今年の10月8日、輪島博(元・横綱、輪島大士)さんが亡くなりました。70歳という若さですから残念でたまりません。
ダウンロードwajima

僕は昭和の少年の多分にもれず相撲が好きで、よく友だちと所かまわず相撲をとったりしました。(最近は相撲をとってる子供を見なくなりましたねえ)一度、友だちのN君と四つ相撲になり、吊りをかまそうとしてN君のズボンのループ(ベルトを通す所)がブチブチ~と千切れてしまったことがありました。N君、ごめん。僕は右利きですが、どういうわけか左からの投げが得意だったので、そんなこともあって「輪島」関は大好きな力士でした。
日本大学から相撲界に入り、幕下付け出しでデビュー、あれよあれよと昇進していき、曲げを結う髪が伸びるのが追い付かなかったのを覚えています。
当時、まだ学士出身の相撲取りも珍しかったと思います。輪島のライバルが東京農大出身の「長浜」関で、のちに「豊山」関と改名しました。「輪島」関は本名のまま横綱になりましたが、これは初土俵から3年半というスピード記録だったので四股名を考えるタイミングもなかったとか、子供の頃から「輪島」でサインをしていたので変えたくないのだとか言われていました。ともかく、そうして第54代横綱となり、「黄金の左」を炸裂させ一時代を築きます。
外車を乗り回したり、当時、マワシは紺や紫といったダークな色が多い時代に「金色」のマワシをつけていたり、新世代の相撲取りという感じが新鮮な魅力でした。
images (3)
他には「高見山」関がオレンジ色のマワシをつけていたぐらいか。(そういえば、「輪島」関はよく「高見山」関に負けていた記憶があります)

次の第55代横綱「北の湖」関とは毎場所のように優勝争いをして「輪湖時代」と呼ばれましたが、「北の湖」関のブスッとしてふてぶてしく昔風の力士という雰囲気と風貌と「輪島」関のスマートな現代風タイプのコントラストも良かったです。ああ、昭和のあの頃の相撲、本当に面白かったなあ!
引退後、その奔放さから、金銭トラブル(親方株を借金の担保にしていた)で花籠部屋をつぶしてしまったり、相撲界から去ってプロレスに入ったりと順風ではありませんでしたが、迫力ある「左下手投げ」で僕らを熱狂させ、土俵を盛り上げてくれた輪島大士さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
(ジャッピー!編集長)

にほんブログ村 その他趣味ブログ 昭和レトロへ にほんブログ村
おもしろいと思ったら、クリックしてください!