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映画「パッチギ!」が公開されたころ(2005年)にちゃんちゃこの相棒の松村君から「僕らが中学生やった頃、そのままの映画がやってるで~」という連絡がありました。僕は幼いころから、京都の町には様々な差別が渦巻いていることをおばあちゃんから教えられていました。また、そういった差別があることも1968年、中学校に進学してからは認識させられる風景が様々ありました。民族差別があること、朝鮮学校があることも認識しました。そして、各学校には番長がいて、特に朝鮮学校は怖い学校で集団で喧嘩をするらしい・・・。京都市の南方、東福寺界隈でイムジン河の日本語作詞者、松山猛さんは生まれ育ったと言われてました。そんな京都九条界隈の少年時代の原風景として「イムジン河」は生まれたと言われてました。
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松山さんとは共通のお友達を介してお知り合いになりました。僕が携わっていたお仕事で一緒にプロジェクトに参加していただき、同じ京都フォークの先輩後輩の仲で、共通の話題が多く、一緒にロックユニット「your too(腰痛)」(笑)でライブをやったことも幾度かあります。
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松山さんは、フォークルのオリジナルメンバーで、プロデビューする前のフォークルでは、加藤和彦さんと一緒に曲創りをして、歌っておられた方です。原曲は知りませんが、フォークルの「イムジン河」は、加藤さんと松山さんの実質オリジナル曲だと僕は信じております。ですが1968年の段階では、一応原作者が北にいるとのことで、著作権の問題やら、歌詞の内容の問題やらいろいろややこしい問題のなかで、レコード会社サイドが製造プレスも終わっている発売2週間前に発売中止の自主規制をひいたとのことです。それから、30年余りの期間、オリジナルのフォークル「イムジン河」は復刻されることはありませんでした。復刻されたのは21世紀になってからです。ですが、1968年当時の京都の若者で、「イムジン河」を歌えない奴はいないというぐらいこの歌は、口コミ(歌コミ?)で広がってゆきました。発売、放送禁止になったことで、その話題は沸騰して、反体制を掲げていた学生運動にも影響を及ぼし、フォークギターを持った若者達はみんなこぞって「イムジン河」を歌っていたのです。結成したばかりの、中学生だったちゃんちゃこカンパニーもイムジン河を歌っていたと思います。
京都は小さな街の割に大学が膨大に多い街です。ですから、団塊の世代が学生だった頃の1960年代後半は、街全体が学生街のような街だったのです。そんな中でイムジン河はレコードは無いのに歌い継がれてゆきました。フォークルの「イムジン河」のメッセージは朝鮮半島の南北の平和をモチーフにした世界平和への願いの歌です。そんな言葉にならないメッセージが若者の心を動かしていったのだと思います。そして、30年後にオリジナル「イムジン河」の封印が解かれました。仕掛けたのは、僕の親友でした。元ソニー・ミュージックの故会田晃さんです。
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松山さんからのミッションを受けて、難しい著作権クリアの難題をJASRACと交渉を重ね、復刻出来ることになったのです。会田さんはいつも言ってました。「イムジン河」はアジアの「イマジン」だと。
僕を松山さんに繋げてくれたのは会田さんでした。
ちゃんちゃこ43 きたかたよしろう

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