンバー。デビュー40周年を経て昭和の素敵な時代の歌や出来事を再発見
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映画や昭和歌謡に底知れぬ造詣を示す昭和博士
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昭和のあれやこれやをイラストにして解説。
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