映画監督の上垣保朗さんが今年1月29日に亡くなりました。まだ70歳という若さですから残念です。
昨日の当ブログで、第73回(2018年度)の「毎日映画コンクール」の「田中絹代賞」を受賞した白川和子さんについて書きました。その白川さんがロマンポルノを引退してしばらく経った頃、当時ロマンポルノで活躍し始めた美保純さんに会って「私のこと知ってる?」と聞いたら、美保さんが「ハイ!ルーツです」と答えたそうです。ロマンポルノの歴史を感じさせる良いエピソードです。その美保純さんを一躍、人気者にした「ピンクのカーテン」(1982 上垣保朗監督)の監督が上垣さんです。
上垣さんは、ジョージ秋山さんの漫画「ピンクのカーテン」を読んで映画化しようと思いつき、すぐに主役に美保純さんの起用を決めます。ピンク映画に数本出ていただけの美保さんとは面識もありませんでしたが、男性と女性の中間のような「ユニセックス」な感じが、実の兄の前であっけらかんと裸になったりする奔放なヒロイン・野理子に合うと閃いたのです。これが見事に当たり、映画は大ヒット、「ピンクのカーテン2」(1982 上垣保朗監督)、「ピンクのカーテン3」(1983 上垣保朗監督)と連打され、美保さんも個性派女優として大人気となります。上垣さんによると、実際に美保さんは「ケㇿッとした性格」だったそうで、美保さん自身「野理子は私にピッタリ」と言っていたそうですから、上垣監督のキャスティング眼は大したものです。のちに「男はつらいよ」シリーズに起用されたのも、山田洋次監督が美保さんに「寅さん」のような浮遊性を見出したのかもしれません。
子どもの頃から映画好きだった上垣保朗さんは旧日活末期に契約助監督として入社。「八月の濡れた砂」(1971 藤田敏八監督)などの現場につきますが、すぐに会社は製作中止となってしまいます。撮影所中に差し押さえ札がベタベタ貼られた状況でしたが「ロマンポルノ」で再開となって、「とにかく映画が作れる!」ことが嬉しかったそうです。以後、10年助監督生活を続け、「一条さゆり 濡れた欲情」(1972 神代辰巳監督)では、関西出身の上垣助監督が関西弁指導をしたり、数々の作品につきました。中でも藤田敏八監督には心酔していたので、「ピンクのカーテン」には「妹」(1974 藤田敏八監督)の影響があると語っていました。こういうのも撮影所の徒弟?制度によって受け継がれる良さであると思います。
僕は「ピンクのカーテン」以後では「少女暴行事件 赤い靴」(1983 上垣保朗監督)が印象に残っています。出演していた「小泉ゆか」さんがのちに上垣監督と結婚されたと思います。ちょっと小悪魔ぽい雰囲気の女優さんでした。長い助監督生活から監督昇進し、安定した演出で日活を支えた上垣保朗さんのご冥福を心よりお祈りいたします。 (ジャッピー!編集長)
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