あと2時間ほどで「日本シリーズ」が始まります。今年は、広島東洋カープVS福岡ソフトバンク・ホークスという初顔合わせになりましたが、やっぱり「クライマックス・シリーズ」というのが違和感あるなあ。今年の場合でいうと、西武ライオンズはペナントレース開幕から一度も首位から落ちることない優勝だったわけです。それが「日本シリーズ」に出れないって理不尽だと思いますねえ。じゃあ、一年間の戦いって何だったのかと問いたいです。(この件については当ブログ2017年10月28日「クライマックスはいらない」に書きましたのでご覧ください) まあそれはともかく、「日本シリーズ」にふさわしい熱戦を期待したいです。
クライマックスシリーズで西武ライオンズを破ったホークスが、クライマックス第1ステージから続いたので、千賀投手を中4日で起用、「特攻ローテ」と新聞の見出しにも出ていました。今や、中6日が当たり前となった投手ローテーションですから仕方ありませんが、昔から思えば考えられないですね。特に、シーズンの優勝がかかった大事な試合や日本シリーズなんて大一番ではエースだったら中2日、中3日が当然でした。
中でも、シリーズ3完封、それも第6戦、第7戦は連投で完封というすごいことをやってのけたピッチャーがいました。1964年の「日本シリーズ」、南海ホークスのジョー・スタンカ投手です。ダウンロードsutannka-
そのスタンカさんがこの10月15日に87歳で亡くなりました。スタンカさんは1950年にドジャース傘下のチームに入りますが長いマイナー・リーグ暮らし。ようやく1959年にホワイトソックスでメジャーに上がるも2試合登板で1勝。翌年、ホークスに誘われ来日します。当時は今と違ってまだ外国人選手も少なく、待遇もよくありません。それでも、メジャーで実績を残せなかったスタンカさんは妻子もあったし、必死に頑張りました。1年目から17勝をあげ活躍、投手陣の中心となりました。何と言っても196cmという長身は日本人にはめったにいなかったので角度ある球にバッターは苦労したのです。ちなみに来日したばかりのとき、自分を見た日本人が皆「大きい、大きい」と言うのでスタンカさんは「何で皆、自分がオクラホマ出身と知っているのか」と不思議に思ったそうです。フィラデルフィア出身者を「フィリー」というように、オクラホマ出身者は「オーキー」というのです。
最高の成績をあげたのが1964年。この年、26勝をあげ優勝に貢献、MVPも獲得しました。そして日本シリーズで阪神タイガースと激突、「浪花シリーズ」と呼ばれたシリーズで第1戦に先発したスタンカさんは3安打完封。第3戦はKOされてしまいますが、南海2勝3敗と「王手」をかけられた第6戦に先発、2安打完封で逆王手とします。そして翌日も先発、何と連続完封を果たしました。当時、アメリカ野球でも例がなく、もちろんスタンカさんも経験なかったですが、最後の一勝のために監督、コーチが頼むのに意気を感じたのです。
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1965年のオフに子供をガス事故で亡くし、傷心のスタンカさんは退団、帰国しますが、翌年1年だけ大洋ホエールズで復帰、6勝に終わり引退。日本のプロ野球で通算100勝をあげました。(面白いことに同時期にタイガースで活躍、1964年日本シリーズでも戦ったジーン・バッキー投手も同じ通算100勝でした)日本球界にその名を残されたスタンカさんのご冥福を心よりお祈りいたします。
(ジャッピー!編集長)
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