昨日の当ブログで書いたように、11月11日(日)「第10回船堀映画祭」に行ってきました。目黒祐樹さんの活弁&トークショーを楽しんだ後、タワーホール地下の「船堀シネパル」に移動、「ひばり捕物帖・かんざし小判」(1958 沢島忠監督)を観ました。
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今年の1月27日に91歳で亡くなった沢島忠監督の追悼上映です。沢島監督はこの「船堀映画祭」には今まで3回もゲストでいらしています。ダウンロードsawamura
昨年もトークショーに車椅子で来られていました。そんな深い縁もあっての追悼上映で、ゲストには東映の惹句師で知られる関根忠郎さんが予定されていましたが、体調を崩し入院されたとのことで欠席。代役で「芸能座」の代表・依田豊隆さんがトークをされました。依田さんは、沢島監督が東映を退社後に設立した「コマ・プロダクション」の社長をつとめられた方で、舞台演出に軸足を置いた沢島さんを支えていました。その依田さんによると、沢島監督の創作意欲はすごくて、最後に「忠臣蔵」を撮りたいと熱望されていたそうです。「春秋忠臣蔵」とタイトルも決め、キャストも考えていたとのこと。しかし、今は映画会社もテレビ局も、お金のかかる時代劇は敬遠しがち。周りの人が「難しいですよ」と言うと、沢島監督、真顔で「そうか、じゃあワシは宝くじ買うわ! それで当てて映画撮るわ」とおっしゃったそうです。そういえば、前に読んだ「沢島忠全仕事」(ワイズ出版)のロング・インタビューで、「『忠臣蔵』撮りたくて映画界に入ったようなもの」と語っていましたから、本当に沢島監督の「初心」だったのだなあと思いました。と同時に、何とか撮ってほしかったなあと残念に思います。依田さんも、監督が最後まで「時代劇はどうなっていくんだ……」と心配していたと語り、そんな沢島さんの思いを遺言のように考えているとおっしゃっていました。
東映時代劇全盛期には「忠臣蔵」というと会社のトップ監督が演出するものだったので、まだ若手だった沢島さんにはまわってきませんでしたが、監督昇進2作目の「江戸の名物男 一心太助」(1958 沢島忠監督)で、仲の良かった中村錦之助さんの「ふだんの姿を出したい」と、それまでの格調や品格のある正調時代劇の殻を破る「青春時代劇」を作りあげます。
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美空ひばりさんのお母さん・加藤喜美枝さんも「一心太助」を観て気に入り、「かんざし小判」の監督は沢島さんでと指名。監督3作目となった本作も、ミュージカル調の場面やひばりさんの立ち廻りなど躍動感あふれる画面でまさに沢島映画の真骨頂でした! 以後も若々しく、誰もが楽しめる作品を連打し「時代劇のヌーヴェルヴァーグ」と言われた沢島忠監督のご冥福を心よりお祈りいたします。  (ジャッピー!編集長)
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