今年の大相撲初場所は大荒れでした。よく春場所(大阪場所)は荒れると言われますが、今年は波乱の幕開けです。昨年の御嶽海関、貴景勝関の優勝の流れから、世代交代の時期になっているのでしょう。3横綱が揃って始まったのに、稀勢の里関は初日から3連敗で引退、鶴竜関、白鵬関も相次いで休場と、結局はまた横綱不在の場所になってしまいました。で、貴景勝関や阿武咲関などの若手が優勝するかと思えば、大ベテランの玉鷲関が優勝です。場所前は誰も予想しなかったでしょう。
初土俵から一度も休場することなく、苦節15年で初優勝の玉鷲関には感動を覚えました。新聞で見ると、玉鷲関は「片男波部屋」にとっては、横綱「玉の海」関以来の優勝力士だということです。48年ぶり…ああ、もうそんなに経ってしまったのかあ。「玉の海」関は横綱在位中、27歳という若さで亡くなったということもあり、鮮明に記憶に残っています。その当時、僕は熱中して大相撲を観ており、星取表を毎場所、スクラップ・ブックに貼り付けてお気に入りの力士の番付の上がり下がりに一喜一憂していました。(当時、僕が好きだったのは「若浪」関や「陸奥嵐」関のようなソップ型や、関脇の長かった「長谷川」関)「玉の海」関は「北の富士」関と同時に横綱になり、大関までの「玉乃島」から親方の現役時代の四股名「玉の海」を継ぎました。当時晩年の「大鵬」関と3横綱で、毎場所この3人が優勝を争っていた時代で、毎場所のようにこの3人が優勝を争っていました。それも13勝、14勝あるいは全勝といった高いレベルの星で、本当に「横綱」が強かったのです。中でも、「玉の海」関は横綱になって最初の場所13勝、次が12勝のあと、3場所目で9勝と落ち込みますが、ここからがすごくて、「14勝1敗」を4場所続けるのです! だいたい、その1敗というのは「大鵬」関に喫したものが多かった記憶があります。4場所のうち3場所で優勝、逃した1場所は全勝で千秋楽を迎えた「玉の海」関が本割、優勝決定戦と「大鵬」関に連敗に逆転されたことがありました。これが「大鵬」関の最後の優勝だったのでよく覚えています。
なかなか全勝ができなかった「玉の海」関ですが、4場所連続「14勝1敗」の次の場所が13勝2敗(優勝は全勝の「北の富士」関)の次、1971年名古屋場所で見事に全勝優勝を果たします! そして次の秋場所は13勝で「北の富士」関に優勝をさらわれ、まさに「北玉時代」の真っ只中に亡くなってしまうのです。死因は「虫垂炎」で、力士なのでお腹が分厚いので手術が間に合わなかったと当時言われていて、子ども心に「痛みを散らしてはいけないんだ。盲腸になったらすぐ手術しないと」と思ったのでした。
「玉の海」関は力士としてはそんなに大きい方ではなかったですが、取り口は鮮やかで右四つになったら盤石のまさに「横綱相撲」でした。「優勝6回」に終わりましたが、生きていれば相当な回数の優勝を飾ったのではないでしょうか。全盛期に亡くなってイメージが強く残っているせいかもしれませんが、最強の横綱のひとりにあげたいです。「玉の海」関の相撲、もう一度じっくり見てみたいなあ。  (ジャッピー!編集長)
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