昨日の当ブログ「追悼・有馬三恵子さん」で書いたように、「南沙織」さんの名付け親にして、デビューから14作のシングル盤の作詞を手掛けた有馬三恵子さん(ちなみに作曲はすべて筒美京平さん)ですが、「私の一番の宝物」と語っているのが、広島カープの応援歌「それ行けカープ」です。そう、♪カープ、カープ、広島カープ~ と唄われるあの曲の作詞をされたのが有馬三恵子さんなのです。
有馬さんは山口県防府市出身ということもあり、カープのファンです。熱狂的ファンで知られる雑誌「酒」の編集長・佐々木久子さんの「カープを優勝させる会」にも入っていて応援されていました。元々、高校野球も好きで、どこかの校歌でも書けたらいいと思っていたところ、思いもかけず、レコード会社から広島カープ応援歌のオファーがあったそうです。二つ返事で引き受けたものの、詞ができるまでは相当に苦しんだそうです。有馬さんといえば、南沙織さんに代表されるように、その多くが女性歌手の歌う作品でした。昨日の当ブログで紹介した「小指の想い出」、「他人の関係」の他にも、小川知子さんの「初恋のひと」(1969)や、風吹ジュンさんが舌ったらずに歌うデビュー曲「愛がはじまる時」(1974)とか。そういえば、あまり、男性歌手の曲って浮かばないですね。浮かぶのは、布施明さんの「積木の部屋」(1974)ぐらいです。(たしか、この歌詞を基に有馬さんが小説みたいなものを書いていた記憶があるのです。歌のノベライズというのでしょうか) ですから、プロ野球チームの応援歌は勝手も違うし、大好きな球団だけに「私の作った歌のせいで弱くなったなんてことに絶対にしたくない」と自分にプレッシャーもかけたのでしょう。机の前に正座して、言葉を紡いだといいます。そのときの有馬さんの心境は「三島由紀夫さんが切腹したときの“檄文”を書くような気持ち」だったとのちに回想していますから、相当なものです。そんな気合十分で作られた「それ行けカープ」、見事に格調ある言葉でチームを鼓舞する歌詞になっていますね。
かくして「それ行けカープ」が完成したのが1975年夏。野球ファンで賢明な読者諸兄はお分かりですね。この1975年はカープ初優勝をとげた年なのです! その夏といえば、オールスター戦で山本浩二さん、衣笠祥雄さんのお二人が2本ずつホームランをかっ飛ばし、「赤ヘル旋風」と呼ばれたのです。まさに、それと時期が重なるようにリリースされた「それ行けカープ」は、優勝に向かってのチームの快進撃とともに売り上げを伸ばし、広島を中心に中国地方だけで30万枚が売れたといわれています。
たしか、後楽園球場でジャイアンツを破って初優勝が決まり、熱狂の渦となった広島で、駅前だったか市民球場前だかで、有馬さんがファンに胴上げされたのをスポーツ新聞か、週刊ベースボールで読んだ記憶があります。自分が応援歌を書いた年に優勝とは本当に嬉しかっただろうなあ!
昨年までセ・リーグ3連覇のカープの試合もよく観戦されていたそうですから、自分が40年以上前に作った応援歌が、「カープ女子」で赤く染まった満員のスタンドで歌われるのですから「私の一番の宝物」と思うのは当然ですね。今年は、まだカープは本調子ではない(やはり丸選手の移籍が大きいかなあ)ですが、天国の有馬さんのためにも頑張ってほしいです。 (ジャッピー!編集長)
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