昨日に続いて、当ブログ9月21日にハピイさんが紹介された「1970年(昭和45年)のセ・パ両リーグの選手個人成績」をご覧ください。昨日も書いたように、今とは格段に違う投球回数のピッチャーが並んでいますが、パ・リーグの防御率5位の投手もこの時点で312イニングを投げ、23勝をあげています。この好成績をあげた投手・金田留広さんが10月2日に亡くなりました。ダウンロードkaneda


金田さん(東映)はこの1970年は最終的には316イニングを投げ、24勝をあげました。それでも、最多勝は逃しています。(ロッテの成田文男投手が25勝で獲得) ご存じ、400勝投手の金田正一さんの弟である留広さんは1968年のドラフト会議で4位指名で東映フライヤーズに入団。1年目の1969年に18勝をあげました。このルーキーの年、オールスター戦に選出され、登板したときにセ・リーグが金田正一さんを代打で出して、「兄弟対決」という見せ場で留広さんが打ち取ったのは記憶しています。
翌年(1970年)が前述の通り24勝、71年15勝。そして72年には20勝で念願の最多勝に輝きますが、73年には7勝とガクッと成績が下がります。というのも、73年に正一さんがロッテ監督に就任し、兄弟が敵同士になってしまったのです。たしか留広さんが「ロッテ相手には投げづらい」という発言をしたとかで、正一監督もトレードを持ち掛け移籍、ロッテで「兄=監督・弟=選手」が成立します。のちの長嶋一茂選手がヤクルトからジャイアンツに移籍、「長嶋親子が監督・選手」となった先駆ですね。ただ、一茂さんは活躍できませんでしたが、留広投手は見事に復活、16勝をあげロッテの優勝に貢献します。以後は成績も下降、1978年金田正一監督の辞任に伴い、留広さんも広島カープに移籍します。お兄さんの「監督就任」に左右された選手生活の中盤でしたが、優勝したことで、大投手・正一さんんも獲っていないMVPに輝いたのですから良かったのでしょう。
カープでは、池谷さん、福士さん、山根さん、北別府さん、中継ぎに大野さんが台頭、絶対ストッパーの江夏さんと強力投手陣が揃っていたこともあって、留広さん
はあまり出番がありませんでした。が、たまにローテーションの谷間に先発すると、5~6回をきっちり投げ、今でいう「試合を作って」79年4勝1敗、80年4勝3敗をあげました。両年、カープは優勝、2連覇しますが、近鉄バファローズと激闘を繰り広げた日本シリーズでは留広さんは登板することもありませんでした。しかし、かつての20勝投手で最多勝やMVPを獲ったベテランがくさることなく、ペナントレースで与えられた場面で懸命に投げている姿はとても印象に残っているのです。当時あまりパ・リーグの試合がTVで放映されていなかったせいもあり、僕にはこの晩年のカープ時代の留広さんが印象的なのです。往年のスピードもなく、ほとんど直球とカーブだけなんですが、度胸満点のピッチングで抑えていました。
今年は衣笠祥雄さん(当ブログ7月18日もご参照ください)、そして金田留広さんとカープOBが鬼籍に入られました。昨日、1勝をあげた
カープ、是非「日本シリーズ」を制してほしいですね。小気味いいピッチングで128勝をあげた金田留広さんのご冥福を心よりお祈りいたします。(ジャッピー!編集長)

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