今年の2月9日、映画監督の佐藤純彌さんが亡くなりました。86歳でした。「桜田門外の変」(2010
佐藤純彌監督)が最後の作品になってしまいましたが、昨年末にロング・インタビューによる「映画監督・佐藤純彌 映画よ憤怒の河を渉れ」という本が出たばかりでお元気のことと思っていましたので残念です。
佐藤純彌さんというと骨太の大作映画というイメージが強いと思います。そのイメージを決定づけたのが70年代半ばに作られた「新幹線大爆破」(1975 佐藤純彌監督「君よ憤怒の河を渉れ」(1976 佐藤純彌佐藤純彌)の2本でしょう。2012年の暮れに新文芸坐で「高倉健特集」を開催したときに、この両作を二本立てで上映という日があり観に行ったら、当初予定になかった佐藤純彌監督のトークショーがあったのを思い出しました。
「新幹線大爆破」で健さんと犯人グループを組む山本圭さん演じる過激派くずれの男は当初、原田芳雄さんにオファーしたそうですが、原田さんから「私はメジャーな作品に出ない」という断り方をされてしまいます。ところがその後「新幹線大爆破」を観て感心した原田さんから「出なかったのは残念」と連絡があり、次作には
是非出たいと言われたそうです。それで実現したのが「君よ憤怒の河を渉れ」で無実の罪をきせられた健さんを追う刑事役で実現したのです。そもそも「新幹線大爆破」の健さん役も当初は菅原文太さんだったのを断られたのを健さんが快く引き受けてくれたとのこと(←このことは当ブログ2016年11月30日に書きましたのでご参照ください)だし、「監督という仕事はあらゆる部署の統括」と語る佐藤さんはいろいろな困難を処理する実務的な能力に長けている有能な監督だったのでしょう。だから、想定外のトラブルが起こりがちな海外ロケにも順応し、「植村直己物語」(1986 佐藤純彌監督)や「敦煌」(1988 佐藤純彌監督)といった作品で手腕を発揮されたのだと思います。
よく知られていることですが、「新幹線大爆破」は当時の「国鉄」との交渉に時間をとられ、あげくの果てに許可が得られず、大幅に撮影予定が狂ったそうですが、実際に新幹線のインテリアを手掛けている会社に発注して2両分のセットを作ったり、アイモで新幹線を盗み撮り!したりあらゆる手を使って迫力ある映画を作ろうと奮闘したのです。撮影後半の1週間はほとんど連日徹夜だったそうで、ようやく完成したのは封切の前々日だったとのこと。何としても封切に間に合わせるというプロ意識と現場での力量、これが以後、佐藤監督には大作を任せられるという信頼となっていったのでしょう。
数々の映画で楽しませてくれた佐藤純彌監督のご冥福を心からお祈りいたします。(ジャッピー!編集長)
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