一昨日の当ブログ「追悼・岡留安則さん」で書いたように、「噂の眞相」ではタブーも妥協もなく、反権力・反権威スキャンダリズムを貫き通した岡留さん。時には、ふだん仲良くしている人や、「噂の眞相」に寄稿している人にも容赦ありませんでした。その姿勢はブレることありませんから、当然ながら「敵」も多かったと思います。名誉棄損とか訴訟はいつも何件も抱えている状況だったそうですが、その多くは話し合いで解決して、判決くらったこともほとんどないと記憶しています。トラブルをトラブルと思わない強靭なメンタル、その交渉力?というのもスゴイですが、ほとんどの場合、「メンツ」で告訴してくるケースが多いとのことです。
それでも、もちろん大きなトラブルはあり、2000年には右翼団体による襲撃を受けています。皇室に対する記事への抗議にやってきた右翼団体の二人が「謝罪のため1号休刊しろ」と要求したのに応じなかったで、二人組は暴れ出し、殴りかかり包丁まで持ち出したそうです。岡留さんは額と太腿から出血、編集部の部屋の絨毯は真っ赤になったほどです。それでも、岡留さん、警察の事情聴取よりも、約束があるので飲みに行こうとしたそうですから何とまあ! 結局、足が腫れあがり病院に行くことになって「ついでに」四谷署に出向いたそうですが、額を6針、太腿3針縫う全治40日という大ケガを負ったのでした。これは、新聞にも載っていたのでよく覚えています。
この件で「不用意に編集部に通すとは警戒心がなさすぎる」などと批判も起きました。しかし、岡留さんは他人を批判している以上、抗議にも真摯に対応する「オープン」な編集部は当然と思っていたのです。それまで、どんな人物が抗議に来ても「いくら主義、主張が違っても、話せば分かる」という信条を持っていたのですが、自分だけでなく編集部員も暴行を受けたことで、突然の来客に警戒したり、催涙スプレーなどを用意するようになって、「噂の眞相」のあるべき理想の姿を放棄するターニング・ポイントになったと仰っています。
「噂の眞相」は休刊のときも売れていて「黒字」だったといいます。余力を残しての2004年の休刊の理由はひとつではないでしょうが、この事件で、双方向のコミュニケーションをとるための「オープン」な編集部が変容せざるを得なかったことも大きかったかもしれません。また、「個人情報保護法」という、もうひとつの暴力も大きかったように思います。公人の噂すら書くことを封じられた社会は、一方ではSNS等で悪口、ヘイト、バッシングがたれ流されています。まるで、江戸時代に幕政改革で締めつけが厳しくなると、庶民の落書きがそこかしこに増えたみたいな感じです。果たして、どっちが健全な社会なんでしょう。(ジャッピー!編集長) 

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