昨日の当ブログで書いたように、第1期ニューフェイスで日活に入社した名和宏さんは3年後には松竹に移籍、さらにフリーになるわけですが、もし石原裕次郎さんが日活に入っていなかったらどうなっていたでしょう。「地底の歌」(1956 野口博志監督)で堂々主役をはったように、主演のローテーションをまかされるスターとなっていたかもしれません。あるいは小林旭さんの映画における宍戸錠さんのように主演スターのライバル役となっていたかもしれません。初期の日活では時代劇も作られていて(実際、製作再開した日活の第1作は「国定忠治」(1954 滝沢英輔監督)でした)、名和さんも何本か主演しています。僕もさすがにこれらの名和さん主演の「日活時代劇」は観ておりませんが、当ブログ2018年1月15、16日に紹介した三國連太郎さん主演「江戸一寸の虫」(1955 滝沢英輔監督)に名和さんが脇役で出ておられたのは記憶にあります。移籍した松竹でも名和さんは時代劇で期待されたようです。僕は名和さん主演の「呪いの笛」(1958 酒井辰雄監督)という怪談ものを観たことがあります。
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名和さんの実家は能のお師匠さんで名和さんも小さい頃からずっと能を習っていたので和服の着方や所作は板についたものがあったのでしょう。年月が流れ、東映ポルノ作品に出るようになっても時代劇の名和さんは一味違うものがあったと思います。「徳川セックス禁止令 色情大名」(1972 鈴木則文監督)の名和さんなんて、チョンマゲは似合うし本当に二枚目で貫禄もありまさにお殿様という感じでした。
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もし、あのとき「日活時代劇」が続いていたら、東映の錦之助、日活の名和と並び称された可能性だってあったと夢想します。しかし、現実には裕次郎映画の国民的ヒットで日活は青春・アクション路線に一気に舵をとって時代劇は作られなくなったのでした。ひとつの会社のカラーを一変させてしまうのだからやはり裕ちゃんというのは大した人だったわけです。
しかし、スターにはなれなかったからこそ、名和さんは種々のジャンルで数々の映画に出て映画ファンを楽しませてくれたのです。「座頭市兇状旅」(1963 田中徳三)では国定忠治を演じ、「大魔神逆襲」(1966 森一生監督)のような特撮、日活ムードアクションからニューアクション、東映では任侠映画の最高峰「博奕打ち 総長賭博」(1968 山下耕作監督)における名演もあり、ポルノ、実録路線と幅広くスクリーンで活躍されたのでした。  (ジャッピー!編集長)
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