昨年2018年の12月19日に俳優の石橋雅史さんが亡くなりました。85歳です。石橋さんの出られた映画をずいぶん観たので残念でなりません。当ブログ4月9日「追悼・織本順吉さん」で、織本さんの出た映画をよく「新宿昭和館」で観たという話を書きましたが、石橋雅史さんの出られた作品もよく「新宿昭和館」で観ました。といっても、実録路線ではなく、「空手アクション」映画です。この路線の作品にはほとんど出ていたという印象です。ほとんどが敵役ですが、迫力ある眼力が忘れられません。
なぜ、こんなに「空手映画」に出ていたかというと、石橋さんは本当に空手の使い手なのです。それも、「空手バカ一代」で有名な大山倍達さんに頼まれ、「大山道場」や「極真会館」で師範代までつとめていた凄腕なのです。子どもの頃は柔道をやっていたそうですが、武道を続ける一方、高校でたまたま演劇部の友だちに誘われ舞台に出たことをきっかけに芝居に魅せられ、日本大学芸術学部に入ります。一方、日大空手部の主将もつとめていたのです。当時の日芸の同期には宍戸錠さんや先頃亡くなられたケーシー高峰さんもいました。錠さんなんか日活ニューフェイスに合格、中退し、早々に映画で活躍されますが、石橋さんは日大卒業後、舞台、テレビに出ていたものの、数々のバイト、そして空手の師範代で食いつなぐ下積みが続きます。映画で役らしい役がついたのが「野獣都市」(1970 福田純監督)ですから、1950年代半ばには映画で名の知られた宍戸錠さんなんかと比べるとずいぶんと遅咲きです。
そして一気にブレイクの時が来ます。「燃えよドラゴン」(1973 ロバート・クローズ監督)でブルース・リーさんが人気になります。(僕も超満員の映画館で観ました!)東映もこのカンフー・ブームにのっかって空手映画を製作します。千葉真一さん主演「ボディガード牙 必殺三角飛び」(1973 鷹森立一監督)を製作することになり、タイトルバックで格闘シーンを撮影しますが、満足できる画になりません。殺陣師の日尾孝司さんが「俺が知っている奴で本当の空手つかいの役者がいる。この役は大事だから、そいつを使った方がいい」と、テレビで共演した石橋さんを指名。探し回って、新宿コマ劇場に出ていた石橋さんを偶然見つけ、その場でオファーします。石橋さんは「もう食えなかったから即座にOK」で出演。その決闘シーンが評判よく、「東映空手路線」のレギュラーとなってブレイク。僕が「新宿昭和館」のスクリーンでよくお見かけするようになるのです。
その後は「欽ちゃんのどこまでやるの⁈」では、萩本欽一さん、真屋順子さん夫婦の家の隣人役(強面を活かして面白かったなあ!)でお茶の間にもお馴染みの俳優となりました。本物の空手アクションを見せ、テレビでも幅広く楽しませてくれた石橋雅史さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
(ジャッピー!編集長)
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