当ブログで5月11日「追悼・近藤昭仁さん」、5月12日には「千葉ロッテの18連敗」のことなど書いているうちに、「大洋ホエールズ」のもうひとりの「近藤」選手のことを思い出しました。「近藤和彦」さんです。当時、スタメンに名前を連ねていて「近藤昭」「近藤和」と表記されていました。個人的なことになりますが、中学1年で亡くなった僕の兄の名前が「昭彦」だったので、「昭」仁と和「彦」を合わせたような感じなのでお二人は何となく印象が強いのです。ちなみに愛称は昭仁選手が「アキ」、和彦選手が「ドンコ」です。コンドウを逆読み?して「ドンコ」ですから何だかミュージシャンの隠語みたいですね。この愛称、子どものときに「選手名鑑」で知って妙に印象に残っています。
近藤昭仁さんは小技の得意な選手でしたから1番か2番の打順が多く、和彦さんは中軸で3番を打つことが多かったので、スタメンの上位に名前を連ねていて「近藤昭」「近藤和」と表記されていました。今、中軸と書きましたが、和彦選手はホームラン・バッターではなく、二塁打の多い中距離タイプで3割を何度も打った「巧打者」です。明治大学の主軸として活躍された近藤和彦選手、同期に立教大学の長嶋茂雄選手というスーパースターがいたこともあり、目立ちませんでした。明治大の先輩の秋山登投手、土井淳捕手などがいる「大洋ホエールズ」に入団、一年目からレギュラーとなり、2割7分、13本というルーキーとしてはまずまずの成績を残しますが、セ・リーグの新人王はもちろん長嶋茂雄選手が獲得します。以後も、同期の長嶋茂雄選手は近藤和彦選手の前に立ちはだかることになります。
近藤和彦選手といえば、何と言っても「天秤打法」であります。左バッターの和彦さん、極端にバットを担いで、しかもグリップエンド近くを握った右手はほとんど頭の高さ、左手はバットの中央近くを軽く支えているだけ。うーん、文字だとうまく説明できないなあ。(実際に「写真」等で見ていただきたいのですが)まさに「天秤」を担いでいるようなフォームで、たぶん日本プロ野球の歴史上、もっとも変わった打法であることは間違いないでしょう。剣道の構えからヒントを得たと言われていますが、打つときには一瞬、バットが手から離れ宙に浮くのですから、ほとんど、「ドカベン」の殿馬選手の「秘打」の世界です。これに比べたら、イチロー選手の「振り子打法」や梨田選手の「こんにゃく打法」など普通です。
たしか、入団1年目のキャンプ時に、肘か何かを痛めていて負担にならないフォームを試しているうちに作り上げたと聞いたことがあります。新人がこんなキテレツなフォームで練習していたのですから
驚きです。今だったら、間違いなくコーチ陣に寄ってたかって矯正されているでしょうね。(当ブログ3月26日「プロ野球今昔 コーチが多すぎる!」ご参照ください)
和彦選手はこの「天秤打法」でヒットを量産します。「大洋ホエールズ」が三原脩監督のもと初優勝を果たした1960年(昭和35年)も打率.316、リーグ2位の打率で貢献しますが、首位打者はジャイアンツ長嶋選手がとります。そして、何とこの1960年、61年、62年と3年連続「打率2位」という結果に終わります
。61年も長嶋選手が首位打者ですから、2年続けて和彦選手の首位打者を同期のライバルが
阻んだのです。62年はカープの森永勝也選手が首位打者(この年は投高打低で3割バッターひとりだけ!) 63年は打率4位(首位打者はまたも長嶋選手)、故障で不調だった64年を挟んで、65年は打率3位(首位打者はドラゴンズの江藤慎一選手)、66年は打率7位(首位打者はまたまた長嶋選手)、そして67年に打率2位(首位打者はドラゴンズの中暁生選手)と、惜しくも首位打者には届きませんでしたが1960年代に打率2位が4回、3位が1回、4位が1回……と結果を残しました。
引退後はコーチや、「プロ野球ニュース」に出ていました。優しい人柄がうかがえ、分かりやすい解説をされていました。惜しくも、2002年に66歳という若さで亡くなられてしまいましたが、独特のフォームで素晴らしい成績を残した名選手でした。当時の野球少年だったら、必ずあの「天秤打法」を真似したことと思います。  (ジャッピー!編集長)
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