昨日の当ブログで取り上げた「運び屋」(2018 クリント・イーストウッド監督)は、冒頭、イーストウッドさん演じるアール(デイリリーという花を作っている)が品評会で優勝して得意満面、集まっているマダムたちに色っぽい冗談を言ったりモテ男ぶりを発揮します。このとき「ジェームズ・スチュアート」みたいという科白があったかと思います。(劇中、もう一回「ジェームズ・スチュアート」の名前が出たかな)アールを取り巻くマダムたちの世代が分かる巧みな脚本です。ジェームズ・スチュアートさんといえば、アメリカの良心を体現するスター俳優で、フランク・キャプラ監督作品なんかでお馴染みです。
実はイーストウッドさんもデビューしたときにはヒョロッとした長身もあって、ジェームズ・スチュアートさんの後継スターと目されていたそうです。いわば、アメリカの古き良き時代の青年を期待されていたわけです。そういえば、「ローハイド」のロディ役なんかはまさに気のいいアニキという感じでした。僕が初めてイーストウッドさんを観たのが「ローハイド」だったので、この印象はかなり強いです。しかし、時代は進み、映画もジェームズ・スチュアートさんが活躍していた頃とは描くものも変わっていきます。イーストウッドさんはイタリアでマカロニ・ウエスタンに出演、髭面のむさくるしいスタイルでブレイク。アメリカに帰ってからは、ご存知「ダーティハリー」(1971 ドン・シーゲル監督)で情け容赦なくマグナム44をぶっ放すハードな刑事を当たり役にしたのです。ヴェトナム戦争の泥沼化など問題が噴出したアメリカで、もはや、ジェームズ・スチュアートさんのような清潔な紳士タイプがヒーローであるには時代はあまりにもスレてしまったのです。
「運び屋」の劇中、アールが車を走らせていると、パンクして困っている黒人のカップルに遭遇する場面があります。昨日の当ブログで書いたように、アールは「タイヤひとつ直せないのか。何でもインターネットに頼るからダメなんだ」と嘆きながらも手伝います。このとき、アールは「この俺が二グロを助けてやるなんてな」と呟くと、若い黒人カップルは怪訝な顔をして「今はブラックって言うんですよ」と言います。「二グロ」という呼び名は19世紀~20世紀にかけて普通に使われていて、黒人自身も自ら称するとき「二グロ」を使っていて悪い印象の言葉ではなかったようです。(「ニガー」は当時も今も完全な侮蔑語)一方、20世紀半ばまで「ブラック」は侮蔑的な言葉でした。それが60年代に「公民権運動」が広がると、黒人たちが自分たちの肌の色に誇りを持つ意識が高まり「ブラック」という言い方をするようになったのです。黒人自ら「ブラック・イズ・ビューティフル」と主張するようになったのです。「アフロ・アメリカン」とか「アフリカン・アメリカン」という呼び方も公民権運動以後に使われるようになり、今では「二グロ」は古い人種意識の言葉となりました。このあたり、偏屈で好き勝手やっていたアールが「時代に鈍感」なことを巧く表されています。
また、かつては「マッチョ」主義と批判されることも少なからずあったイーストウッド作品(マグナム44は「男根」の暗喩だとする批評もあったなあ!)ですが、今回は「銃」を「花」に持ち替えたイーストウッドさん、ゆるやかに「時代」に沿って前に進む姿が映し出されます。 (ジャッピー!編集長)

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