昨日の当ブログで書いたように、1978年、デビュー曲「勝手にシンドバッド」でサザンオールスターズが「ザ・ベストテン」に登場した夏、明らかに「コミカルな学生バンド」もっと言えば「芸人」という扱いでした。しかし、桑田佳祐さんの陽性なキャラクター、サザンというバンドの存在を知らしめるには「ザ・ベストテン」など歌番組に露出したことは成功でした。しかし、並みのバンドだったら「一発ヒットのキワモノ」で終わっていた(実際そういう例は多いですね)のでしょうが、サザンには優れた音楽性があったので生き残りました。やはり3枚目のシングルでリリースした「いとしのエリ―」のヒットが見事にサザンのバンドとしての評価を確立したと思います。
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有名な話ですが、桑田さんのお姉さんがビートルズの熱狂的ファンだったことで、子どもの頃からお姉さんの買い集めたレコードを聴いていたのが原体験になっています。性格的にも前にグングン進んでいくお姉さんからの影響は非常に大きかったようです。(お姉さんは若くして亡くなってしまいます) そして一方では、自ら「歌謡曲少年」と称するように歌謡曲が大好きで、どんな曲でも一回聴いたらすぐ覚えて唄っていたといいます。桑田さんによると美空ひばりさんから、石原裕次郎さん、いしだあゆみさん、辺見マリさん……何でも聴いていたそうですが、GSではテンプターズが好きだったそうです。ダウンロードtennpyuta
のちに「KUWATA BAND」で「神様お願い」をカヴァーしています) また前川清さんのヴォーカルに魅せられ「内山田洋とクールファイブ」
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のレコードを集めたりしていたといいますから、かなりの雑食性というか、ジャンルにとらわれない音楽センスが形成されたのでしょう。
ビートルズをたっぷり聴き、エリック・クラプトンさんに憧れギターを始めた桑田さんですが、洋楽ではいわゆる「ニュー・ロック」には馴染めなかったそうです。メロディーがないとダメという桑田さんの嗜好がよく分かります。こんな桑田さんの洋楽・歌謡曲ルーツが結実したのが「勝手にシンドバッド」だった気がします。何でも、デビュー・シングルを何にするかということになって、レコード会社は「別れ話は最後に」を推したのですが、桑田さんは「勝手にシンドバッド」を断固、主張したのです。これについて、桑田さんは「それまでロックというとロックしかなかった。歌謡曲やろうとしている奴はいなかった。俺はロックにのって歌謡曲をやろう」という発言しています。だから、「ザ・ベストテン」のような歌謡番組に出たのでしょう。
僕もビートルズを皮切りに洋楽ロック大好き少年でしたが、決して洋楽一辺倒ではなく普通に歌謡曲や和製ポップスも楽しんでいました。多くの人がそうだったと思います。ちょうどそういった音楽経験史が重なるような同世代にサザンは受け入れられたのでしょう。サザンの曲にはたっぷりと「昭和歌謡」の遺伝子が受け継がれているのです。桑田さんは「ひとり紅白歌合戦」
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と題したコンサートを2回開いています。桑田さんが様々なコスチュームを着たり、時には物真似も交えて一人で歌いまくるイベントですが、それぞれ「昭和83年」「昭和88年」とタイトルにつけていますから、桑田さん自身相当に「昭和歌謡」への思い入れは深いと見えますね。  (ジャッピー!編集長)

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