当ブログ2月11日に書きましたが、「キネマ旬報ベストテン」で柄本佑さん・安藤サクラさんが主演男優賞・女優賞をご夫婦で受賞されました。同じく「毎日映画コンクール」でもご夫婦で男優主演賞・女優主演賞を獲得となりました。この「毎日映画コンクール」も歴史は古く、1946年(昭和21年)戦後いちはやく創設されました。1985年第40回に長く映画に貢献した女優さんに贈られる「田中絹代賞」が設定されました。最初の受賞者は吉永小百合さん、以後も倍賞千恵子さん、岩下志麻さん、香川京子さん……など錚々たる女優さんが受賞されてきました。そして、今回の受賞者は白川和子さんだったのです!
「田中絹代賞」制定以来、ロマンポルノ出身の初の受賞者となった白川和子さんは、日活ロマンポルノ第1弾となった1971年11月20日封切の「団地妻 昼下がりの情事」(1971 西村昭五郎監督)に主演されました。出演してくれる女優集めに新路線の成否がかかっていたわけですが、昨日の当ブログ「追悼・黒澤満さん」に書いたように、黒澤満さんが活躍されます。何しろ出演してくれる女優集めに新路線の成否がかかっているわけですから、黒澤さんは事前にピンク映画を何本か観て予習されていたそうで、白川さんに白羽の矢を当てます。
白川さんは既にピンク映画に約200本も出ていましたが、いわゆる「親バレ」はしていなかったのですが、「日活」という大手の作品となると宣伝も大きいし、何より「ロマンポルノ」のトップバッターとしてマスコミの話題を集めてご両親に分かってしまいます。お父さんは「防衛庁」の役人という固い仕事だったので「辞めろ」「辞めない」と揉めたそうですが、白川さんは意志を貫き、やがてお父さんも「深みのある人間になれよ」と応援してくれるようになったといいます。白川さんは「日活」に来て、セットの豪華さ(石原裕次郎さんや小林旭さんの時代の「銀座オープンセット」もまだあったそうです)、衣装もたくさんあって(ピンク時代は衣装は自前だったとか)環境の違いに驚いたそうですが、何より「日活」に残ったスタッフたちの「撮影所の灯を消すな」という思いにうたれたといいます。
「団地妻」役で「日活」デビューで、本当にそういう気怠い主婦という感じでしたが、実は白川さん23歳。「倦怠期」なんて言葉も知らなかったそうです。後に「団地妻 昼下がりの情事」は僕も観ましたが、とても23歳とは思えない大人っぽさでした。「ロマンポルノの女王」と呼ばれた白川さんですが、「日活」に在籍したのは1年半。日活の関西営業社員の人と結婚され引退、「本当の団地妻になった!」と当時話題になりましたよね。
その後、離婚を経て女優復帰、多くの映画で脇役でいい味を出してこられました。白川さんが飲んでいると、カウンターの隣りに座った男性が「僕の青春でした!」と声をかけてきたりしたことがあり、「ああ、この人たちの胸の中で生き続けているのね」と嬉しかったとインタビューで答えていたことを覚えています。
やがて、「ロマンポルノ」も作品的評価も高まり、多くの名作も生まれました。そこに至るまでには白川さんたち、初期に出られた人たちの苦労があったからです。スタート時は、偏見にさらされたり、嫌な思いをされたこともあったと思います。それは、戦前、「映画女優」なんてヤクザな仕事と見られて
人たちと同様です。こうして、映画の歴史における貢献を認められたのは素晴らしいことです。「田中絹代賞」に、今後も普通に「ロマンポルノ」出身女優さんが選出されることでしょう。
(ジャッピー!編集長)
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