2月7日に、大リーグ初の黒人監督となったフランク・ロビンソンさんが亡くなりました。83歳です。メジャーリーグの場合は、必ずしも名選手が監督となるわけではありませんが、フランク・ロビンソンさんは選手としてもすごい実績の持ち主です。シンシナティ・レッズに入団して新人王、5年後には優勝に導いてナショナル・リーグMVP、ボルチモア・オリオールズに移籍して三冠王の大活躍、ワールドシリーズも制してアメリカン・リーグでもMVPと考えられる限りの栄光に輝いた選手でした。
僕の記憶のフランク・ロビンソンさんは、1971年の秋にオリオールズが日米野球で来日したときの4番バッターです。フランクさんは選手生活のピークは過ぎていたと思いますが、すでに「伝説」の選手というオーラがありました。このときのオリオールズはスター選手が揃っており、もう一人、ブルックス・ロビンソンさんというすごい三塁手もいて、この二枚の「ロビンソン」を軸に脇を固める選手も好選手ばかりでした。1番バッターの俊足巧打のドン・ビュフォード選手も印象に残ったので、この来日の2年後、太平洋クラブ・ライオンズに入団したときは驚きました! ロッテの金田正一監督と取っ組み合いをして遺恨カードになり、当時、人気が低迷していたパ・リーグでは「金田VSビュフォード」のシーンがポスターに使われたりしました。また、オリオールズの二塁手はデ―ヴ・ジョンソンさんで、やはり後に長嶋ジャイアンツに助っ人として入団、「ジョン損」とか言われましたが元々サードが本職じゃないから気の毒でした。2年目に高田繁さんをサードにコンバート、ジョンソンさんは二塁で活躍しましたね。
そんな好選手が揃ったオリオールズ、さらに投手陣は何と20勝投手が4人もいたのです! ジム・パーマーさんを筆頭にした20勝カルテットだけで80勝以上ですからこれはスゴイ。たしか、巨人はドブソン投手にノーヒット・ノーランをくらったと記憶しています。結局、日本はほとんど勝てずに終わりました。1971年というと、巨人は7連覇の年、ONを中心に円熟期でしたが、観ていてもまず勝てそうにないという感じだった印象です。「読売新聞社」が主催だったので、それこそ昨日の当ブログでふれた日本テレビの「ミユキ野球教室」でさかんに盛り上げていましたが、そこで紹介されるフランク・ロビンソンさんをはじめとする選手たちを見ただけでモノが違うと感じました。1971年というと、巨人は7連覇の年、ONを中心に円熟期でしたが、観ていてもまず勝てそうにありませんでした。それほど、オリオールズは強かった!
昨日の当ブログ「追悼・兼高かおるさん」に書いたことにも重なりますが、大リーグは
はるか上の存在で「遠い」ものだったなあ。だからこそ、星飛雄馬は「大リーグボール養成ギプス」なんてつけていたわけです。(←当ブログ2016年12月7日「野球ロボット対野球人形」参照) 今やゾロゾロとメジャーに行く選手が現れ、その「遠く」が近くなったのは、張本勲さんがおっしゃるように、球団数拡大等でメジャーのレベルも下がったといえるかもしれません。
本当に「大リーグ」が「遠い」存在だった時代、(それはまた黒人選手であることで苦難も多かった時代です)に大活躍し、後年、監督となってからもリーグ最優秀監督賞も得て「名選手で名監督」という稀有な人物だったフランク・ロビンソンさんのご冥福を心よりお祈りいたします。
(ジャッピー!編集長)
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