一昨日の当ブログで触れましたが、若松孝二監督が「反原発」の映画を作ろうと「東電内で主人公が死ぬ」という具体的な展開も考えていたら、ある大手の映画会社からストップがかけられ、実現しませんでした。
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若松孝二監督は2012年10月17日、交通事故で亡くなりますが、これも「権力」側に殺されたのではないかという噂が出たほどです。たしかに「反体制的」で影響力のある人に対して、「権力」というのはそれぐらいのことはやりかねないですからね。サウジアラビアのカショギ記者の殺害など見れば明らかです。
若松孝二監督は「東日本大震災」の被害があった宮城県生まれ、農業高校1年のときに退学になり家出して東京に出てきます。そこで土方やお菓子屋の小僧などしていましたが、新宿でヤクザの仲間になりある日警察に捕まってしまいます。半年ほど拘置所に入れられ、そこで警察にひどく苛められたそうで、このときの怨みが若松監督の「反権力」の原点になっているようです。
1960年代末から70年代初めにかけて先鋭左翼的な映画を連打していた若松監督について、当時「若松プロ」にいた人の中には「あの人は本も読まない、映画も観ない、文章も書けない。そんな映画作家があるだろうか」などと語る人もいます。身近にいた人の証言だからそうなのでしょう。しかし、若松監督の「反体制」はイデオロギーではなく、もっと原初的な怒り、下層の生活の中で実感したルサンチマンだったように思います。
少し前に、「若松プロ」とそこに集まった若者たちの青春を描いた映画「 止められるか、俺たちを」(2018 白石和彌監督)を観ました。

その中でも若者たちが「若松さんには思想がない」みたいなことを言うシーンもあったし、「処女ゲバゲバ」(1969 若松孝二監督)のタイトル命名が大島渚監督だとかけっこう知られたエピソードがよく再現されていました。「処女ゲバゲバ」も含め数々の若松監督作品の映像が断片的に挿入されたり、「ゆけゆけ二度目の処女」(1969 若松孝二監督)の有名な屋上シーンの撮影現場再現などもあり、懐かしかったです。

学生たちのデモが駆け抜けていく映像も出てきましたが、今や政治的デモどころか、東京医科大の不正入試にも立ち上がらない(←山田洋次監督も嘆いていました)学生、若者たちはハロウィンで仮装して渋谷に集まり……時代は変わりました。
若松監督が今、生きていたらどんな映画を撮っていたかなあ。若松さんは内田裕也さんを主演にすえて映画を作っていて、「水のないプール」にはチラッと沢田研二さんも出ていました。
そんな縁もあるから、ジュリーと組んで「反原発」映画を実現してほしかったなあ! もちろん主題歌はジュリー歌う「核なき世界」で……と夢想してしまいます。 (ジャッピー!編集長)
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