当ブログ5月22日で、京マチ子さんの大映入社第1作『最後に笑う男』(1949 安田公義監督)を紹介しました。本格的な映画出演としてはデビュー作といっていいこの作品では、サーカスの団員役。京さんと同時に売り出された二本柳寛さんと再び共演した『地下街の弾痕』(1949 森一生監督)では、刑事役の二本柳さんがかつて好きだった女性で人妻役でしたが、とってつけたように「ダンサー」の役。(←当ブログ5月23日参照) というふうに、当時としては露出の強い衣装で踊る京マチ子さんが大映の売り出し方でした。
ヘタしたら、そのまま「お色気」担当的に使われてしまう可能性もあったかもしれなかった立ち位置ですが、大映入社2年目の1950年(昭和25年)に、『羅生門』(1950 黒澤明監督)に出演、一気にグランプリ女優に駆け上がります。(『羅生門』が「ヴェネチア国際映画祭」でグランプリを受賞したのは翌1951年ですが) 東宝争議のあおりをくって黒澤監督がホームグラウンドの東宝を離れて大映で撮ることになったという運の良さもありますが、当初、この役には原節子さんが予定されていていましたが、スケジュールが合わず出演できなくなりました。そこで、大映に在籍する女優から選ぼうということになります。ここにもうひとつの運の良さがありました。今となってみると、あの多襄丸(三船敏郎さん)に犯される「真砂」の役、原節子さんのイメージはわかないですね。ギラギラとした灼熱の陽の下(宮川一夫さんの逆光でとらえた撮影が凄かった!)での激しいラブシーン、やはり肉感的な京さんならではです。
ともかく、このタイミングで『羅生門』に映画のキャリアの少ない京さんが抜擢されたわけですが、まだ衣装テストのときにすっぱり眉を剃って現れ、黒澤監督を感心させたといいますから、京さんがこのチャンスに物凄い気迫で臨んだことが分かります。だいたい、この『羅生門』は、ひとつの暴行事件を当事者の三人(殺された森雅之さんは巫女の口を通してですが)と目撃者(志村喬さん)のそれぞれの証言を描くわけですから、京さんは女の違った側面を演じ分けないといけません。ある意味、4役をやるようなもので大変な難役です。とにかく熱心に役作りをして、まだ撮影に入る前の稽古の段階、休憩で眠っている黒澤監督の枕元にやってきた京さんが台本片手に座り、「先生、教えておくれやす」とい言ったという有名な逸話があります。さすがの黒澤監督もその熱心さに閉口したと回想しています。そのように黒澤演出にくらいついたのですから、相当な根性の持ち主ですね。この根性があったからこそ『羅生門』で抜擢され巡ってきたチャンスを活かしたのでしょう。
また翌年、『偽れる盛装』(1951 吉村公三郎監督)では、ラスト近く、「娘道成寺」の衣装で菅井一郎さんに追いかけられ逃げる有名なシーンでは、カメラを積んだ移動車が京さんのアキレス腱に当たって倒れたそうです。それでも撮影を続け、終わってから見ると歩けないほど腫れあがっていたといいます。その後の撮影がラストの病院のベッドに寝ている場面だったのですが、本当に動けなかったのだそうです。これも京さんの女優としてガッツがあることが分かるエピソードですね。
(ジャッピー!編集長)



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